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【生誕100年】太宰治【1909.06.19〜1948.06.13】

1太宰治@走れメロス:2009/01/04(日) 10:31:09 ID:TZTgw.iI0
太宰が生きたまち・三鷹 <太宰治顕彰事業>
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/dazai/index.html

太宰治文学サロンのご案内 |三鷹市
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/a002/p017/g06/d01700025.html

三鷹市‐太宰治の墓|タチオン−東京・多摩のエリアガイド
http://www.tachikawaonline.jp/city/view.php?area=23&amp;id=554&amp;mode=details

太宰治 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB

215太宰治@走れメロス:2012/06/20(水) 20:36:08 ID:KuZr56kI0
雨空に太宰を思う 三鷹で桜桃忌
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20120620/CK2012062002000122.html
太宰治の墓前に手を合わせるファン=三鷹市の禅林寺で
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20120620/images/PK2012062002100021_size0.jpg

 「人間失格」や「走れメロス」の名作で知られる作家・太宰治をしのぶ「桜桃忌」の法要が十九日、墓のある三鷹市下連雀四の禅林寺で行われた。

 桜桃忌は玉川上水で入水自殺した太宰の遺体が発見された日で、誕生日でもある。友人たちが遺作「桜桃」にちなんで名付けた。

 小説「メリイクリスマス」に登場する「シズエ子ちゃん」のモデルとされ、太宰と親しかった文壇バー「風紋」の林聖子さん(84)らゆかりの人をはじめ、多くのファンが雨の中、法要に参列した。

 桜桃忌に初めて墓前を訪れた千葉県茂原市の大学三年生中村彩也香さん(21)は「精神的な弱さをさらけ出した作品に共感し、励まされる。ありがとうという思いで、墓前に手を合わせた」と話した。

216太宰治@走れメロス:2012/07/01(日) 06:18:30 ID:lvOGVf5.0
太宰の世界 新作舞台に
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/theater/20120620-OYT8T00811.htm

柴幸男作・演出「朝がある」

「『女生徒』を読み直して、表現がいいなと思った」

 劇団「ままごと」を主宰する劇作家・演出家の柴幸男が、新作「朝がある」を29日から7月8日まで、東京・三鷹市芸術文化センター星のホールで上演する。

 1939年から世を去る48年まで同市に住んだ太宰治の作品をモチーフに、毎年期待の若手が作る演劇シリーズの9作目だ。

 柴が題材に選んだのは、中編「女生徒」(39年発表)。女学生のみずみずしい感性、生活感あふれる一人称の語りで人気の高い一編だ。

 「時間が動いて変化する物語ではなく、止まっている時間を舞台で扱ってみたい。そこにお客さんが入っていきやすい橋渡しとして、『女生徒』を選びました」

 少女の朝の一瞬、そこに存在するものすべての思考、世界を舞台に閉じこめようとする試み。舞台に女生徒当人が出てくることはなく、「地の文を語る存在」として、男性(大石将弘)一人だけが登場する。「女の人を語り手にすると、その人の物語に重なって見えてしまう。関係ない人が語っていることが見える方がいい」と考えたという。

 音楽、ダンス的な動きが有機的に絡み合うのも柴演出の特色。「女生徒が舞台上にいるかのように感じ取ってもらえれば。それを目指して、試行錯誤している。見た目は全然違うけど、どこか小説に似ている味があるな、という感想を持ってくれたら一番うれしいです」

 中学生のころ、三谷幸喜のテレビドラマを見て、脚本家にあこがれた。「1本ドラマを作るのに、何週間も何か月もかけ、長い時間の結晶として作品がある。美しい仕事だと思った」

 高校で演劇部に入り、大学卒業後、テレビ制作会社に就職。だが、「目の前のお客さんに見せて、そこでの打ち返しだけに価値を求めるシステム、うそでしかないことに実じつを結びつけていく作業」としての演劇表現の魅力を改めて知り、再びこの世界へ。平田オリザ主宰の青年団演出部に入り、自作を上演する「ままごと」を2009年に結成した。同年の作品「わが星」では、ラップに乗せたダンス的な動きで斬新な舞台を構成、10年、岸田國士戯曲賞を受けた。

 今興味があるのは、演劇をどこで作り、どこで上演するか。「自分で場所を選んで、その土地に演劇を作る僕らがいることだけで風が吹くような活動がしてみたい」。(電)0422・47・5122。

217太宰治@走れメロス:2012/08/06(月) 21:56:36 ID:.tjG/0EU0
三鷹の太宰治サロンに7万人来館
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120806/tky12080621360007-n1.htm

 東京都三鷹市下連雀の「太宰治文学サロン」の来館者が7万人を突破した。7万人目の入館者は、江戸川区在住の種田文夫さん・けい子さん夫妻。種田さんは「三鷹には太宰治、山本有三ゆかりの施設や玉川上水もあるので来てみた」と話した。夫妻には、同館から花束や記念品が贈られた。

 太宰は昭和14年、30歳で甲府市から下連雀に転居し、23年に市内を流れる玉川上水に身を投じて亡くなるまで三鷹市内で暮した。同サロンは、没後60年などを記念して平成20年3月1日に、太宰が通い、作品にも登場する「伊勢元酒店」の跡地に開館した。

218太宰治@走れメロス:2012/09/26(水) 10:54:58 ID:pfTOiBjc0
太宰の地図入りはがき…准教授が東京・三鷹市へ寄贈
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120926-OYT8T00338.htm
寄贈された太宰の直筆はがき。玉川上水などの目印が描き込まれている
http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20120926-OYT9I00332.htm

 東京都三鷹市で晩年を過ごした作家・太宰治(1909〜48年)が1945年、詩人で文芸評論家の野田宇太郎(1909〜84年)に宛てた直筆はがきが、同市に寄贈された。太宰の自宅までの略地図を描いており、市では「大変貴重な資料」と歓迎している。

 はがきは、45年2月13日の消印。「都下三鷹町下連雀一一三」に住む太宰から、「都下吉祥寺二五〇七」の野田宛てに送られた。太宰は、「おついでの折にはお立ち寄り下さいまし」などと文面に記し、井の頭公園や玉川上水のほか、自宅周辺の家名など目印となるものを描き込み、自宅への道を案内している。

 世田谷区在住の大学准教授、山本史華さん(44)が8月下旬に寄贈。父の直英さん(故人)が趣味で収集したものといい、98年に市が開催した「没後50年太宰治展」などで一般公開されたこともあるという。山本さんは24日、同市役所を訪れ、清原慶子市長から感謝状を受け取った。市は今後、「太宰治文学サロン」(下連雀3)で開催する企画展などで公開していく予定。

221三調めの@エントツくん:2013/03/29(金) 20:49:51 ID:8Uu47Cww0
太宰治ゆかりの地、三鷹で小説モチーフの舞台−シリーズ10周年
http://kichijoji.keizai.biz/headline/1634/
「全身ちぎれ節」(08.09.12〜09.21)三鷹市芸術文化センター・星のホール
http://images.keizai.biz/kichijoji_keizai/headline/1364195276_photo.jpg

 三鷹市芸術文化センター(三鷹市上連雀6、TEL 0422-47-5122)で6月、太宰治作品をモチーフにした舞台の第10 回記念公演として、劇団「ピチチ5(ぴちちくいんてっと)」による公演「はぐれさらばが“じゃあね” といった〜老ハイデルベルヒと7つの太宰作品〜」が決定した。会場は星のホール。

 1941(昭和16)年から三鷹に暮らした太宰治の墓が同センターそばの禅林寺にあることを縁にスタートしたシリーズで、同時期に開催している朗読シリーズ「太宰を聴く」と並び、太宰の「桜桃忌」を告げる恒例企画として展開してきた。

 これまでにも、「ままごと」の柴幸男さん、「ポツドール」の三浦大輔さんなど、「演劇界で注目を集める脚本力に秀でた人材」に作・演を依頼。「太宰作品をそのまま舞台化してもいいし、モチーフとして自由に仕上げていただいても構わないというスタンスでオファーしているもので、今回は、『ピチチ5(ぴちちくいんてっと)』の福原充則さんにお願いした」と同センターの森元さん。

 「『駄目だと分かっていても何度でも同じことを繰り返してしまう』。そんな悲しくも愛すべき人間たちのつぶやきを、鋭くかつ愛情深く描き、多くの注目を集めている。期せずして、『ピチチ5』も10周年を迎える記念すべき年。劇団員の野間口徹さんや三浦竜一さんに加え、今回は『キングオブコメディ』の今野浩喜さん、『猫のホテル』出身の菅原永二さんなど多彩な俳優陣も結集し、太宰の世界に挑む」

 今回のメーンモチーフとして選ばれたのが太宰の初期作品「老(アルト)ハイデルベルヒ」。「8年ぶりに訪れた静岡県三島市を舞台に、男の見栄や自らの弱さからの逃避として、昔を述懐する思いが交錯する様を太宰独特の軽妙なタッチで描いた快作」と森元さん。「作中に登場する『三島が色褪 いろあせたのではなくして、私の胸が老い干乾 ひからびてしまったせいかもしれない』という言葉が、福原の戯曲の中でどのような匂いで立ち込めるか、期待したい」とも。

 公演は6月28日〜7月7日。チケット発売は4月14日。申し込み方法など詳細は同センターのホームページで公開する。

222三調めの@エントツくん:2013/04/14(日) 14:35:47 ID:KR6tU9.s0
太宰の思い出、永遠に 小説モデルの林さん 三鷹できょう講座
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013041402000127.html

 作家、太宰治(一九〇九〜四八年)と少女時代から交流があり、小説に登場するヒロインのモデルにもなった文壇バー経営、林聖子さん(85)=東京都新宿区=が十四日、三鷹市で開かれる文学講座で文豪の思い出を回想する。太宰を直接知る最後の生き証人といわれる林さん。「人前で太宰を語るのは年齢的にも最後でしょう」と話す。 

 太宰の自伝的小説「メリイクリスマス」は、雑誌「中央公論」一九四七年一月号に発表された短編。主人公が三鷹の本屋にいると、かつての女友達の娘、シズエ子に偶然、再会する。シズエ子の魅力にひかれながら二人でうなぎを食べる物語だ。

 シズエ子のモデルが林さん。太宰の知人だった母親を通じ、十三歳ごろから親交があったという。小説の多くは事実と重なり、刷り上がったばかりの雑誌を持って太宰が訪ねてくるエピソードも。

 太平洋戦争で太宰、林さんとも地方へ疎開したためいったん疎遠となったが、終戦後に東京へ戻った四六年十一月、三鷹駅前の書店で偶然に太宰と再会し、近所付き合いを続けた。

 林さんはその後、出版社に入り、代表作の一つ「斜陽」執筆の世話をした。自殺した太宰の遺体が玉川上水で引き揚げられた際は、真っ先に現場に駆け付け、土手に降りた。「きれいな死に顔を今も思い出す。太宰さんは明るくて話が面白い人だった」と懐かしむ。

 NPO法人三鷹ネットワーク大学推進機構が主催する文学講座は、十四日午後二時から三鷹市下連雀三、三鷹駅前協同ビル三階で。一般千円。先着順で、来場者多数の場合は入場制限がある。問い合わせは主催者=電0422(40)0313=へ。

225三調めの@エントツくん:2013/05/17(金) 20:44:00 ID:nadRjUZU0
吉祥寺で「走れメロス」手話朗読会−表現方法としての手話を一般にも
http://kichijoji.keizai.biz/headline/1669/

 耳の聞こえないスタッフが接客する「サイレント・カフェ」が主催するイベント「走れメロス 手話朗読会」が5月25日、吉祥寺のシェアオフィス「i-office吉祥寺」(武蔵野市吉祥寺本町 1)で開催される。

 サイレント・カフェは2011年7月、聴覚障がい者と健聴者の間のバリアフリーを促進する目的で三鷹市公会堂別館に開業し、同年12月に同館改築工事のため一時閉店したが、昨年2月から7月まで「グランキオスク」内で再オープンした。同年6月には「ソーシャル・デザイン」をテーマに掲げる「第7回ロハスデザイン大賞2012」の「コト部門」で大賞を受賞した。

 当日は、三鷹に住んだ作家の太宰治の作品「走れメロス」を手話により朗読する。「太宰治の命日である6月19日は『桜桃忌』と名付けられ、墓所のある禅林寺(三鷹市下連雀4)には今も毎年多くの太宰ファンが参拝に訪れる。三鷹生まれのサイレント・カフェは、桜桃忌にちなんで『走れメロス』を『動きで伝える』手話による朗読を行う。普段、音声により意思伝達をしている私たち健聴者にとっては、パフォーマンスのような面白さを感じていただければ」と代表の渡辺由貴さん。

 「今まで手話朗読会が一般向けに開かれることはほとんどなかったが、この機会にぜひ、手話という表現方法を発見していただけたら。手話が初めての方には文字テキストを配布する。サイレント・カフェの耳の聞こえないスタッフによる表情豊かで躍動的な手話を楽しんでいただけたら」とも。

 開演14時30分。朗読45分、交流会60分。料金は2,000円(プチスイーツ、ドリンク代込み)定員は20人。

226三調めの@エントツくん:2013/06/12(水) 22:04:04 ID:Z1e3y6HA0
三鷹のギャラリーカフェで太宰治「女生徒」展−作家10人がグループ展
http://kichijoji.keizai.biz/headline/1686/

三鷹のギャラリーカフェで太宰治「女生徒」展−作家10人がグループ展

 三鷹駅北口の古本ギャラリーカフェ「点滴堂」(武蔵野市中町 1)で、6月12日から、「女生徒」展が開催される。

 同展は、金田アツ子さん、かわい金魚さん、江津匡士さんなど10人のアーティストによるグループ展。太宰治の名作「女生徒」に寄せて、太宰の時代の少女像を描き出した作品、絵画・創作人形・アクセサリーなどを展示する。

 「三鷹といえば太宰治。今月19日が桜桃忌(太宰の忌日)ということもあり何かしたいと考えていた。小説『女生徒』ならば店のイメージに合うのでは」とオーナーの稲村さん。稲村さん自ら作家に声を掛け、今回の企画が実現する。江津匡士さんがデザインした企画のポスターは、すでにネットで好評だという。

 今年3月にオープンしたばかりの店内には、販売している本を読めるカフェスペースも併設している。「女生徒が好きな方はもちろん、それ以外の方にも楽しんでいただければ」

 営業時間は12時30分〜20時30分。月曜・火曜定休。今月23日まで。

227三調めの@エントツくん:2013/06/14(金) 23:02:36 ID:fy594QGQ0
三鷹で「走れメロス」手話朗読会−サイレント・カフェ主催、ミニツアーも
http://kichijoji.keizai.biz/headline/1690/
ツアーで巡る陸橋
http://images.keizai.biz/kichijoji_keizai/headline/1371195630_photo.jpg

 耳の聞こえないスタッフが接客する「サイレント・カフェ」が主催するイベント「走れメロス 手話朗読会」が6月15日、「三鷹市芸術文化センター」(三鷹市上連雀6)で開催される。

 サイレント・カフェは2011年7月、聴覚障がい者と健聴者の間のバリアフリーを促進する目的で三鷹市公会堂別館に開業し、昨年2月から7月まで「グランキオスク」内で再オープンした後、閉店。同年6月には「ソーシャル・デザイン」をテーマに掲げる「第7回ロハスデザイン大賞2012」の「コト部門」で大賞を受賞した。現在は吉祥寺や三鷹を中心にイベントなどを開催している。

 当日は、太宰治の命日である6月19日「桜桃忌」にちなみ、三鷹の太宰治ゆかりの地を巡る「ミニ観光ツアー」と、作品「走れメロス」を手話で朗読する。

 「太宰の感動的な文学作品を『手話』で共有することで、音のない世界に住む人々と、音を使ってコミュニケーションする人たちの間に、『共感』の機会をつくり出せるのではないかと思っての企画。動きで伝える手話の朗読会は、手話が初めての方にとっても興味が持ちやすいものだと感じる。幅広い層の方がサイレント・カフェのスタッフによる躍動的な手話朗読に開眼し、音のない世界の存在に気づく機会になれば」と代表の渡辺由貴さん。

 ミニ観光ツアーでは、地元三鷹のボランティアのガイドで、太宰が撮影された写真が残っている当時の姿のままの陸橋や、三鷹駅の真下を流れる玉川上水、太宰のお墓のある禅林寺などを巡る。「筆談での対応もするで、聞こえの問題をお持ちの方もご参加いただける」。

集合はJR三鷹駅南口に9時30分。参加費は1,500円。予約はメールで受け付けている(要予約)。定員に達し次第受け付けを終了。

228三調めの@エントツくん:2013/06/19(水) 21:49:46 ID:eKdeUtp60
くつろぐ太宰をクリアファイルに 三鷹の財団 きょう「桜桃忌」で販売
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20130619/CK2013061902000106.html
桜桃忌に合わせて発売される太宰治クリアファイル=三鷹市で
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20130619/images/PK2013061902100036_size0.jpg

 三鷹市ゆかりの作家、太宰治(1909〜48年)をしのぶ19日の「桜桃忌(おうとうき)」に合わせ、太宰治文学サロン(下連雀3)などを運営する市芸術文化振興財団は「太宰治クリアファイル」の販売を開始する。 

 ファイルの表面に銀座の文壇バー「ルパン」でくつろいでいる太宰の写真(林忠彦氏撮影)をあしらい、裏面は透明、ピンク、グリーンの三色。各千枚作成。一枚三百円。太宰治文学サロンや市芸術文化センター(上連雀六)などで販売する。「太宰ファンに喜んでもらおうと企画しました」と財団の担当者は話す。

 太宰は三鷹市に住み、創作活動に取り組んだ。桜桃忌は玉川上水で入水自殺した太宰の遺体が発見された日で、太宰の誕生日でもある。友人たちが遺作「桜桃」にちなんで名付けた。十九日は午後二時ごろ、墓のある市内の禅林寺(下連雀四)で法要が行われる。

 市民団体「みたか観光ガイド協会」は午後一時半〜二時半の間、禅林寺門前を出発点に太宰ゆかりの地を案内するボランティアガイドツアーを行う。協会の小谷野(こやの)芳文代表は「全国から太宰ファン約五百人が詰めかける特別な日。お気に入りの作品を語り合う姿も見られます」と話し、参加を呼び掛けている。

230三調めの@エントツくん:2013/09/19(木) 15:13:48 ID:vtdALiqk0
太宰の子守役 焦点 三鷹で26日 映像、朗読の催し
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20130916/CK2013091602000116.html

 作家、太宰治(一九〇九〜四八年)の幼少時代、子守役を務めた越野(こしの)タケさん(一八九八〜一九八三年)に焦点を当てた映像と朗読の催し「太宰に導かれてvol・2−子守のタケを語る」が二十六日、三鷹市野崎一の市公会堂さんさん館で開かれる。市内で太宰研究を続けるフリーアナウンサー原きよさん(46)が企画した。

 青森県の名家の六男として生まれた太宰は、数え年の三〜八歳までの間、タケさんに身の回りの世話をしてもらった。タケさんは積極的に読書を勧め、本を入手するため奔走したという。小説「津軽」の中で太宰は「私の一生は、その人に依(よ)って確定されたといっていいかも知れない」と語り、生涯、感謝を忘れなかった。

 今回は、タケさんと太宰が一九四四年、三十年ぶりに再会した地、中泊(なかどまり)町(旧小泊(こどまり)村)から郷土史家、柳沢良知(よしとも)さん(74)を招く。中泊町の施設のみで公開されている柳沢さんによるタケさんの生前インタビューの映像や柳沢さん自身の解説、原さんによる小説「津軽」の朗読などが予定されている。

 原さんは二〇〇二年、三鷹市民向けの朗読会に参加して太宰作品に魅せられた。「タケさんの貴重な映像を通じて太宰の人間的魅力を伝えたい」と企画の意図を語った。

 催しは午後二時からと午後七時からの二回。当日券三千円。問い合わせは原さんの連絡事務所=電080(1288)1220=へ。

231三調めの@エントツくん:2013/09/19(木) 15:14:28 ID:vtdALiqk0
『東京百景』又吉直樹著 太宰治の生まれ変わり!?
http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/EN/calture/750626.html

 太宰治大好き芸人・又吉直樹さん。上京して初めて住んだ家が、かつて太宰が暮らしていた住所と同じだったり、元カノが太宰の奥さんと同じ名前の「みちこ」だったり、犬嫌いだったり、又吉さんが小さい頃から描いてきたイラストが太宰のイラストと酷似していたりと、なんらかの強いつながりを感じさせるエピソードも多く、太宰治の生まれ変わりでは?と思ってしまうのは、さすがに私のひいき目だろうか。

 それでも、(生きていれば)太宰の100歳となる2009年から毎年開催している「太宰ナイト」と称するイベントや、そこで披露される普段とは少し違った冗舌な語り口を見れば、太宰治に対する憧憬や尊敬の精神は疑う余地もないことが分かるだろう。

 そんな又吉さんの新刊は「東京」をテーマにした100編からなるエッセー集だ。上京して間もない頃から、芸人として活躍する現在まで、日常に起こったささいなことや、出会った人の思い出が、東京の風景とともに語られる。とりたててドラマチックな出来事は起こらないし、勝手な妄想だけが広がっていくことも多いのだが、それがまるでショートショートの物語のよう。エッセーという枠を超えた面白さがある。

 描かれる風景も独特だ。シュールな出来事にも多々遭遇する。「東京」から想像する華やかさや賑やかさとは無縁の、あまり聞き知れぬ街も多く取り上げられる。そのせいか、どのエッセーも朝日というよりは夕暮れ時のちょっと寂しさや余韻の残る風景という印象。意外にロマンチストなのかも、とご本人は嫌がるであろう感想を抱いたりして。

 読み終える頃、誰もが自分の「東京百景」を探したくなる。そして毎日の風景を、たとえそれが見慣れたものであったとしても、大切に心のポケットにしまいながら生きていきたいと思った。

232三調めの@エントツくん:2014/06/12(木) 22:21:29 ID:RH/Yg41I0
三鷹の「サイレント・カフェ」で手話朗読会−太宰治の命日「桜桃忌」にちなんで
http://kichijoji.keizai.biz/headline/1924/

 三鷹駅より徒歩10分の耳の聞こえないスタッフが接客する「サイレント・カフェ」(三鷹市下連雀4)で6月19日と22日の2日間、「桜桃忌イベント!手話朗読『お母さまのテーブルマナー講座・スウプのいただき方』」が開催される。

 サイレント・カフェは、2011年7月「みたかソーシャル&コミュニティビジネスプラン・コンペティション2010」にて優秀賞を受賞し、内閣府の地域社会雇用創造事業交付金の交付対象事業となり創業。その後、吉祥寺や三鷹を中心にイベントなどを主催。今年4月には初の常設店舗がオープンした。

 当日は、太宰治の命日である6月19日「桜桃忌」にちなみ、太宰治の「斜陽」より「お母さまのテーブルマナー講座・スウプのいただき方」を手話で朗読する。

 「サクランボの季節になると、心が騒いでなりません。昨年は『走れメロス』で汗を流しましたが、今年はしっとりと『斜陽』の冒頭部・スウプの場面を、お母さまに化けたサイレントのスタッフが演じる。物悲しく、はかなく、苦く、しかし、赤いサクランボのように美しい小説。朗読の後には、参加者の皆さまに、お母さま流スウプのいただきかたを実演しながら楽しんでいただける。三鷹生まれの当店ならではの、こんなのなかった、大笑いユニークな参加型イベントとなれば」と代表の渡辺さん。

 「三鷹に常設店舗をオープンして一ヶ月、まだばたばたの中ですが、太宰先生の墓所のすぐお近くに店舗を構えた今年は、やらないではいられません。昨年よりもさらにユニークなイベントなので手話の全く初めての方でも楽しんでいただける、ライトで笑える朗読会。おしゃれな新店舗でのイベント、どうぞふるってご参加いただけたら」とも。

 開催時間は、19日10時〜11時10分・22日14時〜15時10分。料金は1,600円。定員は各回16人。予約はメールで受け付けている。

233三調めの@エントツくん:2015/05/08(金) 10:01:12 ID:JS6gZm/A0
太宰治賞に伊藤朱里さんの「変わらざる喜び」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150507-00050104-yom-ent

読売新聞 5月7日(木)20時55分配信

新人小説家の登竜門とされる第31回太宰治賞(筑摩書房、東京都三鷹市共催)の選考会が7日、三鷹市内で開かれ、応募1251作品の中から、東京都板橋区の専門学校生、伊藤朱里(あかり)さん(29)(本名・水野彩絵(さえ)さん)の「変わらざる喜び」が選ばれた。

作品は、性的マイノリティーである主人公の女性が、既婚者の女性と「不倫関係」をもつ内面を描いた。

賞金は100万円。贈呈式は6月17日、東京・丸の内の銀行倶楽部で開かれる。



<太宰治賞>29歳の伊藤朱里さんの「変わらざる喜び」に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150507-00000078-mai-cul

毎日新聞 5月7日(木)20時17分配信

 第31回太宰治賞(筑摩書房、東京都三鷹市主催)は7日、東京都板橋区の専門学校生、伊藤朱里(あかり)さん(29)=本名・水野彩絵(さえ)=の小説「変わらざる喜び」に決まった。賞金は100万円。贈呈式は6月17日、東京都千代田区の銀行?楽部で開かれる。

今回は1251点の応募があった。伊藤さんは「ずっと書き続けて、自分の言葉を必要としている人に小説を届けたい」とコメントした。

234三調めの@エントツくん:2015/05/14(木) 10:20:41 ID:QQCaBffo0
太宰直筆用いロゴ 三鷹市立図書館
http://www.yomiuri.co.jp/local/tokyo23/news/20150514-OYTNT50013.html

三鷹市立図書館は、市ゆかりの作家太宰治(1909〜48年)の直筆文字を取り入れた公式ロゴを作成した。市立図書館6館共通で利用する。貸し出しカードやホームページ、カレンダーなどに使い、図書館に親しみや関心を持ってもらうことが狙いだ。

 太宰は1939年から亡くなるまで、終戦前後を除いて三鷹で暮らした。命日の6月19日には「桜桃忌」が営まれ、墓のある禅林寺(下連雀4)に毎年多くのファンが集まる。

 市立図書館は、開館50周年を記念し、昨夏に武蔵野美術大学と共同で作業を開始。視覚伝達デザイン学科の学生30人が、デジタル資料から「三鷹市立図書館」の文字をそれぞれ十数字以上抜き取り、重ね合わせて作った骨格を基にロゴを完成させた。

 丸みを帯びた柔らかい印象で、長く読み継がれた本のようなレトロさを表現するためレンガ色にした。

 市立三鷹図書館(上連雀8)で12日に開かれたお披露目会では、デザインの中心となった3年の大国綾子さん(21)が「文学にゆかり深い三鷹の中でも、太宰は特に大切な作家。親しんでもらえるロゴになってほしい」とあいさつした。

 公式ロゴの完成に合わせ、市立三鷹図書館は、所蔵する太宰治の初版本など約150点を並べた展示会を開いている。6月21日まで。毎週月曜と第3水曜休館。午前9時半〜午後8時(土日は午後5時まで)。

235三調めの@エントツくん:2015/06/19(金) 11:39:44 ID:0uZehipM0
太宰治の自画像を一般公開 三鷹市
http://getnews.jp/archives/1008160

 太宰治が描いた自画像を、東京都三鷹市が「津島家寄託 太宰治資料展」で一般公開している。長女らからの寄託を受けて、書画や愛用品などゆかりの品々約70点を三鷹市美術ギャラリーに展示した。

 自画像は木製のスケッチ板に描いた油絵で、38歳で亡くなる1年ほど前の作品。他にも風景画など油絵2点、旧弘前高時代に描いた人物の落書きなどを展示している。

 太宰は1939(昭和14)年から最後の約9年間を三鷹で暮らした。執筆の息抜きに美術を楽しみ、書斎にはゴッホの画集を置き、多くの画家と交流した。

 19日は太宰をしのぶ「桜桃忌」。28日までJR三鷹駅南口の同ギャラリーで懐中時計、アドレス帳、表札などの品々とともに見ることができる。入場無料。

236三調めの@エントツくん:2015/07/07(火) 10:12:36 ID:W2wYfL7o0
降りしきる雨の中 太宰しのび桜桃忌
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20150620/CK2015062002000155.html

 作家太宰治(一九〇九〜四八年)をしのぶ「桜桃忌」法要が十九日、三鷹市の禅林寺で営まれ、多くのファンが墓所を訪れた。三鷹に住んだ太宰にまつわる「津島家寄託 太宰治資料展」を開催中の市美術ギャラリーにも三百人超が来場し、衰えぬ人気を示した。

 禅林寺では午後二時、雨が降りしきる中で僧侶が墓前で読経。ファンたちは、桜桃忌にちなんだサクランボやビール、日本酒などを供えた。大阪府出身で、三鷹市にある杏林大学医学部二年の田中悠輝(ゆうき)さん(21)は中学時代からの太宰ファン。「太宰ゆかりの三鷹にあるから杏林大を選びました。三鷹には禅林寺や作品に出てくる玉川上水の万助橋などがあって感慨深い」と話した。

 市美術ギャラリーにはこの日、三百三十四人が訪れた。太宰の長女、津島園子さんと次女、里子=作家津島佑子=さんが昨年八月に市に寄託した三鷹ゆかりの資料を中心に、約八十点が展示されている。木製の菓子箱を利用した表札は、筆で「津島修治(太宰治)」と書かれている。アドレス帳には高見順のほか菊池寛、佐藤春夫、亀井勝一郎、檀一雄ら交友のあった作家の名前があるという。

 太宰が妻美知子と井伏鱒二宅で挙式した際に撮影したとされる写真も展示されている。杉並区から来場した女性(77)は「太宰の暮らしぶりが感じられて興味深い」と見入っていた。

 市美術ギャラリーは三鷹駅南口のCORAL五階で、同展は二十八日まで。午前十時〜午後六時、観覧無料。月曜休館。

 太宰治は結婚後の一九三九年九月から、三鷹駅から徒歩二十分ほどの現在の下連雀二の借家に住んだ。およそ百五十の作品のうち、三鷹では「走れメロス」「人間失格」「グッド・バイ」(未完)など大半を執筆した。

237三調めの@エントツくん:2015/09/25(金) 15:30:58 ID:drFx1v860
太宰の礼状 筆致のびのび 三鷹の文学サロンで26日から初公開
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20150925/CK2015092502000178.html

 三鷹に住み、創作活動を続けた作家・太宰治が、自分の作品を出版してくれた書店主に礼状として送った直筆のはがきが、三鷹市下連雀の太宰治文学サロンで二十六日から初公開される。「太宰治と店主たち」と題した企画展で、来年二月十四日まで開かれる。

 拝啓…このたびは 拙著のことでいろいろと御せわに相成りました おついでの折など 下連雀へお立寄り下さいまし 不一

 文面は七行とごく短いが、毛筆を好んだ太宰が、はがきいっぱいに伸び伸びとした筆致で書いている。内容は、太宰の文藻集「信天翁(あほうどり)」が昭南書房から刊行されたことについて、淀橋区戸塚町(現・新宿区西早稲田)に住む店主の佐藤俊雄にあてた礼状。表書きは「府下三鷹町下連雀一一三 太宰治」、昭和十八(一九四三)年一月四日の日付印がある。

 はがきは埼玉県内の個人が長年保管してきたが、鑑定を依頼された同サロンが太宰の直筆と確認、今年三月に購入した。当初、佐藤俊雄が誰か不明だったが、太宰の研究者らにも照会し、編集・出版を手掛けた書店主と判明した。

 佐藤は戦後、大雅洞(たいがどう)を興し、美しい装丁の出版を手掛けた。太宰の師・井伏鱒二の「荻窪風土記」収録の文章にも、井伏が佐藤と散策した時のことが描写されており、多くの作家と交流があったという。

 主催の市芸術文化振興財団の学芸員吉永麻美さんは「はがきは、太宰が家族と暮らした三鷹から発信した。精神的にも最も充実し、『走れメロス』『ヴィヨンの妻』などの代表作もここで生まれた。三鷹を愛した太宰の人間性の一端を感じ取ってもらえれば」と話す。

 企画展では、他の編集者たちとの交流を解説するほか、代表作の原稿(複製)や初版本、太宰が川端康成に宛てた芥川賞受賞を請う長さ五メートル二十センチの手紙(複製)も展示される。入場無料。

238三調めの@エントツくん:2016/02/21(日) 22:19:01 ID:Au/0rSD60
訃報 作家の津島佑子さん死去68歳 太宰治の次女
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160218-00000078-mai-cul

毎日新聞 2月18日(木)20時1分配信

代表作に「火の山--山猿記」「笑いオオカミ」

人間の生死や近代的価値観を問い続け、現代文学の先端を走った作家の津島佑子(つしま・ゆうこ、本名・里子=さとこ)さんが18日午後4時10分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。68歳。葬儀は近親者で営む。喪主は長女香以(かい)さん。

1947年3月、東京・三鷹で作家・太宰治(本名・津島修治)の次女として生まれた。翌年6月、太宰は自死。さらに知的障害のある兄を、12歳の時に亡くした体験も後の小説執筆に影響を与えた。白百合女子大英文科在学中に同人雑誌「文芸首都」に参加し、69年「レクイエム」でデビュー。72年に「狐(きつね)を孕(はら)む」が芥川賞候補となり、同賞を熱望しながら受賞できなかった太宰を引き合いに「亡き父のかたきを取るチャンス」などと世間の話題になった。

「私にとって親は母だけ。なぜ太宰という父の子と言われるのか」と反発しつつ、結婚・出産・離婚の実体験を基にして揺れ動く女性の内面世界をえぐった「葎(むぐら)の母」「草の臥所(ふしど)」など秀作を発表。離婚して子供と暮らす母親の想像妊娠を描く長編「寵児(ちょうじ)」で78年女流文学賞を受賞し、作家としての地位を築いた。「光の領分」で79年野間文芸新人賞を受賞した。

85年に8歳の長男を病気で失った悲しみを基に、生死そのものに迫る「夜の光に追われて」で87年読売文学賞。91年の湾岸戦争では作家の中上健次、評論家の柄谷行人さんらと共に日本の「加担」に反対する声明に名を連ねた。

母方の一族をモデルにして日本の近代史と家族史を浮き彫りにし、太宰を思わせる人物が登場する「火の山--山猿記」は98年の谷崎潤一郎賞と野間文芸賞をダブル受賞し、NHK連続テレビ小説「純情きらり」(2006年)の原案となった。戦後混乱期を旅する孤児たちの姿を幻想的に描いた「笑いオオカミ」(01年大佛(おさらぎ)次郎賞)は、生命力あふれる傑作とされ、団塊世代が戦争を問い直す09〜10年の毎日新聞連載「葦舟(あしぶね)、飛んだ」につながった。アイヌの叙事詩など先住民族の文化や口承文芸にも深い関心を寄せた。

「黄金の夢の歌」で11年度毎日芸術賞。戦後占領期に米兵が日本人との間に残した孤児らの視点で原爆や福島原発事故の責任を問うた「ヤマネコ・ドーム」(13年)も高い評価を得た。他に「火の河のほとりで」(83年)、「ナラ・レポート」(04年度芸術選奨文部科学大臣賞など)。昨年1月に肺がんと診断され、闘病しつつ「父をテーマに書く」と準備を進めていたという。

作家の太田治子さんは異母妹。

外へはじけ飛ぶような文学

作家の黒井千次さんの話 台湾やモンゴルなど日本以外の土地を舞台にしたりアイヌの伝承にこだわったりと、同世代の作家と違うハードで硬いものが作品にあった。外へはじけ飛ぶような文学がどんな結実を生むのかを確かめられず残念。父の太宰治のことは自分からは触れなかったが、何かの席で太宰のスキャンダラスな面が話題に上った際に「私の考え方は違う」と強い調子で言った。実は大変な思いをしていたのかもしれない。

239三調めの@エントツくん:2016/05/11(水) 21:58:56 ID:w7agkBdI0
太宰治賞に夜釣十六さんの「楽園」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160509-00050109-yom-ent

読売新聞 5月9日(月)20時34分配信

 新人小説家の登竜門とされる第32回太宰治賞(筑摩書房、東京都三鷹市共催)の選考会が9日、三鷹市内で開かれ、応募1473作品の中から、埼玉県内の会社員女性、夜釣(よづり)十六(じゅうろく)さん(28)の「楽園」が選ばれた。

 作品は、パチンコに明け暮れる30歳の男性が人里離れた村で、会ったこともなかった「祖父」との共同生活を通じ、祖父の戦争体験に触れ、変化していく心境を描いた。賞金は100万円。贈呈式は6月15日、東京・丸の内の銀行倶楽部で開かれる。

241三調めの@エントツくん:2016/06/14(火) 12:00:22 ID:aq7c2UyA0
東京・三鷹で太宰治の資料展/11日から
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2016/20160606014163.asp

 金木町(現・五所川原市)出身の作家・太宰治(1909〜48年)が晩年を過ごした東京都三鷹市。家族が同市に寄託した遺品を通して、太宰のライフスタイルを浮き彫りにする資料展の第2弾が、11日から市美術ギャラリーで開かれる。太宰宅を訪れた文化人との交流を伝えるコーナーと、三鷹周辺の画家に影響を受けた太宰の絵画に焦点を当てるコーナーの2部構成。約80点を展示する。

242三鷹中央防災公園@元気創造プラザ:2016/11/22(火) 20:50:12 ID:uvpBB.Q.0
「太宰治文学館」、東京・三鷹市が建設へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161122-00050122-yom-ent

 東京都三鷹市は22日、同市で作家生活を送った太宰治(1909〜48年)の遺品などを展示する資料館を都立井の頭公園に建設すると発表した。

 完成は2019年度の見通し。

 市によると、資料館の名称は「三鷹市立太宰治文学館」(仮称)。市が所蔵する太宰の書いたはがきなどの書簡約10点や、遺族から預かっていた木製の手書き表札などの遺品約70点を常設展示する方針。設置場所は今後都と協議する。太宰は1939年から亡くなるまで三鷹市内に住み、市内の寺には墓もある。座や相談会を開催している。個人でも講座や説明会を開く今安の手帳には予定がびっしり詰まっていたが、「月収と呼べるほどではないですね。ボランティア感覚でやっています」と話した。



<文学館>太宰治と吉村昭、19年4月開設へ 東京・三鷹
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161122-00000110-mai-soci

 東京都三鷹市は都立井の頭公園内に、市ゆかりの2人の作家、太宰治(1909〜48年)と吉村昭(1927〜2006年)の遺品や資料などを展示する「太宰治文学館」と「吉村昭書斎」(いずれも仮称)を、2019年4月に開設する。清原慶子市長が22日の定例記者会見で明らかにした。30日開会の市議会定例会に提出する補正予算案に、基本プランなどの整備事業費3141万円を盛り込んだ。

 私小説的な作品が多く「無頼派」と言われた太宰と、戦記ものなど史実に基づく歴史小説が多い吉村は作風が異なるが、三鷹に長く暮らしたという共通点を持つ。太宰の旧宅は取り壊されたが、市内には資料を公開する「太宰治文学サロン」がある。一方、吉村の旧宅には、妻で作家の津村節子氏が住み、敷地内には吉村が使った書斎が保存されている。

 市は「文化の薫り高い三鷹」のまちづくりを推進するため、2人の遺品などを適切に保存することで、多くのファンを持つ市ゆかりの2人の作家に、市民が常時接し、親しめる場を創出することにした。今後、井の頭公園を管理する都と調整しながら具体的な計画を策定し「文学館」の近くに「書斎」を移設する方針。文学館は2階建てに抑え、規模の大きな施設は検討していないという。

 清原市長は「太宰の資料約70点を、長女の津島園子さんが市に寄託しており、常設展示する文学館を整備したい。吉村さんは最初の太宰治賞受賞者でもあり、両施設を近接させ、回遊性のある文化施設を目指したい」と話している。18年7月着工を目指す。

243三鷹中央防災公園@元気創造プラザ:2017/05/08(月) 21:22:17 ID:g1ciYE3s0
太宰治賞に「タンゴ・イン・ザ・ダーク」選出
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170508-00050089-yom-ent

 新人小説家の登竜門とされる第33回太宰治賞(筑摩書房、東京都三鷹市共催)の選考会が8日、三鷹市内で開かれ、応募1326作品の中から、川崎市のフリーライター、サクラ・ヒロさん(37)の「タンゴ・イン・ザ・ダーク」が選ばれた。

 作品は、市役所で働く男性が、自宅の地下室に籠もって「顔を見せたくない」という妻に、地下室から出てきてもらうため、あの手この手で交渉する物語。賞金は100万円で、贈呈式は6月13日に東京都千代田区の如水会館で行われる。

244三鷹中央防災公園@元気創造プラザ:2017/06/26(月) 12:14:51 ID:7Sqoea0U0
太宰の晩年作から生涯思う 三鷹でパネル、原稿の複製展示
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201706/CK2017062602000157.html

 三鷹市の玉川上水で入水自殺した太宰治(一九〇九〜四八年)の遺体が発見された日にちなむ六月十九日の「桜桃忌」に合わせ、太宰が晩年に暮らした三鷹での足跡をたどる企画展「最晩年作『犯人』と『如是我聞(にょぜがもん)』」が同市下連雀の太宰治文学サロンで開かれている。

 企画展は、井の頭公園や三鷹を舞台にした四八年一月発表の短編小説「犯人」と、その直後に書かれた随想「如是我聞」を特集。太宰は当時、吐血するなど体調が悪く、精神的にも不安定だった。随想では、太宰のことを「とぼけているね、あのポーズが好きになれない」などと文芸誌の対談で語った志賀直哉をはじめ、文壇の大家への批判を激しい言葉でつづっている。

 入水自殺後、太宰と志賀について賛否の論争が起きた。展示では、そうした一連のエピソードをパネルにまとめ、原稿や草稿の複製を並べた。太宰を擁護した坂口安吾らの文章や、「斜陽」「人間失格」などの初版本も展示している。

 学芸員の吉永麻美さんは「『如是我聞』で太宰は、文学界の若い芽を摘むなと訴えた。執筆の真意は、ヒステリックな文壇攻撃ではなく、徒弟や封建的秩序を重んじる日本社会への警告だったのではないか。そんなことを考えながら、太宰の生涯に思いをはせてもらえれば」と話している。

 入場無料で十月九日まで。月曜休館。

問い合わせは同サロン
電0422(26)9150

245三鷹中央防災公園@元気創造プラザ:2017/07/09(日) 17:03:10 ID:uMcpu2kA0
【井の頭公園】太宰治文学館と吉村昭書斎を整備 身近な「文学施設」に
https://www.kensetsunews.com/web-kan/81433

 東京都三鷹市は、同市にゆかりのある2人の作家、太宰治と吉村昭を記念する新たな文学施設を、都立井の頭恩賜公園内に整備する。公園管理者である東京都と協議の上、「市立太宰治文学館」(仮称)と「市立吉村昭書斎」(同)の基本プランを今夏にも策定する。この中で、施設の規模などを固めた上で、2017年度内に基本・実施設計を委託する考えだ。工事は18年第2回(6月)市議会定例会付議案件として発注し、議決後7月の着工を予定。19年4月のオープンを目指す。
 太宰治文学館は太宰の遺族から寄託されている遺品・資料など約80点を展示。規模は約500㎡を想定している。吉村昭書斎は、「高熱隧道」「闇を裂く道」などの作品で知られる吉村の自宅敷地内にある約30㎡の書斎を移築する。両施設は隣り合う形でつくることを想定。多くのファンを持つ太宰と吉村の貴重な遺品・資料などを散逸せず適切に保存するとともに、市民や都民らがこれらに接する場を創出する。公園の魅力向上にもつなげる。
 「太宰治文学館(仮称)及び吉村昭書斎(仮称)基本プラン作成業務」は、綜企画設計(千代田区)が担当し、10日までの納期で進めている。市はこれをもとに、公園全体のゾーニングなどとの整合性を図りながら、施設の規模や配置、動線などについて、都と協議の上、基本プランを策定する。
 太宰は三鷹に長く住み、市内の禅林寺に墓がある。毎年6月19日の「桜桃忌」には、全国から多くの太宰文学愛好者が集まることでも知られている。吉村は、1969年から06年7月に亡くなるまで井の頭公園に隣接する住宅地に妻で作家の津村節子氏と暮らし、多くの作品を生み出した。津村氏は名誉市民でもある。
 井の頭恩賜公園は、5月に開園100年を迎えた。また、18年には太宰没後70年を迎える。こうした中、三鷹市では両家から遺品などを寄贈する意向を受け、展示施設を整備することにした。
 清原慶子市長は「文学ファンはもとより、国内外の子どもから高齢者までが気軽に立ち寄れる文学施設となるように検討し、文化の薫り高い三鷹市の価値を高めるものとなるように取り組んでいく」との姿勢を示している。

246三鷹中央防災公園@元気創造プラザ:2017/10/29(日) 22:29:56 ID:Gmexza520
太宰と芙美子の交流 三鷹の太宰治文学サロンで企画展
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201710/CK2017102902000104.html

 三鷹で暮らした作家・太宰治と、新宿・落合に自宅のあった作家・林芙美子をテーマにした企画展「太宰と芙美子」が、三鷹市下連雀の同市太宰治文学サロンで開かれている。新宿区立林芙美子記念館とともに企画した。双方の貴重な資料から、二人の交流をたどる内容となっている。

 芙美子(一九〇三〜五一年)はベストセラー「放浪記」や「浮雲」で知られる人気作家。作家として後輩にあたる太宰(一九〇九〜四八年)は、足しげく芙美子の邸宅を訪れ、文学や美術談議に花を咲かせ、芙美子の家族とも親しくしていたという。

 太宰の晩年の代表作「ヴィヨンの妻」は、芙美子が装丁とさし絵を手掛けた。二人の交遊の産物であることが、芙美子の回想などから明らかになっている。また、太宰は小説「眉山(びざん)」で、作中人物の男性洋画家に「林芙美子」の名を冠している。同サロン学芸員の吉永麻美さんは「文壇の大先輩の名前を作中で用いる大胆さに、太宰のユーモアと芙美子への親しみが感じられる」と解説する。

 太宰の死後、芙美子はすぐに三鷹の自宅を弔問に訪れている。文芸誌の座談会で芙美子は、「私小説」を開花させた太宰の功績をたたえ、「いい作家を死なせた」とあくまで太宰を擁護したという。

 企画展では「放浪記」や「ヴィヨンの妻」などの直筆原稿(複製)や初版本、芙美子が油彩で描いた「自画像」など十六点を展示。吉永さんは「心を許した先輩後輩、姉と甘えん坊の弟のような間柄だったのでは。そんな心の交流を感じていただければ」と話している。

 企画展は来年二月二十五日まで。三月六日からは記念館で同様の展示が始まる。文学サロンは月曜休館。入場無料。問い合わせは同サロン=電0422(26)9150=へ。

247三鷹中央防災公園@元気創造プラザ:2017/12/17(日) 00:19:03 ID:AGazdkYc0
太宰治・吉村昭記念館の建設地変更…野鳥に配慮
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20171216-OYT1T50013.html

 井の頭公園(東京都三鷹市など)に作家の太宰治と吉村昭を紹介する施設の建設計画を進める三鷹市が、建設候補地を変更したことがわかった。

 野鳥の観察を行う市民グループなどから、環境への悪影響を指摘されたことを受けた措置。市は新たな候補地を示した修正案を公表し、15日からパブリックコメントの受け付けを始めた。

 太宰治(1909〜48年)と吉村昭(1927〜2006年)は、三鷹市に居を構えた市ゆかりの作家。市は、公園内に太宰の遺品などを展示する「太宰治記念文学館」(仮称)と、市内に残る吉村の自宅から書斎を移築する「吉村昭書斎」(同)の建設計画を進めており、2019年度の同時オープンを目指している。

 市が8月に公表した計画案では、建設候補地として、万助橋(三鷹市下連雀)近くにある樹木に囲まれた資材置き場を想定していた。だが市によると、公園で野鳥の観察などを行っている三つの市民グループが「玉川上水に近く、渡り鳥など野鳥の休む場所になっている」「貴重な菌類がいる」などと反対。市に、候補地の変更などを求める連名の要望書を提出していた。

 こうした要望を受け、市は「人の手の入った、開かれた場所に施設を建設すべきだ」と判断。候補地を、資材置き場から南へ約350メートル離れた芝生の広場に変更した。近くには三鷹の森ジブリ美術館がある。

 市はホームページで修正案を公表。15日から来年1月4日までパブリックコメントを受け付ける。

248三鷹中央防災公園@元気創造プラザ:2018/02/02(金) 23:17:10 ID:tG0f2YlQ0
井の頭公園の文学施設建設を断念、東京都三鷹市
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2648451002022018L83000/

 東京都三鷹市は2日、井の頭公園に太宰治記念文学館(仮称)と吉村昭書斎(同)を建設する計画を断念すると発表した。園内の生態系保全を求める市民の意見を無視できないと判断した。今後は同公園以外の場所での建設を検討する。

 同市は作家の太宰治と吉村昭の業績を顕彰する文学施設の整備を計画。2017年7月には公園西園の北側の万助橋付近に建設する基本プランを策定した。18年7月に着工し、19年4月の開館を目指していた。

 だが、パブリックコメント(意見公募)で市民の一部から樹木など自然環境の破壊を懸念する意見が出たため、市は「三鷹の森ジブリ美術館」の東側を建設候補地とする修正案を提案。改めてパブリックコメントを実施したところ、依然として生態系保全を求める声があったため、同公園内での建設は困難と判断した。

 市は17年度中に同公園以外での建設計画案をまとめる考えだが、適地を確保するのは容易ではない。

249三鷹中央防災公園@元気創造プラザ:2018/02/04(日) 06:00:57 ID:3TxPCYQc0
三鷹市 太宰治、吉村昭ゆかりの施設建設場所を再検討
https://mainichi.jp/articles/20180203/k00/00e/040/186000c

 東京都三鷹市は2日、都立井の頭公園内に2019年度にオープンする予定だった「太宰治記念文学館」「吉村昭書斎」(ともに仮称)の建設計画を延期し、建設場所を再検討すると発表した。清原慶子市長は「市民の意見を聞くと、生態系の保全等の観点から、別の場所を検討すべきだとの意見が多く寄せられた」とコメントを出した。【福沢光一】

 両施設は、三鷹市で暮らすなどゆかりの深い太宰治(1909〜48年)、吉村昭(1927〜2006年)の2人の作家の遺品などを展示する。清原市長は16年11月の記者会見で、市民が2人の作品などに親しめるよう「井の頭公園内に文化施設を造りたい」と表明。翌年8月、19年春の開館を目指すとして、井の頭公園西園の北側に建設する基本プランを発表した。建設総予算は2億5000万〜3億円を予定していた。

 ところが、市が17年8〜9月に市民から意見を募ったところ、集まった302件のうち、建設場所の見直しを求める意見が69件と約2割を占めた。理由には「玉川上水に面し、野鳥が移動して滞留する場所。野鳥のすみかを奪わないで」「貴重な都市の自然を失いたくない」などが挙がったという。

 これを受け、市は建設場所について、当初の西園北側から南へ約350メートル離れ、周辺に三鷹の森ジブリ美術館もある「芝生の広場」に変更。改めて17年12月〜18年1月に市民の意見を聞いた。すると、計193件のうち「公園の自然や環境を壊してまで建設する意味がわからない」など、公園内建設への反対意見が74件、建設そのものを反対する意見が54件あったという。

 清原市長は2日、「井の頭公園以外の場所に設置することとし、19年度の開館を想定したスケジュールを見直す」と文書で発表。理由について「公園以外で整備すべきだとの意見も多い」のほか「18年度予算編成で、ふるさと納税で約5億円の減収が見込まれる」ことも挙げた。

250三鷹中央防災公園@元気創造プラザ:2018/04/14(土) 22:20:06 ID:SYSxWq8c0
松重豊が太宰治「皮膚と心」「燈籠」「待つ」を朗読
https://natalie.mu/stage/news/277968

松重豊が出演する朗読会「太宰を聴く」が、6月15日に東京・三鷹市芸術文化センター 星のホールで行われる。

本企画は太宰治の誕生日にして遺体が発見された日でもある6月19日、“桜桃忌”の時期に合わせて行われる朗読会。これまでにリリー・フランキー、西岡徳馬、國村隼、杉本哲太、平田満、豊川悦司、風間杜夫、大杉漣、田口トモロヲらが出演している。18回目となる今回は松重が太宰作品の「皮膚と心」「燈籠」「待つ」を朗読。チケットの一般販売は4月17日に開始される。



「第18回 太宰を聴く 〜太宰治朗読会〜」
2018年6月15日(金)
東京都 三鷹市芸術文化センター 星のホール

出演:松重豊

251電話でお金の話@それは詐欺です:2018/06/03(日) 08:06:21 ID:Tdd5qEcU0

<東京人>没後70年 太宰治 生前の姿を知る証言者
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201806/CK2018060302000116.html

 今年は、三鷹に住んでいた作家の太宰治が、愛人の山崎富栄と玉川上水に入水してから七十年です。そのショッキングな亡くなり方もあって、没後すぐに太宰ブームが起こり、その後、二回のブームを繰り返しました。最近のブームは、生誕百年を迎えた二〇〇九年。芥川賞作家で芸人の又吉直樹さんが太宰好きを公言し、それまでの「太宰=暗い」というイメージが、「太宰=明るい」に変わりました。

 東京人七月号では、明るくて、ユーモアがあって、少しおっちょこちょいでもあった太宰の一面に、太宰が遺(のこ)した学生時代の落書き帳や短篇(たんぺん)作品などから迫ります。なかでも、生前の太宰を知る数少ない証言者で、短編「メリイクリスマス」のモデルでもある、新宿五丁目のバー「風紋」の女主人林聖子さんと作家堀江敏幸さんとの対談では、身体性を伴う太宰の姿が浮かび上がってきます。

 堀江さんが、「文学者が残したさまざまな太宰治像があるが、こんなふうにひと掴(つか)みで何かを捉える言葉にはなかなか出会えない」と言うように、林さんの太宰へのまなざしと言葉には特別なものがあります。

「煙草(たばこ)を持つ長くてきれいな指」「つんのめるような歩き方」「すり減った下駄(げた)の歯」「透明感のない漆喰(しっくい)のような白い足」--。

 対談を読んでから太宰作品を再読すると、かつてとは読後感が変わるかと思います。今こそ太宰作品を読んでみてください。 (「東京人」副編集長・田中紀子)

 「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」をキャッチコピーに掲げる月刊誌「東京人」の編集部が、7月号の記事をもとに都内各地の情報をお届けします。問い合わせは、「東京人」編集部=電03(3237)1790(平日)=へ。

252電話でお金の話@それは詐欺です:2018/06/20(水) 23:51:49 ID:3Eg/OpN60
太宰へ感謝思い思い…没後70年
http://www.yomiuri.co.jp/local/tokyo23/news/20180620-OYTNT50095.html

桜桃忌ファン集う

 晩年を三鷹市で過ごした作家・太宰治(1909〜48年)をしのぶ「桜桃忌」の19日、多くのファンが同市の禅林寺にある太宰の墓を訪れた。

 今年は太宰の没後70年の節目。ファンらは花束やサクランボ、酒を墓前に供えるなど、思い思いに供養した。足立区の会社員、板垣沙織さん(25)は「暗いイメージが定着しているけど、残された太宰の書簡を読むとすさんだ感じはしない。どんな人だったのか気になって訪れました」と話した。

 桜桃忌は、晩年の作品「桜桃」にちなみ、太宰と同じ津軽出身の作家で三鷹に住んでいた今官一こんかんいち(1909〜83年)が命名した。

253電話でお金の話@それは詐欺です:2018/06/20(水) 23:52:49 ID:3Eg/OpN60
東京 太宰3作品の朗読会 7月に三鷹・原さんら公演
https://digital.asahi.com/articles/ASL675JR6L67UTIL02S.html?rm=477

 東京都三鷹市ゆかりの作家・太宰治(1909〜48)の作品を朗読する公演「もういいよったら もういいよ〜10人の女性が贈る太宰治へのメッセージ〜」が7月6日、三鷹市芸術文化センター(上連雀6丁目)である。市内のフリーアナウンサーで朗読家の原きよさん(51)らが出演する。

 朗読されるのは「女生徒」「リイズ」「美少女」。太宰は39年に三鷹に転居しているが、いずれもこのころに書かれた作品だ。「あさ、眼(め)をさますときの気持ちは、面白い」で始まる「女生徒」は少女の独白でつづられ、明るく軽やかだ。太宰が描く「健康的で爽やかで、愛(いと)おしくて、律義」な女性の姿を伝えたいと3作品を選んだという。

 大分市出身の原さんは、元大分放送のアナウンサー。家族の事情で20年ほど前に三鷹市に移り住んだ。「太宰は暗い」と良いイメージはなかったが、地域で短編を朗読する機会があった。「それで興味を持った。いろいろ作品を読んでみると、面白い。すごく人間臭く、優しく、馬鹿正直な人なんだと感じた」。以来、市内や太宰の故郷・青森といったゆかりの地などで、朗読を続けている。

 ログイン前の続き太宰が愛人と玉川上水に身を投げてから今年で70年。「無頼派」のイメージが強いが、「太宰の明るい面も知ってほしい。嫌いな人にも来てもらえれば」と原さんは期待する。公演では太宰と同郷で東京芸術大学卒の渡辺秋香さん(52)がピアノを演奏する。

 午後2時半、同7時からの2回。全席自由で前売り2800円、当日3千円。高校生以下は前売り、当日とも1500円。問い合わせは高橋俊也さん(090・3474・7999)へ。

254電話でお金の話@それは詐欺です:2018/06/20(水) 23:56:20 ID:3Eg/OpN60
太宰治の特別展始まる 三鷹での執筆、暮らしに迫る
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201806/CK2018061702000111.html

 作家の太宰治が亡くなって今年で70年。三鷹市美術ギャラリー(JR三鷹駅南口前)で16日から、特別展「太宰治 三鷹とともに〜太宰治没後70年〜」が始まった。三鷹での暮らしや執筆活動を中心に、太宰の文学と人物像に迫る。7月16日まで。

 太宰治(一九〇九〜一九四八年)は、一九三九(昭和十四)年に甲府市から三鷹へ転居した。この時から玉川上水で入水自殺を遂げるまで、故郷・津軽に疎開した一時期を除く約七年半を三鷹で過ごした。特別展では、市の所蔵品や青森県の太宰治記念館などから借りた文学資料や太宰の愛用品など三百点以上を展示。

 このうち、太宰愛用の木製椅子(座面は布張り)は今回が初公開。一九三六年十一月〜翌年六月まで過ごした杉並区天沼にあった下宿「碧雲(へきうん)荘」で使っていたもので、当時、精神的にどん底の状態だった太宰はこの椅子に座り、「人間失格」の原型になったともいわれる作品「HUMAN LOST」を執筆した。

 このほか、太宰が旧制弘前高校時代の下宿先・藤田家で愛用していた卓上ランプや太宰が友人を描いた油絵も初公開された。三鷹時代に執筆した「斜陽」の直筆原稿や愛用の万年筆や黒いマント、三鷹の自宅で家族と過ごす写真など貴重な資料が並ぶ。

 学芸員の吉永麻美さんは「太宰は全百五十作品のうち約九十を三鷹で書いた。その意味で三鷹は創作の地。家族と住み、先輩後輩と交わり、自身と格闘しながら作家として生き抜いた場所。資料をたどりながら、あらためて人間太宰の魅力や苦悩を感じ取っていただければ」と話す。

 月曜休館(七月十六日は開館)。観覧時間は午前十時〜午後八時。観覧料は五百円。問い合わせは同ギャラリー=電0422(79)0033=へ。

255電話でお金の話@それは詐欺です:2018/06/21(木) 00:01:46 ID:3Eg/OpN60
東京 ゆかりの作家の催し盛り上げへ寄付募る 三鷹市
https://www.asahi.com/articles/ASL66621TL66UTIL05H.html

 東京都三鷹市が、市ゆかりの作家の太宰治(1909〜48)と山本有三(1887〜1974)関連のイベントへの寄付を募っている。ネットを用いたクラウドファンディングにより、8月末までに100万円集めるのが目標だ。市は「運営費の一部に充て、催しを盛り上げるきっかけにもしたい」と願っている。

 太宰は1939年に三鷹に転居し、疎開した一時期を除いて亡くなるまでこの地で暮らした。「走れメロス」や「斜陽」などは三鷹時代に書かれている。今年は没後70年の節目で、市などは今月16日〜7月16日、JR三鷹駅前の市美術ギャラリーで特別展「太宰治 三鷹とともに」を開く。太宰治文学サロン(下連雀3丁目)でも企画展示「太宰治の愛のことば」を開催中で、太宰が読者に語りかける「愛のことば」を9月17日までパネルで紹介している。

 一方、「路傍の石」などで知られる有三は、36〜46年に同市下連雀2丁目の屋敷で暮らした。市は96年から屋敷を記念館として公開しており、企画展「山本有三、作家の遍歴」が9月2日まで開催されている。

 ログイン前の続き寄付者には金額に応じ、1万〜3万円未満は特別展のペアチケットと太宰か有三のオリジナルグッズ、3万円以上は特別展のペアチケットと図録か有三記念館の年間パスポートが贈られる。ペアチケットは6月25日までの寄付者に限る。

 市は9月以降、市ゆかりの作家・吉村昭(1927〜2006)や吉村の妻で作家・津村節子さん(1928〜)、児童文学作家・神沢利子さん(24〜)関連の催しについてもクラウドファンディングを行う予定だ。問い合わせは市代表(0422・45・1151)から企画経営課へ。

256電話でお金の話@それは詐欺です:2018/07/14(土) 11:59:47 ID:YM3CvJYY0
素顔の太宰、感じて 没後70年、ゆかりの三鷹で 直筆原稿など300点、弟子への書簡に心情 /東京
https://mainichi.jp/articles/20180714/ddl/k13/040/010000c

 没後70年を迎えた作家・太宰治(1909〜48年)の特別展「太宰治 三鷹とともに」が、三鷹市美術ギャラリー(同市下連雀3)で開かれている。太宰を慕った弟子たちへの書簡類からは、作家とは別の「普通の人」の顔がのぞく。

 太宰は39年9月以降、疎開した一時期を除く約7年半の大半を三鷹村(後に三鷹町)で家族とともに暮らし、48年6月、市内を流れる玉川上水で入水自殺した。この間「走れメロス」「斜陽」「人間失格」などを発表している。

 特別展は三鷹市などの主催。直筆原稿や万年筆など作家生活に関わる品や、菓子箱で作った自宅表札、愛用の二重回しをはじめ約300点を展示した。杉並区にあった下宿・碧雲(へきうん)荘で使用した椅子や、旧制高校時代に下宿先で使ったランプも公開。太宰を撮影した写真家の林忠彦、田村茂両氏の作品を添えた。

 太宰は死の約半年前、一番弟子といわれる堤重久氏に宛てた書簡で、率直な心情を打ち明けている。

 <(前略)実はね、いろいろ、あぶねえんだよ、いちど逢ひたいと思ってゐる、いろいろと人の悪口も言ひたい、安心してそれを言へる相手は、誰も無いんだよ(後略)>(1947年12月2日)

 太宰治文学サロンの吉永麻美学芸員(40)は「書簡類からは、文学の師として弟子を指導したり出版社に売り込んだりと、太宰のイメージからは意外だが、ごく普通の姿がうかがえる。あまり知られていない太宰の素顔を身近に感じてもらえれば」と話す。

 16日まで。午前10時〜午後8時。高校生以上500円。問い合わせは三鷹市山本有三記念館(0422・42・6233)。

257電話でお金の話@それは詐欺です:2018/09/02(日) 21:28:33 ID:6qkE3V360
太宰治没後70年 三鷹の記憶 (1)無頼の文豪に思いはせ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201808/CK2018082902000140.html

 太宰治ゆかりの地を訪ねる無料の「定例ガイド」が三〜十一月の毎月第四日曜日の朝、JR三鷹駅南口(三鷹市)から出発する。「みたか観光ガイド協会」のボランティアの案内で、数人ずつのグループに分かれ、太宰の立ち寄り先や旧居跡などを巡り、所要時間は約二時間四十分だ。

 「太宰が生きた昭和十〜二十年代の建物は建て替わり、没後六十年の二〇〇八年に設置されたプレートが残る場所がほとんどです」と代表の小谷野芳文さん(78)。当時の姿をとどめるのが一九二九年に造られた陸橋だ。見晴らしが良く、太宰は編集者や弟子を連れて来ていたという。この橋で、愛用のマントを着てたたずむ太宰の写真がよく知られている。

 太宰は三鷹駅から歩いて約十五分の三鷹市下連雀の借家で暮らした。小谷野さんは太宰の妻・津島美知子さんの著書「回想の太宰治」を引用して「六畳、四畳半、三畳の間取りに玄関、縁側、風呂場が付いていました。新築で、日当たりがよかったそうです」と説明してくれた。

 太宰は菓子折りのふたを利用して「津島修治(太宰治)」と毛筆で並べて書いて、表札にして玄関の左の柱に打ち付けたという。

 門柱際にサルスベリの木があり「枝さきにクレープペーパーで造ったような花をつけていた」(「回想の太宰治」)。この木は、女性記者と心中する夫を妻の視点から描いた太宰の小説「おさん」に、夫婦が最後に会話を交わす場面で登場する。旧居跡の近くにある三鷹市の和風文化施設「みたか井心亭」の庭に、移植され、道路から見ることができる。

 芥川賞作家でお笑いタレントの又吉直樹さんが、上京して最初に住んだのが、旧居跡に建てられたアパート。著書「東京百景」に「そんなことも知らずに、僕は太宰が作品を書いた場所で、太宰の作品を貪(むさぼ)るように読んでいた」と記している。

 作家太宰治(一九〇九〜四八年)が三鷹市を流れる玉川上水で心中自殺をして七十年。太宰は戦中、戦後の約七年半、都心から離れた三鷹で暮らし、約百五十作品のうち、「走れメロス」や「斜陽」、「人間失格」など約九十作品を書いた。太宰が人生の後半を送った三鷹を訪ねた。

<メモ> 太平洋戦争開戦の日を女性の視点から描いた小説「十二月八日」に登場する伊勢元酒店跡にあるのが「太宰治文学サロン」。年表や地図、解説パネルが設置され、ガイドボランティアが常駐している。

258電話でお金の話@それは詐欺です:2018/09/02(日) 21:29:23 ID:6qkE3V360
太宰治没後70年 三鷹の記憶 (2)下宿から深夜、玉川上水へ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201808/CK2018083102000124.html

 「太宰治は戦後、流行作家になり、たくさんの人が訪ねてくるようになりました。仕事に集中できなくなったため、三鷹駅前に複数の仕事場を借りました」と「みたか観光ガイド協会」代表の小谷野芳文さん(78)。

 駅前にあった小料理屋「千草」を太宰は、作家仲間や編集者との打ち合わせに使い、二階を仕事部屋として借りた。一九四八年、太宰が行方不明になった際は、捜索本部となり、玉川上水で遺体が発見された後は検視が行われた。「店の主人は、(太宰をしのぶ)桜桃忌の世話をしていました」と小谷野さん。

 その向かいにあるのが、野川家跡。太宰と心中自殺した美容師の山崎富栄が、近くの美容院で働くため下宿した場所で、太宰は仕事部屋としても使った。四八年六月十三日深夜、二人はここから玉川上水に向かった。

 玉川上水は現在、水量が少ないが、小谷野さんは当時の様子が想像できるように太宰の小説「乞食(こじき)学生」の一節を読んでくれた。「川幅は、こんなに狭いが、ひどく深く、流れの力も強いという話である。この土地の人は、この川を、人喰(ひとく)い川と呼んで、恐怖している」

 二人が入水したとされる場所に、太宰の故郷である青森・金木産の玉鹿石(ぎょっかせき)が置かれていた。なぜ入水場所が分かったのか。「太宰のことを学んだ近所の人が当時、男物と女物のげたが並べられていたと証言した場所の近くです」と小谷野さんは教えてくれた。

 太宰治の墓があるのが三鷹市内の禅林寺。太宰は小説「花吹雪」の中で、禅林寺には「森鴎外の墓がある。(中略)ここの墓地は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗(こぎれい)な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知(し)れない」と書いている。

 小谷野さんは、太宰の妻津島美知子さんの著書「回想の太宰治」を引用し「夫婦で禅林寺にある鴎外の墓を詣でたことがあったので、住職に頼み、森家墓地の斜め前の一画を譲ってもらったそうです」と説明してくれた。

<メモ> 定例ガイド終了後、希望すれば昼食会に参加できる。「太宰作品の朗読を聞きながら、食事をすると、みなさん、すっかり仲良くなります」と小谷野さん。

259電話でお金の話@それは詐欺です:2018/09/02(日) 21:29:58 ID:6qkE3V360
太宰治没後70年 三鷹の記憶 (3)小説はネットワークの産物
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201809/CK2018090102000126.html

 「太宰治の小説は、さまざまな人たちとのネットワークの中から出来上がってきました」と太宰を研究する安藤宏東京大教授(日本文学)は話す。

 太宰は、調べ物が必要なときは、歩いて十五分ほどの評論家亀井勝一郎の家に本を借りに行っていた。多くの作家とも交流があり、太宰を慕う文学青年らが三鷹に集まってきた。

 その中の一人に、岩手県花巻市出身の東京帝大生三田循司もいた。三田は詩人を志していたが、繰り上げ卒業で出征。一九四三年、北方のアッツ島で戦死した。太宰の小説「散華」には三田循司という若者が登場する。

 作中「御元気ですか。遠い空から御伺いします。無事、任地に着きました。大いなる文学のために、死んで下さい。自分も死にます、この戦争のために」という戦地から届いた三田のはがきの一節を三回引用している。

 「死んで下さい、というその三田君の一言が、私には、なんとも尊く、ありがたく、うれしくて、たまらなかったのだ」と作家として文学に懸ける思いを表明している。

 太宰と三田との深い交流を物語るはがき数枚が近年、見つかり「日本現代詩歌文学館」(岩手県北上市)が所蔵している。安藤教授は「三田は、太宰にとって非常に重要な役割を果たしたことが分かってきた」と指摘している。

 太宰は多くの画家とも交流。戦後は、三鷹駅前に住んでいた画家の桜井浜江さんのアトリエをよく訪れた。桜井さんが生前、太宰との交流について語った数少ない機会が九八年に三鷹市のグラフ誌「グラフみたか」の取材に応じたときだった。

 同誌によると、太宰は仲間と近くで飲んでから、いつも大勢で訪れ、貸してくださいも何もなく、人のキャンバスを使って、人の絵筆を使って、描き上げるとそのまま帰ってしまった。「普通だったら怒っちゃうようなことだけど、太宰さんの場合は気にはならない」「自分を痛めつけても、人を傷つけるということはない」と印象を述べていた。

<メモ>桜井さんは、来客を献身的にもてなす女性を描いた太宰の小説「饗応夫人」のモデルとされる。

260電話でお金の話@それは詐欺です:2018/10/14(日) 14:03:46 ID:zltvRCQ60
太宰治没後70年 三鷹の記憶 (4)戦時体制の三鷹で花開く
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201809/CK2018090402000122.html

 「中心から隔たりをつくって、異端を選び取ることに、太宰の文学が花開いた秘密があります」と安藤宏東京大教授(日本文学)は話す。隔たりとは、一つは都心から離れた片田舎の三鷹で暮らしたこと。もう一つは、胸部疾患のため徴用を免除され、戦争に行かずに過ごしたことだという。

 かつて東京都内のある地域に集まり、居を構えた作家たちがいた。例えば、尾崎士郎らの馬込文士村(大田区)や芥川龍之介らの田端文士村(北区)だ。これに対し、太宰治は師匠の井伏鱒二のグループに属した。杉並区の荻窪にある井伏宅には、若い作家が集まり、将棋を指し、酒を酌み交わした。馬込などに集まる流行作家に比べたら、中央線沿いに住む自分たちは「三流作家」と井伏は著書「荻窪風土記」に書いている。

 太宰が結婚して一九三九年から暮らしたのが三鷹だった。四〇年に発表した「鴎」には「私の家は三鷹の奥の、ずっと奥の、畑の中に在る」と書いている。安藤教授は「文壇の“アウトサイダー”を自負していた井伏のグループの中でも、さらに距離を置いていた太宰だが、そこで頑張るという自負があった」と見る。明るい作風の「走れメロス」も四〇年に発表している。

 「鴎」にはこんな一節もある。「(体が弱く兵隊になれず)社会的には、もう最初から私は敗残しているのである。けれども、芸術。(中略)私は痴(こけ)の一念で、そいつを究明しようと思う」

 作中、自分を歯が欠け、背中は曲がり、ぜんそくに苦しみながらも、路地で、一生懸命バイオリンを弾く老いた「辻(つじ)音楽師」に近い存在とし「辻音楽師には、辻音楽師の王国が在るのだ」と、戦争中心の世の中になっても、芸術を追究する決意を述べている。

 安藤教授は「太宰は世の中が平和な時には、自殺未遂ばかりしていて、戦争になると、元気になり充実した作品を残した不思議な人。戦時体制が、三鷹という場所と重なって、太宰の文学は花開いた」と話している。

<メモ>安藤教授が三鷹らしい小説として挙げるのが「善蔵を思う」。表舞台から離れた三鷹で、芸術の花を開かせるという太宰の決意が込められているという。

261電話でお金の話@それは詐欺です:2020/07/09(木) 00:52:34 ID:Gr69yoYg0
太宰治の命日「桜桃忌」にちなんで…他の近代作家と違って若いファンが多いのは?
https://news.yahoo.co.jp/articles/601c26657de82efbe87a1a153cd74b290c2ca71b

1909年に生まれ、1948年に亡くなった。「戦後」をわずか3年しか生きていない(田村茂 /Wikimedia Commons)

 太宰は他の作家と違って、時代を超えて読み継がれているとされている。その理由はどこにあるのか? 太宰の命日「桜桃忌」に絡み、実際に太宰の眠る三鷹のお寺を訪ねたライターの神田桂一氏が見たものは……。20代と思しきファンの群れだったのだ。

ハマったのは『女生徒』を読んでから

 先日、芥川賞候補が発表され、太宰治の孫である石原燃さん(48)が選ばれ話題となった。太宰と言えば、この時期もうひとつの話題が、6月19日の命日である桜桃忌である。太宰が眠る東京・三鷹にある禅林寺には、全国から多くの太宰ファンが故人を偲んで訪れると聞くが、では実際どんな人々が訪れるのだろうと、疑問に思っていた僕は、実際に行ってみることにしたのである。

 僕は、大学生の頃、新潮文庫版の太宰治作品はすべて読んだ。青森の金木町にある太宰治の生家に社会人になってから足を運んだこともある。だが、近年熱が冷めて、めっきり読んでいなかった。そんな自分が、もう一度、太宰と向き合った時間の意味を考えるという思惑も今回の墓参にはあった。

 朝5時30分に起きた僕は、雨に打たれながら、駅まで歩き、中央線に揺られ三鷹に着いた。禅林寺は、三鷹駅からタクシーで約5分。周りには誰もいない。間違いなく1番乗りだと思っていたが、それもそのはず、開門は8時からだった……。出鼻をくじかれたかたちだが、気持ちを切り替えて、近くのコメダ珈琲で8時まで時間を潰す。そして、8時。気を取り直して、禅林寺に向かうと、人だかりがすでにできていた。しかも、20代と思われる人ばかりだ。カップルからひとりで来た人までバラエティ豊かな顔ぶれ。

 てくてく歩き、太宰の墓前に近づくと、皆さくらんぼを持っている。恒例の差し入れのようだ。墓の太宰治と彫られたくぼみに、挟むらしい。残念ながら、僕は何も知らないので、持ってきていなかった。すると、10代後半と思しき若い男性が、「よかったら」とひとつさくらんぼをくれた。僕は、ありがたく頂戴し、墓にそっと置いた。太宰ファンの静かなつながりを感じた出来事だった。他にもタバコや酒などがお供えされていた。

 ひとり佇んでいた女性に声をかけてみた。聞くと22歳だという。

262電話でお金の話@それは詐欺です:2020/07/09(木) 00:53:39 ID:Gr69yoYg0
太宰治の命日「桜桃忌」にちなんで…他の近代作家と違って若いファンが多いのは?2
https://news.yahoo.co.jp/articles/601c26657de82efbe87a1a153cd74b290c2ca71b

「京都に住んでいたけど、太宰の近くにいたいと、今年三鷹に引っ越してきたんです。桜桃忌にはもう何度も来ています。太宰に最初にハマったのは、『女生徒』を読んでからです。太宰は男性なのに、女性の気持ちを描くのが、凄くうまいんですね。それですっと入り込めました。1番好きな作品は『グッド・バイ』です。よく、大人になったら読まなくなると言われますが、私はこれからも読み続けると思います」

 一人できている男性たちは、10代と思われる人たちが多かったが、どこか思いつめているようで熱狂的なファンだろうなと思わずにはいられなかった。

 小学生の子供を連れてきていたお母さんにも話を聞いてみた。

「最近三鷹に引っ越してきたんですけど、太宰のお墓があると聞いて、これは行ってみなきゃって。子供を連れて来てみたんです。作品自体は読みかじった程度ですけど、身近に感じられて、これからはもっと熱心に読んでみようと思います。子供にも読ませようと。実は、玉川入水の現場にもいってみたんですよ」

 謙遜しながら答えていたが、相当な太宰ファンと見た。

文スト、かっこいいですよね

 大学生のカップルにも声をかけてみた。

「文スト(『文豪ストレイドッグス』=文豪たちが活躍する漫画)から入って好きになりました。かっこいいですよね」

 近年、『文スト』のような漫画、『文豪とアルケミスト』のようなゲームなどのヒットによって、文豪ブームが起き、改めて文豪の作品が注目されている。

 そのようなこともあってか、文学の危機が叫ばれるなかでも、古典文学である太宰治は、新陳代謝を繰り返し、新しい若い読者を獲得している。それこそが、時代の試練に耐えうる、普遍的な文学であることの証左であろう。

 前段、「大人になったら太宰を読まなくなりがちだ」という発言を紹介した。したがって若いファンばかりなのではないか、という疑問が生じる。だが、これは違うのではないか。大人になっても太宰を読むファンはいるし、何より、若い新規読者を獲得することが1番難しいのである。その入口突破を太宰文学はやすやすとやってのけるのだから、これはもう凄いとしかいいようがない。それはやはり、太宰治の文学の青春性にあるのだろうと思うが、それは大人になったらわからないものなのだろうか。そんなことはないはずである。

 太宰文学の青春性は、言わずもがな、自意識との葛藤にあり、それが思春期との相性がよいのはわかるが、太宰文学の魅力はそれだけではない。むしろ、女性視点での語り口の軽やかさや、ユーモア、文体の現代性など、自意識が抜けたころに読むと色々見えてくるものがある。それもまた、太宰文学の魅力のひとつなのである。

263利用停止予告 ドコモ未払い料金お支払いのお願い などの内容に注意:2022/06/13(月) 23:56:44 ID:n1YrbYkI0
太宰治が描いた肖像画 三鷹市に寄贈 来月4日から公開
https://www.tokyo-np.co.jp/article/178959
太宰が最晩年に描いた肖像画(三鷹市提供)
https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=178959&amp;pid=673166

 作家太宰治(1909〜48年)が晩年に描いた油絵の肖像画が三鷹市に寄贈された。6月4日から、JR三鷹駅南口近くの市美術ギャラリー内「太宰治展示室 三鷹の此(こ)の小さい家」で初公開される。7月24日まで。

 肖像画は縦33センチ、横24センチの4号サイズ。画材などから、親交のあった洋画家の桜井浜江(1908〜2007年)の三鷹駅近くのアトリエで太宰がよくしていたように、即興で描いた作品とみられるが、誰を描いたのかは不明。太宰を担当していた筑摩書房の編集者、故石井立さんの遺族から市に寄贈された。市所蔵の太宰の絵画としては8点目。

 市担当者は「今回の肖像画は太宰の独特の色づかいや筆致で描かれています。文学だけではない芸術家の側面を味わってほしい」と話している。

 太宰治展示室は入場無料。月曜休館。問い合わせは太宰治文学サロン=電0422(26)9150=へ。

264利用停止予告 ドコモ未払い料金お支払いのお願い などの内容に注意:2022/10/27(木) 00:10:59 ID:DWUuHfb20
太宰治が親友に贈った友情の証し 親友を描いた肖像画や書簡見つかる 三鷹市ギャラリーで初公開
https://www.yomiuri.co.jp/local/tokyo23/news/20221025-OYTNT50257/

 三鷹市ゆかりの作家・太宰治が、親友の画家・ 鰭崎ひれさき 潤(1911〜89年)に贈った署名入りの著書や、直筆の書簡が、29日から市美術ギャラリーの企画展で初公開される。太宰関連の資料を展示する「太宰治文学サロン」(三鷹市)の学芸員は「鰭崎は太宰との交流についてあまり語らなかったが、太宰との友情を大切にしていたことがわかる貴重な資料だ」と話す。


◎執筆支えた鰭崎 

 鰭崎は長野県出身で、太宰の義弟を通じて1935年から交流を始め、太宰が三鷹市に移り住むきっかけをつくった人物という。甲府市で執筆活動をしていた太宰は、出版社が遠いため、東京への引っ越しを考えていた。そこで、鰭崎は太宰のために、東京の空き物件を探しては紹介していたという。

 太宰は39年、30歳の時に三鷹に引っ越した。45年には戦禍を避けるために、甲府などへ疎開したものの、46年11月に再び三鷹に戻り、「斜陽」「人間失格」などの代表作を執筆。亡くなるまで三鷹で過ごした。

 鰭崎は経済的にも精神的にも苦しんでいた太宰を援助し、執筆活動を陰で支え続けた。太宰の自宅を訪れることも多く、太宰の妻の美知子は、鰭崎のことを「最も頻繁な来客」と、回想録で名前を挙げるほど、盛んに交流していた。

◎親族が寄贈 

 初公開される資料は、国分寺市にある鰭崎のアトリエで見つかり、三鷹市に寄贈・貸与されたものだ。

 今年1月、鰭崎の次男夫妻が、父の作品が展示されている市美術ギャラリーを訪れ、絵の撮影許可を取ろうと職員に名乗ったところ、消息がつかめなかった鰭崎の子息だと分かった。

 翌日には長男夫妻も訪れ、手元にある初版本5冊を展示してほしいという要望があった。対応にあたった学芸員の吉永麻美さん(44)は、書簡などの資料を捜してほしいと伝えたところ、アトリエなどから様々な資料が見つかり、今回の展示が企画された。

 企画展のために、鰭崎の親族から市が寄贈や貸し出しを受けた資料は80点以上。このうち、寄贈されたのは、「新ハムレット」や「人間失格」、「斜陽」などの計5冊。新ハムレットには、太宰と鰭崎夫妻の名前とともに、「昭和十六年八月」と献本した年月が書かれている。太宰が年月まで記載した署名本はきわめて珍しいという。

 書簡は貸し出されたもので、内容は太宰の全集に収録されているが、吉永さんは「実際の書簡には、原稿用紙のけい線の外までびっしりと文字が書かれており、太宰が抱く鰭崎への心情が分かる」と説明する。また、太宰が油絵で描いた鰭崎の肖像画も初公開される。

 ◇

 企画展「太宰治より〜親愛なる、鰭崎潤へ」は、三鷹市美術ギャラリーで29日から来年1月15日まで開かれる。吉永さんは「2人の交流がどのようなものだったのかを、書簡などから感じ取ってほしい」と話している。

 入場無料。原則月曜休館。問い合わせは、同サロン(0422・26・9150)へ。


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