したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

邪馬台国の場所(畿内説、九州説) 古代史 歴史ファン 掲示板

1邪馬台国 掲示板:2011/10/24(月) 20:10:47
(*)邪馬台国の場所(畿内説、九州説)魏志倭人伝 考古学 掲示板
http://dankaisyowa.seesaa.net/article/231931071.html

(*)邪馬台国 - Wikipedia
邪馬台国(やまたいこく)は、3世紀に日本列島に存在したとされる国(くに)のひとつである。ちなみに、ここで使われている国(くに)とは、この時代の中国漢文でいう国(こく)=塀、柵、堀などで囲われた砦の町のことである。 中国の史書では、邪馬台国は卑弥呼が治める女王国であり、倭国連合の都があったとされている。邪馬台国の所在地が九州か近畿か、21世紀に入っても日本の歴史学者の説が分かれている。
『三国志』における「魏志倭人伝」(『三国志』魏書東夷伝倭人条)では、親魏倭王卑弥呼はこの国の女王であり、約30の国からなる倭国の都としてここに住居していたとしている。「魏志倭人伝」では「邪馬壹国」と表記されているが、『後漢書』には「邪馬臺国」とある。「邪馬台国」の通称は、「邪馬臺国」の"臺"の字を、"台"をもって代用したものである。また、耶馬台国とも記述される。 弥生時代の1〜3世紀に倭国にあったと推定されている。女王が治めていたことから魏志倭人伝では女王国とも記されている。
倭国の邪馬台国は元々男王が治めていたが、国成立(1世紀中頃か2世紀初頭)から70〜80年後、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起きた(倭国大乱の時期は2世紀後半)。邪馬台国もその影響を逃れえず、卑弥呼という女子を王に共立することによって、ようやく混乱が収まった。弟が彼女を補佐し国を治めていた。女王は魏に使節を派遣し親魏倭王の封号を得た。248年頃、狗奴国との戦いの最中に卑弥呼が死去し、男王が後継に立てられたが混乱を抑えることができず、「壹與」(壱与)または「臺與」(台与)が女王になることで収まったという。
なお倭人伝中に出現する表記は、邪馬台国1回に対して、女王国は5回の出現を確認できる。邪馬台国と後のヤマト王権の関係ははっきりしない。邪馬台国の位置についても諸説ある。一般的な読みは「やまたいこく」だが、本来の読みについても諸説がある。


(*)インターネット歴史館(全国歴史研究会)
http://www.rekishikan.com/
全国の歴史ファンをインターネットでつなぐ歴史の広場

(*)邪馬台国の会
http://yamatai.cside.com/
昭和58年に発足した日本古代史愛好家の集まり

(*)真説・魏志倭人傳
http://www.gishiwajinden.net/index.html
魏志倭人伝を解説。邪馬台国の場所、卑弥呼のルーツなど。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板