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空海と密教の掲示板

6空海 掲示板:2011/08/13(土) 14:13:13
「空海と密教美術展」立体曼荼羅8体が東京“降臨”  東京国立博物館「空海と密教美術展」
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/110807/art11080707550004-n1.htm

 京都の東寺(とうじ)(教王護国寺)と聞くと、高校時代、毎日のように通学路から仰ぎ見た五重塔が思いだされる。広い境内の中ほどに「講堂」があり、たまに思い立って入ると、優しく導いてくれそうな菩薩に、武器を手に怒髪天をつく明王(みょうおう)…。表情も動作も多様な21尊がそろい踏みし、不思議な一体感と高揚感を作り出していた。

 弘法大師空海が、国立の寺院だった東寺を嵯峨(さが)天皇より託されたのは50歳のとき。30代で唐に渡り、インド伝来の密教を日本に持ち帰った空海だが、そろそろ真言密教の究極の姿を見せて集大成としたいと思ったのだろうか。布教のための講堂建設を朝廷に願い出て、仏像21尊による「立体曼荼羅(まんだら)」を構想した。

 その配置は絶妙だ。中央に鎮座するのは密教の中心尊・大日如来で、同時に密教の五智(ごち)(5種の知恵)をそなえた「五智如来」のリーダーも務める。向かって右は金剛波羅蜜多(こんごうはらみった)菩薩(ぼさつ)が率いる「五大菩薩」、左には不動明王が仕切る「五大明王」。そして、周囲を警護するのは6体の守護神「天部(てんぶ)」だ。

 このうち選抜メンバーというべき8体(すべて国宝)が、「空海と密教美術展」のため東京国立博物館に“出張”している。「1体ずつ360度、じっくり鑑賞できる貴重な機会です」と話すのは、同館教育講座室長の丸山士郎さん。確かに東寺講堂では、須弥壇(しゅみだん)(仏像を安置する場)に並ぶ諸像と向かい合うしかない。降三世(ごうざんぜ)明王の背面にもう一つ顔があったなんて、今まで知らなかった。

 そもそも、なぜ「立体」で曼荼羅を表現したのか。丸山さんによれば、空海は留学を終えて国に提出した報告書『御請来(ごしょうらい)目録』の中で、「密教は奥深く、文章で表すことは困難である。かわりに図画をかりて悟らないものに開き示す」と表明したという。実際、空海は密教の教義を絵で示した「胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅」「金剛界(こんごうかい)曼荼羅」を唐から持ち帰り、両曼荼羅によって密教宇宙を伝えようとした。しかし、それだけでは満足しなかったらしい。「密教の修行では、仏の姿を思い浮かべて『真言』を唱え、手で複雑な印を結ぶ必要があります。例えば降三世明王は両手の小指を絡めていますが、お経には『両手を胸に当てる』としか書かれていない。やはり立体だとイメージしやすいですよね」。とりわけ密教ならではの尊格、明王の多くは多面多臂(ためんたひ)(腕)の異形であり、彫刻なしには想像しづらいだろう。

 立体曼荼羅21尊の構成について、空海が主に参照したのは金剛界曼荼羅の基になる経典『金剛頂経(こんごうちょうきょう)』。しかし作風は、仏の容姿をより詳しく描いた胎蔵界曼荼羅の影響が大きいと丸山さんは見る。「しかも空海は、中国でインドの仏像を見たのではないかと思うんです」

 なるほど、彫りの深い風貌のみならず、筋肉質の身体表現はインドの菩薩像を思わせる。「梵天(ぼんてん)の厚い胸とキュッと締まったウエストは、かなり空海の理想に近かったと思いますよ」

 講堂完成を前に生涯を閉じた空海だが、晩年、仏師らに熱く指示する姿が目に浮かぶ。弘法大師が作り上げた密教宇宙はいまなお、私たちを言葉を超えた力で包み込んでくれる。


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