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三大秘法について考えるスレッド

50沖浦克治:2013/04/25(木) 06:26:50
本尊に迷う人が多いですね。

 人間革命にキチンと載っていますが、何故読まないのでしょう?
 読めば何方でも、大聖人仏法での本尊とは何か?が分かります。
 引用致しますから、お読み下さい。
 新・人間革命第19巻・297Pから、抜粋引用。

 『大聖人がこの世に弘めようとされたものは、端的に申し上げれば 『本尊』 であります。『本尊』 とは、『根本として尊敬すべきもの』 です。人は、根本に迷えば、枝葉にも迷い、根本に迷いがなければ、枝葉末節の迷いも、おのずから消えていくものである。ゆえに、いちばんの根本となる 『本尊』 を、一切衆生に与え、弘められたのであります。
 では、その 『本尊』 の内容とは何か」
 「それは、『御本尊七箇相承』 に 『汝等が身を以って本尊と為す可し』 (富士宗学要集・第一巻) とある通り、あえて誤解を恐れずに申し上げれば、総じては、『人間の生命をもって本尊とせよ』 ということであります」
 「つまり、大聖人の仏法は 『一切の根源は “生命” それ自体である。根本として大切にして尊敬を払っていくべきものは、まさに “人間生命” そのものである』 という哲理であり、思想なのであります」

 伸一は、さらに、「御本尊七箇相承」の 「法界の五大は一身の五大なり、一箇の五大は法界の五大なり」、また、「法界即日蓮、日蓮即法界なり……」 の文を引き、こう語った。
 「宇宙を構成している要素である地・水・火・風・空という、同じ五大種によって、人間も構成されている。大聖人は、『宇宙法界の全要素』 と 『日蓮という一個の生命体の全要素』 とは、全く同じものであると断言されているのであります。これは、大聖人御自身だけでなく、一切衆生にも共通することであります。
 わが身は即大宇宙であり、妙法の当体である。それゆえに、生命を 『本尊』 として、大切にするのであります。私どもは、この御指南に、『生命の尊厳』 の原点を見いだすものであります」
 伸一は、日蓮仏法の本尊とは、決して神秘や幻想の象徴ではなく、人間自身の生命であることを明らかにしたのである。

 日蓮大聖人は、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(1244P) と仰せになっている。
 また、法華経に説かれた宝塔について、「宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり」(797P) とも言われている。

 仏は、遠い彼方の世界にいるのではない。また、人間は神の僕(しもべ) ではない。わが生命が本来、尊極無上の仏であり、南無妙法蓮華経の当体なのである。
 ゆえに、自身の生命こそ、根本尊敬、すなわち本尊となるのである。
 そして、その自身の南無妙法蓮華経の生命を映し出し、涌現させるための 「明鏡」 こそが、大聖人が曼荼羅として顕された御本尊なのである。』
 〜引用終わり〜


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