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三大秘法について考えるスレッド

47沖浦克治:2013/03/09(土) 05:29:06
富士ボ〜からです。

>法華開会の絶待妙により、所対の仏教一切の法門がその体内に帰一して絶待妙の用となる如く、絶待妙の「本門戒壇の大御本尊」より開会すれば「各個別々ノ本尊及ビ血脈付法ノ本尊」は、「本門戒壇の大御本尊」の体内に帰一し、絶待妙の用となる道理である。何故なら、大聖人の全ての御本尊は、究意中の究寛、本懐中の本懐たる「本門戒壇の大御本尊」から顕れた法体だからである。御歴代上人もその御内証の上から御書写遊ばされるのであるから同じである。
 〜引用終わり〜

 寛師教学の発展形ですね。
 戒壇本尊が本懐と言う思想は大聖人にはございません。
 寛師の邪義です。

 邪義を元にして、どれほど論を組み立てても、無意味です。


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