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三大秘法について考えるスレッド
33
:
雨煽り
:2009/06/18(木) 17:37:50 ID:NjA8zkPc0
御書に『一大秘法』とあるのは一編二箇所だけです。
この御書を切り文にして、宝塔が書いてあるから本尊と解釈する…
それも解釈のひとつですから間違いだとは思いません。
ただし、「題目義」を間違いだ。と言う事が間違っている。と主張しているのです。
『妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄』を、題目と読むのが普通で常識だと思いますが…
上記、宝塔は「付属された処の説明」と、私には拝せます。
『大覚世尊仏眼を以って末法をかん知し此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう、所謂法華経本門久成の釈尊・宝浄世界の多宝仏・高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て二仏座を並べ敷き衆星の如く列座したもう、四百万億那由多の大地に三仏二会に充満したもうの儀式は華厳寂場の華蔵世界にも優れ真言両界の千二百余尊にも超えたり一切世間の眼なり、此の大会に於いて六難九易を挙げて法華経を流通せんと諸の大菩薩に諌暁せしむ、』
『所謂』から『一切世間の眼なり、』までが宝塔の説明で、
『四百万億那由多の大地に三仏二会に充満したもうの儀式』の具体的な状況説明になります。
この『一切世間の眼なり、』で切り文にすれば、本尊の説明になり、
一大秘法は本尊と解釈できるでしょう。
が、『此の大会に於て』と続きます。
『此の大会に於て』ですから、『此の大会』は単なる背景説明である。と私には拝せます。
この宝塔という儀式の場で行われた、地涌の菩薩への付属、
『四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり、』
『此の一大秘法を持して』
と、『妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄』が一大秘法と書かれているのです。
宝塔を背景として付属された『何物』だから宝塔とは別物です。
つまり、一大秘法は題目だと拝される訳です。
解釈は自由ですから、本尊と拘って(笑)解釈するのも自由でしょう。
が、「一大秘法題目義」を間違いだと言う事が間違いなのです。
間違いだと言いたければ、間違っているという証拠を出せばいいのです。
証拠も無く、間違いだと言ってる人は御書を否定している事になるのです。
私は、「題目義」でも「本尊義」でも御書によってどちらも解釈できますから、どちらも間違いではない。と断じているのです。
「題目義」は、明確に御書に書かれている。
「本尊義」は、明確には書かれていないが、道理として解釈できる。
これが理由です。
「題目」と「本尊」は対向するものではなく、どちらも『南無妙法蓮華経』ですからね。
一大秘法という文言は曾谷入道殿許御書一編だけしかありませんから、この御書を無視して、「一大秘法義」は判じられません。
この御書に、どう書いてあるのか。を元にして、意味の解釈を他の御書に依る訳です。
故に、『妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄』が、他で、どう用いられているのかも問題になります。
他御書で、明確に題目意で書かれている箇所もあれば、明確では無い箇所もありますが、
少なくとも、本尊意の明確な箇所はありません。
『出世の本懐』は釈尊出世の本懐と諸仏出世の本懐と大聖人出世の本懐の三通りありますから、
ただ単に『出世の本懐』と書かれている御書では、三通りの解釈をしてみる必要が生じてきますが、
『妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄』は題目で良いのではないでしょうか。
五重玄ですから、本尊は体になりますからね。
「題目」を、ただの教題だ。とか、口唱の題目だ。とかの、偏狭な思考ではなく、
法としての「題目」で良いと思います。
くれぐれも、「一大秘法題目義」が「邪義」だと言う人は
「一大秘法は題目ではない」という文証を上げてくださいね。
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