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三大秘法について考えるスレッド

28沖浦克治:2009/06/11(木) 06:43:40 ID:AJ3hr85o0
 続きです

>以下、そのことを念頭において、「三大秘法」を見ていきたい。
まず、三大秘法の「根本」は何かというと、
寿量品の如来秘密神通之力の体である「南無妙法蓮華経」という本尊であり、
これが「一大秘法」とされる。
そして、これを開いたものが「三大秘法」となる。
三大秘法とは以下、

「本門の本尊」−根本として尊敬するものであり、衆生が信じる対境をさす。
        同時に、題目・戒壇の義を含むゆえに「三大秘法惣在の本尊」ともいう。
        人法一箇の御本尊のこと。
        三学に当てはめると「定」にあたる。
「本門の題目」−本門の本尊を信受し、妙法を唱えることをいう。
        三学に当てはめると「慧」にあたる。
「本門の戒壇」−本門の本尊を受持し、修行する場所をいう。
        三学に当てはめると「戒」にあたる。

             (以上、『御書辞典』聖教新聞社刊を参考)

上記の説明でも明らかなように、
「本門の本尊」とは、根本として尊敬し、信じる対境である。
これは題目・戒壇の義を含むゆえに「三大秘法惣在の本尊」ともいわれる。
よって「一大秘法」という場合は、この「本門の本尊」のことである。

「本門の題目」とは、「本門の本尊を信受し妙法を唱えること」であるから、
「唱題行」のことである。

「本門の戒壇」とは「本門の本尊を受持し、修行する場所」なので、
御本尊を御安置し、それに対してお題目を唱える場所のことである。
御本尊を御安置した仏間や部屋、拠点や会館などが、それにあたろう。

「三大秘法」を論じるのなら、
まずそれ以前の「三学」について、それぞれの意味と役割を、
三つの関係性の中で正しく理解しておく必要がある。
なぜなら末法の三学である「三大秘法」も、それぞれ三つの関係性の中で、
一生成仏のための修行方法が成り立っているからである。
そのどれをおろそかにしても、修行が不完全となり、一生成仏ができなくなる。

以上のことを整理すると、三大秘法の「相互関係」、つまり末法の修行方法は、
「人法一箇の御本尊(「本門の本尊」)に対して、その御本尊を御安置した場所(「本門の戒壇」)において、その御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える(「本門の題目」)ことにより、一生成仏できる」
ということではないだろうか。

三大秘法は、このように三つの「相互関係」の中で理解していかないと、
これまで私たちがネット上で見てきたように、以下のようなことを言い出す輩が現れる。

1、「本門の本尊」も「本門の題目」も、南無妙法蓮華経だから同じであるとして、
  三大秘法から「唱題行」を省略し、勝手に「二大秘法」とする。
2、「自分が本、日蓮大聖人や御本尊は迹」と公言し、
  人法一箇の御本尊である「本門の本尊」を軽んじる。
3、御本尊を仏間に放置したままでも、屋外において、
  お題目を「宇宙の仏界」に向かって唱えれば、仏界が涌現すると言って、
  「本門の本尊」と「本門の戒壇」を蔑ろにする。

<3の補足>諸事情によって御本尊の前で唱題できない場合、一概に「本門の戒壇」を蔑ろにしているとは言えないが、祈る対象として御本尊を思い浮かべるのではなく、根拠のない「宇宙の仏界」を対象とするというのならば、「本門の本尊」の軽視、又は否定であるといわれても仕方がない。

これでは「三大秘法」を物知り顔で論じながら、実際には、
末法における三学(修行方法)を否定し、一生成仏のための道を塞いでいるに等しい


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