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真如苑概論

87匿 名:2010/12/11(土) 01:36:58
伝統宗教も、新興宗教も、皆が喜ぶならば良いんじゃないでしょうか?
神社にお賽銭投げても、それで安心するのなら、良心的で役に立っていると言えるでしょう。

一般の宗教とカルト宗教が違うのは、その「絶対的救済力」 。
初詣で程度では満足できない、もっと大きなご利益が欲しい、その「欲」を、カルトは利用するのです。

もちろん「ご利益ではなく、利他愛が大切」という大儀をカルトはかざすが、
それは建前だけではなく、「本当に自分より人々を救いたい」との真摯な願望から入信する者も多い。
そしてマインドコントロールされ、結果東京の地下鉄で毒を撒いたりするのである。

そしてここで当然「毒を撒かないからカルトではない」との無知な意見が出るが、
毒を撒くからカルトなのではなく、教団がメンバーを都合良くコントロールし、
「メンバー本人を狂わせ、社会に害を与えるから」カルトと呼ばれ、忌み嫌われるのである。

お賽銭程度じゃなく、「教団にかなり貢献(金、人、労働力 の提供)すれば、当然かなり救われるんじゃないか?」
そう思い込ませられれば、 あとは信者は勝手に金を集めてくるのです。
とてもおいしい「経営」であり、メンバーは「騙されても感謝しているおめでたい人たち」w なのです。

「教団の美しい言い分」を盲目的に信じ、教団に貢献(金、鴨、労働力 の提供)していれば、
「もっと大きなご利益」が貰える、 しかも表向きは「地球を救う利他行」だから、
その尊さを盾に、実際には、傲慢でみにくい行為に至ってしまうようになるのです。

人は、欲に引かれて誤まります。  喜ぶのは、世界ではなく、教団なのです。


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