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やさしく学ぶ呉王朝の歴史
20
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 15:36:29
また、宮中には左輔右弼とは別の、隠然たる勢力が存在した。
諸侯王の中でも最も強大であり、その勢力の大きさ、情報網の緻密さ、そして本人や構成員の才覚をも天下に畏れられる……
『燕王家』である。
燕王【白果】は太平君、叡宗の末弟であったが、太平君が廃嫡されると叡宗と熾烈な競争を繰り広げた。
叡宗の評を示す。
「あれは権謀術策を好み、人を信ずる事をしない為に先帝から『呉を任せる器ではない』と皇太子の座を与えられなかったものの、
最後の最後まで朕と皇太子の座を競り合った文武に優れた皇子だった」
その才覚の大きさ、残虐さは父親でさえもてあまし、賢すぎる我が子『燕王』の手から民を護り、
また、燕王の手をこれ以上汚させまいと
「燕王家の周囲二十里、燕家以外の者は例え皇族でも帯刀すら許されない」
『二十里帯刀禁止』を定めたほどであった。
このように、畏怖と恐怖を一身に集める燕王だが、「いつか乱を起こすやも」という衆知に反して
山の如く動かず、二人の王子も【白牡丹】と親しいのは、
燕家が「皇族白家の内紛を起こさず、他家に簒奪の隙を与えず」という信条のもとに存在していたからである。
右弼【左匡輝】が士大夫の長として中書に居り、左輔【焦景栄】が皇帝の代弁者として門下に居り、
強大な燕王家が皇帝と親密であったからこそ、すでに修復不能な王朝二百六十年の歪みにも耐え
中央は表面上の安定を保っていたのである。
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