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宇宙開闢と建築供犠−セカンドインパクト−

6【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/02/08(日) 23:56:33 ID:???0
無知蒙昧な造物主デミウルゴスは、ソフィアの過失の結果によって産み
落とされたものであり、それは流産というような位置づけである。つま
り、積極的な意味での「子宮」から産み落とされたそれは、死の象徴な
のだ。グノーシス主義のデミウルゴスには別名が多く存在するが、その
中のひとつであるサマエールとは、別のところでは「死を司る天使」で
ある。要するにその存在そのものが死の象徴なのだ。

この出来損ないの征服者はカオスたる否定的な意味での「子宮=この世
の宇宙」を、ソフィアから抜き取った「範型」をもとに、似像として作
り上げることになる。これはちょうど、プラトン哲学におけるデミウル
ゴスが、原型イデアを元に宇宙万物を作り上げた要領と同じである。た
だしこの場合はそれそのものが忌むべきものであり、流産の結果であっ
て、このことによってプレーローマから神的本質が流出し、欠乏が生じ
ることになる。

グノーシス主義において人間の本来的自己は、この流出してしまった神
的本質に等しいとされ、それは、人間がこの世に生まれ出でる前にはそ
こにあったことを意味する。しかしこの「流産」によって一度死を経験
し、デミウルゴス(=サマエール)下で、肉付けられて誕生した人間は
本来の姿について忘却状態にあり、それは「本来の姿」からすれば倒錯
状況にあるから、神的本質が死んでいる状況にあるといっていい。

正統派キリスト教徒はこの場合、もともと死んでいる状況にあるから、
死ぬことはない。なぜなら、死者はかつて生きたことがないのだから、
いつか死ぬということもない、というわけである。ユングが『死者への
七つの語らい』でキリスト教徒を指して「死者」と呼んでアブラクサス
を初めとした啓示を行っていたのは知られているであろうが、ここでも
このような解釈がされているといえよう。しかしキリスト教徒は心魂的
人間であり、啓示によって復活の機会を与えられているのである。


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