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バサラ日記(その28)
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木曜日のバサラ日記
予定調和的に考えると、三ノ宮バサラが潰れたのは、必然だ。
47歳で三ノ宮で創業してから、いつの間にか50歳を越え、
毎年毎年、体力気力の低下が著しい。
創業して2年で通風で倒れ、その通風が腎不全から来ていることを知り、
一気に第一級身体障害者の透析患者となった。慢性疲労が甚だしい透析生活と
夜明けまで営業するバー経営を両立させるのは難しく、勤務時間中に倒れこんだり、
救急車で緊急入院して死線を彷徨ったりした。大学からの退職金で買った持ち家のある長田にも帰らず
三ノ宮の店内で泊まりこむ生活となり、衛生的にも、食生活的にも偏った生活となった。年中無休で休みも無かった。
私を支えていたのは気力と、雇用していた若い女性陣の笑顔だけだったと思う。その若い女性陣の笑顔が欲しく
無駄に財産を食い潰した。
慢性疲労で、営業時間を全然守れないだけでなく、2chで激しいヘイトスピーチデモに合い、
イライラした私は、無礼な客に怒鳴りつける事が多くなり、ネットでも威嚇的な発言を繰り返し
客商売が崩壊し、遂には倒産に至った。三ノ宮は、もう客商売になっていなかったのだ。ただ、
少数だが、根強いファンはいた。私の支持者はいた。それがこのバサラ日記でも
時折、確認できる(私の自作自演ではない)。
三ノ宮バサラ倒産は必然だった。もう一度、人間らしい生活に戻すステップから
やり直す必要があった。そうでなければ、死んでいただろう。あんな生活をして
長く生きれるはずが無い。
三ノ宮バサラが潰れて、長田の自宅に戻って無職になった後に、私は
障害者年金(透析)が申請し、年金生活者をベースにする人生設計に転換した。
いくらボロいと言っても持ち家だ。(神戸全体が焼け野原になった太平洋戦争の)神戸大空襲にも、
(震度7と言われる)阪神大震災にも生き残った「タフな築80年の家」である。神戸で一番安い不動産
を買った結果、全国屈指の部落地区、長田にあるが、あの阪神大震災で、長田の部落街の多くは全壊もしくは焼失し、
新築の県営住宅、市営住宅に建て替えられているので、今の長田には部落のスラム街の
面影を残している所は少ない。妙泉寺町3丁目くらいだ。
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