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精神医学を自然科学&社会科学する
88
:
名無しさん
:2010/01/20(水) 19:43:08
● 参考① ●
1986/11/12, 日本経済新聞 朝刊第2部, 7ページ
第2部・西独特集――バイエルン森・湖・城めぐり、今なお謎ルードウィヒ
2世の死。
ルードウィヒ二世は一八八六年六月十三日にシュタルンベルガー湖で死んだ。
王の死をめぐっては事故説、自殺説、他殺説と、様々な見方がある。
十九世紀後半の欧州は市民階級の台頭、ドイツやイタリアの統一など政治
、経済的に激動の時代だった。バイエルンのような小さな王国もこの荒波に
もまれ、政治的には難しい選択をいくつもしなければならない状況にあった
。
当時、バイエルン政府の中にはルードウィヒ二世が築城に熱をあげ、国王
としての責務を果たしていないとの不満が強まった。このため、王は精神病
であるとの診断書を作らせ、八六年六月九日に王を捕らえ、退位させた。王
が精神病であったかどうかについては諸説があるが、最近の研究では精神病
でなかったと言われる。
六月十二日に、王はシュタルンベルガー湖畔のベルク城に幽閉された。翌
十三日、侍医のグッデンとともに散歩に出た後、行方不明となり、二人の死
体が湖で見つかった。
心臓発作か何かでおぼれた、王を排除しようとする勢力に殺された、幽閉
の身にいや気がさし侍医を道連れに自殺した――この三つが主な解釈だが、
真相はいまだにわからない。シュタルンベルガー湖の王の死体が見つかった
ところにはその後、十字架が立てられ、花が置かれるようになった。ただ、
この十字架は今年、何者かに切り取られ、今はない。
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