いつもお世話になっております。
英語のバイエル初中級を見ていたらまた疑問が発生してしまったので教えて頂ければ
とても嬉しいです。
21ページの「I'll show you the coolest places in London.」なんですが
「the coolest」ということで「一番クールな」と言っているのに「place」ではなく
「places」と複数形になっているのはなぜなんでしょうか?
「the」でひとつに決まるはずなのに複数形???
頭がこんがらがってきてしまいました。
このセリフを言っているときの状況を教えて頂けると嬉しいです。
なら、"the coolest places" = 「浅草、池袋、巣鴨」だと思います。
だからこそ、
"Asakusa is One of the coolest places in Tokyo."
ってなことも言える訳です。
映画の『猿の惑星』(原題:Planet of the Apes)の
"the Apes" は、映画を観ればわかりますが、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンのセット、というか類人猿(ape、monkeyではありません)のカテゴリーを指します。それで、ニホンザルやヒヒは含まれません。(テナガザルも小型類人猿ですが、映画には出てきませんね。)
(1) × We are a happy kid.
(2) We are happy kids.
((1)と(2)はEBF B UNIT 68 クリス先生の説明に出てくる例文です。(1)はa little bit strange に聞こえるとのこと。)
(3) Dogs are man's best friends.
(4) Dogs are a man's best friend. (バイエル初中級No.170(b)の例文)
(5) A Dog is a man's best friend.
(マトリックスの例文はとても面白い表現だとおもっています。ありがとうございます。人間を一人一人全否定するコンピューター的で細かい表現でありながら、標準からの逸脱という表現力にAIの機知も感じています。「Human beings are disease. You're cancers of this planet. We... are the cures. 」という何の印インパクトもないフラットな文から逸脱して、「Human beings are a disease. You're a cancer of this planet. We... are the cure.」と表現しているところがいいな〜と今なんとなく思っています。そうとらえていいものなのか、自分の英語感覚に不安があるので、今思っているこの感覚はまちがっているかもしれませんが。。。)
>(1) × We are a happy kid.
>(2) We are happy kids.
>(3) Dogs are man's best friends.
>(4) Dogs are a man's best friend. (バイエル初中級No.170(b)の例文)
>(5) A Dog is a man's best friend.
そうです。[1]が前提です。この単数と複数の英語感覚をテーマにして質問しています。
ただ、この[1]の記述は私がEBF(English Brain Force Story B : 大西泰斗のイメージ英文法応用編 ) UNIT 68 を読んで私がまとめて書いてみたものなので、なにか誤解があるかもしれません。正確にはこの本を読んでみてください。
>We’ve been together since we were a kid.
>×We’ve been together since we were kids.
→これに訂正してください。
×We’ve been together since we were a kid.
We’ve been together since we were kids.
>紹介していただいだ例文の中で、
>「フラットな文から逸脱して」、同じ意図(強調したい)を表している、と、きわむさんが考えていらっしゃるのは、
>My dad often gets ‘a pain’ in the chest ‘when he overexerts himself’.
>You all have to buy ‘a ticket’ before entering.
>の2つと考えてよろしいでしょうか?(他にあれば追加してください)
>また、お手数かけますが、回答よろしくお願いします。
>きわむさんに確認いただいてから、私の考えを述べさせてください。
さしあたり、この件お返事します。
あと3文追加おねがいします。こまかくくどくど、良く言えば正確な
表現という感じがします↓
‘Subjects’ agree with their ‘verb’.
‘Children’ may resemble both their ‘father’ and their ‘mother’ in different ways.
Discourse ‘markers’ usually come ‘at the beginning’ of ‘sentences’.
それでは、説明を引用します。長くなりますが、できるだけ語弊を抑えた上で、どうしてもDogs are a man's best friend.について知りたいという私の気持ちの表れだと思ってください。
EBF 応用編から一部抜粋します。UNIT68の半分くらいの引用になります。
(応用編のこの章の場所は、無冠詞やaやtheなどを使った総称表現についてのそれぞれのイメージの違いなどについては、すでに理解が終わっていることが前提となっている章建てです。Dogs(犬), a dog(犬というもの), the dog(”犬”というもの)の違いなどはわかっていることが前提という意味です。できればそういうつもりで読んでください。誤解を防ぐためなのだと思っているのですが、もともとのEBF(DVDになる前)ではユニットの飛ばし読みがかなり厳しく禁止されているからです。)
Hello everyone. Today we’re going to take a look at a commonly found mistake using singular and plural. Listen to these examples, “We are a happy kid,” “We are happy kids.” Of course the only correct answer is the second one, “We are happy kids.” Why is this? Why does the first sentence sound a little bit strange? The reason is that, for the native speaker, “we” has a very strongly plural sense. The idea of “we” being broken up into individual parts, which one(?) then, lead to the use of the singular after it as in “We are a happy kid,” would just never come to mind. Why? Because it lacks the balance required. We, plural, are happy kids, plural. Balance is the key.
>(応用編のこの章の場所は、無冠詞やaやtheなどを使った総称表現についてのそれぞれのイメージの違いなどについては、すでに理解が終わっていることが前提となっている章建てです。dogs(犬), a dog(犬というもの), the dog(”犬”というもの)の違いなどはわかっていることが前提という意味です。できればそういうつもりで読んでください。誤解を防ぐためなのだと思っているのですが、もともとのEBF(DVDになる前)ではユニットの飛ばし読みがかなり厳しく禁止されているからです。)
>Dogs are a man's best friend.
>…ですが、仮に、この文に、EBFの説明されている強調(「1」を強調したい、あるいは「1人1枚」)がこめられているとするなら、それは、
>「犬一匹一匹は、それぞれ、最良の友人"ひとりひとり"です」
>…という強調になるのではないでしょうか?
>不自然ですか??
>犬1匹ずつそれぞれ最良の友人、ではだめですか?
>不自然だとしたら、Dogs are a man's best friend.は不自然な文という意味ですか??
とりあえず、違います。
Dogs are a man's best friend.
私は、この英文自体が不自然だ、とは言ってません。
そもそもの、「犬一匹一匹は、それぞれ、最良の友人"ひとりひとり"です」という強調自体が不自然、というか、無意味だ、ということです。
それで、この英文には、そういう無意味な強調はこめられていないのではないか、ということです。
●(4)Dogs are a man's best friend.
ゆるく、しかし“1対1”対応でイコール。犬については同上で、ただのなんの具体的なイメージも伴っていないただの犬。友人については1人1人の形がイメージされている。(一匹一匹を見つめる視線。見慣れない構造なだけに、表現力がある??[4][5] [()内はきわむの感想です])
------------------------------------
:犬:→ 友人
:犬:→ 友人
:犬:→ 友人
:犬:→ 友人
:犬:→ 友人
・ ・
・ ・
・ ・
↓
総称表現
●ついでに
(5)A dog is a man's best friend.
一匹の犬についてイコール。犬も友人も一匹や一人の形がイメージされている。それがひとつにきまらないという意味で、どの犬にも当てはまる、というように拡大していって総称表現となる。「犬というものは」、という固めの言い回し。(見慣れた形。 [()内はきわむの感想です])
------------------------------------
犬→ 友人
・
・
・
↓
総称表現
>(1) × We are a happy kid.
>(2) We are happy kids.
>(3) Dogs are man's best friends.
>(4) Dogs are a man's best friend.
>(5) A Dog is a man's best friend.
ニャンコヴィッチさんはEBFから、
>You all have to buy ‘a ticket’ before entering.
>…のようなアンバランスは、「1の強調」=「1という数、あるいは「ある1個」という強調」だ、>と私は解釈しました。
と読み解いたわけですね。ここに違いがあるとは気づきませんでした。
(ニャンコヴィッチさんのおっしゃる「違い」とはそういう意味ですよね??)
>私は、【7】で「1の強調」を
>Dogs are a man's best friend.
>に込めても無意味ですよね、って確認を求めたつもりなんですが…。
そういう解釈であれば、同感です。無意味だと思います。
話を戻して、
例えば、『アンバランスは、「1の強調」=「1という数、あるいは「ある1個」という強調」』という解釈が正しいとして、前述の、
‘Subjects’ agree with their ‘verb’.
‘Children’ may resemble both their ‘father’ and their ‘mother’ in different ways.
このような例文はどうなりますか??
>話を戻して、
>例えば、『アンバランスは、「1の強調」=「1という数、あるいは「ある1個」という強調」』という解釈が正しいとして、前述の、
>‘Subjects’ agree with their ‘verb’.
>‘Children’ may resemble both their ‘father’ and their ‘mother’ in different ways.
>このような例文はどうなりますか??
だいたいそんな感じですが、正確に細かく言うなら少し違います。
a man's best friend 「ある一人には決まらないけど、ひとりの最良の友人」の形です。
聞き手にとっては、タロにも成り得て、ジロにも成り得て、ハチにも成り得て、タマ(猫)にも成り得て、ナリタブライアン(馬)にもなり得る、とにかくひとりの最良の友人になり得るなにかの1個体の原型のようなものの形です。それぞれを聞き手にもわかる一つにきまるものたちに具体化するなら、タロとか、ジロとか、ハチとかになるようなものです。
>それから「一組一組を見つめる視線」って…
>
>(1) Dogs are a man's best friend.
>
>タロは最良の友達だ。
>ジロも最良の友達だ。
>ハチも最良の友達だ。
>…
>
>(2) You all have to buy ‘a ticket’ before entering.
>
>田中さん、チケットを1枚かってください。
>鈴木さんもチケットを1枚かってください。
>中村さんもチケットを1枚かってください。
>…
>ってな感じなんですか?
英語の小説家になった気分で、ちょっと考えてみたのですが、たとえば、なにかの宗教(いま適当にきわむが仮につくったものです)をわかりやすく解説する話題があったとして、延々と私たちはみんな神の子供で、神の掌の上で遊ぶ子供なのです、たとえば、●●のときなんとかかんとかで、みんな祝福をうけているんです、というような話が続いた最後の結びで、「We are a happy kid.」とまとめるときなら、自然なのかもしれません。おとなもこどもも、おねーさんも、おじーさんも、おばーさんもみんな”それぞれひとりずつが”(神の祝福を受けた)”幸せな子供”なんです、みたいな感じです。
>では、
>昔々、あるところに、とっても貧乏な一家が住んでいました。
>…」
>----------------
>…っていう、小説なんか書けない私でもできる想定が「普通」にできないでしょうか?
>※これは、私が We are a happy kid.=「私たち1人1人がそれぞれa happy kid。」だと考えている、ってことではありませんので。念の為。
------------ EBF B UNIT 101 --------------
× A train was produced in the early 19th century.
(列車は18世紀初頭につくられた)
この文もやはり、a train では「列車」という種をあらわすことはできません。1台がつくられた、という奇妙な意味なら使えますが。
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------------- EBF B UNIT 68 --------------
雑貨屋に行って「ペンはありますか」と尋ねてみましょう。
× Do you sell(have) a pen?
この疑問文は奇妙に響きます。単数では「1つ」という限定が加わってしまうからです(正しくは pens)。逆に「1つ」がイメージされる場合にはっ単数が使われます。
Do you have a pet?
ほとんどの人はペットを何匹も飼ってはいないでしょう。ですから a pet と尋ねているのです。
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私のおとぎ話の文脈の強調なら、We are happy kids.でカバーできるってこと?
あの…いったい何言ってんです?
>その文脈なら、大西先生とクリス先生は想定済みのような気がします。
想定済みなら、どうして「こんな文脈なら We are a happy kid. は"強調としてなら"○」ってことの説明がないんですか?
もし、「こんな文脈なら We are a happy kid. は"強調としてなら"○」って場合があるんなら、
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a. We are a happy kid.
b. We are happy kids.
僕たちは幸せな子供。
「私たち1人1人がそれぞれa happy kid。だからa」という理屈を考えついた方もいるかもしれません。ですが”それはネイティブの選択ではありません”。正解はなぜbなのか、クリスの解説を聞いてみましょう。
※今日の練習問題は、単数と複数を的確に選ぶ問題です。a(an)は「1つである」という主張を含んだ形であることに注意しましょう。
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…ってのは、文脈を無視して「ただこの文だけ」で a, bの正誤の判断をしてる訳ですから、そもそもこんな解説をすること自体が間違ってる、ってことになります。
これまでも、なんどか、こういった感じで自分の考え過ぎの解釈をここで正すことができたことがり、お世話になっております。There is a pen on a table. とか、I now know that she loves me just way I am. のときなどが同様な感じで、私の間違った解釈をみなさんのおかげで正すことが出来ています。
●【ない】なら、EBFの説明は、(a)は、文脈に関係なく、この文だけで、「私たち1人1人がそれぞれa happy kid。」では"ない"、と言っていることになります。
それで、
(c) Dogs are a man's best friend.
…が、もし、きわむさんの解釈どおり「犬たち一匹一匹がそれぞれa man's best friend。」であるなら、
どうして、(a)は「私たち1人1人が…」の強調では"なく"、(c) は「犬たち一匹一匹が…」の強調なのかの(文脈に関係ない)説明が"別に"必要になります。
たとえば、The dog is man's best friend.というようなaとかtheとかがない文も正しいみたいなのですが、このときのman’sは限定詞なのか、つまりこの場合friendは可算なのか非可算なのか(形があるのかないのか)、といった問題です。こういった問題やニュアンスの違いまで含めて説明できる考え方を私は求めています。
さらに言うと、もともと比較するなら、A dog is a man's best friend. とDogs are a man's best friend.の比較から始めるべきだったのかも、というようなことも最近考えています。これなら単複のアンバランスにテーマをしぼれるので、私がテーマにした最初の2文は、選択を誤ったかもしれないなと思い始めています。