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漢文翻訳スレッド

1 中村 :2004/11/30(火) 00:27
(移行対象  投稿日: 2004/04/28(水) 00:59)

・『晋書』の翻訳や草稿での疑義・質問・指摘に関してご自由にどうぞ!
 現行のMLとかぶる部分ですが、MLでの書式にこだわらず、楽に聞きあう・指摘しあうスレッド。

話題としては『晋書』に限らず、漢文に対する質問なども。

205 名無晋書さん :2008/09/03(水) 20:35:51
漫画家の故横山光輝さんの故郷で、
三国志の資料館を作る計画があるそうです。

ttp://www.chugen.net/yokoyama_museum/index.html

206 名無晋書さん :2008/09/03(水) 20:39:29
↑スレッドを間違えました。ごめんなさい。

207 名無晋書さん :2008/11/21(金) 03:01:53
急ぎの質問です。誰か教えて下さい。

天地果シテ無キレ初乎吾不ル二得テ而知ラ一レ之ヲ也
生人果シテ有ルレ初乎吾不ル二得テ而知ラ一レ之ヲ也

この読み方と意味を教えて下さい。どちらかでもいいです。特に「生人」の読み方がわかりません。
宜しくお願いします。

208 NAGAICHI Naoto :2008/11/21(金) 03:25:56
柳宗元の「封建論」ですね。

天地果して初め無きか、吾得てしかしこれを知らざるなり。
生人果して初め有るか、吾得てしかしこれを知らざるなり。

「生人」は「せいじん」だと思います。

天地にはやはり初めがないのだろうか、私はこれを知ることができない。
人類にはやはり初めがあるのだろうか、私はこれを知ることができない。

というくらいの意味だと思います。

209 名無晋書さん :2008/11/21(金) 04:35:44
NAGAICHI Naoto さんありがとうございます!
舞台のオーディションで言う台詞の中にこの文があったので困っていました。
助かりました!

210 スート :2008/12/14(日) 06:19:18
 『晋書』職官志「列曹尚書」の條

 及渡江、有吏部・祠部・五兵・左民・度支五尚書、祠部尚書常與右僕射通職、不恆置、(略)

 渡江に及び、吏部・祠部・五兵・左民・度支の五尚書有り。祠部尚書は常に右僕射と職を通ずれば、恆には置かず、(略)

 東晋に及んで、吏部・祠部・五兵・左民・度支の五尚書があった。祠部尚書は常に右僕射と職を通ずれば、いつもは置かず、(略)

 「通職」が訳せません。
 検索しても、『史記』の注釈等、翻訳されていない箇所にあたります。
 職が互いに通じ合っていた、つまり、似たような職務であったということなのか、或いは、職務を互いに交換し合ったということなのか、ハッキリとはわかりません。
 動詞が訳せないとどうにも前に進まないので、御願いします。


 『宋書』百官上「尚書」の条には、次のようにあります。

 宋高祖初、又筯觥官尚書、若有右僕射、則不置祠部尚書、

 宋の高祖の初めには、又た觥官尚書を筯やす。若し右僕射有らば、則ち祠部尚書を置かず。

 宋の高祖の初年には、さらにまた觥官尚書を筯やした。もし右僕射(尚書右僕射)があれば、祠部尚書を置かなかった。

211 名無晋書さん :2008/12/18(木) 20:01:24
スートさん、こんばんは。

『通典』によれば、尚書台の右僕射に欠員が出れば、祠部尚書が代行していたとあります。
>>令 闕 , 則 左 為 省 主 . 若 左 右竝闕 , 則 置 尚 書 僕 射 以 主 左 事 , 置 祠 部 尚 書 以 掌 右 事 , 則 尚 書 僕 射 、 祠 部 尚 書 不 恆 置 矣(『通典』 職官四 僕射)

つまり、「つねには置かず」ということは、尚書省には通常、僕射が置かれていたが、欠員が出れば、祠部尚書が臨時に代行した、ということだと考えられます。

>通職

或る官職が本来の職務や地位を越えて別の官職の職務に参与することを「異官通職」というそうです。
僕射は尚書省の副官職で、尚書令の下に属し、上奏文を取り扱う仕事をしています。
一方、祠部尚書は、東晋のときに設けられた官職で(『唐六典』)、尚書台の下にある祠部(六曹の一つ)に属し、祭祀や礼儀を掌ります。
祠部尚書は右僕射の参与ではなく、代行をしていますが、明らかに本来の職務や地位を越えています。
だから、このケースも「異官通職」の一例に入るといえるのかもしれません。

間違いがあるかもしれませんが、これで失礼します。

212 goushu :2008/12/20(土) 22:23:26
特に深い根拠があっていうわけではないですが、直訳すれば職務が通じていたということでいいと思います。

>>211さんのいう「異官通職」については始めて知りましたが、ちょっと調べてみましたが、どうも『周禮』天官・大宰の

三曰、官聯以會官治

に対する鄭玄注に

官聯、謂國有大事、一官不能獨共、則六官共舉之。聯讀為連、古書連作聯。聯謂連事通職、相佐助也。

とあるのに基づくようです。

ところで祠部尚書と右僕射の関係について、『唐六典』巻1の尚書省の左右丞相(=左右僕射)の注に『宋百官階次』なる書物を引用してこうあります。

ttp://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k56/image/1/k56l0012.html

また(左右僕射は)列曹尚書と共に諸曹郎を分領し、尚書令がいない場合は左僕射を尚書省のトップとする。東晋以来、祠部尚書は置かないことが多く、右僕射に(その職務を)司らせた。もし左右僕射が両方いない場合には、尚書僕射が置かれて左(僕射)の職務を司り、祠部尚書が置かれて右(僕射)の職務を司った。

これによれば、祠部尚書が一時的に右僕射の職務を代行したというよりは、東晋も既に宋のように、右僕射がいない時にのみ一時的に祠部尚書が置かれた、と読み取れます。

逆に『唐六典』巻4の礼部尚書の注では、

ttp://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k56/image/2/k56l0077.html
ttp://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k56/image/2/k56l0078.html

東晋に始めて祠部尚書を置き、常に右僕射と職を通じ、もし右僕射がいなければ、祠部尚書に右(僕射)の職務を司らせた

とあってこの書き方だと祠部尚書と右僕射は並置されていて、右僕射がいない時だけ祠部尚書が代行したと読めるように思います。
果たしてどちらが正しいんでしょうかねぇ。

213 名無晋書さん :2008/12/22(月) 20:41:42
goushuさん、初めまして。211にコメントを書き込んだ者です。
ご指摘くださり、ありがとうございます。

>これによれば、祠部尚書が一時的に右僕射の職務を代行したというよりは、東晋も既に宋のように、右僕射がいない時にのみ一時的に祠部尚書が置かれた、と読み取れます。

『宋書』を読み直したのですが、右僕射と祠部尚書は同時期に並置されていないようですね。
goushuさんのおっしゃる通り、前者が置かれているときは、後者は置かれません。
また、前者が欠員のとき(或いは尚書僕射が置かれるとき)は、後者が置かれます。

ただし、尚書僕射が置かれるときに、祠部尚書が並置されるとは限らないようなのが、
まぎらわしいですよね。


>果たしてどちらが正しいんでしょうかねぇ。
左、右僕射は格が左の方が上ですが、本紀をみると、大抵、同時に置かれるようです。(一方の者が
官が移って辞めたり、亡くなったりなどして、片割れだけのときもありますが)

しかし、本紀に尚書僕射が登場するとき、祠部尚書が同時に出てくることは殆どありません。

例えば、尚書令、左、右僕射の全てが欠員のとき、尚書僕射が尚書省の実質的なトップになっていた
こともあったようです。(殷景仁など)
また、蔡廓傳では、祠部尚書がそれほど重要な地位ではないように記述されています。

以上から、祠部尚書は、右僕射と「通職」するとはいえ、尚書省での重要性はそれほど高くなかったのではないか、と推測できます。

だから、『通典』や『唐六典』巻四の記述については、そのまま鵜呑みにはできないと思います。
goushuさんが最初に引用してご指摘された巻一の方が実態を伝えているのではないでしょうか。
根拠は乏しいのですが、尚書僕射に権力が過度に集中させないようにする役割を
果たしていたのだろう、と思います。

祠部があるのだから、その主要な官である祠部尚書は常に置かれていたのだろう、と推測したのですが、
皮相的でした。

goushuさん、勉強になりました。ありがとうございました。




尚書令 左僕射      右僕射
421 武帝 永初2 徐羨之 劉義真(尚書僕射)
422   3 王仲紱 傅亮 (尚書僕射)
423 少帝 景平1 王仲紱 傅亮
424 文帝 元嘉1 劉懷慎 傅亮      蔡廓(祠部尚書)
425   2 傅亮
426 元嘉3 徐羨之 王敬弘(左僕射) 鄭鮮之(右僕射)
427   4 王敬弘      鄭鮮之
428   5 王敬弘
429   6 王敬弘 王義慶(左僕射) 江夷(右僕射)
430   7 王義慶      江夷
431   8 王義慶      江夷
432   9 殷景仁(尚書僕射)
433   10 殷景仁      王韶之(祠部尚書)
434 11 殷景仁
435 12 殷景仁
436 13 殷景仁      何尚之(祠部尚書

間違いや漏れがあるかもしれませんが、時間がかかるので、ここでやめておきます。

214 名無晋書さん :2008/12/22(月) 20:58:23
          尚書令     左僕射  右僕射
421 武帝 永初2   徐羨之     劉義真(尚書僕射)
422 3 王仲徳     傅亮(尚書僕射)
423 少帝 景平1 王仲紱      傅亮
424 文帝 元嘉1 劉懷慎      傅亮      蔡廓(祠部尚書)
425     2           傅亮
426 元嘉3 徐羨之     王敬弘(左僕射) 鄭鮮之(右僕射)
427 4 王敬弘 鄭鮮之
428 5 王敬弘
429 6 王敬弘 王義慶 江夷
430 7 王義慶 江夷
431 8 王義慶 江夷
432 9 殷景仁(尚書僕射)
433 10 殷景仁 王韶之(祠部尚書)
434 11 殷景仁
435 12 殷景仁
436 13 殷景仁 何尚之(祠部尚書)

215 名無晋書さん :2008/12/22(月) 21:10:51
駄目だ…。申し訳ないです。

421武帝 永初2 徐羨之(尚書令)劉義真(尚書僕射)
422武帝 永初2 王仲徳(尚書令)傅亮(尚書僕射)
423少帝 景平1 王仲紱(尚書令)傅亮(尚書僕射)
424文帝 元嘉1 劉懷慎(尚書令)傅亮(尚書僕射)蔡廓(祠部尚書)
425文帝 元嘉2傅亮(尚書令)
426文帝 元嘉3 徐羨之(尚書令)王敬弘(左僕射) 鄭鮮之(右僕射)
427文帝 元嘉4 王敬弘(左僕射)鄭鮮之(右僕射)
428文帝 元嘉5 王敬弘 (左僕射)
429文帝 元嘉6 王敬弘(尚書令)王義慶(左僕射)江夷(右僕射)
430文帝 元嘉7 王義慶(左僕射)江夷(右僕射)
431文帝 元嘉8 王義慶(左僕射)江夷(右僕射)
432文帝 元嘉9 殷景仁(尚書僕射)
433文帝 元嘉10 殷景仁(尚書僕射)王韶之(祠部尚書)
434文帝 元嘉11 殷景仁(尚書僕射)
435文帝 元嘉12 殷景仁(尚書僕射)
436文帝 元嘉13 殷景仁(尚書僕射)何尚之(祠部尚書)

216 スート :2009/01/27(火) 20:17:01
この尚書僕射の項目は、『晋書トウ注』にも少し記載があるのですが、
引用されている『通典』を見ても、よくわからない状況なのです。

遅れましたが、答えてくださった皆さん、ありがとうございました。

217 八頭 :2009/05/09(土) 09:20:10

何 必 使 雄 違 生 背 死 以 立 於 時 。殿 下 讎 枯 骨 而 捐 之 中 野 , 為 將 來 仁 賢 之 資 , 不 亦 惜 乎 。
(『晋書』向雄伝)

解体晋書の皆さん、こんにちは。
早速ですが、上の文を訳し直してみたのですが、自信がありません。
間違いやお気づきの点があれば、ご指摘くださるようお願い致します。

(試訳)
なぜ、死者への恩義に背かせ、生者(故吏)の道義からも外れさせてまで、この私を生き長らえさせるのですか。
もし、殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになれば、
将来の仁徳ある賢人(晋王、司馬昭)の経歴となるでしょう。なんと残念なことでしょうか。

「為」は動詞で、「〜となる、〜とする」と考え直しました。
「将来」はそのまま「未来、将来」でよいと思いました。
「資」は経歴。熟語としては「資望」(豊かな経歴と名望)があります。ここではキャリアに傷がつく、というような感じでしょうか。
「仁賢」については『漢語大詞典』では、人を指すようではないのですが、「仁徳のある賢人」としました。
理由の一つとして、『通鑑』「豈仁賢之度哉!」(それは、仁徳ある賢人の器量といえるでしょうか。)
とあり、人(司馬昭)を指していると考えられるからです。
ただ、「将来」がなぜ「仁賢」を修飾しているのかよく分かりません。「将来の仁賢」という訳が変な気がします。
もし、「將 來 為 仁 賢 之 資」ならば、「将来、仁賢の…」となると思います。

218 八頭 :2009/05/09(土) 09:33:42
>將 來 仁 賢

「仁賢」がもし、誉め言葉ならば、「聖人」など他にもっと上級の言葉があると思いますが、
ただ、それでは、人に取り入っているような、或いは少々露骨すぎる気がします。

蜀を滅ぼした司馬昭が、当時、魏から禅譲を受けてもおかしくない立場にあったと考えると、
「将来仁賢」は何か婉曲的な表現なのでしょうか?

219 :2009/05/09(土) 12:55:09
八頭さん今日わ。何時も有難うございます。
この段に次の向雄傳コウ注を見つけました。
魏志鐘會傳注引漢晋春秋作殿下讐對枯骨捐之中
百歳之後爲臧[藏から冠を去る文字]獲所笑豈仁賢所掩哉

「資」と「仁賢」の手掛かりがあるように思えるのですが。

220 八頭 :2009/05/09(土) 14:03:16
山口さん、こんにちは。ご指摘くださり、ありがとうございます。

『三国志』魏書 鐘会伝にある注と同じものですよね。『晋書』向雄伝を訳し直す際、予めその文も
訳そうとしたのですが、うまくできませんでした。問題の文中の「豈」の解釈が意外に難しいですね。
といいますのは、これを反語に訳すと意味が通じないように思われるのです。
ですので、ここでは、推量か、願望だとしてみたのですが、どうなのでしょうか?
お気づきの点がありましたら、またご指摘くださるようお願い致します。

殿 下 讎 對 枯 骨 , 捐 之 中 野 , 百 歳 之 後 , 為 臧 獲 所 笑 ,
豈 仁 賢 所 掩 哉 。

もし、殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになれば、
百年の後(死後)、〔その行為は〕奴婢(小人)に嘲笑われることになるでしょう。
願わくは、〔死者が〕情け深く賢明であらせられる殿下に埋葬されますように。

或いは

〔死者は〕恐らく情け深く賢明であらせられる殿下に埋葬されることでしょう。

『三国志』の訳本(筑摩文庫)があればいいのですが……(注もきっと訳が載っていますよね)。間違いがあるかもしれませんが、
一応、書き込みます。

221 八頭 :2009/05/09(土) 14:12:52
あ、すみません。鐘会は向雄がとっくに葬っちゃったんだった…。
だから、上の訳は間違いですね。鎮西将軍、ごめんなさい…。
出直してきます。

222 大蒜卵黄 :2009/05/09(土) 18:40:55
「資」の意味を考え直したのですが、材料、資料(もと)ではないでしょうか?
「資格や声望」、「資質」も違うので、消去法でいくとこれしかないと思います。
用例が少なく、決め手を欠くのですが、『漢語大詞典』を見ても動詞の「為」が目的語にとるのもこの意味のときが多いようです。

ですので、ここでは、「参考となる事実、記録、資料」という意味と考えます。
ここでは教訓と試訳してみましたが、もちろん悪い意味での教訓です。
「仁賢」は人を指すと思いますが、対象は漠然とした「後世の人」だと考え直しました。
他の資料から、特定の個人(司馬昭)にこだわる必要はなかったですね。

なぜ、死者への恩義に背かせ、生者(故吏)の道義からも外れさせてまで、この私を生き長らえさせるのですか。
もし、殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになれば、それは、後世の仁徳のある賢人が振り返る教訓となるでしょう。
(後世の人から誹りを受けることになるでしょう)なんと残念なことでしょうか。

何かお気づきの方がいらっしゃったら、ご指摘お願い致します。

223 山口 :2009/05/10(日) 10:30:21
大蒜卵黄さんのご意見になるほどと思いました。

>『三国志』の訳本(筑摩文庫)……
殿下讐對枯骨捐之中百歳之後爲臧獲所笑豈仁賢所掩哉
「殿下には朽ちはてた骨まで仇敵視なさり、原野に棄ておかれますならば、将来において奴婢にまで笑われることになりますぞ。どうして仁者賢人に相手にされましょうぞ。」

しかし「仁賢所掩哉」の「掩」は、この前文の「昔先王掩骼埋シ[比のしたに肉]、仁流朽骨、…」を受けて、「土でおおう」の意味とも思うのですが。
即ち「百歳の後に奴婢に笑われるはめになり、どうして仁者賢人が〔このことを〕おおってしませましょうぞ。」

それでもなお文意が通じにくいので、以下の書替えがあったのでないでしょうか。
鐘会伝注「豈仁賢所掩哉。」が、向雄伝「為將來仁賢之資,不亦惜乎。」へと。

また往々に見る三国志と晋書などでの一部の文節の作為的とも思える違いの主たる理由は何なのか。どなたか教えて頂ければ有り難いです。

224 八頭 :2009/05/10(日) 17:00:03
山口さん、こんにちは。八頭です。今日は日差しが強かったですね。

筑摩『三国志』の訳、参考にさせていただきました。ありがとうございます。

山口さんのご指摘を受け、反語で考え直してみました。 推量や願望はやはり用例が少ないでしょうかね。
なるほど、主語を死者ではなく、司馬昭の行為とすると、不自然ではなくなりますね。

〔此〕豈〔為〕 仁 賢 所 掩 哉 。

〔此れ〕豈に仁賢の掩う所〔となる〕かな。(受身)

どうして仁賢が口を閉ざす(沈黙する)ことがあるでしょうか。(必ず非難を受けるでしょう)
掩は、掩口ということなのかな?と思ったのですが、う〜ん。分かりにくいですかね。
最初の掩は、土で覆うという意味ですから、もし、口を閉ざすなど違う意味ならば、別の字(閉など)を使う気もするのですが。
それでも古代の人は特に意思疎通の上で問題はなかったのかもしれません。
どうなのでしょうか。

>しかし「仁賢所掩哉」の「掩」は、この前文の「昔先王掩骼埋シ[比のしたに肉]、仁流朽骨、…」を受けて、「土でおおう」の意味とも思うのですが。
>即ち「百歳の後に奴婢に笑われるはめになり、どうして仁者賢人が〔このことを〕おおってしませましょうぞ。」
山口さんの訳を参考にさせていただくと、

どうして仁賢に覆い隠されるでしょうか。(覆い隠すでしょうか)

「掩」の意味は、こちらの方が通じるかもしれませね。
土で覆うとすると、どうも意味が通じない気がします。

225 八頭 :2009/05/10(日) 21:21:13
>〔此れ〕豈に仁賢の掩う所〔となる〕かな。
反語だから、哉の読みは「や」ですね。すみません。

〔此〕豈〔為〕 仁 賢 所 掩 哉 。
〔此れ〕豈に仁賢の掩う所〔とならん〕や。

でしょうか。
『三国志』のこの文は、山口さんのご指摘を参考にまた後で考えさせていただきます。
山口さん、ありがとうございました。

226 山口 :2009/05/11(月) 15:38:58
筑摩『三国志』の訳の
>…。どうして仁者賢人に相手にされましょうぞ。」

の部分についての「掩」の解釈が理解できずに
>「土でおおう」の意味とも思うのですが。

としたのですが、「土でおおう」⇒「(口を)おおう」を
前提としていました。私にはこの部分の訳は全く八頭さんの下記訳しかないように思います。

>どうして仁賢が口を閉ざす(沈黙する)ことがあるでしょうか。(必ず非難を受けるでしょう)

八頭さん、いつも有難うございます。

227 八頭 :2009/05/11(月) 20:46:35
山口さん、こんばんは。今日も暑かったですね。いつも私の素朴な疑問にお付き合いくださり、ありがとうございます。

『三国志』鐘会伝の訳、どうも難しいですね。
「掩口」(沈黙する、密かに嘲笑する)以外にも「掩悪」(悪いものを隠す)なども考えられ、悩まされます。

『晋書』向雄伝の問題の箇所ですが、動詞「為」が「資」を目的語にとるとき、「資」の意味は他にも
ありました。例えば、「資」(資金、もとで)の場合です。

以…為〜之資  (「〜」は多く物がくるようです)
…で〜のもとでとする、〜の費用とする、という文があります。
「嚢銭三千,以為車駕之資焉」(『晋書』食貨志)

すると、「資」の意味は一つに絞れませんね。下調べが足りませんでした。^^;
読書不足で、人が〜にくる例を他に知らないのですが、全く有り得ないわけではないと思います。
ただ、仁賢のもとでとなると、仁賢が車駕と同じ物扱いで、どうなのかな〜、
という気もします。役に立つ、という意味なら共通しています。
当時の人の比喩的表現なのでしょうか。それとも、これで普通の表現なのでしょうか。

何 必 使 雄 違 生 背 死 以 立 於 時 。殿 下 讎 枯 骨 而 捐 之 中 野 , 為 將 來 仁 賢 之 資 , 不 亦 惜 乎 。
(『晋書』向雄伝)

(試訳)
なぜ、死者への恩義に背かせ、生者(故吏)の道義からも外れさせてまで、この私を生き長らえさせるのですか。
殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになることで、仁徳ある賢人を集める元手(資本)になさろうとするのは、
なんと残念なことでしょうか。

そんな残忍なことをすると、天下の仁賢が皆失望して隠遁してしまい、人材が集まってきませんよ、という意味でしょうか。
(向雄はこんな非道が行われるなら、自分は死んだ方がましだ、というぐらいに憤っています)

殆ど直訳で、訳が練れていませんが、全体の文の意味としては「資」(参考となる事実、記録、資料)より、
(もとで、資金)のほうが分かりやすいかもしれません。

何かお気づきの方がいらしたら、ご指摘お願い致します。

228 八頭 :2009/05/11(月) 21:07:40
どのような訳ならば、司馬昭(当時、臣下でトップ級の人ですよね)の怒りをおさめ、説得できるのか、という視点も
必要かもしれません。
もし、語られた言葉がまずければ、向雄(当時は死んだ鐘会の旧部下)の首が飛んでいてもおかしくない状況ですよね。
だから、こういう場面は、あまり変な訳はできませんね。訳がまずいと臨場感が伝わらないか…。難しい…。

敵意すら抱いていた人が、一転して、相手を許し、宴を開き、仲良く?語り合ったというのですから、
相当含蓄があるか、胸にドキリとくる言葉だったはずです。

229 BaTou :2009/05/12(火) 20:39:15
>何 必 使 雄 違 生 背 死 以 立 於 時 。殿 下 讎 枯 骨 而 捐 之 中 野 , 為 將 來 仁 賢 之 資 , 不 亦 惜 乎 。
(『晋書』向雄伝)

『漢語大詞典』の「資」(参考となる事実、記録、資料)をよく見たら、「田横巨擘耳,猶為談者資」(元好問『学東坡移居詩』)
とあります。田横は、秦末漢初の人物。「巨擘キョハク」は、「傑出した人物」という意味のようです。(「擘」は親指の意味)

「資」(資金、もとで)より、こちらの方が自然なのかもしれません。
骨を荒野に捨てることを、賢人登用の元手とする(実際はその逆という意味で)、という解釈は意味が通じにくいので、やはり、こちらに決定します。

(試訳)
なぜ、死者への恩義に背かせ、生者(故吏)の道義からも外れさせてまで、この私を生き長らえさせるのですか。
もし、殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになれば、後世の賢人の笑いぐさとなるでしょう。なんと残念なことでしょうか。

細かいところですが、「仁賢」は「仁徳ある賢人」では長すぎるかもしれませんので、単に「賢人」としました。「資」は直訳だと分かりにくいので、思い切って「笑いぐさ」と意訳しました。
一字一句残さず訳せればいいのですが、そうすると、ガチガチの直訳になって、不自然で読みにくい文になってしまうでしょう。
向雄は既に鐘会を埋葬してしまいましたので、司馬昭が(墓を暴いて)骨を野原に投げ捨てるというのは、その時点では仮定の話になります。よって、「もし〜ならば〜だろう」としました。

しかし、あまり意訳ばかりすると、読む人に「この訳、本当に正確なのだろうか?」という疑問を抱かれるかもしれないので、難しいですね。
この場合、注に直訳が必要かもしれません。
際限がないので、これで一応止めておきます。

230 123 :2009/06/18(木) 10:48:13
殷捨能静 の意味をどなたか教えてください。

231 名無晋書さん :2009/07/12(日) 13:06:31
積善之家厥福惟昌の意味をどなたか教えてください。

232 吉田 :2010/02/09(火) 16:41:48
一休和尚の詩だと思いますが、意味がわかりません。教えていただけましたら嬉しいです。よろしくお願いします。

屈平惠佩世伝芳 楚国詞人吟奥屯 海水不預言逆耳 泪羅江上送春香

3文字目の惠は くさかんむり が付きます。 よろしくお願いします。

233 中根 :2010/02/21(日) 14:18:15
>123さん
「殷捨能静」という語句の出所は緒形拳氏の書のようですが、
訳しづらい言葉ですね。
殷の意味は「ゆたか・あかい・ねんごろ」ぐらいのものですので、訳すと
「ゆたかに捨てる」「ねんごろに捨てる」「あかく捨てる」、
どれもヘンですね。ある箇所では「毀捨能静」の誤読ではないかと
指摘されていました。これなら「こぼち捨てれば能く静かなり」で
「壊し捨てれば、静かになる」という意味にとれそうです。殷と毀は
字形が似ていますから。禅語か何かでしょうか。

>231の方
>積善之家厥福惟昌
積善の家、厥(そ)の福は惟(こ)れ昌んなり、でしょうか。
出典は不明ですが、意味は「良いことをしている家庭には
幸福が盛んにくる」というようなものでしょう。調べてみるとこの語句、
篆刻の題材に使っているようですので、
墨場必携あたりに載っているのかなあ。儒教の経典にありそうな
語句ですし、易経には「積善之家必有餘慶」という、同じような文句が
あるのですが、十三経にはないですね。

>吉田さん
書き下せば「屈平の惠佩は世に芳を伝う 楚国の詞人は奥屯を吟ず
海水預からず言は耳に逆らう 汨羅江上春香を送る」でしょうか。
最後の泪羅は、汨羅の誤字だと思います。
屈平は楚の詩人屈原のことで、汨羅(べきら)に投身自殺をしたことで
有名です。屈原のことを詠んだ漢詩だと思いますが、一休宗純の詩は
禅思想が根底にあるため古来難解とされていますので、
禅の専門家の訳によられた方が良いでしょう。私は坐禅もやったことがないので、
禅はわからないので翻訳できないという所です。

禅の大家で一休研究の第一人者、柳田聖山氏(元京大人文研所長)の訳が
中央公論新社から「狂雲集」として出ていますので、
それを見ていただければ意味は取れると思います。

234 吉田 :2010/04/12(月) 13:46:09
中根さん、ご親切にありがとうございました。大変参考になりました。
今後とも、わからないことございましたら、教えてください。
ご返事が遅くなってすみませんでした。

235 山下 :2010/04/27(火) 21:48:31
帝郷の漢文なのですが、
観于華。華封人曰、「嘻、請祝聖人。使聖人寿富多男子。」・・・
・・・・千歳厭世、去而上僊、乗彼白雲、至于帝郷。何辱之有。」

の漢字の読み方と訳を教えていただきたいのですが。
よろしくお願いします。

236 名無晋書さん :2010/08/17(火) 16:48:32
>>231
名無晋書さん、積善之家厥福惟昌の出典ですが、呉の楊泉の『賛善賦』であるらしいです。
意味は>>233の方がおっしゃった通りです。

237 名無し :2011/06/15(水) 09:26:11
有宣諭の訓読お願いします

238 <削除> :<削除>
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239 <削除> :<削除>
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240 <削除> :<削除>
<削除>

241 狄狗 :2011/11/03(木) 01:33:01
三国志・魏書・任蘇杜鄭倉傳第十六の杜畿列伝に含まれる息子杜恕の上奏文の
一説がよくわかりません。
ちくま学芸文庫から出ている邦訳とは根本的にテキストの捉え方が違うので、
あまり役に立ちません。
私の解釈が成立不可能なものなのか、一度考察してみてください。

「陛下又患臺閣禁令之不密、人事請屬之不絶、聽伊尹作迎客出入之制、選司徒
更悪吏以守寺門;威禁由之、實未得爲禁之本也。昔漢安帝時、少府竇嘉辟廷
尉郭躬無罪之兄子、猶見舉奏、章劾紛紛。近司隷校尉孔羨辟大将軍狂悖之弟、
而有司嘿爾、望風希指、甚於受屬。選舉不以實、人事之大者也。嘉有親戚之
寵、躬非社稷重臣、猶尚如此;以今況古、陛下自不督必行之罰以絶阿黨之原
耳。伊尹之制、與悪吏守門、非治世之具也。」
の部分です。
先ず、ちくま邦訳では通鑑に従ってテキストに変更を加えています。
「聽伊尹作迎客出入之制、選司徒更悪吏以守寺門」
→「定迎客出入之制、以悪吏守寺門」
「伊尹之制、與悪吏守門」
→「出入之制、與悪吏守門」
テキスト改変の理由は廬弼『三国集解読』に見える「孫志祖曰、聽伊尹、三
字不可解」なのだと思いますが、この不可解は文法的に解釈不能という意味
なのですか?
そうではなく、「伊尹の事績にこんなものは見当たらない。杜恕が何を典拠
にこんなことを言っているのか、さっぱり理解できない。」という意味なの
ではありませんか?
私はそう捉えてテキストに改変を加えません。
すると、こんな感じになります。
試訳
「陛下は臺閣の禁令が周密でないこと、また人事において属党を役職に就け
ろと願うものが一向に絶えないことを憂いております。
聞くところによれば、伊尹は迎客出入之制の設け、司徒を選んで俗悪な官吏を
門番に更迭させたとか。臺閣の禁令に威を持たせるためには、こうした具合
に官吏の登用を厳格になさねばならないのですが、実際のところ禁令の根本
ともいえる官吏の登用が未だに上手くいっていません。
昔、漢の安帝の時代、少府の竇嘉が廷尉の郭躬を辟召した際、罪はなくとも
兄の子という理由だけで、上奏文が提出され、あからさまに弾劾されました。
ところが、最近、司隷校尉の孔羨が大将軍の狂悖の弟を推挙した際には、有
司はこぞって黙認を決め込み、大将軍の威風に靡いてしまいました。
有司のこうした態度は、実際に有力者の徒弟を受け入れるよりも酷いと言え
ます。選挙が実をもって為されないのは、人事の一大事であります。竇嘉に
は帝の寵愛があり、郭躬は社稷の重臣に就いたわけではありません。それで
も尚、このように批判を受けたのです。今の有様を古に比べるとどうでしょ
う。陛下は必罰の権利を自ら執り、阿党の根源を断ち切ろうとはなさってい
ません。陛下のそうした態度は、伊尹の制、つまり悪吏を門番に更迭する厳
法と比べた際、世を治める道理を備えているわけではありません。」

こんな感じになります。
ちくま邦訳とはかなり違った訳になります。
特に最後の一文は決定的です。
「伊尹之制」を「出入之制」と変更すれば、與を「あたえる」と読まざるを
得ないのでしょうが、悪吏に門番を与える制度を批判するために、命を懸け
て上奏文を提出するでしょうか? 
私は、與は比較を示す文字と解するほうが意味の通りが良いと思うのですが、
文法的に無理があるのでしょうか?
その辺がよくわからないので、ご教授いただけると幸いです。

242 匿名 :2011/11/05(土) 11:37:24
狄狗さん、こんにちは。
>私はそう捉えてテキストに改変を加えません。

文字通りに意味をとると、「伊尹が作った」ですので、文法的には問題ないでしょう。
ただ、伊尹の事績にはそのようなものは見当たらず、史実に反するのかもしれません。
だから、通鑑では「伊尹」の字を削っているとも考えられます。
これを確認したり、批評するには、私たちも伊尹ことを知る必要がありますね。

>「伊尹之制」を「出入之制」と変更すれば、與を「あたえる」と読まざるを
得ないのでしょうが

制度を定めた人は別として、内容は変わりませんので、「伊尹之制」でも「出入之制」でも
同じことではないでしょうか?三国志も通鑑も字句が少し異なるだけで、文章の内容自体は同じです。
だから、テキストを変えたから「與」の意味も変わるとは、考えにくいでしょう。
「與」には「以」の意味もありますので、単に言い換えているのかなとも思います。

私がよく分からないのは、字句の違いではなく、「惡吏」の意味なのですけどね。

>私は、與は比較を示す文字と解するほうが意味の通りが良いと思うのですが、

私でしたら、自分の訳にかなりしっかりした根拠が持てなければ、
ちくま文庫の『三国志』(資治通鑑)に従いますね。

243 狄狗 :2011/11/07(月) 17:54:45
ありがとうございます。

244 匿名 :2011/11/07(月) 18:57:24
あと、
>陛下のそうした態度は、伊尹の制、つまり悪吏を門番に更迭する厳
>法と比べた際、世を治める道理を備えているわけではありません。」

最後の文は訓読すると、
「今を以て古に況ふるに、陛下は自ら必行の罰を督さずして以て阿黨の原を絶たんとするのみ
。伊尹の制、悪吏を(に)與へて門を守らしむるは、治世の具に非ざるなり。」となると思います。
これを口語訳すると、「伊尹之制」を肯定していないのではないでしょうか?「與」の訓読はとりあえず「あたえる」と読んでいます。

245 猫丸 :2011/12/15(木) 18:57:02
突然の書き込みにて、失礼いたします。猫丸と申します。来年の干支でもある龍のことについても調べているのですが、一番最初に龍の記述が出てくるのが後漢の「辰為龍、巳為蛇。辰、巳之位在東南」のようなのですが、この漢文の意味を色々調べても見つからず、どういう意味として読めばよいのか検討がつきません。もしこの記述について意訳できる方がおられましたら、ご教示いただけませんか?

246 のりPの教え子 :2011/12/21(水) 07:43:00
猫丸さんこんにちは。
年末年始でお忙しいのか、ここのメンバーはどなたも見ておられないようですね。
私はここのメンバーではなく、漢文を読めるわけではありません(むしろ私の方こそ、読めない漢文を読んでほしいくらいです)が、意訳レベルでいいんですよね。
だったら、安直ですが、ウィキペディアの十二支の項にある説明が参考になると思います。

「各十二支には動物が割り当てられている。これを十二生肖と呼ぶが、日本では十二支という言葉自体で十二生肖を指すことが多い。元々十二支は順序を表す記号であって動物とは関係がない。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢の王充『論衡』)やバビロニア天文学の十二宮の伝播といった説がある。」

とあります。
「辰為龍、巳為蛇。辰、巳之位在東南」というのは、後漢の王充の『論衡』の文章ですから、意訳としては、
「十二支の辰に龍を割り当て、巳に蛇を割り当てた。辰と巳の方角は東南である」
あたりでしょうか。王充がそう決めたわけではなく、そうではないかという説を唱えている、ということのようです。

247 sage :2011/12/21(水) 09:43:39
 論衡について最近友人と話したのですが、以前持っていた訳本を無くしてしまい、近場の図書館にもないので読み返すことが出来ず困っています。もしよろしければ、お暇なときにでもどなたか翻訳していただけないでしょうか。お願い致します。
 
 お願いしたいのは以下の文です。

『「町町若荊軻之閭。」言荊軻為燕太子丹刺秦王,後誅軻九族,其後恚恨不已,復夷軻之一里,一里皆滅,故曰町町。此言筯之也。

  夫秦雖無道,無為盡誅荊軻之里。始皇幸梁山之宮,從山上望見丞相李斯車騎甚盛,恚,出言非之。其後左右以告李斯,李斯立損車騎。始皇知左右泄其言,莫知為誰,盡捕諸在旁者皆殺之。其後墜星下東郡,至地為石,民或刻其石曰"始皇帝死,地分"。皇帝聞之,令御史逐問,莫服,盡取石旁人誅之。夫誅從行於梁山宮及誅石旁人,欲得泄言、刻石者,不能審知,故盡誅之。荊軻之閭何罪於秦而盡誅之?如刺秦王在閭中,不知為誰,盡誅之,可也。荊軻已死,刺者有人,一里之民,何為坐之?始皇二十年,燕使荊軻刺秦王,秦王覺之,體解軻以徇,不言盡誅其閭。彼或時誅軻九族,九族眾多,同里而處,誅其九族,一里且盡,好筯事者則言町町也。』

248 名無晋書さん :2012/02/02(木) 13:38:01
突然の書き込み失礼します。
私は生まれてきてもよかったのだろうか。
って漢文で書くとどうなりますか?

249 名無晋書さん :2012/02/02(木) 13:41:04
突然の書き込み失礼します。
私は生まれてきてもよかったのだろうか。
って漢文で書くとどうなりますか?

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254 noson :2014/05/21(水) 00:27:56
敢飾詐莫の書き下し文、現代語訳教えてください


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