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漢文翻訳スレッド

1中村:2004/11/30(火) 00:27
(移行対象  投稿日: 2004/04/28(水) 00:59)

・『晋書』の翻訳や草稿での疑義・質問・指摘に関してご自由にどうぞ!
 現行のMLとかぶる部分ですが、MLでの書式にこだわらず、楽に聞きあう・指摘しあうスレッド。

話題としては『晋書』に限らず、漢文に対する質問なども。

147玄丘校尉:2007/09/23(日) 19:02:14
初めまして。訓読よろしくお願い致します。

老子曰吾有三寶持而寶之一曰慈ニ曰倹三曰不敢爲天下先
此三寶者吾於終日疏林中盡見之落葉慈也
損小己以全宗幹可謂慈矣
松柏需水供至微故生水土澆薄之所秋冬水絶亦不虞匱乏
人但知其後彫而莫知後彫之由於能倹也。

148玄丘校尉:2007/09/23(日) 19:04:22
終日疏林は、
秋日疏林でした。

149名無晋書さん:2007/09/24(月) 21:54:10
一切誰心造
これってどのように訳せば良いのですか?

150名無晋書さん:2007/09/24(月) 21:54:54
一切誰心造
これってどのように訳せば良いのですか?

151和尚:2007/09/25(火) 20:20:54
一切誰心造
出典を教えて下さるようお願い致します。仏典でしょうか。

152Christian:2007/09/26(水) 21:18:49
一切誰心造

一切誰(なに)をか心造せん。

だと思いますよ。

153中根:2007/09/28(金) 23:09:02
>和尚さん
知りたいお気持ちは大変良く分かりますが、短時間に連続の書き込みは
ご遠慮ください。

>一切誰心造
仏典ではないようです。大蔵経検索でもヒットしません。文体からいって
宋あたりの口語ではないかと思います。儒者の語録か何かではないでしょうか。
今ひとつ手がかりにかけますので、和尚さんがどこでご覧になったか
教えて頂ければあるいは何か手がかりがあるかも知れません。
読みはChristianさんの読み方でいいと思います。

154中根:2007/09/28(金) 23:29:19
>玄丘校尉さん

はじめまして。途中まで訳しておきます。

>老子曰吾有三寶持而寶之一曰慈ニ曰倹三曰不敢爲天下先
老子曰く。吾に三寶有り。持して而して之を寶とす。
一に曰く、慈。ニに曰く倹。三に曰く、敢えて天下の先たらず。

老子はいった。
「私には三つの宝がある。それを宝として大事にしている。
第一に慈愛。二番目は倹約。三番目は敢えて天下に先んじないという
ことだ」と。

老子の第67章ですね。翻訳は各種ありますので参照してみてください。

>此三寶者吾於秋日疏林中盡見之
この三寶は吾秋の日の疏(まばら)なる林の中にことごとくこれを見る。

訳:老子がいう「三宝」を、私は秋の日の木のまばらな林の中で全て見た。

後は簡単なので、読んで見てください。

155菅原:2007/09/29(土) 12:55:57
みなさん、ご訪問ありがとうございます。
訓読を希望される際は出典がわかる場合は出典を明示していただければ
その分ご説明しやすいと思いますので、お手数ですがよろしくお願いします。

>名無晋書さん
「一切唯心造」であれば『華厳経』の言葉で
「一切は唯だ心の造るものなり」という意味のようです。

156玄丘校尉:2007/09/29(土) 16:26:44
中根さん、ありがとうございます。
出典ですが、胡適の『嘗試集』中の「秋聲」という作品です。短い散文の後に、詩(文語)が添えられています。詩の内容は、晩秋の凋落の中、緑を保つ松柏を讃える、というものです。

157玄丘校尉:2007/10/07(日) 11:29:33
兪平伯の随筆「秋茘亭随筆」を読んでいます。

幼年不學詩,唯令属対。対有三四五七字之分,由三而漸展至七,亦課蒙之成規也。
其先皆由両大人自課,其課本則吾母手抄。
至光緒戊申,則附入塾中日程内。最初想尚不時倩人,継而師知余拙,毎出一対,輒先自爲之。
若余対不出,則師径以其所預儲者填入“課本”中,遂作爲今日課畢而放學矣。 
則附入塾中日程内ですが、

則ち塾の中日程の内に附して入る。
でしょうか?読みがよくわかりません。

父兄に連れられて、一日おきの日程の塾へ入学した。或いは、
一日おきに家塾へ通って学問の手ほどきを受けた、という意味でしょうか?
どなたか、教えて下さい。お願い致します。

158菅原:2007/10/10(水) 22:23:21
>玄丘校尉さん
たびたびのご訪問ありがとうございます。
ご質問の件ですが、会員は現在いろいろと余裕がない状況なので、
本当に申し訳ありませんが、回答までもう少しお時間をください。

159おでかけ:2007/12/07(金) 22:35:39
「秦律十八種」の「司空律」の一部のようですが
どなたか,意味がわかるかたお願いします。

有罪以貲贖及有債于公,以其令日問之,
其弗能入及償,以令日居之,日居八錢;公食者,日居六錢。

160八頭:2007/12/09(日) 18:27:46
おでかけさん、こんばんは。間違いがあると思いますが、
とりあえず読んでみました。

罪有りて貲(し)を以て贖ひて公に債有るに及べば、
以て其の令 日(ひび)に之を問ふ。
其の入れて償に及ぶこと能わざれば、以て日に之を居くに、日に八銭を居かしめ、公の食わしむるものには、日に六銭を居かしむ。

罪を犯し、金銭で償うことができず、国家に対し債務を負えば、法令はその債務を日々追及する。
税金を納めて債務を返済ができなければ、日々債務を返済させて、〔庶民には〕毎日八銭返済させ、俸禄を受けている者には、毎日六銭返済させる。

専門外でよく分かりません。お分かりの方がいらっしゃったら、ご指摘お願い致します。

161八頭:2007/12/10(月) 21:43:57
>以其令日問之
「之」は、「債」を指すと考えました。債務という意味だと思います。
>以令日居之
「之」は同じく「債」を指すと思います。
「居」ですが、『漢辞海』に動詞で、「(任務として)つとめる」とあります。
従って、「居之」=「居債」だと思いますが、「居債」は辞書にないですね。
直訳すると、「債務をつとめる」となり、意味がよく通じません。

単純に考えれば罰金を払えないということから、賦役に従事してお金を返すという意味でしょうか。
『漢語大詞典』の「居作」という語に「罰として囚人に労役に服させる」とありました。
従って、「居」はつとめる、労役に服して、という意味ではないかと思います。

>其弗能入及償,以令日居之
税金を納めて債務を返済ができなければ、
日々労役をさせて債務を返済させ、

中途半端ですみませんが、用事がありますので、これで失礼致します。
よく辞書を引いたり、原文にあたらないと駄目ですね。

162えちぜん:2007/12/11(火) 01:52:54
おでかけさん、はじめまして。
私も八頭さんの書き込みを参考にしながら読んでみました。
私も門外漢でありますから自信もなく、間違いもあろうかと思いますので、その点ご承知おき下さい。

<書き下し>
罪を有し貲を以て贖う、及び債を公に有す、其の令 日(ひび)に之を問うを以てす。
其れ入れて償うこと能わざれば、令 日(ひび)に之を居(たくわ)うるを以てす。日に居(たくわ)うること八錢なり。公の食うは、日に居(たくわ)うること六錢なり。

<訳>
罪を犯し金銭にて贖う場合、及び役所に借金がある場合、(担当部署の)長官は日々その支払いを求めるものとする。
金銭を支払って償うことができなければ、(担当部署の)長官は日々その(借金の)延滞金を蓄えていくものとする。一日に蓄える延滞金の額は八銭とする。役所が雇っている者については、一日に蓄える延滞金の額は六銭とする。


>有罪以貲贖及有債于公
 「及」は、並列の関係を表す接続詞として訳しました。「及」の前後の文は、事情は違えど借金があるという共通の状態を表しています。

>以其令日問之
 「其令」は、「法令」というよりも「長官」「責任者」と捉えた方が良いように思います。「問之」の「之」は私も「債」 借金のことだと思います。「問之」で「督促する」と訳しても良いかも知れません。

>其弗能入及償
 この「及」も、並列の関係を表す接続詞と考えましたが、訳出すると不自然になるので、敢えて訳出しませんでした。督促したにもかかわらず債務者が借金を返さなかった場合を規定するものと思われます。

>以令日居之,日居八錢;公食者,日居六錢。
 「居」が度々出てきますが、ここは「たくわえる」という意味ではないかと思います。「返済する」という意味はちょっと出てこないかと思います。ここの「之」は、あまり意味がないとするか、次に続く文を表しているか、どちらかだと思うのですが(そんな用法があるのかどうか自信ありませんが。)後者の場合であればつまり、一日に八銭、条件によっては六銭という金銭、ということになるかと思いますが、この金銭は現代で言うところの「延滞金」「遅延損害金」に当たるものかなと思います。「公食者,日居六錢」と少し金額が少ないのは、現代でも社内融資などを受ける場合は、一般の銀行から融資を受けるより有利な金利で借りられるということと同じでしょうか?この「居」の用例を挙げられないのですが、前文との関係からこのように推測しました。

163名無晋書さん:2007/12/11(火) 11:03:29
はじめまして。陸平原集の中の鼈賦という賦ですが、読めません‥。鼈の説明なのですが‥。どなたかよろしくお願いします。


鼈賦有引

皇太子幸于釣臺,漁人獻鼈,命侍臣作賦。
其狀也,穹脊運脅,玄甲四周。遁方圓於規矩,徒廣狹以妨。循盈尺而腳寸,又取具於指掌。鼻嘗氣而忌脂,耳無聽而受響。是以棲居多逼,出處寡便,尾不副首,足不運身。於是從容澤畔,肆志汪洋,朝戲蘭渚,夕息中塘。越高波以燕逸,竄洪流而潛藏。咀螵蘭之芳荄,翳華藕之垂房。

164八頭:2007/12/11(火) 19:36:34
えちぜんさん、ご指摘くださりありがとうございます。基本的な「其」などの読み方を間違えていました。
「及」ですが、えちぜんさんのおっしゃる通り、並列の接続詞かもしれません。ただ、前後の句が同じ成分か分からず、動詞ととらえました。
>以令日居之,日居八錢;公食者,日居六錢。
「令」使役動詞かと思ったのですが、長官の意味にとれば、名詞にとれ、そちらのほうが文法的に正しいかもしれません。

秦律は、睡虎地秦簡の一部のようですが、語彙、文法に関する研究書が出ているようですね。
個人的に読解に困難を感じました。

おでかけさんのお陰で秦律の存在を知ることができました。ありがとうございました。

165仁雛:2007/12/15(土) 22:52:58
>159 おでかけ さん

有罪以貲贖及有債于公,以其令日問之,
其弗能入及償,以令日居之,日居八錢;公食者,日居六錢。

冨谷至先生の訳をご紹介します。意味はとれると思います。冨谷至『秦漢刑罰制度の研究』同朋舎、1998年、68頁より。
「犯罪を犯して、貲刑・贖刑を科せられた者、もしくは公に債務がある者は、所定の日に尋問をおこない、金銭を納めることができない、償還できないとなれば、所定の日から労役に従事させる。一日の労働単価は八銭。公より給食を受ける者は、六銭。」

166<削除>:<削除>
<削除>

167菅原:2008/02/16(土) 23:27:27
>166さん
書込内容から誤記入と判断し、書込を削除させていただきましたので、ご了承ください。

168しかくまる:2008/02/20(水) 23:05:40
はじめまして。
志格という言葉の由来を調べていてどうしても読めずに困っています。
どなたかよろしくお願いします。

晋書 第一百一十 載記第十 の最後の方から抜粋です。
  
李產,字子喬,范陽人也。少剛窅,有志格。
永嘉之亂,同郡祖逖擁眾部于南土,力能自固,產遂往依之。
逖素好從膻,弟約有大志,產微知其旨,乃率子弟十數人間行還鄉里,
仕于石氏,為本郡太守。

169中根:2008/02/23(土) 13:29:08
しかくまるさんはじめまして。

>志格という言葉の由来を調べていてどうしても読めずに困っています。
簡野通明の『字源』には、
志格 シカク こころざしけだかし。
と出ています。志が気高いということですね。漢文訓読では「志格有り」で
いいでしょう。

170しかくまる:2008/02/24(日) 20:13:16
中根さん、ありがとうございます。

志格は志が気高いということなんですね。
「剛窅少なく、志格有り」
と読めばよろしいのでしょうか?
もう一つ、伺いたいのが「剛窅」の意味なのですが?
また、どなたか教えてください。
よろしくお願いします。

171えちぜん:2008/02/25(月) 00:13:33
「剛窅」は大漢和には「つよくきびしい」とありますが、漢語大詞典には「刚正严厉」とあって、一本気で厳格だといったところでしょうか。「少」は若いということですね。少年の「少」です。
「少(わか)くして剛窅、志格有り」 若い頃から一本気で厳格な性格で、気高い志を持っていた、ということだと思います。

172しかくまる:2008/02/25(月) 21:48:12
中根さん、えちぜんさん
ありがとうございました。
これを機にもう少し勉強してみます。

173<削除>:<削除>
<削除>

174ひっとん:2008/03/06(木) 09:56:01
中国の書家・芸術家の呉昌碩という人物の詩なのですが、読めずに困っています。
お時間のある方、よろしくお願いします。

タイトルは「丁隠君像」です。丁隠君という人物の像についてなんです。
形式は七言絶句です。
痩骨如龍道气氷
鉏経識字古先生
苦心刻画応惔我
秦漢難期殿有清

もうひとつ、タイトルは「秋華」。七言絶句です。
九天風露九秋華
老眼模粘視隔紗
絶似馮突籠翠墨
夕陽景裏拓褒袤(or牙)

だいたいの意訳でもかまいません。手がかりがほしいです。

175名無晋書さん:2008/03/10(月) 20:17:31
ひっとんさん、初めまして。

とり急ぎ「秋華」を読んでみました。
だいたいの意訳ですので、間違いがあるかもしれません。

九天の風露 九秋の華
老眼 模粘として 視 紗を隔つ
絶えて似たり 突に馮りて翠墨を籠め
夕陽景裏 褒袤に拓すに

空は青く澄み、風が吹き渡り、野に露の繁る秋が訪れ、
我が家の庭にも菊の花が咲いた。
しかし、年老いて老眼となった私には、菊をぼんやりとしか見ることができない。
それは崖によって美しい書画を遮られ、
夕闇の中で布に拓本を取って見るかのようだ。

>お時間のある方

皆さん仕事や家事或いは学業で大変忙しいと思いますので、もう少し
手がかりを提供してくださると返答しやすいかもしれません。^^
それでは失礼致します。

176名無晋書さん:2008/03/11(火) 19:50:48
>褒袤(or牙)

「褒斜」(地名)ではないでしょうか?
詳しくないのでよく分かりませんが、漢代の碑などで有名のようですね。

>絶似馮突籠翠墨
>夕陽景裏拓褒袤(or牙)

空は青く澄み、風が吹き渡り、野に露の繁る秋が訪れ、
我が家の庭にも菊の花が咲いた。
しかし、年老いて老眼となった私には、紗を隔てたようにぼんやりとしか見えない。
それは、険しい崖に攀じ登って、黒々とした墨を壁面に塗り(或いは、墨を籠に入れて?)
夕暮の中で褒斜の石碑の拓本を取ろうとするかのようだ。

上の訳ではどうも意味が通じない気がします。
参考にならず申し訳ありませんが、これで失礼します。

177名無晋書さん:2008/05/02(金) 01:34:55
すみません。以下の漢文の書き下しを教えてください。

姚氏,餘杭人,居山谷間。
夫出刈麥,姚居家執爨。
母何氏往汲澗水,久而不至。
俄聞覆水聲,亟出視、則虎啣其母以走。
姚倉卒往逐之,即以手毆其脅,
鄰人競執器械以従,虎乃置之而去。
姚負母以歸,求藥療之,奉養二十餘年而卒。

長々と申し訳ありませんがよろしくお願い致します。

178むじん:2008/05/04(日) 02:07:20
姚氏、餘杭の人、山谷の間に居る。
夫 出でて麥を刈り、姚 家に居りて爨を執る。
母何氏 往きて澗の水を汲み、久しうして至らず。
俄に水の覆へるの聲を聞き、亟かに出でて視るに、則ち虎 其の母を啣へて以て走る。
姚 倉卒として往きて之を逐ひ、即ち手を以て其の脅を毆る、
鄰人 競ひて器械を執り以て従ふに、虎 乃ち之を置きて去る。
姚 母を負ひて以て歸り、藥を求め之を療す、奉養二十餘年にして卒す。

こんな感じでしょうか。
素手で虎を殴って姑を救いだしたという話です。

179名無晋書さん:2008/05/04(日) 17:35:16
むじんさん、本当にありがとうございます。
助かりました↓↓

180むじん:2008/05/05(月) 04:01:58
もしかして学校の宿題だったりします?
ここはどうしてこう読んだのかと教官に尋ねられて後で困ることになるんじゃないかな。

181名無晋書さん:2008/05/05(月) 14:28:17
多分、細かいところは聞かれないとは思います…
訳を発表して、教官が細かいところを補則するとうい流れなので、
大丈夫です。
ご心配して頂き本当にありがとうございます。

182名無晋書さん:2008/05/20(火) 16:52:51
必西施而後可

はなんと読んだら良いのでしょうか。

183牡蠣っ子:2008/05/20(火) 18:50:05
初めまして「宜禁本草」に載っています。
牡蠣。一名蠣蛤。味鹹平。生池澤。治傷寒寒熱。温瘧洒洒。
驚頸恚怒氣。除拘暖鼠瘻。女子帯下赤白。久服強骨節。殺邪鬼。延年。

この文章の翻訳をお願いできませんでしょうか。
宜しくお願い致します。

184お願いします!:2008/05/28(水) 04:53:02
訳が難しく解りません。助けて下さい。よろしくお願いします。
≪谢鲲传≫
“及敦将为逆,谓鲲日‘刘隗奸邪,将危社稷,
吾欲除君侧之恶,匡主济时,何如?’对日‘谓城始祸,然城狐社鼠也。’”
(敦,王敦。)也作“社鼠社狐”。清.洪昇

185名有晋書:2008/05/28(水) 19:21:19
>184さん
一部文字が読めないのですが、
他の人は読めるのかな。

186184:2008/05/29(木) 03:30:07
お返事ありがとうございます!
全て簡体字で打ってたのですが文字化けしてましたか…申し訳ないです。
日本の漢字を使ってみました。お願いします…m(__)m
謝鯤伝
“及敦将为逆,謂鯤日‘刘隗奸邪,将危社稷,
吾欲除君側之悪,国主済時,何如?’対日‘謂城始祸,然城狐社鼠也。’”
(敦,王敦。)也作“社鼠社狐”。清.洪昇

187名有晋書:2008/05/29(木) 20:13:17
>184さん、お知らせくださりありがとうございます。

祸の部分は簡体字でしょうか?
『晋書』「謝鯤伝」(中華書局)に拠ると本文は以下の通りだと思います。

“及敦将為逆,謂鯤日‘劉隗奸邪,将危社稷,
吾欲除君側之悪,匡主済時,何如? 対日 ‘謂誠始禍,然城狐社鼠也’”。

先にコメントしましたので、訓読だけしてみます。

敦の将に逆を為さんとするに及び、鯤に謂ひて曰く、劉隗は奸邪なり、
将に社稷を危ふくせんとす。吾 君側の悪を除き、主を匡(たす)け、
時を済(すく)わんと欲するが、何如。
対して曰く、隗 誠に禍ひを始む。然れども城狐社鼠なり。

訳は『漢辞海』などの漢和辞典を参考にすれば、意味はとれると思います。

188助かります!:2008/05/30(金) 01:04:10
本当にありがとうございます★助かりました(>_<)
ちなみに、訓読は何を参考にされたのか教えていただければ
ありがたいです(^−^)

189名有晋書orz:2008/05/30(金) 20:45:04
訓読にミスがありました。
対話の末尾に「と」を送るのを忘れていました。
失礼致しました。
お詫びして訂正致します。

敦の将に逆を為さんとするに及び、鯤に謂ひて曰く、劉隗は奸邪なり、
将に社稷を危ふくせんとす。吾 君側の悪を除き、主を匡(たす)け、
時を済(すく)わんと欲するが、何如、と。
対して曰く、隗 誠に禍ひを始む。然れども城狐社鼠なり、と。

>訓読は何を参考
初歩的なミスをする私にではなく、漢文をきちんと読める方に聞かれたほうが
よいのではないでしょうか。
質問スレッドでどなたか答えてくれると思いますよ。

190匿名:2008/06/25(水) 23:18:25
はじめまして。

鷹進馬牛帳別巻事
右被右大臣宜称。奉勅。凡責馬牛課。具在令條。今也大宰府内馬牛。徒載公文。
都無生益。或国難経敷年。然其帳未進。或国難僅進帳。然事多脱誤。加以馬牛者軍国之資不可暫無。
然不加捉溺(←最後のはてへんです)。致此祖略。是則府官之過也。
自今以後。宜子細責其課。別造簿帳。毎年令進。

これの書き下しと意味、お願いします。

191八頭:2008/06/26(木) 22:31:30
匿名さん、はじめまして。
いきなりタイトルの「鷹進」の意味がよく分からないのですが、
本文を読んでみました。間違いがあるかもしれませんが、
訓読してみます。

右、右大臣の宣を被るに称(いわ)く、
勅を奉るに、凡そ馬牛の課を責むること、具(つぶさ)に令条に在り。

今 大宰府内の馬牛 徒(いたず)らに公文(くもん)に載せられ、
すべて益を生ずること無し。
或る国は難ぜられること数年を経る。然るに其の帳 未だ進ぜられず。
或る国は難ぜられて僅かに帳を進む。然るに事 多く脱誤す。

加えて以て馬牛は軍国の資にして暫(しばら)くも無かるべからず。
然るに捉溺(そくじゃく)を加えずして、此の祖略を致す。
是れ則ち府官の過ちなり。

今より以後、宜しく子細を以て其の課を責め、別に簿帳を造り、年ごとに進ましむべし。

>右被右大臣宜称。奉勅。
古文書はあまり読んだことがなく、読みに自信がありません。
当時の文書の常套句のようです。
>都無生益
これもよく分かりませんでした。

恐らく所々間違いがあり、また、日本史の知識が乏しいので、訳まではできません。すみません。
日本史を詳しく学んでいる方がいらっしゃったら、書き下しと訳をお願い致します。

192スート:2008/07/04(金) 00:53:55

 『晋書』職官志翻訳の為に、『宋書』を参考にしているのですが、

 「有蒼頭字宜祿、至漢、丞相府毎有所關白、到閣輒傳呼宜祿、以此爲常」
 「蒼頭に字宜祿なるもの有り(?)。漢に至り、丞相の府は毎に關白せらる所有り、閣に到りて輒ち傳へて宜祿と呼べば、此を以て常と爲す」

 の箇所がわかりません。(特に冒頭の部分。検索してもヒットせず)
 宜祿という字の召使がいたのでしょうか?

 『通典』巻第二十一「職官三」に、「後漢廢丞相及御史大夫、而以三公綜理衆務、則三公復爲宰相矣、前代丞相有蒼頭字宜祿、至漢代、有所關白、則叩閤呼『宜祿』、遂以爲常」とあります。

193名無晋書さん:2008/07/08(火) 15:35:07
はじめまして。魚玄機の「迎李近仁員外」というものの日本語訳をお願いします。
今日喜時聞喜鵲 昨宵灯下排灯花 焚香出戸迎潘岳 不羨牽牛織女家

です。平仄を、平音なら○、仄音なら●、韻なら◎にして、詩型と押韻、現代日本語訳が知りたいです。
たくさんの質問で厚かましいですが、どうぞよろしくお願いします。

194goushu:2008/07/11(金) 03:49:55
はじめまして
たまにROMっていますが、書き込むのは初めてです。

ちょっと「蒼頭」を中央研究院で検索してみましたが、
『後漢書』百官志の注に『風俗通』を引いて
「尚書、御史臺,皆以官蒼頭為吏,主賦舍,凡守其門戸.」とあります。
丞相府でも蒼頭を門番などに使っていてもおかしくなさそうです。
また『漢官舊儀』に、
「丞相府……白事以方尺板叩閤,大呼奴名。」とあるようですので、
丞相府に門番だか取り次ぎ役だかの「宜祿」という蒼頭がいて、
丞相府に用のある人は、丞相府の門を叩いて「宜祿」を呼び、
後に(宜祿がいなくなっても宜祿と呼ぶことが)常例となった
ということではないでしょうかね?

195名無晋書さん:2008/07/13(日) 13:11:05
193さん、はじめまして。

詩型は、七言絶句で、
押韻は、花ka ,家kaです。

訓読は、
今日喜時聞喜鵲 今日(こんにち)喜時、喜鵲(しじゃく)を聞く 
○●●○○●●
昨宵灯下拝灯花 昨宵 灯下に灯花を拝す
●○○●●○◎
焚香出戸迎潘岳 香を焚き 戸を出でて潘岳(はんがく)を迎ふれば
○○●●○○●
不羨牽牛織女家 羨まず 牽牛織女の家
●●○○●●◎

「灯花」は、『漢語大詞典』に、「灯心の燃え残りが固まってできる花の形をしたもの。
幸運の兆しとする風習がある」とあります。
『水滸詞典』の「灯花報」の項目では「遠方から客人が来る予兆」とし、『水滸伝注略』中の「司dai4di2大成雑占」を引いて、「灯火の炎が赤く、穂を上向きにして燃えれば、遠方から人が訪れる前兆を示す」と説明しています。
他にも解釈があるようなので、訳しづらいですね。

196名無晋書さん:2008/07/13(日) 15:37:46
195様へ
ありがとうございます。とても詳しく教えていただいて本当に助かりました。
感謝します☆
どうしてそんなに漢文に詳しいのですか??
ありがとうございました(^^)

197スート:2008/07/27(日) 23:32:53
goushuさん、遅れましたが、ありがとうございました。

198清岡美津夫:2008/08/03(日) 20:48:49
>宜禄
もう解決しているようなので蛇足になってしまうのですが、参考までに書いておきますね。

佐原康夫/著『漢代都市機構の研究』の217ページに

例えば新任の吏が挨拶におもむく時はこの蒼頭の名前を大声で呼ばわって閤を開けてもらわなければならなかった。ちなみに秩百石以下の小吏は丞相に直接目通りはかなわない(47)。この門番を「宜禄」という縁起のいい名前の蒼頭が務めたことがあったらしく、官吏が報告のため閤に至るたびに「宜禄」と呼ぶことが、以後の慣例となったという(48)。

と書かれており、その注(47)に前述の『漢旧儀』、(48)に前述の『宋書』百官志の記述が引かれています。

199oshiete-cho:2008/09/02(火) 14:41:42
名刺の上にこんなん書いてました。どう読んでどういう意味?
「瓜田季下」って書いてあったんですけど。

200名無晋書さん:2008/09/02(火) 14:42:39
名刺の上にこんなん書いてました。どう読んでどういう意味?
「瓜田季下」って書いてあったんですけど。

201mujin:2008/09/02(火) 20:05:32
季下ではなく李下ではありませんか。

202oshiete-cho:2008/09/03(水) 11:35:20
よく見てなかったですけど、季下ではなく李下だったかもしれません。
「瓜田李下」でしょうか。さて、どう読んでどういう意味なのでしょうか?
名刺のお名前の上にわざわざ印刷していたので、例えば正月のころに
名刺をいただくと謹賀新年とか書かれていますが、そういった感じの
季節を言い表したことばなのでしょうか。

203oshiete-cho:2008/09/03(水) 11:59:35
李下でした。ありがとうございました。
これについては数件ヒットしましたので、
大体の意味がわかりました。
お手数をおかけしました。

204oshiete-cho:2008/09/03(水) 12:01:11
ありがとうございました。
数件ヒットし、大体の意味がわかりました。
お世話をおかけしました。

205名無晋書さん:2008/09/03(水) 20:35:51
漫画家の故横山光輝さんの故郷で、
三国志の資料館を作る計画があるそうです。

ttp://www.chugen.net/yokoyama_museum/index.html

206名無晋書さん:2008/09/03(水) 20:39:29
↑スレッドを間違えました。ごめんなさい。

207名無晋書さん:2008/11/21(金) 03:01:53
急ぎの質問です。誰か教えて下さい。

天地果シテ無キレ初乎吾不ル二得テ而知ラ一レ之ヲ也
生人果シテ有ルレ初乎吾不ル二得テ而知ラ一レ之ヲ也

この読み方と意味を教えて下さい。どちらかでもいいです。特に「生人」の読み方がわかりません。
宜しくお願いします。

208NAGAICHI Naoto:2008/11/21(金) 03:25:56
柳宗元の「封建論」ですね。

天地果して初め無きか、吾得てしかしこれを知らざるなり。
生人果して初め有るか、吾得てしかしこれを知らざるなり。

「生人」は「せいじん」だと思います。

天地にはやはり初めがないのだろうか、私はこれを知ることができない。
人類にはやはり初めがあるのだろうか、私はこれを知ることができない。

というくらいの意味だと思います。

209名無晋書さん:2008/11/21(金) 04:35:44
NAGAICHI Naoto さんありがとうございます!
舞台のオーディションで言う台詞の中にこの文があったので困っていました。
助かりました!

210スート:2008/12/14(日) 06:19:18
 『晋書』職官志「列曹尚書」の條

 及渡江、有吏部・祠部・五兵・左民・度支五尚書、祠部尚書常與右僕射通職、不恆置、(略)

 渡江に及び、吏部・祠部・五兵・左民・度支の五尚書有り。祠部尚書は常に右僕射と職を通ずれば、恆には置かず、(略)

 東晋に及んで、吏部・祠部・五兵・左民・度支の五尚書があった。祠部尚書は常に右僕射と職を通ずれば、いつもは置かず、(略)

 「通職」が訳せません。
 検索しても、『史記』の注釈等、翻訳されていない箇所にあたります。
 職が互いに通じ合っていた、つまり、似たような職務であったということなのか、或いは、職務を互いに交換し合ったということなのか、ハッキリとはわかりません。
 動詞が訳せないとどうにも前に進まないので、御願いします。


 『宋書』百官上「尚書」の条には、次のようにあります。

 宋高祖初、又筯觥官尚書、若有右僕射、則不置祠部尚書、

 宋の高祖の初めには、又た觥官尚書を筯やす。若し右僕射有らば、則ち祠部尚書を置かず。

 宋の高祖の初年には、さらにまた觥官尚書を筯やした。もし右僕射(尚書右僕射)があれば、祠部尚書を置かなかった。

211名無晋書さん:2008/12/18(木) 20:01:24
スートさん、こんばんは。

『通典』によれば、尚書台の右僕射に欠員が出れば、祠部尚書が代行していたとあります。
>>令 闕 , 則 左 為 省 主 . 若 左 右竝闕 , 則 置 尚 書 僕 射 以 主 左 事 , 置 祠 部 尚 書 以 掌 右 事 , 則 尚 書 僕 射 、 祠 部 尚 書 不 恆 置 矣(『通典』 職官四 僕射)

つまり、「つねには置かず」ということは、尚書省には通常、僕射が置かれていたが、欠員が出れば、祠部尚書が臨時に代行した、ということだと考えられます。

>通職

或る官職が本来の職務や地位を越えて別の官職の職務に参与することを「異官通職」というそうです。
僕射は尚書省の副官職で、尚書令の下に属し、上奏文を取り扱う仕事をしています。
一方、祠部尚書は、東晋のときに設けられた官職で(『唐六典』)、尚書台の下にある祠部(六曹の一つ)に属し、祭祀や礼儀を掌ります。
祠部尚書は右僕射の参与ではなく、代行をしていますが、明らかに本来の職務や地位を越えています。
だから、このケースも「異官通職」の一例に入るといえるのかもしれません。

間違いがあるかもしれませんが、これで失礼します。

212goushu:2008/12/20(土) 22:23:26
特に深い根拠があっていうわけではないですが、直訳すれば職務が通じていたということでいいと思います。

>>211さんのいう「異官通職」については始めて知りましたが、ちょっと調べてみましたが、どうも『周禮』天官・大宰の

三曰、官聯以會官治

に対する鄭玄注に

官聯、謂國有大事、一官不能獨共、則六官共舉之。聯讀為連、古書連作聯。聯謂連事通職、相佐助也。

とあるのに基づくようです。

ところで祠部尚書と右僕射の関係について、『唐六典』巻1の尚書省の左右丞相(=左右僕射)の注に『宋百官階次』なる書物を引用してこうあります。

ttp://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k56/image/1/k56l0012.html

また(左右僕射は)列曹尚書と共に諸曹郎を分領し、尚書令がいない場合は左僕射を尚書省のトップとする。東晋以来、祠部尚書は置かないことが多く、右僕射に(その職務を)司らせた。もし左右僕射が両方いない場合には、尚書僕射が置かれて左(僕射)の職務を司り、祠部尚書が置かれて右(僕射)の職務を司った。

これによれば、祠部尚書が一時的に右僕射の職務を代行したというよりは、東晋も既に宋のように、右僕射がいない時にのみ一時的に祠部尚書が置かれた、と読み取れます。

逆に『唐六典』巻4の礼部尚書の注では、

ttp://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k56/image/2/k56l0077.html
ttp://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k56/image/2/k56l0078.html

東晋に始めて祠部尚書を置き、常に右僕射と職を通じ、もし右僕射がいなければ、祠部尚書に右(僕射)の職務を司らせた

とあってこの書き方だと祠部尚書と右僕射は並置されていて、右僕射がいない時だけ祠部尚書が代行したと読めるように思います。
果たしてどちらが正しいんでしょうかねぇ。

213名無晋書さん:2008/12/22(月) 20:41:42
goushuさん、初めまして。211にコメントを書き込んだ者です。
ご指摘くださり、ありがとうございます。

>これによれば、祠部尚書が一時的に右僕射の職務を代行したというよりは、東晋も既に宋のように、右僕射がいない時にのみ一時的に祠部尚書が置かれた、と読み取れます。

『宋書』を読み直したのですが、右僕射と祠部尚書は同時期に並置されていないようですね。
goushuさんのおっしゃる通り、前者が置かれているときは、後者は置かれません。
また、前者が欠員のとき(或いは尚書僕射が置かれるとき)は、後者が置かれます。

ただし、尚書僕射が置かれるときに、祠部尚書が並置されるとは限らないようなのが、
まぎらわしいですよね。


>果たしてどちらが正しいんでしょうかねぇ。
左、右僕射は格が左の方が上ですが、本紀をみると、大抵、同時に置かれるようです。(一方の者が
官が移って辞めたり、亡くなったりなどして、片割れだけのときもありますが)

しかし、本紀に尚書僕射が登場するとき、祠部尚書が同時に出てくることは殆どありません。

例えば、尚書令、左、右僕射の全てが欠員のとき、尚書僕射が尚書省の実質的なトップになっていた
こともあったようです。(殷景仁など)
また、蔡廓傳では、祠部尚書がそれほど重要な地位ではないように記述されています。

以上から、祠部尚書は、右僕射と「通職」するとはいえ、尚書省での重要性はそれほど高くなかったのではないか、と推測できます。

だから、『通典』や『唐六典』巻四の記述については、そのまま鵜呑みにはできないと思います。
goushuさんが最初に引用してご指摘された巻一の方が実態を伝えているのではないでしょうか。
根拠は乏しいのですが、尚書僕射に権力が過度に集中させないようにする役割を
果たしていたのだろう、と思います。

祠部があるのだから、その主要な官である祠部尚書は常に置かれていたのだろう、と推測したのですが、
皮相的でした。

goushuさん、勉強になりました。ありがとうございました。




尚書令 左僕射      右僕射
421 武帝 永初2 徐羨之 劉義真(尚書僕射)
422   3 王仲紱 傅亮 (尚書僕射)
423 少帝 景平1 王仲紱 傅亮
424 文帝 元嘉1 劉懷慎 傅亮      蔡廓(祠部尚書)
425   2 傅亮
426 元嘉3 徐羨之 王敬弘(左僕射) 鄭鮮之(右僕射)
427   4 王敬弘      鄭鮮之
428   5 王敬弘
429   6 王敬弘 王義慶(左僕射) 江夷(右僕射)
430   7 王義慶      江夷
431   8 王義慶      江夷
432   9 殷景仁(尚書僕射)
433   10 殷景仁      王韶之(祠部尚書)
434 11 殷景仁
435 12 殷景仁
436 13 殷景仁      何尚之(祠部尚書

間違いや漏れがあるかもしれませんが、時間がかかるので、ここでやめておきます。

214名無晋書さん:2008/12/22(月) 20:58:23
          尚書令     左僕射  右僕射
421 武帝 永初2   徐羨之     劉義真(尚書僕射)
422 3 王仲徳     傅亮(尚書僕射)
423 少帝 景平1 王仲紱      傅亮
424 文帝 元嘉1 劉懷慎      傅亮      蔡廓(祠部尚書)
425     2           傅亮
426 元嘉3 徐羨之     王敬弘(左僕射) 鄭鮮之(右僕射)
427 4 王敬弘 鄭鮮之
428 5 王敬弘
429 6 王敬弘 王義慶 江夷
430 7 王義慶 江夷
431 8 王義慶 江夷
432 9 殷景仁(尚書僕射)
433 10 殷景仁 王韶之(祠部尚書)
434 11 殷景仁
435 12 殷景仁
436 13 殷景仁 何尚之(祠部尚書)

215名無晋書さん:2008/12/22(月) 21:10:51
駄目だ…。申し訳ないです。

421武帝 永初2 徐羨之(尚書令)劉義真(尚書僕射)
422武帝 永初2 王仲徳(尚書令)傅亮(尚書僕射)
423少帝 景平1 王仲紱(尚書令)傅亮(尚書僕射)
424文帝 元嘉1 劉懷慎(尚書令)傅亮(尚書僕射)蔡廓(祠部尚書)
425文帝 元嘉2傅亮(尚書令)
426文帝 元嘉3 徐羨之(尚書令)王敬弘(左僕射) 鄭鮮之(右僕射)
427文帝 元嘉4 王敬弘(左僕射)鄭鮮之(右僕射)
428文帝 元嘉5 王敬弘 (左僕射)
429文帝 元嘉6 王敬弘(尚書令)王義慶(左僕射)江夷(右僕射)
430文帝 元嘉7 王義慶(左僕射)江夷(右僕射)
431文帝 元嘉8 王義慶(左僕射)江夷(右僕射)
432文帝 元嘉9 殷景仁(尚書僕射)
433文帝 元嘉10 殷景仁(尚書僕射)王韶之(祠部尚書)
434文帝 元嘉11 殷景仁(尚書僕射)
435文帝 元嘉12 殷景仁(尚書僕射)
436文帝 元嘉13 殷景仁(尚書僕射)何尚之(祠部尚書)

216スート:2009/01/27(火) 20:17:01
この尚書僕射の項目は、『晋書トウ注』にも少し記載があるのですが、
引用されている『通典』を見ても、よくわからない状況なのです。

遅れましたが、答えてくださった皆さん、ありがとうございました。

217八頭:2009/05/09(土) 09:20:10

何 必 使 雄 違 生 背 死 以 立 於 時 。殿 下 讎 枯 骨 而 捐 之 中 野 , 為 將 來 仁 賢 之 資 , 不 亦 惜 乎 。
(『晋書』向雄伝)

解体晋書の皆さん、こんにちは。
早速ですが、上の文を訳し直してみたのですが、自信がありません。
間違いやお気づきの点があれば、ご指摘くださるようお願い致します。

(試訳)
なぜ、死者への恩義に背かせ、生者(故吏)の道義からも外れさせてまで、この私を生き長らえさせるのですか。
もし、殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになれば、
将来の仁徳ある賢人(晋王、司馬昭)の経歴となるでしょう。なんと残念なことでしょうか。

「為」は動詞で、「〜となる、〜とする」と考え直しました。
「将来」はそのまま「未来、将来」でよいと思いました。
「資」は経歴。熟語としては「資望」(豊かな経歴と名望)があります。ここではキャリアに傷がつく、というような感じでしょうか。
「仁賢」については『漢語大詞典』では、人を指すようではないのですが、「仁徳のある賢人」としました。
理由の一つとして、『通鑑』「豈仁賢之度哉!」(それは、仁徳ある賢人の器量といえるでしょうか。)
とあり、人(司馬昭)を指していると考えられるからです。
ただ、「将来」がなぜ「仁賢」を修飾しているのかよく分かりません。「将来の仁賢」という訳が変な気がします。
もし、「將 來 為 仁 賢 之 資」ならば、「将来、仁賢の…」となると思います。

218八頭:2009/05/09(土) 09:33:42
>將 來 仁 賢

「仁賢」がもし、誉め言葉ならば、「聖人」など他にもっと上級の言葉があると思いますが、
ただ、それでは、人に取り入っているような、或いは少々露骨すぎる気がします。

蜀を滅ぼした司馬昭が、当時、魏から禅譲を受けてもおかしくない立場にあったと考えると、
「将来仁賢」は何か婉曲的な表現なのでしょうか?

219:2009/05/09(土) 12:55:09
八頭さん今日わ。何時も有難うございます。
この段に次の向雄傳コウ注を見つけました。
魏志鐘會傳注引漢晋春秋作殿下讐對枯骨捐之中
百歳之後爲臧[藏から冠を去る文字]獲所笑豈仁賢所掩哉

「資」と「仁賢」の手掛かりがあるように思えるのですが。

220八頭:2009/05/09(土) 14:03:16
山口さん、こんにちは。ご指摘くださり、ありがとうございます。

『三国志』魏書 鐘会伝にある注と同じものですよね。『晋書』向雄伝を訳し直す際、予めその文も
訳そうとしたのですが、うまくできませんでした。問題の文中の「豈」の解釈が意外に難しいですね。
といいますのは、これを反語に訳すと意味が通じないように思われるのです。
ですので、ここでは、推量か、願望だとしてみたのですが、どうなのでしょうか?
お気づきの点がありましたら、またご指摘くださるようお願い致します。

殿 下 讎 對 枯 骨 , 捐 之 中 野 , 百 歳 之 後 , 為 臧 獲 所 笑 ,
豈 仁 賢 所 掩 哉 。

もし、殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになれば、
百年の後(死後)、〔その行為は〕奴婢(小人)に嘲笑われることになるでしょう。
願わくは、〔死者が〕情け深く賢明であらせられる殿下に埋葬されますように。

或いは

〔死者は〕恐らく情け深く賢明であらせられる殿下に埋葬されることでしょう。

『三国志』の訳本(筑摩文庫)があればいいのですが……(注もきっと訳が載っていますよね)。間違いがあるかもしれませんが、
一応、書き込みます。

221八頭:2009/05/09(土) 14:12:52
あ、すみません。鐘会は向雄がとっくに葬っちゃったんだった…。
だから、上の訳は間違いですね。鎮西将軍、ごめんなさい…。
出直してきます。

222大蒜卵黄:2009/05/09(土) 18:40:55
「資」の意味を考え直したのですが、材料、資料(もと)ではないでしょうか?
「資格や声望」、「資質」も違うので、消去法でいくとこれしかないと思います。
用例が少なく、決め手を欠くのですが、『漢語大詞典』を見ても動詞の「為」が目的語にとるのもこの意味のときが多いようです。

ですので、ここでは、「参考となる事実、記録、資料」という意味と考えます。
ここでは教訓と試訳してみましたが、もちろん悪い意味での教訓です。
「仁賢」は人を指すと思いますが、対象は漠然とした「後世の人」だと考え直しました。
他の資料から、特定の個人(司馬昭)にこだわる必要はなかったですね。

なぜ、死者への恩義に背かせ、生者(故吏)の道義からも外れさせてまで、この私を生き長らえさせるのですか。
もし、殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになれば、それは、後世の仁徳のある賢人が振り返る教訓となるでしょう。
(後世の人から誹りを受けることになるでしょう)なんと残念なことでしょうか。

何かお気づきの方がいらっしゃったら、ご指摘お願い致します。

223山口:2009/05/10(日) 10:30:21
大蒜卵黄さんのご意見になるほどと思いました。

>『三国志』の訳本(筑摩文庫)……
殿下讐對枯骨捐之中百歳之後爲臧獲所笑豈仁賢所掩哉
「殿下には朽ちはてた骨まで仇敵視なさり、原野に棄ておかれますならば、将来において奴婢にまで笑われることになりますぞ。どうして仁者賢人に相手にされましょうぞ。」

しかし「仁賢所掩哉」の「掩」は、この前文の「昔先王掩骼埋シ[比のしたに肉]、仁流朽骨、…」を受けて、「土でおおう」の意味とも思うのですが。
即ち「百歳の後に奴婢に笑われるはめになり、どうして仁者賢人が〔このことを〕おおってしませましょうぞ。」

それでもなお文意が通じにくいので、以下の書替えがあったのでないでしょうか。
鐘会伝注「豈仁賢所掩哉。」が、向雄伝「為將來仁賢之資,不亦惜乎。」へと。

また往々に見る三国志と晋書などでの一部の文節の作為的とも思える違いの主たる理由は何なのか。どなたか教えて頂ければ有り難いです。

224八頭:2009/05/10(日) 17:00:03
山口さん、こんにちは。八頭です。今日は日差しが強かったですね。

筑摩『三国志』の訳、参考にさせていただきました。ありがとうございます。

山口さんのご指摘を受け、反語で考え直してみました。 推量や願望はやはり用例が少ないでしょうかね。
なるほど、主語を死者ではなく、司馬昭の行為とすると、不自然ではなくなりますね。

〔此〕豈〔為〕 仁 賢 所 掩 哉 。

〔此れ〕豈に仁賢の掩う所〔となる〕かな。(受身)

どうして仁賢が口を閉ざす(沈黙する)ことがあるでしょうか。(必ず非難を受けるでしょう)
掩は、掩口ということなのかな?と思ったのですが、う〜ん。分かりにくいですかね。
最初の掩は、土で覆うという意味ですから、もし、口を閉ざすなど違う意味ならば、別の字(閉など)を使う気もするのですが。
それでも古代の人は特に意思疎通の上で問題はなかったのかもしれません。
どうなのでしょうか。

>しかし「仁賢所掩哉」の「掩」は、この前文の「昔先王掩骼埋シ[比のしたに肉]、仁流朽骨、…」を受けて、「土でおおう」の意味とも思うのですが。
>即ち「百歳の後に奴婢に笑われるはめになり、どうして仁者賢人が〔このことを〕おおってしませましょうぞ。」
山口さんの訳を参考にさせていただくと、

どうして仁賢に覆い隠されるでしょうか。(覆い隠すでしょうか)

「掩」の意味は、こちらの方が通じるかもしれませね。
土で覆うとすると、どうも意味が通じない気がします。

225八頭:2009/05/10(日) 21:21:13
>〔此れ〕豈に仁賢の掩う所〔となる〕かな。
反語だから、哉の読みは「や」ですね。すみません。

〔此〕豈〔為〕 仁 賢 所 掩 哉 。
〔此れ〕豈に仁賢の掩う所〔とならん〕や。

でしょうか。
『三国志』のこの文は、山口さんのご指摘を参考にまた後で考えさせていただきます。
山口さん、ありがとうございました。

226山口:2009/05/11(月) 15:38:58
筑摩『三国志』の訳の
>…。どうして仁者賢人に相手にされましょうぞ。」

の部分についての「掩」の解釈が理解できずに
>「土でおおう」の意味とも思うのですが。

としたのですが、「土でおおう」⇒「(口を)おおう」を
前提としていました。私にはこの部分の訳は全く八頭さんの下記訳しかないように思います。

>どうして仁賢が口を閉ざす(沈黙する)ことがあるでしょうか。(必ず非難を受けるでしょう)

八頭さん、いつも有難うございます。

227八頭:2009/05/11(月) 20:46:35
山口さん、こんばんは。今日も暑かったですね。いつも私の素朴な疑問にお付き合いくださり、ありがとうございます。

『三国志』鐘会伝の訳、どうも難しいですね。
「掩口」(沈黙する、密かに嘲笑する)以外にも「掩悪」(悪いものを隠す)なども考えられ、悩まされます。

『晋書』向雄伝の問題の箇所ですが、動詞「為」が「資」を目的語にとるとき、「資」の意味は他にも
ありました。例えば、「資」(資金、もとで)の場合です。

以…為〜之資  (「〜」は多く物がくるようです)
…で〜のもとでとする、〜の費用とする、という文があります。
「嚢銭三千,以為車駕之資焉」(『晋書』食貨志)

すると、「資」の意味は一つに絞れませんね。下調べが足りませんでした。^^;
読書不足で、人が〜にくる例を他に知らないのですが、全く有り得ないわけではないと思います。
ただ、仁賢のもとでとなると、仁賢が車駕と同じ物扱いで、どうなのかな〜、
という気もします。役に立つ、という意味なら共通しています。
当時の人の比喩的表現なのでしょうか。それとも、これで普通の表現なのでしょうか。

何 必 使 雄 違 生 背 死 以 立 於 時 。殿 下 讎 枯 骨 而 捐 之 中 野 , 為 將 來 仁 賢 之 資 , 不 亦 惜 乎 。
(『晋書』向雄伝)

(試訳)
なぜ、死者への恩義に背かせ、生者(故吏)の道義からも外れさせてまで、この私を生き長らえさせるのですか。
殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになることで、仁徳ある賢人を集める元手(資本)になさろうとするのは、
なんと残念なことでしょうか。

そんな残忍なことをすると、天下の仁賢が皆失望して隠遁してしまい、人材が集まってきませんよ、という意味でしょうか。
(向雄はこんな非道が行われるなら、自分は死んだ方がましだ、というぐらいに憤っています)

殆ど直訳で、訳が練れていませんが、全体の文の意味としては「資」(参考となる事実、記録、資料)より、
(もとで、資金)のほうが分かりやすいかもしれません。

何かお気づきの方がいらしたら、ご指摘お願い致します。

228八頭:2009/05/11(月) 21:07:40
どのような訳ならば、司馬昭(当時、臣下でトップ級の人ですよね)の怒りをおさめ、説得できるのか、という視点も
必要かもしれません。
もし、語られた言葉がまずければ、向雄(当時は死んだ鐘会の旧部下)の首が飛んでいてもおかしくない状況ですよね。
だから、こういう場面は、あまり変な訳はできませんね。訳がまずいと臨場感が伝わらないか…。難しい…。

敵意すら抱いていた人が、一転して、相手を許し、宴を開き、仲良く?語り合ったというのですから、
相当含蓄があるか、胸にドキリとくる言葉だったはずです。

229BaTou:2009/05/12(火) 20:39:15
>何 必 使 雄 違 生 背 死 以 立 於 時 。殿 下 讎 枯 骨 而 捐 之 中 野 , 為 將 來 仁 賢 之 資 , 不 亦 惜 乎 。
(『晋書』向雄伝)

『漢語大詞典』の「資」(参考となる事実、記録、資料)をよく見たら、「田横巨擘耳,猶為談者資」(元好問『学東坡移居詩』)
とあります。田横は、秦末漢初の人物。「巨擘キョハク」は、「傑出した人物」という意味のようです。(「擘」は親指の意味)

「資」(資金、もとで)より、こちらの方が自然なのかもしれません。
骨を荒野に捨てることを、賢人登用の元手とする(実際はその逆という意味で)、という解釈は意味が通じにくいので、やはり、こちらに決定します。

(試訳)
なぜ、死者への恩義に背かせ、生者(故吏)の道義からも外れさせてまで、この私を生き長らえさせるのですか。
もし、殿下が、死者の朽ちた骨にまで報復して、荒野にお捨てになれば、後世の賢人の笑いぐさとなるでしょう。なんと残念なことでしょうか。

細かいところですが、「仁賢」は「仁徳ある賢人」では長すぎるかもしれませんので、単に「賢人」としました。「資」は直訳だと分かりにくいので、思い切って「笑いぐさ」と意訳しました。
一字一句残さず訳せればいいのですが、そうすると、ガチガチの直訳になって、不自然で読みにくい文になってしまうでしょう。
向雄は既に鐘会を埋葬してしまいましたので、司馬昭が(墓を暴いて)骨を野原に投げ捨てるというのは、その時点では仮定の話になります。よって、「もし〜ならば〜だろう」としました。

しかし、あまり意訳ばかりすると、読む人に「この訳、本当に正確なのだろうか?」という疑問を抱かれるかもしれないので、難しいですね。
この場合、注に直訳が必要かもしれません。
際限がないので、これで一応止めておきます。

230123:2009/06/18(木) 10:48:13
殷捨能静 の意味をどなたか教えてください。

231名無晋書さん:2009/07/12(日) 13:06:31
積善之家厥福惟昌の意味をどなたか教えてください。

232吉田:2010/02/09(火) 16:41:48
一休和尚の詩だと思いますが、意味がわかりません。教えていただけましたら嬉しいです。よろしくお願いします。

屈平惠佩世伝芳 楚国詞人吟奥屯 海水不預言逆耳 泪羅江上送春香

3文字目の惠は くさかんむり が付きます。 よろしくお願いします。

233中根:2010/02/21(日) 14:18:15
>123さん
「殷捨能静」という語句の出所は緒形拳氏の書のようですが、
訳しづらい言葉ですね。
殷の意味は「ゆたか・あかい・ねんごろ」ぐらいのものですので、訳すと
「ゆたかに捨てる」「ねんごろに捨てる」「あかく捨てる」、
どれもヘンですね。ある箇所では「毀捨能静」の誤読ではないかと
指摘されていました。これなら「こぼち捨てれば能く静かなり」で
「壊し捨てれば、静かになる」という意味にとれそうです。殷と毀は
字形が似ていますから。禅語か何かでしょうか。

>231の方
>積善之家厥福惟昌
積善の家、厥(そ)の福は惟(こ)れ昌んなり、でしょうか。
出典は不明ですが、意味は「良いことをしている家庭には
幸福が盛んにくる」というようなものでしょう。調べてみるとこの語句、
篆刻の題材に使っているようですので、
墨場必携あたりに載っているのかなあ。儒教の経典にありそうな
語句ですし、易経には「積善之家必有餘慶」という、同じような文句が
あるのですが、十三経にはないですね。

>吉田さん
書き下せば「屈平の惠佩は世に芳を伝う 楚国の詞人は奥屯を吟ず
海水預からず言は耳に逆らう 汨羅江上春香を送る」でしょうか。
最後の泪羅は、汨羅の誤字だと思います。
屈平は楚の詩人屈原のことで、汨羅(べきら)に投身自殺をしたことで
有名です。屈原のことを詠んだ漢詩だと思いますが、一休宗純の詩は
禅思想が根底にあるため古来難解とされていますので、
禅の専門家の訳によられた方が良いでしょう。私は坐禅もやったことがないので、
禅はわからないので翻訳できないという所です。

禅の大家で一休研究の第一人者、柳田聖山氏(元京大人文研所長)の訳が
中央公論新社から「狂雲集」として出ていますので、
それを見ていただければ意味は取れると思います。

234吉田:2010/04/12(月) 13:46:09
中根さん、ご親切にありがとうございました。大変参考になりました。
今後とも、わからないことございましたら、教えてください。
ご返事が遅くなってすみませんでした。

235山下:2010/04/27(火) 21:48:31
帝郷の漢文なのですが、
観于華。華封人曰、「嘻、請祝聖人。使聖人寿富多男子。」・・・
・・・・千歳厭世、去而上僊、乗彼白雲、至于帝郷。何辱之有。」

の漢字の読み方と訳を教えていただきたいのですが。
よろしくお願いします。

236名無晋書さん:2010/08/17(火) 16:48:32
>>231
名無晋書さん、積善之家厥福惟昌の出典ですが、呉の楊泉の『賛善賦』であるらしいです。
意味は>>233の方がおっしゃった通りです。

237名無し:2011/06/15(水) 09:26:11
有宣諭の訓読お願いします

238<削除>:<削除>
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239<削除>:<削除>
<削除>

240<削除>:<削除>
<削除>

241狄狗:2011/11/03(木) 01:33:01
三国志・魏書・任蘇杜鄭倉傳第十六の杜畿列伝に含まれる息子杜恕の上奏文の
一説がよくわかりません。
ちくま学芸文庫から出ている邦訳とは根本的にテキストの捉え方が違うので、
あまり役に立ちません。
私の解釈が成立不可能なものなのか、一度考察してみてください。

「陛下又患臺閣禁令之不密、人事請屬之不絶、聽伊尹作迎客出入之制、選司徒
更悪吏以守寺門;威禁由之、實未得爲禁之本也。昔漢安帝時、少府竇嘉辟廷
尉郭躬無罪之兄子、猶見舉奏、章劾紛紛。近司隷校尉孔羨辟大将軍狂悖之弟、
而有司嘿爾、望風希指、甚於受屬。選舉不以實、人事之大者也。嘉有親戚之
寵、躬非社稷重臣、猶尚如此;以今況古、陛下自不督必行之罰以絶阿黨之原
耳。伊尹之制、與悪吏守門、非治世之具也。」
の部分です。
先ず、ちくま邦訳では通鑑に従ってテキストに変更を加えています。
「聽伊尹作迎客出入之制、選司徒更悪吏以守寺門」
→「定迎客出入之制、以悪吏守寺門」
「伊尹之制、與悪吏守門」
→「出入之制、與悪吏守門」
テキスト改変の理由は廬弼『三国集解読』に見える「孫志祖曰、聽伊尹、三
字不可解」なのだと思いますが、この不可解は文法的に解釈不能という意味
なのですか?
そうではなく、「伊尹の事績にこんなものは見当たらない。杜恕が何を典拠
にこんなことを言っているのか、さっぱり理解できない。」という意味なの
ではありませんか?
私はそう捉えてテキストに改変を加えません。
すると、こんな感じになります。
試訳
「陛下は臺閣の禁令が周密でないこと、また人事において属党を役職に就け
ろと願うものが一向に絶えないことを憂いております。
聞くところによれば、伊尹は迎客出入之制の設け、司徒を選んで俗悪な官吏を
門番に更迭させたとか。臺閣の禁令に威を持たせるためには、こうした具合
に官吏の登用を厳格になさねばならないのですが、実際のところ禁令の根本
ともいえる官吏の登用が未だに上手くいっていません。
昔、漢の安帝の時代、少府の竇嘉が廷尉の郭躬を辟召した際、罪はなくとも
兄の子という理由だけで、上奏文が提出され、あからさまに弾劾されました。
ところが、最近、司隷校尉の孔羨が大将軍の狂悖の弟を推挙した際には、有
司はこぞって黙認を決め込み、大将軍の威風に靡いてしまいました。
有司のこうした態度は、実際に有力者の徒弟を受け入れるよりも酷いと言え
ます。選挙が実をもって為されないのは、人事の一大事であります。竇嘉に
は帝の寵愛があり、郭躬は社稷の重臣に就いたわけではありません。それで
も尚、このように批判を受けたのです。今の有様を古に比べるとどうでしょ
う。陛下は必罰の権利を自ら執り、阿党の根源を断ち切ろうとはなさってい
ません。陛下のそうした態度は、伊尹の制、つまり悪吏を門番に更迭する厳
法と比べた際、世を治める道理を備えているわけではありません。」

こんな感じになります。
ちくま邦訳とはかなり違った訳になります。
特に最後の一文は決定的です。
「伊尹之制」を「出入之制」と変更すれば、與を「あたえる」と読まざるを
得ないのでしょうが、悪吏に門番を与える制度を批判するために、命を懸け
て上奏文を提出するでしょうか? 
私は、與は比較を示す文字と解するほうが意味の通りが良いと思うのですが、
文法的に無理があるのでしょうか?
その辺がよくわからないので、ご教授いただけると幸いです。

242匿名:2011/11/05(土) 11:37:24
狄狗さん、こんにちは。
>私はそう捉えてテキストに改変を加えません。

文字通りに意味をとると、「伊尹が作った」ですので、文法的には問題ないでしょう。
ただ、伊尹の事績にはそのようなものは見当たらず、史実に反するのかもしれません。
だから、通鑑では「伊尹」の字を削っているとも考えられます。
これを確認したり、批評するには、私たちも伊尹ことを知る必要がありますね。

>「伊尹之制」を「出入之制」と変更すれば、與を「あたえる」と読まざるを
得ないのでしょうが

制度を定めた人は別として、内容は変わりませんので、「伊尹之制」でも「出入之制」でも
同じことではないでしょうか?三国志も通鑑も字句が少し異なるだけで、文章の内容自体は同じです。
だから、テキストを変えたから「與」の意味も変わるとは、考えにくいでしょう。
「與」には「以」の意味もありますので、単に言い換えているのかなとも思います。

私がよく分からないのは、字句の違いではなく、「惡吏」の意味なのですけどね。

>私は、與は比較を示す文字と解するほうが意味の通りが良いと思うのですが、

私でしたら、自分の訳にかなりしっかりした根拠が持てなければ、
ちくま文庫の『三国志』(資治通鑑)に従いますね。

243狄狗:2011/11/07(月) 17:54:45
ありがとうございます。

244匿名:2011/11/07(月) 18:57:24
あと、
>陛下のそうした態度は、伊尹の制、つまり悪吏を門番に更迭する厳
>法と比べた際、世を治める道理を備えているわけではありません。」

最後の文は訓読すると、
「今を以て古に況ふるに、陛下は自ら必行の罰を督さずして以て阿黨の原を絶たんとするのみ
。伊尹の制、悪吏を(に)與へて門を守らしむるは、治世の具に非ざるなり。」となると思います。
これを口語訳すると、「伊尹之制」を肯定していないのではないでしょうか?「與」の訓読はとりあえず「あたえる」と読んでいます。

245猫丸:2011/12/15(木) 18:57:02
突然の書き込みにて、失礼いたします。猫丸と申します。来年の干支でもある龍のことについても調べているのですが、一番最初に龍の記述が出てくるのが後漢の「辰為龍、巳為蛇。辰、巳之位在東南」のようなのですが、この漢文の意味を色々調べても見つからず、どういう意味として読めばよいのか検討がつきません。もしこの記述について意訳できる方がおられましたら、ご教示いただけませんか?

246のりPの教え子:2011/12/21(水) 07:43:00
猫丸さんこんにちは。
年末年始でお忙しいのか、ここのメンバーはどなたも見ておられないようですね。
私はここのメンバーではなく、漢文を読めるわけではありません(むしろ私の方こそ、読めない漢文を読んでほしいくらいです)が、意訳レベルでいいんですよね。
だったら、安直ですが、ウィキペディアの十二支の項にある説明が参考になると思います。

「各十二支には動物が割り当てられている。これを十二生肖と呼ぶが、日本では十二支という言葉自体で十二生肖を指すことが多い。元々十二支は順序を表す記号であって動物とは関係がない。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢の王充『論衡』)やバビロニア天文学の十二宮の伝播といった説がある。」

とあります。
「辰為龍、巳為蛇。辰、巳之位在東南」というのは、後漢の王充の『論衡』の文章ですから、意訳としては、
「十二支の辰に龍を割り当て、巳に蛇を割り当てた。辰と巳の方角は東南である」
あたりでしょうか。王充がそう決めたわけではなく、そうではないかという説を唱えている、ということのようです。


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