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神と科学は共存できるか

21 地下に眠るM :2007/11/14(水) 22:41:26 ID:yb0RBWTc
科学という知的体系は、人類史的にみても特殊な地位を獲得した知的体系だということは僕も率直に認めますにゃ。この特殊な地位というのは、科学が《「中絶・同性愛は是か非か」とか「私たちの子供にどんな教育を与えるべきか」とか「私たちは何故、何のために生きているのか」とかいった》問い(以下「重要な問い」とでも書きますかにゃ)にそもそも答えようとしにゃーところから得られたものなのではにゃーでしょうか。

科学は「重要な問い」については直接的にはノータッチ(判断の材料を提供するという意味では無関係とはいえない)であり、自らに判断の資格があるともみなしてにゃーわけだ。
だから
・宗教は「重要な問い」に答えられるか否か
について、科学は判断できないし、してはならにゃーのよ。もしそれを行ったら、それこそNOMA違反だろ?
宗教には「重要な問い」に答えられない、と判断してしまったとしたら、その時点でその判断者は「重要の問い」の「正しい答え」を独占したのと同じことになるにゃんが。

僕は、ドーキンスは「啓蒙」の立場だと思ってるにゃ。
まあ、「神は妄想である」は未読なので断言はしにゃーけどな。

僕は別に、宗教に「重要な問い」の答えを独占させようとしているのではにゃーのだよ。ただ、宗教は「重要な問い」に答えられない、という判断は少なくとも科学がしてよいことではにゃーといっているんだにゃ。
文化相対主義の立場(各文化の間に優劣はなく、現代が古代や中世に優越するわけではないという立場。つまり「啓蒙」からもっとも遠い立場)では、「重要な問い」への答えは「それぞれの文化次第」ということになるわけで、各宗教がそれぞれの立場で「重要な問い」に答えることこそが自由と寛容の精神にのっとることに一応なるわけにゃんな。
(ここでは通文化的な普遍性については触れないでおく)


ちゅうわけで個別に
>chochonmage
>化け猫さんは、その「本音」部分を見抜き、それが「啓蒙主義」であると看破し

本音部分もなにも、形式論理的にドーキンスの立場は「啓蒙」ですにゃ。
宗教に答えられないと判断できるということは、自分が当の答えを知っているのだと主張しているに等しい。


>GB
>違う時代の人たちが言ってることはみんなおバカに見えたりするけど、われわれだって
>きっとおバカに違いない。

「理性は万人の狂気である」(アンドレ・シュアレス)
僕たちは狂っていにゃーことが不可能なんだと思いますにゃ。



>後悔と懺悔
>立場2c】この観点から、NOMA原理の「科学」とは別の側面を担うモノとして、「科学」も「(地下に眠るMさんのおっしゃる)啓蒙主義」も、そしてもちろん「宗教」も、絶対に相応しくない──このことが、私がここで主張したいことのほとんどすべてである。

繰り返すけど、ドーキンスの立場こそ啓蒙主義ではにゃーのかね?
正しさを独占したがる宗教と啓蒙とは双子みたいなものでにゃ。
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」(ニーチェ)
ドーキンスはミイラになっちゃったんでにゃーのか?


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