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聖イエス会待望教会、主の十字架クリスチャンセンター

8名無しの伝道さん:2018/03/04(日) 20:14:58
まず神の国を求めよ
さすれば恵みはいやまさん」
粗末な食卓の前で、声高らかに歌いお祈りしていただきました。近所の人々が「種もまかず、骨も折らずだってよう!」と、嘲笑したものです。
 待ちに待った春が訪れ、草が萌え出しましたころ、家主のおばあさんが穂高から帰って来られ、「さあ奥さん、野菜の種をまきましょう。芋の苗も植えましょう」といろいろ教えて下さいました。五月になると、桃も桜もまたいろいろの花が一斉に咲きだし、安曇野の姿は全く変貌いたしました。信州の自然界のすばらしさを見ました。神様はまことに公平であられ、きびしい冬を過ごした人々には他の地方の人にはわからない歓喜をお与えになります。子供達と共に野草をつみ、高原の松林で松かさや松葉を拾い、河原に流れ木を拾いに行きました。
 しかし一方では、戦争は日本を廃墟へと追い込んでいきました。

《……姉の最後》
 昭和二十年三月、大空襲で大東京は焦土と化し、続いて小都市に至るまで、爆撃を受け、都会は安全な所がなくなりました。主人はその中を求めに応じてどこまでも出て行きました。家を出て行く時は、天に指をさして、「次は天国で会いましょう」と別れました。
 五月十七日から二十日までペンテコステ聖会が福井で開かれ、続いて、山陽、中国、神戸、西宮等で聖会をいたし一か月ぶりで帰ってまいりました時は、西宮での集会中大空襲に会ったとのことで、無事に帰ることができて感謝いたしました。その帰途もう一度福井に立ち寄り、聖会(六月十一日から十三日まで)をいたしましたそうですが、それが……姉との地上での最後の出会いとなりました。
 七月十九日、福井が大空襲を受けたことが報じられました。またたく間に焦土と化し、惨憺たる光景であるとのことでした。数日後、福井教会の牧師が血相を変えて報告にいらして下さいました。それは……姉一家九名が、焼死されたとの報でした。一瞬、耳を疑いましたが、主人が「どのような最後でしたか」と伺いますと、「それはまことに英雄的な死です。防空壕の中で、猛火に包まれ、全員正座して手を合わせて死んでおられました」とおっしゃった瞬間、霊の目を天に向けた私は、頭上で…姉の霊魂が羽ばたくのを強く感じ、しばし心をうばわれてしまいました。そして私どもが尊敬いたしておりました満州時代の恩師、……
先生のお顔と…姉のお顔が重なり、殉教者が加えられたことを示して下さいました。「きょうなんじは、我とともにパラダイスにあるべし」(ルカ23・43、文語訳)と仰せられて、死の間際の悪人に天国を約束された主イエス様と同じように、まだ全き救いを得ていない、御主人、姉上、お子様達八人を抱きかかえて、とりなしつつ、天に連れて行かれたその燃える愛。
「愛は死のように強く……
最もはげしい炎です。


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