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聖イエス会尾道教会、主の十字架クリスチャンセンター

12名無しの伝道さん:2018/03/04(日) 20:33:11
 神のご経綸に参与する群れ、聖書の預言の一つ一つを成就するために選びを受けたこの群れが、御主の御期待に答え奉ることができますよう、祈りつつ今日に至りました。聖イエス会! 私はこよなく聖イエスを愛してまいりました。今より後も命の限り愛してまいります。

《会服、機関誌、会歌……》
 聖イエス会創立とともに着手しなければならないことが山程ございました。教会は神との出会いの場所ゆえ、神の御臨在なされるにふさわしい聖なる雰囲気を醸しだす礼拝堂でなければならない。また神に仕える聖職者は、聖なる雰囲気を持たねばならないゆえ、それにふさわしい会服を作らねばならないと、主人は毎日そのデザインに苦心いたしました。服装によって心の持ち方まで変わるものです。
 男子はローマンカラーに伝道者チョッキ、またはジレーをつける。あの昔の大工さんや火消しの着ていた胸当てのようなものでは困るから、ピンタックをつけて上品に仕様。むずかしかったのは女子の会服でございました。主人は長年、中国で生活いたしましたので中国の女性服の胸元のきりっと引き締まった感じが気に入っておりましたので、自分で図を書き衿の幅や胸元の形をいろいろと工夫いたしておりました。また、日赤の看護婦さんの制服のピンタックにヒントを得て前身頃にピンタックを入れること。ちょうどそのころ、わが家に滞在中の洋裁のできる方に試作していただき、私に着せて見て、あれやこれやと詮議して、まずこれでよかろうというわけで、私の母の形見の紋付きの黒ちりめんの羽織をつぶしてでき上がりましたのが現在の女子聖職者の会服でございます。三十八年を経た今日でもなお、ニュールックとお思いになりませんか、いかがでございましょうか?
 次は機関誌を「言」と名付け、伝道新聞を「葡萄樹」と名付けました。また、会歌を作りました。そして次には神学校を作らなければならないと言いだしました。「へぇ!」と、私はこれにはびっくりいたしました。何事も、あんたはだまって追(つ)いてきなさい、という生き方に馴れていた私も、ちょっと不安になり、四十歳になったばかりの伝道以外に何の経験もない人が神学校を作るとは、ちょっと無謀な気がいたしまして、「お父さん大丈夫ですか」と、申しますと、「大丈夫だよ。この福音は、ローマ、エルサレム、地のはてまでも伝えなければならない。僕一人では不可能である。今のうちに若い伝道者を養成しておかなければ間に合わないよ」と、確信をもって申しましたので、私はその言葉を信じました。そして神学校建設のため、持てるすべてをささげようと覚悟を定めました。
《…は父の故郷へ……》
 さて、戦争が終わったからと申しましても、キリスト教に対する偏見がなくなるものではなく、負けたことがこちらの責任でもあるかのように、スパイだの何だのと言われて、子供達にとっては毎日学校へ行くことが恐怖で、いろいろといいきかせて、お祈りし、やっと学校へ送り出したあと、ほっとしてどうか無事に帰って来ることができるようにと、祈りました。しかし、これ以上有明小学校へ通学させることは無理でありかわいそうだと思いました


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