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聖イエス会聖霊教会、主の十字架クリスチャンセンター

21名無しの伝道さん:2018/03/04(日) 20:55:34
かえらじと言葉のこして往きし子
は故郷に帰りぬ軽き箱にて
(霊母様??)
汝が帰り待ちつつ祖母もみまかり
ぬ戦終りてよろこび居しに
(霊母様??)
 敗戦! 張りつめていた弓がぷっつりと切れたように虚脱状態に落ち込んだ日本は、それ以来数年間混乱状態が続きました。物資の統制がなくなりますと、いよいよ生活は困難になりました。
 兵士の復員が開始され鉄道は混乱し、毎日毎日鈴なりの列車が走りました。入口の鉄棒にしがみついている人、上半身を窓に突っ込み、下半身は窓の外にぶらさがっている人々を乗せて汽車は走っていました。
 主人の伝道旅行もいよいよ命がけでございました。戦時中の姿のままでリュックを背負っての旅行が続けられました。留守を守る私の生活もなかなか忙しく、農繁期には臨時託児所の手伝いや、村有林の木の供出には村の人々と共に松の生木の大きなたばを三束ほど背負わせてもらって役場まで届けるのですが、足がもつれてなかなか先に進まず苦労いたしました。私にとっては重労働でございました。よくも背中の骨が折れなかったものだと、今思い出してもぞっといたします。そして、その木は一本も私共の手には入りませんでした。
 主人が在宅中は必ずどこからともなく、よく来客がございましたが、泊まり込んでなかなか帰らない方もございました。…兄が神戸から洗濯ものを入れた大風呂敷をかついで来られ大河で洗濯されたのもこのころでございますが、九月のはじめの黙想会に出席して帰って行かれました。主人の留守中は私が穂高の家庭集会に出かけてまいりました。栄光教会の……先生は、この穂高のグループの一員でございました。
 十二月二十五日、クリスマス有明聖会を最後にこの年のすべての集会を終え、かくて日本の歴史を変えた、敗戦の年、戦争永久放棄を誓った年、絶対忘れてはならない昭和二十年は過ぎて行きました。
以上 聖イエス会資料集・プリント集、書物(古い分)よりそのまま引用


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