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主の十字架の情報

4にほ:2004/08/04(水) 17:48 ID:rYdrWbR6
掲示板の記事ではありませんが、TLCCC初期の様子と記録を「責任長老」の一人が彼のページで発表しています。http://www.max.hi-ho.ne.jp/peter-nagato/himekuri.htm
彼は記事の通り最古参のメンバーです。

彼個人の体験談となっていますが、問題のある団体の責任ある立場からの発言ですから、ここに資料としてリンクすることは妥当と考えます。また、この「脱会者連絡ページ」に呼応するような記事もあります。
彼らは、よく個人的体験談と断って、説教しますが、実際は、結果的にその体験談が信徒間で普遍化することが、TLCCCでは普通です。この記事も神学生などの信徒が読んだ場合、同じく普遍化する可能性がありますから、この記事を教育的メッセージととらえて、包括的に考察したいと思います。
また、私はTLCCC経験者ですから、経験が考察に影響することをあらかじめ申し述べます。

以下考察。

この記事によれば、彼らの確信や決断は、単純に言い切る信仰のあり方と、偶然の出来事や神の声の感覚に拠っている事が分かります。聖書の解釈や適用を、実に表層的で単純に神的真理として一般化しています。(聖書の歴史的背景を無視し過ぎです。)また、説教中、言葉として神学的信仰的概念が正しくても、適用部分があまりに単純で普通の人間性を超えて実践しようとしていることが見えます。出来事の解釈も実に簡単に神秘性としてとらえています。人生の現実はもっと複雑で、救いや神との関わりもその場その場で求めていくものだと思いますが、彼らのものは絵に描いたような単純さです。個人の様々な事情や、決断に不可欠な動機付けの詳細が全く見えてきません。

また、教団創設者の草創期の説教パターンが今も引き継がれているのも、内部に居た方なら分かると思います。彼らの説教は、非常に分かりやすいものですが、実際中味はひどくパターン化されているのです。

普通、教会には、信徒が説教や聖書を適用することについて、非常に幅広く許容し、体験として深いものとなるような懐の深さが求められます。しかし、現在のTLCCCのおかしなところは、牧師がした単純なメッセージを型通り適用することを厳しく求められることです。カウンセリングの対応も、相談者への一定期間の傾聴が終わると、段々にパターン化した解決策を説得するようになります。現在問題が起きている教会では、必ずそのようなことが行われています。また、九州のTLCCCでは教会展開以来このような状況のようです。

この記事にもあるように、信徒の側は「信仰の言い切り」に対して「自分に無い何かがある」と、当初単純に関心を持ちます。そして、その内に牧師の価値観に考えを合わせるようになっていきます。なぜなら、そうすれば奇跡が起ったりや神の手が働くと実例をあげて言われるからです。そして、「実際自分にも体験があらわれた」と言ってパターンにはまったり、神学生になって牧師として地方に行かされる人が出ます。また、逆に他教派で牧師になってから、TLCCCに来て、このパターンを牧会手法に選ぶ人も居ます。

TLCCCの中心的な教会では、すべてのアプローチがこのやり方です。この単純な「思い込み・信じ込み」の連鎖によってTLCCCは成り立っていると言えます。

このような問題がかなり大きい反面、同時に教会として健全な救いの教理を語る部分があるため、留まってしまう方々が居るのです。内部の方は「実際に神を体験したから」と言われますが、体験した場がTLCCCだからと言ってTLCCCがすべて正しいと言う結論にはなりません。TLCCCの排他性や絶対主義による弊害を考えていただきたいと思います。健全な批判精神を持ってTLCCCと自分の周りの現状を見るべきだと思います。それを見たならば、それぞれご自身の信仰に長老抜きの自立心と責任を持つべきだと思います。

この私の記事によって、TLCCC側の記事が閉じられたり、主張を隠すような記述がされないことを期待します。


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