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無差別級

1闇夜の鮟鱇★:2003/11/27(木) 17:34 HOST:122.net061211188.t-com.ne.jp
このスレッドは『万有サロン』という名にふさわしく、
あらゆる意見を語り会う為の場にしたいと思います。
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136闇夜の鮟鱇★:2015/01/13(火) 12:13:29 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(9/9)

それから、この講読では以前から『芭蕉の紀行文では何故か、
後半になると発句ばかりで文章が減る』という話が出ていましたね。
当初の私は『当時の旅の大変さを考えるなら、後半はバテて来て、
文章を残すのもおっくうになるのではないか』と考えていました。
しかし、放送ではその後の種明かしとして、
『芭蕉は序破急に従ったのだ』とか言っていましたね。

能を始め、日本の芸能を貫く精神として、この序破急は有名ですが、
芭蕉が紀行文を書く時も、そうした美学を意識して、
後半はさっと切り上げようとしたんでしょうか。
確かに、紀行文とは言っても長いものも短いものもありますし、
鹿島紀行みたいな短いものでも、同様に後半は文章が少ないとなると、
『旅の後半はバテるから』という説明は無理になるでしょうね。


その点では実を言うと、以前に『荒海や』の句に関して、
『この頃の芭蕉は病気がちで、それで神経が研ぎ澄まされた結果、
こんな名句が生まれたのだ』とか書いた記憶があります。
  http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/3729/1123461002/#30
ところが、実はこの病気も虚構らしいというので、びっくり仰天でした。
曽良随行日記を見ても、俳諧興行の記録はあっても病気の記録はありません。

ということはつまり、実際には色々と文芸活動をしていたのに、
それらの記録をあえてバッサリ切り捨てた、というのが真相のようです。
例えば『荒海や』の句では『銀河の序』という俳文まで作っていたのに、
奥の細道では、芭蕉はそれを意図的にはしょってしまったようですからね。
ここでも、世阿弥が提唱し、当時の芸道で常識とされていた序破急の精神を、
芭蕉が意識した結果、奥の細道もそれに従ったという分けでしょうか。


最後にもうひとつ付け加えると、笈の小文の序文に関して、
直近で少し気になったことがありました。
  http://koten.kaisetsuvoice.com/Kobumi/Kobumi01.html
  見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。
  像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。

これは花と月を並べて風雅論を展開している所ですが、
『おもふ所月にあらず』に対し『心花にあらざる』というのは妙ですよね。
目に対して花、心に対して月と言っている以上、
ここは『心月にあらざる』としないと、バランスが取れません。
その点では『笈の小文は未定稿である』という説が有力ですから、
多分、推敲が進まない段階のミスが、そのまま残されたんでしょうね。


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