したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

無差別級

128闇夜の鮟鱇★:2015/01/13(火) 11:48:44 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(1/9)

既に音楽総評でも少し触れましたけど、今年の古典講読では、
『奥の細道』を中心に、松尾芭蕉の話をやっていますね。
で、書きたいことが沢山たまっている分けですが、
先ず最初は、芭蕉の内妻の駆け落ち説から触れてみたいと思います。

伊賀上野から上京した芭蕉は暫くの間、日本橋に住んでいたそうですが、
ある時、突然深川に転居してしまい、句風も大きく変わったらしいですね。
で、日本橋時代には既に宗匠の地位を得て、名声を確立していたのに何故、
わざわざ深川みたいな辺鄙な所に引っ越したのかが不可解な分けですね。
そこで色々な人がその転居の謎を探っているそうですが、
未だに、ハッキリした結論は得られていないようです。

で、私なりに少し考えてみたんですが、先ず一番考えやすいのは、
やはり、派閥抗争みたいなことに嫌気がさしたという可能性ですね。
実は、芭蕉以前の江戸には高野幽山という宗匠がいて、
江戸俳諧に一定の勢力を持っていたらしいですね。
そこへ後から芭蕉が押しかけて、結果的には幽山を押し退けるような形で、
勢力を拡大していった分けですから、ごくごく常識的に考えても、
何らかの派閥的な確執がなかったとは考えにくいと思います。


その時、そうした世俗的な抗争に嫌気がさした芭蕉は、
敢えて自分から、さっさと深川に移ってしまったと考える分けですね。
ただ、もうひとつ興味深い話が出ていて、芭蕉には内妻がいて、
その内妻が甥と駆け落ちしたという説があるんだそうです。

芭蕉が故郷の伊賀上野に帰った時、姉に頼まれたのか、
その息子を江戸に連れてきて面倒をみていたらしいのですが、
その甥が内妻と良い仲になり、駆け落ちした疑いがあるというんですね。
というのも『芭蕉には内妻がいた』という噂がある一方、その甥が、
芭蕉の元から突然、姿を消してしまったという事実があるらしいです。
そこへ更に『内妻とされた女が、後に出家した姿で芭蕉の周辺に戻っていた』
という話などが加わって、駆け落ち説が導き出されるようです。

一般に、芭蕉の句では『奥の細道』に出てくる句が特に有名ですが、
今回の放送では、それ以外にも沢山の秀句があることに気づかされました。
そうした中で、私が最初に衝撃を受けたのが次の句だったんですね。
  櫓の声波を打って 腸凍る 夜や涙
  (ろのこえなみをうって はらわたこほる よやなみだ)


『おいおい一体、何があったの芭蕉さん』と声をかけたくなりますが、
この句からは、芭蕉の嗚咽が聞こえてくるような気がしませんか!?
これは深川移住のすぐ後に作られた俳句のようですが、
彼にこれほどの打撃を与え得るものとして説明が付くのは、
例の内妻駆け落ち説以外にあり得ないように、私には思われたのでした。

まあ、仮に派閥争いに嫌気が差していたのが事実だったにせよ、
深川移住を決断させる直接の要因として、内妻の駆け落ち説は、
最も説得力のある出来事となりうるのではないでしょうか。
因みに、放送では『当時、駆け落ちは死罪に当たるので、
芭蕉としては甥を守るためにも、世間に真相を悟られたくなかった』
というようなことを言っていたと思いますが。

それから、ネット上には芭蕉の全句集も見つかりましたが、
芭蕉句の全体像を知る上で、色々と役に立つと思います。
  芭蕉全句鑑賞
  http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/4128/zennkusakuin.html


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板