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法華経について

1管理者:2002/08/29(木) 17:45

スレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。提案文は以下の通り。

14 名前: いちりん 投稿日: 2002/08/29(木) 12:41

『法華経』について、なんでも語り合うというスレッドを希望します。

279一字三礼:2008/06/11(水) 16:23:22

『無量寿経』は、その成立以後に、『法華経』寿量品の影響を強く受けた経のひとつではないかと思います。

『無量寿経』は、異訳が五本現存するのですが、その訳出年代で内容が異なります。そこで、五本の訳本を大きく二つに分けて初期無量寿経と後期無量寿経と呼びます。

初期無量寿経に属する『無量清浄平等覚経』と『仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(通称『大阿弥陀経』)では、阿弥陀如来の寿命が尽きて般涅槃に入ることが説かれます。そこで、法と極楽世界を、次に成道する観世音菩薩に付嘱、観世音菩薩の次は、勢至菩薩が成道して引き継ぐとされております。

この初期無量寿経を通称で‘無量寿’としておりますが、上記の『無量清浄平等覚経』では、阿弥陀(量ることができない)がかかるのは、寿命ではなく、‘清浄’です。また、『仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』は、Amita-samyaksambodhi-sarva-buddhaを音写したものと考えられますので、阿弥陀は、‘正等覚’にかかります。

つまり、初期無量寿経では、阿弥陀如来は無量の寿命を持っていなかったことになります。

ところが、顕正居士さんがご紹介くださった、『仏説無量寿経』や、『大宝積経』「無量寿如来会」・『大乗無量寿荘厳経』などの後期無量寿経になると、ほとんど無量の寿命を得るにいたるのです。
また、阿弥陀如来の成道後の寿命が延びるだけでなく、法蔵比丘の師である世自在王如来の在世もどんどん過去に遡っていきます。

これは、寿量品の内容に触発されたせいではないか、と考えます。



たまに、‘無料’寿仏という誤変換があると、なんか楽しい気分になります。

280マターリ:2008/06/11(水) 20:35:23
>顕正居士さん、ご教示いただきまして、ありがとうございます。
久遠の仏は、法華経にしか書かれていないと思っていました。しかし、
無量寿経・金光明経にもあり、さらには涅槃経にもあるんですね。

また、金光明経にも、如来寿量品があるとは、驚きです。

「日蓮の謎」(著:百瀬明治)には、「久遠実成の仏」は法華経にしか書か
れていない、とありました。危うく間違った情報を覚えるところでした。

>一字三礼さん、深いご内容で、私が理解するのは難しいのですが、
やはり、法華経・寿量品がいろいろな経典に影響を与えていたんですね。

ところで、ガンダーラは、紀元前185年頃、ギリシャ系のバクトリア王
デメトリウスにより征服されました。そして、ガンダーラで発見された
仏像を見ると、ギリシャ彫刻のような西洋風の顔をしています。

仏像を作る職人のほか、かなり多くのギリシャ人が、ガンダーラの地に
住んでいたと思われます。法華経は、ガンダーラで成立したと言われて
いますが、このギリシャ人たちが、法華経の編纂に影響を与えたという
ことはないのでしょうか?

法華経を熟読すると、宇宙が体感できるそうです。宮沢賢治の「銀河鉄道
の夜」のように・・・。ギリシャ人といえば、ギリシャ神話を思い出しま
すが、ギリシャ神話に登場する神々が、「久遠実成の仏」に影響を及ぼし
たということはないでしょうか?

281一字三礼:2008/06/11(水) 21:41:08

マターリさん

私には、ギリシア人が『法華経』の編纂に影響を与えたように読める箇所は、まだ見当たりません。
マターリさんが『法華経』を読んでいて、気になるところがあれば教えてください。

しかし、『法華経』だけに限定せずに全仏教で考えますと、ギリシアとの交流は深いようです。
「ミリンダ王の問い」(漢訳「那先比丘経」)という書では、ギリシア人の哲人王・ミリンダと、僧ナーガセーナとの間で、哲学VS仏教の論争がなされます。

アフガニスタンから出土したレリーフでは、釈尊の脇侍として、豊穣の女神デーメーテールと英雄神へーラクレースが描かれているものがあります。

仏教で護法神となった、神々の王である帝釈天は、ギリシア神話の主神ゼウスと同じ雷神です。
帝釈天は、戦いの前にソーマという興奮剤を飲むのですが、それを運ぶのはガルダという巨大な鷲です。それと同じように、主神ゼウスにネクタル(神々の酒)を運ぶのは、アイエトスという巨大な鷲です。

それから仏像を見てもギリシアやイランの影響がたくさん見られますね。

282パンナコッタ:2008/06/11(水) 22:56:33
マターリさん、
この時代の流れを、コインを参考に解説されています。
 http://www.page.sannet.ne.jp/to-okamo/guwanmi/hensen1.htm

一字三礼さんご呈示の「ミリンダ王の問い」も解説つきで、把握しやすいHPですよよ。

283顕正居士:2008/06/12(木) 00:27:11
有−空−不空という三時教判がインドですでに成立しました。不空教というのは般若経の後に成立した
たいがいの大乗の経です。しかし天台宗は般若経(三論四論)の空の立場を基本とするので不空を説く
経を全部方等部(一般大乗)に分類する。まだ空の立場にある法華経を最高としますから、不空を説く
のは涅槃経以外は法華部に入れない。「別の五時」が鈍根の声聞の一類のみに対する順序だとしても、
有−不空−空は納得できない。これらの経は声聞を貶め菩薩を称揚する傾向がある(別教 )けれども、
その対立が先にあって般若経で止揚したというのは全く架空の話で歴史的順序は逆ですから。
日本天台は密教を法華部とするから実質は有−空−不空の教判である。日蓮も当然この立場であるが、
一乗と仏寿無量は法華のみに詳説されており、華厳や密教はこれを前提としているに過ぎないという
(盗み入れたと表現する)。これは実は歴史的には正しいのだが、「別の五時」では破綻してしまう。
ここのところが天台教判の最大問題だと思います。

284マターリ:2008/06/12(木) 19:36:49
>一字三礼さん、
>マターリさんが『法華経』を読んでいて、気になるところがあれば教
えてください。

そうですね、宝塔品の宇宙的なダイナミックさから、何となくギリシャ
人の影響を感じます。ギリシャ人は、ギリシャ神話の神々を夜空の星座
に見ていました。宇宙的な思考は、宝塔品に特によく見られますが、
従地湧出品における、地湧の菩薩の出現風景にも見られると思います。
私個人の考えに過ぎませんが・・・。

また、法華経の編纂者たちは、カースト制度の最下層の人々で、熱狂的
な仏教徒であった、という説があります。ギリシャ人もカースト制度の
最下層で抑圧されていました。また、ギリシャ風の仏像を作って熱心に
拝んでいたそうです。

ガンダーラの仏像を見ると、精密な表現とともに、ギリシャ人の仏教に
対する、信仰の深さを感じ取れます。ギリシャ人が仏像を作るまで、
仏像は一体も作られていなかったのですから、偶像崇拝を禁ずる、伝統
仏教の僧から見れば、とんでもない事だったに違いありません。

大乗仏教の興隆と仏像の製作は、見事に連動していますので、法華経に
限らず、ギリシャ人が、大乗仏教に与えた影響は、かなり大きいと思い
ます。

>パンナコッタさん、HPを拝見しました。ギリシャ文明とインド文明の
出会いは、アレキサンダー大王によって、もたらされたのですね。

285一字三礼:2008/06/13(金) 19:48:29

顕正居士さん

〉一乗と仏寿無量は法華のみに詳説されており、華厳や密教はこれを前提としているに過ぎないという(盗み入れたと表現する)。これは実は歴史的には正しいのだが、「別の五時」では破綻してしまう。

「有−空−不空」の順は、教学史としては確かに正しいのですが、純粋に大乗思想の観点から見ますと、「不空」教学の『勝鬘経』や『解深密経』などは、新しい大乗のアビダルマを構築し始めると同時に、‘如来蔵’や‘アーラヤ識’など‘法’に実体のようなものを求め始めたことからバラモン・ヒンドゥー教学の影響をも受け始めた段階と捉えることは可能でしょうか。

「不空」という中期大乗仏典は、『八千頌般若経』や『法華経』などの最初期大乗経の持つ、純粋な仏教的教説を失い始めた時期なのではないか、と思うのです。
そういった意味で、「不空」教学は仏教学的に‘後退’である、とみれば「別の五時」の方が、私としては納得のいく現代的な教判ではないかと思います。

286一字三礼:2008/06/13(金) 20:07:16

マターリさん

う〜ん、難しいですね。これこれの時代のこの地域のギリシア人の影響とか、ギリシア神話のどの話の影響、など、もう少し具体的に記していただけませんでしょうか。

「地面から湧き出す」という場面をギリシア神話から考えた場合、

・ハデスのペルセポネ強奪(これはハデス一人ですが)
・英雄の祖カドモスが戦わなければならなかった「スパルトイ」(撒かれた者たち)
・アルゴナウタイのイアソンが戦った残りの「スパルトイ」
・パレーネーの野から現われた「ギガントマキアー」

上記はいずれもダイモーン(‘死’そのもの・死に属する神々)であり、地涌菩薩のような聖者集団と比較することはできません。

〉法華経の編纂者たちは、カースト制度の最下層の人々で、熱狂的な仏教徒であった、という説があります。

これは渡辺照宏氏の説ですか。

287顕正居士:2008/06/13(金) 21:46:22
一字三礼さん。

般若経典とこの思想を理論化した龍樹の空性の説が大乗仏教の基礎になっており、末期インド仏教を
移植・冷凍したようなチベット仏教でもゲルク派は帰謬論証派が顕教の最高の立場であるとします。
しかし中観派の主張は「いかなる命題も定立できない」(自立派)、「いかなる命題も定立できない
という命題も定立できない」(帰謬派)でありますから、絶対的不可知論であり、この立場からは
建設的な教義や修法が何も導けません。それで無着・世親により「龍樹の密意」としての唯識の学が
起こり、大乗仏教は中観派と瑜伽行派に分かれますが、最終的には瑜伽行中観派として統合されます。
すなわち勝義諦においてはいかなる主張も成り立たないが、世俗諦においてはさまざまな主張が可能
とする二諦説です。イブン・ルシドの二重真理説みたいなものですね。聖典によると宇宙に始まりが
あるが、アリストテレスによると宇宙に始まりはない。ゆえにどちらも真理という。

クマーリラの二諦説批判
http://blogs.dion.ne.jp/sanskrit/archives/5377288.html

288顕正居士:2008/06/13(金) 22:02:19
インド教(ヒンドゥー教)のヴァルナ・ジャーティ制度の中に異教徒、異民族は位置を持てません。
したがって仏教徒やギリシャ人はアウトカーストです。もしインド教に改宗した場合は最下位の
スードラの身分になります。これは現代でもまったく同じです。

289マターリ:2008/06/14(土) 07:54:44
>一字三礼さん、顕正居士さん、ご教示いただきまして、ありがとう
ございます。

>一字三礼さん、
>う〜ん、難しいですね。これこれの時代のこの地域のギリシア人の影響
とか、ギリシア神話のどの話の影響、など、もう少し具体的に記していた
だけませんでしょうか。

すみません。この事に関しては、文献学的な根拠は全くありません。ただ、
私の想像で書かせていただいただけです。法華経を物語として読んでの、
感想ということでお許しください。

>〉法華経の編纂者たちは、カースト制度の最下層の人々で、熱狂的な
仏教徒であった、という説があります。これは渡辺照宏氏の説ですか。

図書館から何冊かの、法華経解説書を借りてきて読みました。その中に、
この言葉がありました。既に返してしまったので、誰の言葉だったか
覚えていません。小さな文庫本だったのですが、最近探してみても
見つかりませんでした。

何人かの仏教研究者の発言が載っていましたが、法華経に対してあまり
良い評価が書いてありませんでした。法華経は、「狂信者」のグループが
編纂した、と書いている人もいました。

ベトナム戦争当時、南ベトナムの僧侶が、よく焼身自殺をしましたが、
法華経の「捨身供養」という思想の影響だろう、という説も載っていま
した。

>顕正居士さん、ギリシャ人がアウトカーストということは知っていま
したが、仏教徒もそうだったんですね。その観点で、仏教の歴史を見直
さなくては、と感じました。

密教がすたれると、仏教はヒンドゥー教に飲み込まれてしまいましたが、
仏教徒がアウトカーストだった、という原因もあるかも知れませんね。

290顕正居士:2008/06/14(土) 18:32:54
2CHの過去ログにこんな投稿がありました。19世紀の話ですが。外国人(異教徒)は
皆アウトカースト。不可触民といって触れると自分もアウトカーストになるらしい。

805 :世界@名無史さん:2007/04/20(金) 15:28:48 0
>>803
シーター・ラームっていうバラモン村出身の東インド会社兵の自伝を以前読んだけど
その人はイギリス人将校や兵士の勇敢さなどは素直に尊敬してたよ。
一緒に食事をとったりすると身が穢れてしまうのでそういうのはかなり嫌がってたが。

戦争中に遊牧民から飲み水をもらったりムスリムの捕虜になったりするたびに
一時的にアウトカーストになってしまい、そのつど僧侶に大金を払って清めの儀式を行ない
カーストに復帰しなければならないようだった。
あと盗賊にさらわれてアラブ人の情婦にされていたラージプートの女性を助けて
後に結婚しているが、その女性も金を払って儀式をすれば元のカーストに戻れたらしい。

2CH 世界史板 過去ログ「インドのカースト制」

291一字三礼:2008/06/14(土) 20:51:49

現代では、外国人(アウト・カースト)との接触は、自由な風潮があるのかもしれません。

私の知人の話ですが、ロンドン在住でロンドン大学の研究所にいる50代のバラモンがおります。

私がロンドンに行った時、彼の家に数日泊めてもらい、彼の親族一同とも食事をしました。しかし、私と彼の親族とで食事をする時、とくに嫌がっているように見える人はいませんでした。

バラモンであっても、外国で生活を続けるための必然で「アウト・カーストとの接触の不可」を無視せざるを得なくなったのでしょうね。

毎年「ディーワーリー」には、必ずカードが送られてきます。

292一字三礼:2008/06/14(土) 21:33:08

顕正居士さん

最初の『八千頌般若経』にみる空性説は、ダルマを実体視する部派教学(たとえば有部の五位七十五法)などに対するアンチテーゼだったように思うのです。

ところが、龍樹の「中論」では、正理論派などバラモン諸派哲学との法論の意を加えて、「二諦論」として展開していきます。

しかし、ご指摘のように「二諦論」は、相手の論法に対して、勝義と世俗を使い分ければ、‘どうとでも言える’理論になってしまう。

そこで、唯識学が、‘空性をふまえたアビダルマ哲学’として、発生した。そういった意味で、中期大乗仏教の理論とは、一種の先祖返りをしたものではないか、と思うのです。

瑜伽行中観派になると、理論面の緻密さと反比例し、実修面では著しく密教化していきますね。

293顕正居士:2008/06/15(日) 03:21:32
近代教育を受けた人がマヌの法典を信じていることはないと思います。しかしインド社会の大勢は
変わっていないので、それらの方々も結婚などにはきわめて保守的なようです。ところで公式用語
として「指定カースト」と「指定部族」というのがあります。

インドのカースト制度とダリット
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-62.htm
インドの州別 指定部族人口比率
http://indokeizai.com/local/pop/scheduled-tri.html

「指定カースト」はインド教文化圏のアウトカースト、「指定部族」は異教徒、先住民でしょうか。
合計してインド共和国人口の2割に近い。議会の議席、学校の成績発表、公務員の採用すべにおいて
カースト別にし、指定カースト、指定部族を保護しているのですが、かえってカースト制度を固定
しているという批判があります。南アフリカ諸国にあったアパルトハイトを数千年続けたらインド
になるようなもの。今後アウトカーストの自覚が高まればそれはそれで大変なことになりそうです。

294犀角独歩:2008/06/15(日) 08:05:19

忙しくロムのみとさせていただいていました。
ようやく休みになりましたので、いくつか質問をさせてください。


☆一字三礼さん

1)「阿含経及びニカーヤで説かれる原始法身仏の発展」(277)ということですが、こうした法(ダルマ)そのものを仏身と見なす起源はどこにあるとお考えですか。

2)わたしは、無量寿、寿量ともに仏が果報として得た長い寿命を指すのだと考えていました。しかし、279の分析を拝見すると、どうもこの考えは早計であったとわかりました。つまり、法華経では寿命の長さ、初期の阿弥陀経ではそうではなく、後期になってようやく寿命の長さになったということなのですね。

経典の成立順というより、解釈の変遷として考えるとき、法華経の原形、阿弥陀経の原形がまずあり、どこかでの段階で法華経の長寿が久遠の仏、後期阿弥陀経の無量寿仏として形成されていったという時系列となりますか。


☆顕正居士さん

「不空」ですが、たとえば三諦では但空から、中道、さらに三即一といったことがいわれますが、不空と中道は、どのような相違があるのでしょうか。

295顕正居士:2008/06/15(日) 10:03:24
犀角独歩さん。

不空というのは、空の教は世俗の我(実体観)を破るための仮の教である、不空が仏陀の真説であるという
立場です。不空を説く経の一つに「大法鼓経」があります。下記の引用でおおよその立場がうかがえます。
なお日蓮も同様の説明をします(十章抄、報恩抄他)。不空の立場では不空が中道です。

大法鼓経 Mahabheisutra http://suzuki.ypu.jp/MBhS-j.html

三諦は中論観四諦品の三諦偈から初祖慧文が一心三観を会得したと伝え、天台教学の骨格になっています。

「因縁所生の法を、我即ち是空なりと説く、亦是を仮名と為す、亦是中道の義なり」

諸々の縁起によって生じる現象は、その実体は無いのであるが、仮にこれに概念を与え仏陀は教を説かれた。
それが中道ということである。つまり真諦・俗諦の二諦のことであり、二諦そのことが中道だというのです。
それが天台では三諦になるのはおかしい、誤読であるという意見があります。しかし隔歴の三諦は別教の
三諦であり、円教は円融の三諦だとするので、微妙な感じです。隔歴の三諦の中諦をいわゆる不空と考えた
とすると、円融の三諦はややこしく三諦偈の原意に近い気もします。日本天台の隔歴的中道とは異なります。

296マターリ:2008/06/15(日) 14:39:56
顕正居士さんがおっしゃった、「仏教徒もアウトカーストで、インド教に
改宗した場合は最下位のスードラの身分になります。」ということについ
て考えていました。

法華経をはじめ大乗仏教は、信仰することによる、大きな功徳を説いてい
ると思います。しかし皮肉なことに、実際のインドの歴史をみると、密教
を最後に、仏教は完全に消滅し、ヒンドゥー教に改宗した仏教徒は、スー
ドラという最下層の身分となってしまいました。

スードラの身分が悪い、ということではありません。最下層の身分なりの
幸せもあるでしょう。しかし、大乗仏教で説いている「功徳」とは、いささ
か矛盾を生じると思います。

大乗仏教経典と、実際の歴史的事実の矛盾について、どのように考えれば
良いのでしょうか?ご賢察のほど、宜しくお願いします。

ウィキペディア「密教」より引用↓

インド仏教の密教化はヒンドゥー教の隆盛とインド仏教の衰退を変えられ
なかった。やがて、西アジアからのイスラム勢力のインド北部から侵攻し
てきたイスラム教徒政権(デリー・スルタン朝)とインド南部のヒンドゥ
ー教徒政権との政治・外交上の挟撃に遭う。イスラム教徒から偶像崇拝や
呪術要素を徹底攻撃されて、インドの密教は最後の段階のインド仏教とし
て歴史的に消滅に追い込まれる。

297顕正居士:2008/06/15(日) 17:30:19
インド仏教滅亡の理由についてはこの本をおすすめします。

「インド仏教はなぜ亡んだか」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0820.html

イスラーム文献「チャチュ・ナーマ」を史料とし、滅亡の理由を端的に回答した本です。
「チャチュ・ナーマ」という一史料中心なので、その点が読み物としてちょっと物足らないですが。

要するに仏教はアンチカーストを中心とする抗ヒンドゥー要素にインド社会での役割があったのであり、
宗教のなかみは甚だ異なるけれども抗ヒンドゥーとしてより強力なイスラームに積極的に改宗あるいは
抵抗少なく吸収されたという説です。実際、今日パキスタンなど今はイスラームである地域に昔は仏教
が栄えていました。仏教といえどもインドの宗教ですからイスラームに対すればヒンドゥー社会により
親縁を抱く要素はあったはずですが、改宗者はスードラの身分にしかなれないという制約がありました。
やがてインドはムガル(モンゴル)人の王朝が支配します(1526-1858)。この王家はムスリムでした
から改宗者の子孫はアショカ王、カニシカ王、戒日王の時代のように信仰上は幸せだったとおもいます。

298マターリ:2008/06/15(日) 18:50:53
>顕正居士さん、HPを興味深く拝見しました。インドの仏教徒は、一部
の人々だけが、密教を信じていただけなのですね。また多くの仏教徒が、
イスラム教に改宗したとのことで、驚きました。大乗仏教の寛容さが、
他宗教への改宗を可能にしたようですね。

改宗者の子孫が、ムガール帝国時代以降、一応の信仰上の幸せを得ら
れたとのことで、心のつかえが取れました。

299犀角独歩:2008/06/15(日) 19:00:19

顕正居士さん

ふと気が付くと「不空」ということをスポイルして考えてきた自分がありました。その理由はたぶん「不空三蔵」との連想から知らない間に忌避していたからかも知れません。

有から空。この空は有に対する無ではなく、不空もまた、それ以前の有とまた違う変遷があるのだろうと思えました。

また、こうした解釈を考えるうえで、三諦に引っ張られる当たり、自分史がそこにあるとも感じました。

300一字三礼:2008/06/16(月) 21:45:44

犀角独歩さん

〉無量寿、寿量ともに仏が果報として得た長い寿命を指すのだと考えていました。

仰るとおり、後代の教学では『仏説無量寿経』の如来を‘報身仏’(saṃbhoga-kāya)として考えます。
ところが、先に記しましたように、この経典の古訳では、阿弥陀如来は長寿ではありません。

この『仏説無量寿経』の中心的主張は、明確です。

本願を誓う以前、最初に法蔵比丘は、世自在王如来に諸仏如来の仏国土の勝れた特徴について、詳しく説いてくれるように頼みます。世自在王如来は、最初「そんなの自分で調べれば?」と無碍に断りますが、結局詳しく教えました。

その教わった全ての仏国土の情報を基に、最も優れた仏国土を建設することを考えたのです。つまり、法蔵比丘の本願の中心は、第十八願などではなく、極楽浄土建設でした。

その本願力によって完成した、もっとも勝れた浄土なので、極楽浄土は、阿弥陀如来が般涅槃した後にも、他の如来たちに受け継がれるという金剛不壊という特質を持ったのでしょう。

ここから『仏説無量寿経』の趣旨は、法蔵比丘が偉大な本願を立て、そのための長い修行をした結果、極楽浄土という最も勝れた仏国土を建設したということに力点が置かれているのです。

これは‘報身’ならぬ‘報土’思想と呼ぶべきでしょう。

ちなみに、『仏説無量寿経』という経題は、中国での命名で、梵名は『Sukhāvatī-vyūha』(極楽の荘厳)です。

301犀角独歩:2008/06/16(月) 23:33:03

一字三礼さん

有り難うございます。参考になりました。

もう一点、よろしいでしょうか。
結局のところ、『法華経』は、いつ、どこで、だれが、何のために製作したとお考えですか。

302一字三礼:2008/06/17(火) 08:40:29

犀角独歩さん

〉『法華経』は、いつ、どこで、だれが、何のために製作したとお考えですか。

このご設問の前提認識について質問させてください。

①『法華経』は、二十七品(二十八品)が同時に製作されたものとお考えですか。

②『法華経』の各品が製作された土地は一ヵ所であり、かつ、編纂された場所も同じだとお考えですか。

③『法華経』二十七品は、一時代の一人の人間が製作したものとお考えですか。もしくは、一時代の1グループの製作したものとお考えですか。

④『法華経』二十七品全体は、一時代の一人の人間、もしくは1グループの製作意図で貫かれているとのお考えでしょうか。

質問で返す形になって申し訳ありませんが、ここが犀角独歩さんのご設問にかかわる大事なところだと思います。

303犀角独歩:2008/06/17(火) 21:51:44

一字三礼さん

安直な質問の仕方でした。
失礼しました。

> ①『法華経』は、二十七品(二十八品)が同時に製作されたものとお考えですか。

考えません。
御説のとおり、方便品からだろうと。それも偈が先行し、散文があとかと。


> ②『法華経』の各品が製作された土地は一ヵ所であり、かつ、編纂された場所も同じだとお考えですか。

考えません。
バーミヤンの近くといった話に興味が惹かれますが、原法華経といわれる部分も増広も、どこで製作され、編纂されたか、場所は1カ所である、同一箇所でないだろうと。ただし、憶測の域を出ません。

③『法華経』二十七品は、一時代の一人の人間が製作したものとお考えですか。もしくは、一時代の1グループの製作したものとお考えですか。

考えません。
西暦前100年から150年という時間経過があってもおかしくなく、特に護持グループが単一であるとも考えがたいように思えます。理由は、特に法華経を継承したようなグループが特定されていないからです。

④『法華経』二十七品全体は、一時代の一人の人間、もしくは1グループの製作意図で貫かれているとのお考えでしょうか。

考えません。
内容的には、集成、悪い言葉で言えば寄せ集めといった印象を懐きます。一貫性を欠くように思えます。内容がそうであれば、一人の人間…一人の人間であれば一時代となります…が製作した可能性はなく、編纂であっても、さて、どうかという思いがあります。

以上の如くです。故に「いつ・どこで・だれが」とは、原法華経の偈、また、その増広の散文、さらに他のそれぞれの章の偈、散文がまでは製作として、その後の編纂はまた、同じように「いつ・どこで・だれが」といった具合に、どこまで、予想がつくのか、一字三礼さんのお考えをお聞きしたいという意味でした。

304一字三礼:2008/06/18(水) 23:14:23

犀角独歩さん

考古学的な資料を基にして、原法華経の製作年代、製作地等を探る作業は、『法華経』の成立史を考察した諸師、例えばケルン、宇井伯寿、和辻哲郎、布施浩岳、中村元等がそれぞれに独自の見解を示しております。
しかし、どの説も、誰もが納得できるだけの説得力を持ってはおりません。

その理由は、諸師の提示する考古学的な資料や歴史的な出来事と、『法華経』との関連性が明確に証明できず、漠然としているからではないか、と考えます。

例えとして中村元説を要約して考えてみます。

中村師は、原法華経の製作年代の上限を紀元37年以後と設定しました。
その理由として、「譬喩品」の長者窮子喩に現われる長者が、‘利息を取る商売をしている大富豪であり、国王やバラモンを駆使せしめるほどの財力を持っていた’ことを挙げています。そして、その状況に合致する時代として、インドで貨幣経済が急速に発達したウェーマ・カドフィセーズの時代と考えました。

しかし、この理由だけでは何も証明されません。

インドではヴェーダ時代から貨幣の使用が盛んに行われていた、とする説があり、この説には相当の根拠があります。また、紀元前6世紀頃、つまりマガダ王国が栄えたころの打印貨幣と、インダス文明の度量衡単位とのあいだに密接な関係があったことも明らかにされております。
原始仏典の中にも「たとえシュードラであっても、財宝・米穀・金銀に富んでいるならば、クシャトリヤでもバラモンでもヴァイシヤでも、彼より先に起き、後に寝て、進んで彼の用事をつとめ、彼の気に入ることを行ない、彼に対して好ましい言葉をかけるであろう。」と述べられています。

ここから考えれば、インドの貨幣経済は、ヴェーダ時代にはすでに始まっており、釈尊の時代には盛んになっていて、どのような身分の者であれ大富豪であれば、バラモンやクシャトリヤを使役できた、ということがわかります。

そうしますと、「譬喩品」に登場する大富豪像から、その時代を確定することなど不可能ではないかと考えます。
また、「譬喩品」の長者窮子喩から製作年代の上限を確定できるのであれば、長者窮子喩が『法華経』の最古層であることを証明しなければなりません。しかし、中村師はそこに言及していません。

私は、極めて少ないインドの考古学的資料・歴史的資料から、『法華経』の製作年代等を探るのは不可能だと思います。
結局は、『法華経』に深く入って探りだすしかないのではないか、と考えます。

例えば、『法華経』の最古層で使われている仏教用語が、どの部派の用語・用法と関連があるか、などを丹念に調べることは、原法華経の製作地と製作集団にせまることが可能な作業ではないか、と考えます。

現在進行している作業がありますので、「原法華経について」は、公開の掲示板で述べることは差し障りがあるそうです。申し訳ありませんが、この話はここまでとさせてください。

305マターリ:2008/06/19(木) 19:50:16
>一字三礼さん、法華経を、確実な資料から判断しよう、という真摯な
御姿勢は理解できます。

しかし、法華経に関する資料不足から、「何もわかりません」ということ
では、話の接ぎ穂に困ります。

また、法華経の仏教用語が、どの部派の用語・用法と関連するか、など
は、私たち、仏教アマチュアの能力を、はるかに超えています。一生か
かっても終わらないかも知れません。

現時点で、一字三礼さんのお考えになっている、法華経に関する見解を
途中経過でも結構ですので、お話いただけませんか?
根拠とする資料が無くても、単なる想像でも結構ですので・・・。

306天蓋真鏡:2008/06/25(水) 17:30:13
白法隠没〜大白法→ 白い蓮の花が散っては又、白い蓮の花を咲かせる事が発想の着眼点かは 調べ様が無いかな

307顕正居士:2008/06/25(水) 18:11:34
法華経の成立と製作の意図

1 成立時期は初期の般若経典が出来たあと。大経(無量寿経)より前。だから西暦前50-西暦後150の
通説でよい。理由は方便品に諸法の体が空であるという思想がある。大経は寿量品の影響下に出来たと
考えるのが自然。
2 成立はいっぺんでなく3グループ順次成立。理由は什訳では属累品が真ん中にある。涌出品以降は
構想に変化がある。
3 成立地域は写本が出土している北インド。今のインド共和国の北部のことではない。
4 製作者は部派教団の比丘。部派名はわからないが、北インドの部派。理由はアーガマに精通している。
5 製作意図は第一グループは四車家のいう一乗。声聞は実際には涅槃せず菩薩乗に廻心するという思想。
だから三乗のどれを志向しても構わないとする。
第二グループは報身仏。化身仏は涅槃しても報身仏は常在霊鷲山。つまり娑婆世界も報土である。
両製作意図は永遠の菩薩道で統一される。第三グループは具体的に永遠の菩薩を示す。

つまり製作者については最近の説が納得でき、その他は標準的な説がもっともであると考えます。

308顕正居士:2008/06/26(木) 11:53:49
ところで一乗の思想と報身仏の思想は一個の事柄の二面であると思われます。

阿羅漢は実際には涅槃しない。一乗に廻心する。
「千二百ノ羅漢 悉ク亦當ニ作佛スベシ」(方便品)

廻心するといっても捨小取大ではない。三乗に優劣は全くない。
「三乘入住優劣五。最澄問フテ曰ク。三乘ノ人、同ジク初住ニ入ルノ時、優劣有リヤ否ヤ。
座主答ヘテ曰ク、疏ノ中ニ自ラ云フ別無キ也ト」(天台宗未決)

実には涅槃しないといっても阿羅漢がまた三界に生じることはない。以後は意生身である。
菩薩のManomayakāyaとはつまり仏の報身Sambhogakāyaに相当する。意生身の菩薩を認める
ならば当然報身仏の存在も要請されます。

309一字三礼:2008/06/26(木) 22:59:15

〉実には涅槃しないといっても阿羅漢がまた三界に生じることはない。以後は意生身である。

「方便品」、「授記品」等の記述からみますと、授記を得た阿羅漢の声聞たちは、菩薩のように幾度も三界に生じるように読めませんでしょうか。

声聞たちの成道を詳細する個所では、釈迦仏の八相をモデルとして記述しているので、菩薩として幾度も三界に生まれて仏に仕え、慈悲行を行なう、と考えるのが妥当だと思います。

「仏王子たらん時 国を棄て世の栄を捨てて 最末後の身に於て 出家して仏道を成ぜん 華光仏世に住する 寿十二小劫 其の国の人民衆は 寿命八小劫ならん」(舎利弗)
「最後身に於て 仏に成為ることを得ん」(迦葉)
「菩薩の道を具して最後身に於て仏に成為ることを得ん」(修菩提)
「其の最後身に 仏の智慧を得 等正覚を成じ 国土清浄にして」(摩訶迦旃延)


『維摩経』では、維摩居士が一切皆空を論拠として一生補処である弥勒菩薩を叱りますが、『法華経』での声聞授記は、大乗の‘空’に論拠を求めず、阿羅漢の四向四果という原則そのものを無視する、もしくは方便とする形でなされているのではないでしょうか。

310顕正居士:2008/06/27(金) 03:05:29
一字三礼さん。

「共の十地」と呼ばれる基礎的な十地では第七地が阿羅漢果に相当します。

華厳の階位説 ─ 十地の思想 ─
http://homepage3.nifty.com/huayan/doctrine/jiewei.htm

対して大乗諸経に説かれる各種の行位はすべて界外の菩薩のものとされる。
「三明別教者。此約界外獨菩薩法。…既是界外菩薩行位。隨機利益豈得定説」

天台八教大意
http://www.cbeta.org/result/normal/T46/1930_001.htm

阿羅漢はすでに三界に生ずる原因をすべて断じていますから、自動的に一乗に廻心し、
以後は界外の菩薩として意生すると考えられます。なぜなら阿羅漢は見思の惑を
断じておりますが、三界の外の惑、いわゆる不染汚無知を断じていませんから。
菩薩の最後身が同居土の凡夫に感見可能なのは実身(報身)でなく化身であるから
と思います。

311顕正居士:2008/06/27(金) 04:18:27
変易身(意生身)についての佛光大辞典の記事です。

変易生死
http://baike.baidu.com/view/560122.html

「蓋し阿羅漢、辟支佛と及び大力の菩薩は已に四住地の煩悩惑障を断じ尽し、
復た再び生を受くるに三界内の分段身と為らず、故に生を受くるに三界外の変易身と為る、
然して彼等又此の変易身を以て三界の中に回入し、長時に菩薩行を修し、
以て無上菩提を達せんと期す」

314マターリ:2008/08/03(日) 16:13:11
法華経を勉強した後、御書に法華経の事がどのように書いてあるか、
調べてみました。ところが意外に、法華経の事について、多くは書いて
いないようでした。最も字数の多い物は、法華経題目抄のようでした。

ところで、波木井三郎殿御返事や呵責謗法滅罪抄を見ると、日蓮は常軽
菩薩に似ていると書いています。日蓮も常軽菩薩も、長い間、悪口雑言
をされたという共通点があるから、という説明です。

しかし法華経常不軽菩薩品第二十を見ると、常不軽菩薩の本質は、別の
所にあるように考えられます。

常不軽菩薩は、誰に対しても礼拝します。人から、ののしられ、悪口雑言
されても、けっして怒らず、「あなたがたは仏になるのです」と礼拝しまし
た。「わたくしは、あなたがたを深く敬います。あなたがたを決して軽ん
じず、あなどることを致しません。あなたがたは皆、菩薩道を行じて仏に
なるのですから」と言います。

つまり、常不軽菩薩の本質は、悪口雑言されること、そのものではなく、
何度、悪口雑言されても、人を敬い礼拝を続けたことにあるのではない
でしょうか?。

日蓮は、呵責謗法滅罪抄で、「良観は日蓮を訴えたことにより、無限地獄
に落ちる」と書いてあります。

しかし法華経常不軽菩薩品第二十の教えから忠実に答えを導き出すと、
「良観は日蓮を訴えたが、菩薩道を行じて仏になる」ということに、
なるような気がします。

日蓮も人の子ですから、良観に訴えられて感情的になり、この抄を書いた
と思われます。犀角独歩さんによると、日蓮は涅槃経的に法華経を解釈し
た、とのことでしたが、この波木井三郎殿御返事や呵責謗法滅罪抄をみる
と、法華経の経文を忠実に捉えていなかったか、あるいは、一部を故意に
無視したとも考えられるのですが、いかがでしょうか?

常不軽菩薩について、日蓮の他の述作を存じませんので、ご教示のほど
宜しくお願いします。

315パンナコッタ:2008/08/03(日) 20:48:00
所謂、逆縁・毒鼓の縁のことですね。
各々詳細な事については諸賢のご指摘があると思いますので、自分からは大ざっぱな外殻のみを。
波木井三郎殿御返事は、日興写本の南部六郎三郎殿御返事の事ですね。また呵責謗法滅罪抄は
真偽未決の録外ですので、真蹟からの引用で順を追って見てみましょう。

 「不軽菩薩の悪口罵詈せられ、杖木瓦礫をかほるも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆへかとみへて
  其罪畢已 と説かれて候は、不軽菩薩の難に値ふゆへに、過去の罪の滅するかとみへはんべり」
 「過去の不軽菩薩・覚徳比丘なんどこそ、身にあたりて読みまいらせて候けるとみへはんべれ」        転重軽受法門 文永八年十月五日
 「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は未来は不軽品為るべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為るべし」 寺泊御書 文永八年 十月二十二日
佐渡への護送中、蓮祖は不軽に自身を投影させ、其罪畢已から難に逢う意味を見いだしていますね。そしてその後、

 「末法に於ては大・小・権・実・顕・密共に教のみ有りて得道無し。一閻浮提皆謗法と為り了んぬ。逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限るのみ。
  例せば不軽品の如し。我が門弟は順縁、日本国は逆縁なり」                   法華取要抄 文永十一年
 「今は既に末法に入りて在世の結縁の者は漸々に衰微して、権実の二機皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり」 曾屋入道殿許御書 文永十二年三月十日
と、逆縁で在る事を示しています。

また不軽菩薩の話では、増上慢の四衆は謗法の罪により千劫の間地獄に堕ちたが不軽の逆縁により成仏が決定し
過去の不軽が今の釈尊であり増上慢の四衆は今の列衆の四衆であるという概念の元での、良観に対する蓮祖の口撃
であったと思われます。(それでも実際は、かなり感情的になっていたようですが)
 「仏は法華経謗法の者を治し給はず、在世には無きゆへに。末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此れなり。各々我が弟子等はげませ給へ」 諫暁八幡抄 弘安三年 十二月
そして、こんな認識に至ったようですね。

316マターリ:2008/08/03(日) 21:26:46
>パンナコッタさん、いろいろな文を引用していただき、ありがとう
ございました。

順縁・逆縁のこととは、思い浮かびませんでした。

>また不軽菩薩の話では、増上慢の四衆は謗法の罪により千劫の間地獄に
堕ちたが不軽の逆縁により成仏が決定し過去の不軽が今の釈尊であり増上
慢の四衆は今の列衆の四衆

法華経常不軽菩薩品第二十を何度か読んでみましたが、その部分は覚えて
いませんでした。もう一度、見直してみます。

317パンナコッタ:2008/08/04(月) 13:30:33
マターリさん、

得大勢 彼時四衆比丘比丘尼優婆塞優婆夷 以瞋恚意輕賤我故 二百億劫常不値佛不聞法不見僧 
千劫於阿鼻地獄受大苦惱 畢是罪已 復遇常不輕菩薩教化阿耨多羅三藐三菩提 得大勢 
於汝意云何 爾時四衆常輕是菩薩者 豈異人乎 今此會中跋陀婆羅等五百菩薩 師子月等五百比丘尼 
思佛等五百優婆塞 皆於阿耨多羅三藐三菩提不退轉者是 
 を、"大ざっぱ"に読み下したので、そこは御容赦。

318パンナコッタ:2008/08/04(月) 13:32:16
また、独歩さんの涅槃経的解釈というのは、"日蓮の折伏観"の事についてだと思います。 
で、あるとするなら大変ややこしくなってしまいますので、掻い摘んで前提を。
 ①涅槃経の覚徳・有徳・仙予
 ②天台の摩訶止観 「大経の刀杖を執持し、乃至首を斬るは是れ折の義なり」
そして日蓮の引用。 
 安国論の仙予の故事(ここではそれを踏まえて布施を止めろとの意)
 開目抄の「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす。常不軽品のごとし」 
 本尊抄の「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成りて愚王を誡責し、
  摂受を行ずる時は僧と成りて正法を弘持す」
と、いう流れに於いて、"日蓮は折伏という語彙を涅槃経から解釈した"
という事を、独歩さんは述べたのだと思うのですが、如何でしょうか。

ちなみに過去此処の部分で、色々と争点となったのは 
"不軽の行為がなぜ折の義なのか" とか
"常不軽品のごとしを本当に日蓮が書いたか" 等々
とても書き尽くせませんので、これは過去スレをご覧下さい。

319マターリ:2008/08/04(月) 18:55:57
>パンナコッタさん、レスありがとうございます。珍しいHNでいらっしゃ
ると思っていましたが、イタリア料理の本を見ているとき、偶然見つけま
した。イタリアのお菓子の名前だったんですね。

法華経の引用ありがとうございます。また、"日蓮の折伏観"を要約してい
ただき、頭の中が整理できました。

"不軽の行為がなぜ折の義なのか"とか、"常不軽品のごとしを本当に日蓮が
書いたか"については、過去スレで見たような気がしていましたが、法華経
スレだったんですね。もう一度、拝見してみます。

ところで、法華経をみると、常不軽菩薩の特性は、三つあると思います。

1.人から悪口雑言される
2.悪口雑言されても怒らない
3.逆に、悪口雑言した人を敬い、しかもその人を礼拝する

蓮祖は、常不軽菩薩について、1については書いていますが、2と3について
は何も書いていないようです。法華経を最勝最高と称えた蓮祖が、どうして
常不軽菩薩の2つの重要な特性に言及しなかったのか、この理由をお聞きし
たいと思います。

320犀角独歩:2008/08/05(火) 00:16:53

318 パンナコッタさん

解説、有り難うございます。概ね、仰るとおりです。
本来、法華経には摂受・折伏といった成句も、概念もないのに、「法華涅槃時」の括りのなかで『涅槃経』説の摂折論をもって『法華経』を捌く天台の在り方は如何なものか。また、こうした点を日蓮は前提にするために、かえって『法華経』の原意から、日蓮の解釈は外れてしまっていないかという点を指摘しました。

321天蓋真鏡:2008/08/05(火) 10:40:42
天台は方法論を説き、 日蓮は其儘利用した?

322犀角独歩:2008/08/05(火) 10:57:35

マターリさんが、319に整理された常不軽菩薩の特徴は、実は『法華経』に登場する菩薩の特徴ですね。(地涌菩薩が迫害をされると言った記述はないので、この部分で特例)

ところが、面白いことに、「法華経を自分は、誰よりも深くわかった、理解している」という大方の当の本人たちは、まるでこうした菩薩達とは異なります。法華経を理解していないと人を平気で蔑みますし、法華経を信仰しない人の人格を貶して恥じることもありません。口汚く感情的で人身攻撃に余念があります。そうした例は、こちらの掲示板でいくらでも指摘できるでしょう。

こうした法華経菩薩達とまったく異なった言辞と行動を、なぜ、法華経信仰者がなすのか、それはもちろん、不軽菩薩物語のとらえ方、ひいては解釈に問題があるのではないですか。では、どのようなとらえ方かと言えば、「折伏的な」ということではないですか。わたしは摂折で法華経を解釈すれば、徹底的に「摂受的な」経典であると思います。それは、まさにマターリさんが 1.人から悪口雑言される 2.悪口雑言されても怒らない 3.逆に、悪口雑言した人を敬い、しかもその人を礼拝する と整理して有様が摂受と映じるからにほかなりません。この三つの整理のなかには相手を「折り伏す」という高圧的、かつ強制的なところは片鱗もありません。

323パンナコッタ:2008/08/05(火) 13:56:14
マターリさん
添品法華の闍那崛多を捩ったら、お菓子の名前になってしまいました。
議論が紛糾した摂折スレに即して、いくつかあったと思います。(大変膨大ですが)

但行礼拝の不軽と蓮祖の相違ですが、これは個人的な資質が大のような気がしますね。
手がかりになりそうな文献を拾ってみると、災難興起由来・安国論そして太田抄記載の
『涅槃経に云く 若し善比丘ありて法を壊る者を見て、置きて呵責し駆遣し挙処せずんば、当に知るべし、
 是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駆遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子真の声聞なり』
この思想が蓮祖の根底にあったからではないか、と推察されます。
だからと云って、年中怒鳴り散らしている蓮祖のイメージは後世の産物でしょう。
(極限状態の松葉ヶ谷や小松原の襲撃に対しては、人としては真っ当な反応でしょう)
論断敵対書のようなcoolな対応もありますので、法華誹謗に対しては毅然と対処するのが
蓮祖のスタンスだったのではないでしょうか。

324パンナコッタ:2008/08/05(火) 13:57:17
独歩さん、
逸脱していなくて良かったです。

しかしながら、法華を標榜する大方の人々が不軽の対極にいる現実は由々しきものですね。
お教えも精神性もあったものではありませんし、毒氣深入失本心故・戒禁取見の故、
致し方ない部分でもあり、自分の犯した科に気付くまで時間を要する部分でしょうね。

325マターリ:2008/08/05(火) 21:01:09
>犀角独歩さん、パンナコッタさんから紹介していただいた、摂折スレ
を拝見しました。この中で犀角独歩さんが、「日蓮は涅槃経の行者だった
」とおっしゃっています。

そのために日蓮は、常不軽菩薩を涅槃経的に解釈したと考えれば、常不
軽菩薩について、1.人から悪口雑言される、とだけ記した理由が、理解
できました。

また、顕正居士さんのカキコを拝見しました。
>智邈が「折伏思想」の創唱者である。むろん、智邈の主観では竜樹で
ある。日蓮は智邈のこの思想をよく理解しなかった。

長い時間をかけて、国から国へ、人から人へと教えが伝わっていくうち
に、元の教えが、全く別の物へ変化していく恐ろしさを感じました。

>パンナコッタさん、
>だからと云って、年中怒鳴り散らしている蓮祖のイメージは後世の産物
でしょう。

蓮祖は、一方で、とても心優しいという評価があります。私は、その点に
ついて御書を見ましたが、どうも文面からは理解できませんでした。

326パンナコッタ:2008/08/06(水) 13:45:10
 「日蓮御房は師匠にてはおはせども余にこはし、我等はやはらかに法華経を弘むべしと云はんは、
 蛍火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし」
録内、真偽未決・佐渡書の末尾ですが、こんなイメージですね。

327天蓋真鏡:2008/08/06(水) 17:07:07
天台は像法での方法論、日蓮は末法での方法論を纏め挙げたのではと自分は考えます。何故其の時代に其の方法なのかでは無いでしょうか。

328マターリ:2008/08/06(水) 20:27:24
>パンナコッタさん、そうですね。学会教学を学んだ私には、そうした
蓮祖のイメージが強いです。

それから私は、書簡からみる蓮祖の心の動きを探っています。蓮祖は、
嬉しいときは大口を開けて哄笑し、悲しいときは大地に身を投げ出し
て泣き、好きになれば人前もはばからず思いのたけを訴える、という
ように、とても単刀直入な性格だったようです。

つまり、愛憎の振幅が大きく、荒削りな人間性だったようですが、
文章には、そうした性格が出ていないような気がします。文章の面で
は、心にバリアを張っているかのようです。ふつうの人は、文章に
心の揺れや迷いが表れるものですが、それが全くみえないのは、どう
いうことなのだろうか、と疑問に思います。

蓮祖を襲った数々の難は、安楽行品を無視したことに原因があると思
います。法華経の作者は、法華経教団が難に遭わないよう、安楽行品
を書いています。難に遭って教団が壊滅したのでは、経典のみ残って
も意味が無いからです。

安楽行品の経文の通りに信仰し、なおかつ、それでも難を受けたら、
常不軽菩薩のように、難を耐え忍ぼうということだと思います。

法華経の観点からは、「やはらかに法華経を弘むべし」が正しいと思わ
れます。法華経は、聖徳太子が言っているように「穏やかな経典」なの
だと思います。


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