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日蓮聖人の本尊観

64犀角独歩:2002/08/02(金) 22:26

一字三礼さん:

> 法華経はまとまって成立したとは考えにくいので、全体を一部として観る事はむずかしいのではないでしょうか

この問いは成立史的に言えばもっともです。
指摘のとおり、法華経を通読すると、いわゆる寄せ集めというか、前後の脈絡、その他に整合性のないところが気になるところとなります。

28品、初期は27品で、まとめられる以前は他の断片が発見され、実際は30品以上あったという指摘もあります。詳しくは法華経成立史学によるところでしょう。

また、たしかに、ご指摘の聖人の一品二半を言うもありますが、しかし、たとえば「「妙法華経乃至皆是真実」というもあり、この場合、一品二半に限って妙法蓮華経と言っているとは考えがたいですね。なにより、

天台の云はく「稽首(けいしゅ)妙法蓮華経、一帙(ちつ)八軸四七品、六万九千三八四、一々文々是真仏、真仏説法利衆生」等と書かれて候。

というもあるわけです。この点はどうお考えになりますか。

私が法華経全体から見ると言うとき、別段、天台釈も、聖人御立法門を肯定するために言っているわけではありません。虚心坦懐に28品に“まとめられている”法華経に何が書かれているのか、という意味で全体を通じて整合性を得ることを考えているだけです。

実際は、その品の並びが間違っている可能性も、また、全く関係のない制作経典が一本化された可能性も、もちろん、視野に入れてのことです。

第一、一品二半にかかる主張は聖人の主張なのであって、法華経28品にまとめた“意志”とは関係のないことでしょう。

法華経を読むのに、私は天台も、聖人も参考にしていません。
法華経から、天台、天台から日蓮と読んでいっています。しかし、一字三礼さんは日蓮から天台、天台から法華経と、読んでいっているのではないでしょうか。

アプローチの違いから生じる見解の相違を理解した上で、議論しないとまた噛み合わなくなるでしょう。


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