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日蓮聖人の本尊観
38
:
犀角独歩
:2002/07/31(水) 20:41
―37につづく―
ケチをつけるばかりみたいで申し訳ないのですが、
> 仏の妙智(仏)と教法(法)とは「法仏不二」
の法仏不二ではなく、前段部もなんだかよくわかりません。
仏の妙智、つまり知恵が仏というのもなんだかわかりませんが、それとは別にまた教法が法で法仏不二というのは、意味がわかりません。
> 題目は、単なる“理法”でも無く、久遠本仏の“覚法”・本門の肝心・神力別付の“要法”
ということは、つまり理法に対するのが覚法・要法だということでしょうか。
そもそも、この理法というのは、何を根拠にした成句なのでしょうか。もちろん、聖人の真跡には見られません。
また、理法は教法に対するように使われているように見え(あくまで見えるということです)仮にそうであるとすると、法には理と教があるということなのでしょうか。これはまた何を根拠にするものでしょうか。法に対するのが仏というのは判りますが、その法に理と教を立てる根拠を知りません。
理に対するのであれば「事」でしょうし、教法とはそもそも、教と法のことではないのでしょうか。
> 妙法蓮華経の実相
この妙法蓮華経の実相というのはいったい何なのでしょうか。
> 仏の妙智(証悟)と実相(法)とは同じなので「法仏不二」と云う
実相が法なのだそうですが、どうもこの説明も意味がわかりません。
そもそも諸法実相ということに関する基本的な部分が説明されていない様に思えるわけです。
諸法実相は羅什訳妙法華の
諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。
であることは今更断ることもないでしょう。
これは「諸法実相(とは)いわゆる諸法の十如」と言う文なので、ここでいう諸法とは十法界を意味するわけでしょう。つまり「諸法の十如」とは換言すれば「十界の十如」、ですから、百法界を意味しているとするのが取りあえずの説明ならば、まだ判ります。しかし、「仏の妙智(証悟)と実相(法)とは同じなので「法仏不二」」というわけです。
しかし、それは単なる数取りではなくて玄義には
豈非圓教菩薩從初發心。得諸法實相。具一切佛法。
唯佛與佛乃能究盡諸法實相者。即是妙覺位也。
唯佛與佛乃能究盡諸法實相。即是法身。
というのでしょう。この玄義の文と違わないのでしょうか。円教の菩薩は諸法実相を得て、一切の仏法を具す。これは妙覚の位である、法身であるともいうところです。およそ法仏不二?を釈しているとは思えません。
取り留めなく、書いていますが、どうも、説明の根拠がよくわからないわけです。
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