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日蓮聖人の本尊観

37犀角独歩:2002/07/31(水) 17:55

ここのところ、「法仏不二」なることが、あたかも聖人の教えの如き、展開になっていますが、本当なのでしょうか。

真跡で見る限り「法仏不二」なる成句の使用は見られません。本尊観として、聖人がこれを意識していたのでしょうか。

試みに初期天台資料、並びに妙法華を検索したところ、涅槃經疏.如來性品に以下のような記述が1カ所だけ見られます。

更釋不依之意。於佛性中有法僧二寶者。非但已成之佛。佛性之中具有法僧。只當成佛亦具二性即佛法。“法佛不二”即是僧寶。身既具三何須依於別體三寶。
(訓読はしません。必要がある方は国訳を当たってください)

しかしこれは三宝についての述べています。

このような用法である法仏不二が、どうして「仏の妙智(証悟)と実相(法)とは同じなので『法仏不二』と云う」となってしまうのか、理解に苦しみます。また、これが恰も日蓮の本尊観の如き論じられていくことに違和感を感じます。

また、実相については、漢訳の問題点を挙げる坂本幸男師の諸説は既に示しましたが、仮に聖人が、この語を使用したから是とするにしても諸法実相とは「諸法“の”実相」と訓じられるのであって、諸法=実相というのは厳格には違うと思えます。

法仏不二と日蓮聖人の本尊観を結んでしまうのは短絡であると思います。


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