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日蓮聖人の本尊観
213
:
犀角独歩
:2008/08/14(木) 19:21:08
212に挙げた検索結果を加え、経年順に並べてみました。
妙法蓮華經 体は 3、霊は 0(身体、霊鷲山を除外)
智邈三大部 体は 874、霊は 33
湛然三大部 体は1502、霊は 54
伝大師全集 体は1477、霊は449
真蹟遺文中 体は 128、霊は 99
富士宗学要集 体は3163、霊は699
こうしてみると、体と霊の用例をみると、法華経では霊の用例はなく智邈・湛然では少なく、最澄で体が3倍程度、日蓮においては大きな開きはありませんが、4倍程度といった感じです。ただし、如是体の体といった用例以外をすべて除外したわけではなく、霊にしても霊鷲山等を除外し切れていません。かなり、大雑把なものです。それでも、「体」が実に重要な意味を有してきたように見えます。
■他経典に見られる「如是体」の用例
以下、電子仏典から拾った「如是体」の用例。
訳出年代順に並べたわけではありませんので、『妙法蓮華經』との前後関係は考証していません。しかし、如是体・如是相・如是性という三如是との類型が散見できます。羅什の訳出が先か、あるいは、参考にしたのか、さて、どうなのか興味が惹かれます。
『大方廣佛華嚴經卷第十六』
T10n0279_p0086a23(00)|過去世中曾所有, 如是體性如是相,
T10n0279_p0086a24(00)|欲悉了知其宿住, 菩薩以此初發心。
『大方廣佛華嚴經卷第四十三』
T10n0279_p0225c19(07)|何以故?菩薩三昧,如是體性,如是無邊,如是殊勝故。
『大般若波羅蜜多經卷第一百七十』の
T05n0220_p0915b19(15)|正等覺以無上佛智了達遍知諸功紱善根有如是類、有如是體、有如是相、
T05n0220_p0915b20(03)|有如是法而可隨喜,我今亦應如是隨喜。
『金剛般若波羅蜜經』
T08n0236bp0758b25(12)|汝意云何?如是體相為勝大不?」須菩提言:「甚大,世尊!
T08n0236bp0758b26(07)|何以故?如來?非有名為有身。此非是有,故?有身。」
『深密解脱經卷第一』の
T16n0675_p0666a24(03)|是?妄法。?妄法者。常無如是體種種分別。
『大莊嚴法門經卷下』
T17n0818_p0833b01(00)| 如是貪瞋癡 及一切煩惱
T17n0818_p0833b02(00)| 如是體性法 善哉甚微妙
『入楞伽經卷第五』
T16n0671_p0545b09(06)|而彼彼法無彼如是如是體相。惟自心分別。世尊。
以上のような考証を、何故、当スレッドに投稿しているのか、ご不審の筋もあろうかと存じますが、「日蓮の本尊」を考えるうえで『妙法蓮華經』の「如是体」の体が、『本尊抄』の「其本尊為体」と脈絡を存し、その関係を結ぶのが法、心であると、わたしは考えるからです。
諸賢のご批正をいただきたく存じます。
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