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日蓮聖人の本尊観

12管理者:2002/07/30(火) 20:14

73 名前: ドプチェク 投稿日: 2002/07/27(土) 04:16

犀角独歩さん

ご丁重なレス、ありがとうございました。
毎度の事ながら、超亀レスの私でありまして、すいません。

まぁ、私なんて、そんなに苦労をして来たわけではなく、まだまだ修行が足りないと申しましょうか、あまりにも勉強不足・思慮不足の人間なのでございますから(^^;)、難しい事になるとサッパリなんですけれど、自分なりに少しずつでも何かを掴めて行けたらと思っています。

松戸説についての事は、最近、別の掲示板の方でご紹介された下記のURLを見たのですが、本覚思想と絡め、かなり批判的なご意見が出ていました(ご存知かもしれませんが)。

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_07.htm

私には難し過ぎる内容ですので、よくわからないのですけれど、それに致しましても、仏教の本来の考え方・あり方とは、いったいどのようなものなのであろうか?と、考えさせられてしまいます。
私個人は無知でありながらも、仏教というのはキリスト教やイスラム教で説く神のような存在を立てるのではなくして(釈迦本仏・日蓮本仏を問わず、いわゆる久遠本仏思想のような)、飽くまで「法」が根本であり、それが究極の真理と言うべきものではないのか?と、漠然と思っているのですが・・・
「諸法実相抄」において、

『釈迦・多宝の二仏と云うも妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時・事相に二仏と顕れて宝塔の中にして・うなづき合い給ふ』
『されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ』
『釈迦仏は我ら衆生のためには主師親の三徳を備え給うと思ひしに、さにては候はず返って仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』

等といった記述がございますけれど、しかし、最近、「素朴な疑問」のスレッドでも色々とご意見が交されましたように、あの御書は真偽不明という事なのですから、いったい、どこまで信じたらよいのか?と、思ってみるのです。また、本覚思想の色合いの濃い他の御書にしろ、偽書の疑いがあると、よく言われているようですし(本覚思想について、私はあまり詳しく知らないのですが)、それに、同じ日蓮聖人の記された真書でも、与えた弟子・信徒や、その時々の状況により、結構矛盾していると言えるような内容のものがあるといったお話ですので。たとえ偽書であったとしても、それをあながち否定するべきではないという事ですが、しかし、何だかわからなくなって来ます。

いつもの事ながら、取り止めのないお話で、すいません。
小生、所用の為、書き込みが出来ない事もあるのですけれど、書き込みが遅い癖に、結構他のいくつかの掲示板に関ったりといった具合で、いつも遅れてしまってばかりなのでございます。
どうぞ、その点は、何卒大目に見てやって下さいませ(^.^;)。
それでは、これにて失礼させていただきます。


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