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本尊と曼荼羅

1管理者:2002/04/04(木) 07:30

いちりんさんより、スレッドテーマの御提案がありました。立ち上げます。幅広い議論が展開される事を期待致します。提案文は以下の通り。


30 名前: いちりん 投稿日: 2002/04/04(木) 02:20

本尊と曼荼羅って、とてもおもしろいテーマですよね。

こちらのスレッドは、「本門戒壇の大御本尊様の偽作説について」ということですが、
できれば、「本尊と曼荼羅」というテーマで、論じていったらいいなあと思います。
管理人さん、いかがでしょうか。

真宗の本尊とか、密教の本尊とか、天台の本尊観とか、あるいは釈迦在世のときの本尊とか、いろいろとおもしろいと思います。たとえば、天台の四種三昧の修行などみますと、修行によって本尊が変わりますよね。

そういうところから、本門の本尊をとらえかえしていくと、本質的なものがみえてくるかなあと思ってもみたり。

662問答迷人:2009/07/22(水) 21:25:21

その幹部の方は、恐らく医学に暗く、自分のしている信仰にも暗い人なんだと思います。

安定剤は、余程強いものでない限り、副作用は少なく、習慣性も無く、無難な薬剤だと思います。
病は信心で受け止めるべきものではなく、医者に掛かって治療すべきものだと思います。勿論、医者を選ぶ必要が有りますね、特に手術は職人仕事ですから、腕の良医者を選ぶべきです。信心の眼で良い医者を選ぶべきだ、と指導するなら分かりますが、信心で受け止めよ、とは意味不明ですね。

戸田さんも、「幾ら祈っても、炊飯器にスイッチが入っていなければご飯は炊けない」と指導していましたね。何でもかんでも信心、では現実に直面している人を納得させる事は不可能ですね。

なお、寛師曼陀羅が悪いとは僕は思いません。現に僕は今も日顕師を激しく非難しながらも、日顕師書写の紙幅曼陀羅を仏壇に掛けて、日々勤行・唱題しています。どの曼陀羅にせよ、日蓮聖人の曼陀羅を基本にしたものであれば、何も問題はない、と考えています。

>二箇相承が偽書

よく気が付かれましたね。僕も同意です。日蓮正宗が他の日蓮宗各派に対して優位に立てための、虚仮脅しの道具だと考えています。

663ヨシヨシ:2009/07/22(水) 21:34:29
問答迷人さん

>なお、寛師曼陀羅が悪いとは僕は思いません。現に僕は今も日顕師を激しく非難しながらも、日顕師書写の紙幅曼陀羅を仏壇に掛けて、日々勤行・唱題しています。どの曼陀羅にせよ、日蓮聖人の曼陀羅を基本にしたものであれば、何も問題はない、と考えています。


そうでしたか。
私は、寛師の本尊は学会へ返還しましたが幸いにコピーしたものがあり一体掛け軸に貼り
所有しています。現在では聖人が亡くなられるときに掛けられていた曼荼羅(鎌倉 妙本寺所蔵)
を掛けています。
私もまだまだ、題目を卒業できていません。
しかし、以前よりは減りました。
昔ならば毎日やらないと罪悪感は出てしまいやっていましたが現在は調子がいい
時にしかやらなくなりました。

664問答迷人:2009/07/22(水) 23:06:00

ヨシヨシさん

>私もまだまだ、題目を卒業できていません。

僕は、富士門流に日蓮聖人の教えが伝わっていると堅く信じていました。しかし、二箇相承もウソ、百六箇抄も本因妙抄も他門の後世の作り物、戒壇板本尊も偽物、唯授一人の血脈相承もウソ、お肉牙もマガイモノ・・・調べれば調べるほど大石寺門流の嘘八百にほとほと嫌気が差しました。

それでも日蓮聖人が僕は人間として好きです。これはどうしようもない。好きなものは好きとしか言いようが無いわけです。それで、残された人生、日蓮聖人が見た世界を追体験しようと心に決めたわけです。

日蓮聖人の教えは、突き詰めるところ、曼陀羅信仰に尽きる、と思っています。日蓮曼陀羅を信仰して、どんな世界が見えるか、とことん極めてみようと思っています。

唱題は多くは無いですが、一日一時間と決めて、毎朝唱えています。これは、僕の道楽の様な物かも知れません。誰にも勧めていません。勿論、寺院参詣をやめた段階で、家族は誰一人、勤行・唱題をしなくなりました。これは当たり前だと思います。一日一時間唱題する僕を、どんな眼で見てるのかな、と時々思いますが、まぁ、親父の道楽、ぐらいに正当に評価してるんだと思っています。

665ヨシヨシ:2009/07/23(木) 08:49:47
問答迷人
おはようございます。

私も日蓮聖人の生き様と言いますか悪については一歩も引かないという強い意志
持たれていた方のように思えます。
私も子供が二人おり、長男は高校1年、次男は中学2年です。
いつも一緒に勤行・唱題しておりましたが最近は私はやりませんが子供たちは
一生懸命によくやっています。
たまに、題目をしている姿を見て涙することがあります。
お子様も信じていらっしゃるんではないでしょうか。
私も一時は一生懸命やりましたが身体の状態が酷くなるので控えるようにしています。
ですが一説で聖祖は曼荼羅本尊に題目をしていなかったというお話を聞いた事が
あります。ご存知ですか?

666ヨシヨシ:2009/07/23(木) 09:02:45
訂正


問答迷人さん
おはようございます

が正解です。
さん が抜けており大変に失礼しました。
申し訳ありません。

667問答迷人:2009/07/23(木) 09:15:06

ヨシヨシさん

>一説で聖祖は曼荼羅本尊に題目をしていなかったというお話を聞いた事があります。ご存知ですか?

日蓮聖人はお題目を唱える事は、ご臨終の時までずっと続けられたものと考えています。曼陀羅は、日蓮聖人が体得されたところの「一大秘法」の具体化表現ですから、一大秘法を体得されている日蓮聖人には曼陀羅は必要ではなかったと思っています。ただ、弟子檀那と一緒にお題目を唱える場合は、曼陀羅に向かわれたのではないかと考えています。

668問答迷人:2009/07/23(木) 11:52:09

「本門の本尊」と「紙幅曼陀羅」について

日蓮聖人は「本門の本尊」という法門を説きました。「本門の本尊」が一番詳しく説かれているのが、「観心本尊抄」という事になろうかと思います。

『其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。是くの如き本尊は在世五十余年に之無し、八年の間但八品に限る。正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。』(大石寺版御書全集)

669問答迷人:2009/07/23(木) 12:20:56

ここで、『末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。』とあるのは、未来において「本門の戒壇」を建立して、その時に、この「本門の本尊」たる『妙法蓮華経の五字と釈迦多宝等の諸仏菩薩等の仏像群』を出現させるべきと考えておられたと思います。

それでは曼陀羅は何か、紙幅曼陀羅は、戒壇が建立されて本門の本尊が出現するまでの間は、紙幅曼陀羅を以って「本門の本尊」とする、とのお考えであったろうと思います。つまりは紙幅曼陀羅を仏壇に掛けて信仰の対象とすれば、その曼陀羅は意味としては「本門の本尊」に相当すると考えて良いと思います。

670ヨシヨシ:2009/07/23(木) 12:56:25
問答迷人さん

本門の本尊とは、我々が拝している曼荼羅を指しますね。
つまり化儀においての本尊という解釈でよろしいのでしょうか?
または、釈尊の分身仏として捉えていけばいいのでしょうか?
先ほどは、大変失礼致しました。

671問答迷人:2009/07/23(木) 14:11:27

ヨシヨシさん

>本門の本尊とは、我々が拝している曼荼羅を指しますね。

いえ、そうではなくて、本門の戒壇が建立された時に出現させるべき「妙法蓮華経の五字と仏像群」を「本門の本尊」と日蓮聖人は述べています。
本門の戒壇が建立されるまでは、仏壇に曼陀羅を掛けて「本門の本尊」の意義を表す、と言った意味合いであろうと思います。曼陀羅が直ちに「本門の本尊」であると考えるのは、少し拡大解釈になってしまうのではと思います。

>化儀においての本尊という解釈でよろしいのでしょうか?

「本門の本尊」については、「三つの法門」と述べられていますので、「化儀」と捉える事は違うのではないかと思います。

>釈尊の分身仏

釈尊の分身は十方分身諸仏であり、曼陀羅の意味は、そうではないと思います。

「本門の本尊」は「本門の釈尊」であり、「久遠の釈尊像」と捉えるのが自然だと思っていますが、この点は、諸賢のご意見を僕も承りたい所です。

672ヨシヨシ:2009/07/23(木) 16:14:11
問答迷人さん

>「妙法蓮華経の五字と仏像群」を「本門の本尊」と日蓮聖人は述べています。
聖祖は既に文永8年に曼荼羅を顕していますがここで上文の意味なるかと思っています。

、>「三つの法門」
とは三大秘法のことでしょうか?

674問答迷人:2009/07/23(木) 16:43:27

ヨシヨシさん

>聖祖は既に文永8年に曼荼羅を顕していますがここで上文の意味なるかと思っています。

所謂「楊枝御本尊」ですね。この曼陀羅を出発点として、次々と諸尊が書き加えられ、所謂日蓮曼陀羅の形が出来上がっていったものと思われます。この曼陀羅には仏像群は無く、観心本尊抄の形に日蓮聖人の表現が固まってゆくには、まだ少し時間が必要だったのだと思います。

>「三つの法門」とは三大秘法のことでしょうか?

日蓮聖人の真跡遺文には、一大秘法という表現は有るものの、三大秘法という表現は有りません。「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」これらを、「三つの法門」と述べられています。

675ヨシヨシ:2009/07/23(木) 17:40:09
問答迷人さん

先程は失礼致しました。
やはり、真筆を使わなければ駄目ですね。

676問答迷人:2009/07/23(木) 18:07:34

ヨシヨシさん

先ほどは有難うございました。

>やはり、真筆を使わなければ駄目ですね。

七百年の歳月の中で、各宗派とも、独自の教学を組み立ててきたのだと思います。日蓮聖人その人に迫ろうとするなら、幸いにして真跡遺文が、大切に保管されてきていますので、それを基準にして、日蓮聖人の考えを直接探るのが確実な方法論だと思っています。

三大秘法という使い方を日蓮聖人がされていないのには、やはりそれなりの理由が有っての事だと思われます。有りの儘に、主観や宗派の教学を交えることなく真跡遺文を拝読する時、そこから見えてくる世界が有ると思います。そして、それは、各宗派で定説となっている事を覆すような内容の場合もありますが、ただひたすらに遺文のままに考える事が大切なんだと思っています。この真跡主義は犀角独歩さんが教えてくださった方法論です。

677ヨシヨシ:2009/07/23(木) 19:10:38
問答迷人さん

なるほどですね。
さすがは独歩さんですね。
先覚者と言わなければなりません。
一大秘法、三大秘法、六大秘法と何故二つも余計に定義を作ったのか?
謎ですね。
一大秘法=南無妙法蓮華経 三大秘法=本門の戒壇、本門の題目、本門の本尊
六大秘法=事と義の戒壇 信と行の題目 人と法の本尊
謎ですね。

678ヨシヨシ:2009/07/23(木) 19:13:29
問答迷人さん

では、六大秘法は更に謎ですね。
一大秘法だけで充分と言う事ですね。
どうでしょうか?
平成新修日蓮遺文集は今現在どこで出版していますか?

679問答迷人:2009/07/23(木) 19:55:08

ヨシヨシさん

>一大秘法だけで充分と言う事ですね。

そういう事ではないと思います。一大秘法は日蓮聖人が体得された秘法であり、それが法華経神力品で釈尊が上行菩薩に付属された秘法「妙法蓮華経の五字」なんだと日蓮聖人は言うわけです。

しかし、一大秘法は日蓮聖人だけが体得した秘法ですから、他の誰にもその中身は分からないわけです。そこで、日蓮聖人はその一大秘法を観心本尊抄において、「本門の本尊」として表現され、又、曼陀羅として書き現された訳です。日蓮聖人にしか分からない一大秘法が本門の本尊として表現された事により、一大秘法が万人に開かれた法門となったわけです。

>平成新修日蓮遺文集は今現在どこで出版していますか?

既に絶版の様で、入荷不可とされていますね。たまにネットオークションで見かけますが・・・。

680ヨシヨシ:2009/07/24(金) 10:34:58
問答迷人さん

一大秘法を聖祖は説かれて後の三大秘法の表現は三つの法門を指しているのですね。

681問答迷人:2009/07/24(金) 11:41:40

ヨシヨシさん

日蓮聖人が佐渡流罪を赦免され、身延に入山直後の文永十一年五月二十四日に執筆された法華取要抄(真跡在中山法華経寺)に次のようにお示しです。

『問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。』

同じく法華取要抄の末文には次のように述べられています。

『是くの如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か。』

「三大秘法」と言う表現は無く、あくまでも「三つの法門」ですね。

682ヨシヨシ:2009/07/24(金) 15:54:41
問答迷人さん

仰る通りです。
三大秘法という言葉はいつ頃から言われるようになったのでしょうか?

683問答迷人:2009/07/24(金) 16:17:53

ヨシヨシさん

>三大秘法という言葉はいつ頃から

調べてみます。少し時間をください。恐らくは日有上人以降かと。

684ヨシヨシ:2009/07/24(金) 17:59:05
問答迷人さん

了解しました。

685hage:2009/07/24(金) 20:28:52
富士派以外でも、例えば私のところでも、

本門の本尊、本門の戒壇、
本門事行、八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経(本門の題目)

とお唱えしますよ。

686問答迷人:2009/07/24(金) 20:59:16

hageさん

おうかがいします。八品派では『三大秘法』と言う言い回しは有るのでしょうか、それとも『三つの法門』ですか?

687hage:2009/07/24(金) 23:16:09
問答迷人さん

八品派でも『三大秘法』と言う言い回しはあるようです。
私は詳しくないのですが、八品派の中でも「三大秘法」の解釈が分かれています。
佛立宗系の御本尊には『三箇秘法之中一大秘法』とありまして
三大秘法は本門の題目の一大秘法の中にあるもの、即ち本門の題目を離れて
本門の本尊も本門の戒壇もないので、本門の題目の中にこそ、その本尊も戒壇も
具わっているというのが『三箇秘法之中一大秘法』ということであるそうです。

しかし、八品派の佛立宗系以外では「三秘総在」といいまして、
本門の本尊の中にも三秘が具わり、本門の戒壇の中にも三秘が具わり、
本門の題目の中にも三秘が具わるところの一箇の大法即ち
上行所伝の南無妙法蓮華経であり、
門祖日隆聖人は
「本門三大秘法惣在の本門の本尊の南無妙法蓮華経」と仰せで、
本門の題目とは仰せでなかったようです。

688問答迷人:2009/07/26(日) 18:46:22

ヨシヨシさん

三大秘法の言い回しの件、とりあえずの検討結果をご報告します。


【富士宗学要集にみる「三大秘法」という成句の年代検討】

01 要法寺日辰師1560年の写本「上行所伝三大秘法口訣」(富要1-045)

02 大石寺31世日因師1757年の著作「有師物語聴聞抄佳跡」(富要1-185)

03 妙本寺日我師1545年の著作「化儀秘決(私記)」(富要1-273)

04 妙本寺日我師1545年の述作「年中行事」(富要1-327) 

05 日順師の記録とされる「本因妙口決」(富要2-069)

三大秘法抄の引用有り。内容は本因妙抄と重なる。三大秘法抄には日時師1397年写本、本因妙抄には日時師1391年写本がある。恐らくは、日時師辺りの時代に、日順師に仮託して作成されたものであろうと思われる。

06 西山8世日眼師(生年不生-1486年)述「日眼御談」(富要2-131) 1560年の写本

07 左京日教(日叶)師1428年の著作。「百五十箇条」(富要2-169)

08 左京日教(日叶)師1488年の著作。「類聚翰集私」(富要2-303)

09 大石寺26世日寛師(1665-1726年)「六巻抄」(富要3-069)

10 大石寺26世日寛師(1665-1726年)「寛記雑々 蓮祖義立の八相」(富要3-240)

以上の検討で、恐らくは三大秘法の名は1400年頃、三大秘法抄の出現により、門下全般に定着したものと思われます。

富士宗学要集第一巻から三巻までの検討結果。四巻以降の検討によって新たに知見が得られた場合は、追加報告いたします。

689ヨシヨシ:2009/07/26(日) 19:35:14
問答迷人さん

先程は失礼致しました。
これだけの文があるということは三大秘法は定着するはずですね。
しかし真蹟から見た場合で論じていかなければなりませんね。

>「三大秘法」と言う表現は無く、あくまでも「三つの法門」ですね。
こちらがやはり大切ですね。

690問答迷人:2009/07/26(日) 19:50:01

hage さん

>門祖日隆聖人は「本門三大秘法惣在の本門の本尊の南無妙法蓮華経」と仰せで、

日隆上人の門流独立は、1429年との事ですので、その日隆上人が「三大秘法」の成句を使われている事は、上記の「1400年頃」という検討結果と矛盾しない事が確認できました。有難うございます。

691れん:2009/07/26(日) 20:52:53
横レス失礼します。

三大秘法抄に就きましては、管見の史料によりますと、応永十八年(西暦1411年)成立の日陣師“授戒之作法”に「蓮祖大聖人作文、三大秘法抄並十重禁抄…」(十重禁抄とは本門戒体抄のこと)とあり、三大秘法抄は西暦1411年以前の成立であることは間違いないですね。話題に挙がった日隆師所持本(応永頃の書写とされる)の三大秘法抄には、「此御抄大不審也」(典拠、日本思想大系 日蓮)とあり、日隆師は本抄に不審感を感じていたものと見えます。

いずれにせよ、三大秘法の成句は三大秘法抄をその初めとし、三大秘法抄は西暦1400年代初頭に宗祖門下各門流に伝播していたことは上記の史料で明らかですね。日興門流の文献では本門三法門の呼称の初見は大夫日尊師の弟子日印師の“遣日代師状”(西暦1344年)に「大聖人三ケ大事」、日代師の“葦名阿闍梨御房御返事”(西暦1344年)に同じく「三ケ大事」とあるのが最も早いでしょう。日時師のものとされる石山の三大秘法抄と本因妙抄は、近年の研究で、筆跡から日時師筆は否定されているので、石山での三大秘法の語彙の初見は左京日教師の各著述といえるものと愚考します。

693問答迷人:2009/07/26(日) 21:12:59

れんさん

有難うございます。

>日時師のものとされる石山の三大秘法抄と本因妙抄は、近年の研究で、筆跡から日時師筆は否定されている

そうなんですか。そうすると、大石寺への「三大秘法」語句の初見は、又しても、左京日教師なんですね。ご賢察を御教授いただき、誠に有難うございました。

逆に言うと、この「三大秘法」語が含まれる「義浄坊御書」は偽作の疑いが極めて高いと言うことになりますね。

694れん:2009/07/26(日) 21:53:30
問答名人さん

宗祖ご自身は、問答名人さんがすでに御指摘されました通り「本門三法門」と書かれており、日興門流では、上代日興師直弟子門下の世代では「三ケ大事」の呼称が用いられ、西暦1400年代初頭に三大秘法抄が宗祖門下各門流に伝播して以降、日興門下各門流においても左京日教師の活躍年代である西暦1400年代後半辺りを初見として「三箇秘法」「三大秘法」の呼称が定着していく時系列であるという感触ですね。


となると、仰るところの義浄房御書は、ご指摘のように「三大秘法」の語彙を使用していますから、“三大秘法抄”の影響下で、応永以降に作成された可能性も出てくるので、無批判には宗祖著述の御書としては受容出来ない、少なくとも、学術的には御真蹟の現存する御書、興師・法師等の宗祖直弟子の写本の残る御書よりも、信用度はかなり落ちる部類の御書であることは確かですね。

695独学徒:2009/07/26(日) 21:54:24
れんさんに続き、横レスにて失礼します。

「三大秘法」の成句自体は、岡宮光長寺に古写本を蔵する日弁上人の申状に「法華本門三大秘法を弘め」(日蓮宗宗学全書第1巻89頁)と出てきますね。

同じく日宗全第1巻には、日弁記と伝わる「円極實義抄下」が掲載されここにも「三大秘法」(73頁)の成句が登場します。

もしかしたら「三大秘法」の成句は、天目・日弁の系統から出たのではと思えます。

696問答迷人:2009/07/26(日) 22:21:44

れんさん

>義浄房御書・・・信用度はかなり落ちる部類の御書

やはりそういう結論になりますね。有難うございました。


独学徒さん

日弁上人の申状、並びに円極實義抄下の、それぞれの推定年代はどのようでしょうか。

697独学徒:2009/07/26(日) 22:53:06

問答迷人さん、

日弁上人の申状は、1,293年(永仁元年五月十六日)となっています。
円極實義抄下は年代不定ですが、概ね1300年代との推論もあれば、執行師のように写本奥書の文明8年(1476年)に日弁に仮託して偽作されたものとの見解もあるようです。
興風談所は資料システムの記述からは、一応「円極實義抄下」の内容から、1300年代成立を支持しているように思われます。

698れん:2009/07/27(月) 08:52:43
独学徒さん

「三大秘法」の成句の使用例に日弁師の申状がありましたね。ただ、日蓮宗宗学全書第二巻に、参考文献として“直授日弁”として、上行所伝三大秘法口訣と同内容の八品派の相伝書が載ります。ですので、八品派の相伝に絡んで、この日弁師の申状に“三大秘法”の成句が、後代に加筆された可能性も否定出来ないので、私としては“三大秘法”の成句の初見として日弁師の申状を挙げるのには、やや躊躇するものがあります。

699天蓋真鏡:2009/08/09(日) 10:51:40
問答迷人さん諸賢の方々の意見は 三つの法門は 本仏釈尊の内証足る本門の本尊、国師の戒律を承る本門の戒壇、法華経行者日蓮が会得した本門の題目で良いのですか

700問答迷人:2009/08/09(日) 13:55:53

天蓋真鏡 さん

三つの法門については、日蓮聖人が諸御書にお示しです。

文永十一年の法華取要抄には次のようにお示しです。
「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。・・・中略・・・ 是くの如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に疑ひ無き者か。」

又、翌年、文永十二年の曽谷入道殿許御書には次のようにお示しです。
「大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付嘱したまふ。其の所属の法は何物ぞや。法華経の中にも広を捨てヽ略を取り、略を捨てヽ要を取る。所謂妙法蓮華経の五字、名体宗用教の五重玄なり。」
「此の四大菩薩は・・・中略・・・但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後、仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず。所詮仏専ら末世の時に限って此等の大士に付嘱せし故なり。」


これらの御書を要約すれば次のようだと思います。

◎ 釈尊が四菩薩に付属した法は「妙法蓮華経の五字・一大秘法」である。
◎ 末法に四菩薩が出現して「本門の本尊と戒壇と題目の五字」の「本門の三つの法門」を建立して、それによって妙法蓮華経の広宣流布は間違いないのである。

つまりは、『釈尊から一大秘法の付属を受けた四菩薩が「本門の三つの法門」たる「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」を建立して妙法蓮華経を広宣流布する。』という大枠は定まっています。その大枠の中で、三つの法門のそれぞれの意味・意義を捉える必要があると思います。僕は、「一大秘法を具体化した『本門の本尊』」「本門の本尊を安置した戒壇堂たる『本門の戒壇』」「本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える『本門の題目』」と捉えています。

701天蓋真鏡:2009/08/12(水) 12:36:07
レスありがとうございます。 問答迷人さんは 本尊戒壇題目の並べ方等で貴方の解釈が日蓮の意思と同じと考えますか? 漫荼羅は三つの法門の具現化への前提だと解釈しますか? 自分は釈尊像漫荼羅経典蔵と殿堂を建立するよりは個人の修行と三国四師を勉強するのに個人一人ひとりが漫荼羅を所持する事と勉強会を催す事が21世紀には良いと思います。 問答迷人さんや他の方々はどれだけお考えでしょうか。

702問答迷人:2009/08/14(金) 11:33:07

天蓋真鏡さん

>本尊戒壇題目の並べ方

文永十一年の「法華行者値難事」『本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」
文永十一年の「法華取要抄」『本門の本尊と戒壇と題目の五字』
建治二年の「報恩抄」『一つには・・中略・・本門の教主釈尊を本尊とすべし。二つには本門の戒壇。三つには・・中略・・南無妙法蓮華経と唱ふべし。』

並べ方は、以上の真跡遺文が何れも「本尊→戒壇→題目」となっていますから、この順序で日蓮聖人のお考えと合っていると思います。

>貴方の解釈が日蓮の意思と同じと

はい、そのように考えています。

>漫荼羅は三つの法門の具現化への前提だと解釈しますか?

はい。三つの法門を説きながら、実際に後世に残したのは、曼陀羅と題目です。曼陀羅は三つの法門の具体化の第一歩で有ったと思います。

>自分は釈尊像漫荼羅経典蔵と殿堂を建立するよりは個人の修行と三国四師を勉強するのに個人一人ひとりが漫荼羅を所持する事と勉強会を催す事が21世紀には良いと思います。

「本門の本尊」の造立と「本門の戒壇堂」の建設は、日蓮聖人の目指したところだと考えています。但し、それが、今日に通用するかどうかは難しい所ですね。真跡遺文を見る限りにおいては、日蓮聖人は「本門の戒壇」について、詳しく述べられていない事から、聖人のお考えは不明と言うしか有りません。僕はこの点については敢えて考えは今のところ持っていません。白紙です。

703天蓋真鏡:2009/08/16(日) 06:51:44
問答迷人さん、解り易い挙証ありがとうございます。鎌倉時代の法華経行者・日蓮は東大寺延暦寺に続く本門の基軸を建立しようと民を諭し公を導こうと尽力したのは調べれば調べるほど確実な事は此の掲示板で折りに触れ明かされてきた事でしょう。 21世紀は仏像か掛軸か経典どれかに拘らず、 妙法蓮華の心を一人ひとりが理解し得るのか、 表現出来るのかが、 宗教の存否を決めるのでは無いかと想像しました。

704天蓋真鏡:2009/12/06(日) 12:06:03
問答迷人さん、自分は 一大秘法は要で本仏釈尊から伝わる南無妙法蓮華経で、三つの法門は三つの解釈だと思います。 本尊は南無を付けて尊敬。戒壇は行者自ら戒める意。題目は法華経出典で流布して我も彼も唱えるキーワード。 漫荼羅は法華経の伝播と継承の説明に使用する図式。

705問答迷人:2009/12/06(日) 19:38:37

天蓋真鏡さん

>一大秘法は要で本仏釈尊から伝わる南無妙法蓮華経

そのように日蓮聖人は捉えておられたと存じます。

>三つの法門は三つの解釈だと思います。

一大秘法の解釈であり、具体化であると存じます。

どのように具体化されたか、三つの法門のそれぞれについて検討すると、

本尊については、観心本尊抄に「本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。」と述べられています。妙法蓮華経の五字を中心として諸尊が立ち並ぶ本尊を日蓮聖人はお考えになっておられたと存じます。

戒壇については、日蓮聖人は具体的にはお示しでは有りませんが、妙法蓮華経の五字の曼陀羅を中心にして諸尊の仏像を配した本尊を安置する戒壇堂の建立を目指して居られたのではないかと考えています。

題目については、諸御書に於いて、一大秘法・妙法蓮華経の五字への帰命を誓い、南無妙法蓮華経と口に唱える事を具体的にご教示なされています。

706天蓋真鏡:2009/12/07(月) 15:23:27
レスありがとうございます。 いくつか追加質問させて頂きます。 本尊に掲げる漫荼羅の諸仏に廬遮那仏阿弥陀仏大日如来薬師如来は図示もしくは彫像されるのか。戒壇堂はやはり富士山の麓なのか。 自分としては彫像は難儀かなと。 釈尊立像と文字漫荼羅と経典巻を戒壇堂や各地寺院に奉戴する事が良いかなと思います。 戒壇は五重塔中心か戒壇堂中心か大伽藍形式か。もっと細かに言うなら 聖人国師と天皇主上、 戒壇と御所を並べて建てた方が良いのか。

707問答迷人:2009/12/07(月) 17:29:31

天蓋真鏡さん

>本尊に掲げる漫荼羅の諸仏に廬遮那仏阿弥陀仏大日如来薬師如来は図示もしくは彫像されるのか。

御本尊集を見ると色々な諸尊勧請の形式が見られます。例外的に書かれる事は有っても、本尊抄に「十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。」と有りますので、虚空にいらっしゃらずに大地に処されている訳ですから、基本的には図示或いは造立される対象とはならないのではないのか、と思います。

>戒壇

戒壇について日蓮聖人が論及された真跡遺文が存在しませんので、お答えする事は僕の力の及ぶところでは有りません。折角ご質問いただきましたが御免なさい。

708天蓋真鏡:2009/12/09(水) 14:09:09
問答迷人さん、レスありがとうございます。 自分も勉強不足で質問が雑でごめんなさい。

709問答迷人:2009/12/10(木) 09:49:40

天蓋真鏡さん

>勉強不足で質問が雑

いえいえ、そうは思いません。諸説が入り乱れていますので、どれが日蓮聖人の御本意なのか計りかねる所です。

一つ、僕が今考えている仮説を書き込ませていただきます。ご叱正戴ければ幸いです。

『一大秘法三法門について』

一大秘法が「妙法蓮華経の五字」で有ることは真跡に述べられていることですから明らかであると思います。(曽谷入道許御書)

この一大秘法・妙法蓮華経の五字を図顕されたのが本門の本尊。
この一大秘法・妙法蓮華経の五字を奉安し奉るのが本門の戒壇。
この一大秘法・妙法蓮華経の五字を口唱し奉るのが本門の本尊。

こう考えると、一大秘法・妙法蓮華経の五字』の具体化が三法門であり、三法門と言っても一大秘法がその正体であり、一大秘法の他に三法門が有るわけではない、そういう関係として整理出来るのではないかと考えています。

710天蓋真鏡:2009/12/10(木) 15:16:50
問答迷人さん、ありがとうございます。 では、とどのつまりは「鎌倉時代の僧・日蓮がどこまで考えて書いたのか」に尽きます。 自分は法門は解釈で、 問答迷人さんが考える一大秘法の具体的な用い方には踏み込んでません。自分は信の表現から 問答迷人さんは義の表現から申し述べたのかもしれません。 自分は結果論で言うなら問答迷人さんの考え方に賛成です。法華経の行者を自認する日蓮は其の様に組み立て説明するとシンプルに思います。

711質問者:2011/11/30(水) 01:44:47
昭和55年6月21日日顕上人書写の御形木御本尊ですが
何故、竜樹菩薩と妙楽大師が抜けてるんでしょうか
(普通は天台大師と伝教大師の横にそれぞれ書かれているのに)

誰に聞いても教えてくれません
詳しい方レスお願いします

ちなみにこの御本尊は当時の学会員に下付されたものです

あと、この御形木本尊持ってる方いますか?


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