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ちょっと違った角度から

1ososo:2009/02/21(土) 12:57:08 ID:W1F579X6
なぜこんなにも生きる意味が問われるようになったのかの考察です。
そもそも生命にとって生きようとするのは当たり前の行為だと思います。
しかし昨今、苦しいことがあったら死ぬという短絡的な考えが増えてきたように思われます。
何故、こんなに極端になってしまったのか。
人間は苦しいから死ぬというような白か黒か的な発想しかできない訳ではなく、
むしろその中間、グレーゾーン的な発想のほうが人間的だと思います。
原因は昨今の市場原理主義、合理主義というものにあるのではないかと思っています。
市場主義は消費主体の世界をつくりました。その基本原則は等価交換です。
僕が生まれたときには世界はすでに市場主義にどっぷり浸かっていて、無意識のうちに消費主体の性質が根付いてしまったのではないかと思います。
例えば、役に立たないから勉強しない、大変だし給料低いから働かない、生きる意味がないから死にたい、などの考えは
この等価交換の原則に基づいた意見だと思います。
つまり自分が払った代償(苦労、苦悩、不快などの)に相当する代価を無意識のうちに求めているのではないでしょうか。
しかしそもそも等価交換とは確定した価値と確定した価値の交換であり、
確定した価値と変化する価値の交換では等価になりません。
学びや労働などは確定されたものではなく、それを行う、追求することによって変化し、得たものは人それぞれ違います。
そこに時間的な経過があります。
その時間的経過を軽視して、等価交換不可能なものを無理やり等価交換しようとするため不具合が生じているのではないでしょうか。
もうすでに完成したものしか求めなくなり、答えを急ぐようになりました。
それはとても機械的であると言えないでしょうか。
単純な話ですがお金でなんでも買えると思ってしまう人が増えてきているような気がします。
人間はもっと、非合理的で、情緒的で、何より変化する生き物です。
支えあい、助け合わなければ生きていけません。
その人間性の崩壊が昨今の様々な問題を引き起こしているように思います。
なぜ生きる意味をこんなにも問うのか。
それは自分の人生が辛ければ辛いほど、その代償に対する報酬を得たいという欲求からではないでしょうか。
その辛さに相応する意味がなければおかしいと思ってしまう。
それは一万円の買い物をして一万円相当のモノが買えないとおかしいと思う心理と同じ。
消費者心理としてお金を出したら、はやくモノと交換できないと不安になります。
昨今の生きる不安というものはそんな心理によるものではないでしょうか。
生きる意味を問うことは悪いことではないと思います。
ですが、こんなにも生きる意味を問わずにはいられないということに問題があると思うのです。

長文になってしまいました、あまりまとまってないかもしれません。

2(,,゚Д゚) 隊員3号:2009/04/17(金) 00:57:50 ID:???
意味を問うのは人間らしいからじゃないかな?
動物は生きる理由なんて考えないしね。
もしも論理的に考えてしまったら答えは一瞬にして完結する。

3HIDEYA:2011/04/01(金) 21:35:02 ID:MizuFR/g
グレーゾーンこそ人間だよね。

4:2011/04/14(木) 00:32:48 ID:CjgsXSo6

生きる無意味を探すより・・・ 有意義に生きた価値を証明せよ・・

一万円の価値を探すより、お金に代えれれない価値を作り出せ。

お前の価値が一円と言われないように・・・
自己を練成せよ。
勉強自体は、無駄と思うかもしれないが・・無能キングの馬鹿さ加減に
は付き合いきれん。
脳を鍛える、人の社会に適合する、脳トレの一種だ。
運動についても同じ様なものだ・・・ハシより重いものは持ったことが無い
でもよいがそんなやつと一緒に仕事などしたくは無かろう。


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