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かける様大学

1名無しさん:2005/03/12(土) 04:51:47 ID:HiNULm/E
皆様、かける様大学というサイトをご存知ですか?
救世主かける様が私達に助言を与えて下さる、素晴らしいサイトです。
とてもお勧めです。現代の日本社会の実情を鋭く諷刺していると思いました。皆様も是非一度行かれてみては如何でしょうか。

http://kakerusama.ifdef.jp/

2名無しさん:2005/04/15(金) 18:03:15 ID:6F3QvTcQ

自己の意思で危険を冒したとみられる者は、
その範囲で権利の放棄があったとみるべきであり、
そして、どの程度の権利の放棄がなされたとみるべきかは、
客観的に判断される。

たとえば、電車に自分の意思で乗った者が、車内アナウンスを
騒音として訴えるようなことは法的権利として認めらられない。
本人が主観的には平穏な時間を過ごす権利を放棄している
わけではないと主張しても相手にされない。

国境なき医師団などと違って、3人の安全対策が
まるでなっていなかったということは、当時に複数の
NPOが批判したとおりであろう。

通常のNPOと3人は区別して考えるべきである。

3人は、日本政府が強く警告しているのにもかかわらず、
欧米のプロの傭兵と同じく、自分の意思で危険な領域に
入っていた。

自衛隊のOBなどで、海外でプロの傭兵として戦う者も
いるが、彼らがピンチにおちいっても、その救出のために
日本政府が動くことはない。

また、イラク戦争当時に、諸外国は「人質の盾」になった者について、
生命や身体の安全を関知しないといった旨の声明を出した。

彼らは傭兵と同じレベルで権利の放棄が、あの3人について、
擬制しうる状況であったと考える。

あの3人は、特別な公的資金をうけた銀行と似たような立場に
いると考えれば、わかりやすい。

時の政治部門の判断はともあれ、税金の注入をうけねば
経営のたちいかなくなった民間銀行があれば、それに至る
までの民間銀行の経営ミスについて、国民が批判するのは
財政民主主義の観点から当然である。

あの3人は、みずから進んで権利を放棄していたのにもかか
わらず、その救出のために、莫大な公金が使用された。

わが国においても、貧しさに苦しむ者たちもいる。
その人々は自らの権利を放棄していない。
それなのに、苦しんでいる。

権利をすすんで放棄した3人を助けるための金額について、
もう少し、ましな使い方はなかったのか?

彼らのように、傭兵と同じレベルで、権利を強く放棄していた
と擬制される者に対して、国家が救出に向かうのは、異例なこと
であろう。

ドイツ政府が立て替えた身代金を後から一部請求をしたというテロ事件
の被害者は、サハラ砂漠冒険ツアーの参加者だった。

少なくとも、3人は、冒険ツアー旅行者よりも、愚かしく、自ら進んで
危険をおかしている。

公金によって、異例に特別な公金の支出を受けたからには、3人は、
もはや、ただの私人ではない。その金額にみあうだけの
責任を引きうけねばならない。

その結果、本人たちの軽率な行動が、特例の公的資金の支出を
まねいたとすれば、それは財政民主主義の観点からして、公的な
人物として、ただの私人と異なる立場において、批判にさらされる
のは当然であると考える。


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