『アポロンのコンステレーション』は自伝的な回顧録として、今から半世紀前にカナダに住んでいた時に書き始め、1975年に三巻まで書き終え,その頃は「アポロンの聖火台」という題名だった。若い頃は文学青年だったので、ゲーテ、トルストイ、ロマンロランなどの大河小説が好きで、死ぬまで『ファウスト』か『戦争と平和』のような作品を書き、死後に発見されて本になったら嬉しいと言う夢を持っていた。
中学生の頃から登山を始め、穂高の「滝谷」の登攀に熱中したので、1964年の東京五輪の前に日本を脱藩して、憧れの「ラ・メイジュ」に登るために、フランスに渡って留学生の体験をした。その間にオリンピック選手を始め、反ドゴールの市民活動に参加したり、1968年の冬季五輪大会では、グルノーブル市長の五輪アタッシェを果たしたりしたが、大学院の学生時代は資源担当のコンサルタントとして、アフリカや全欧を舞台に三井物産の顧問役で、波乱万丈と言える資源開発の仕事をやり、パリの五月事件事件はパリで体験し、最終的には構造地質学で学位を得た。
この留学期間の体験のうちで、オリンピックに関係した部分は、『オリンピアン幻想』や『Mountains of Dreams』として本になり、世界の読者に読まれているが、それは大河小説の一部に過ぎない。