したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

インテリジェンスしゅうれんと慧智を求める旅路

1藤原肇:2011/07/08(金) 23:49:36
台湾から東京に戻る飛行機の中で考えたのだが、「新記事」の中に書き始めた記事は章建てを新たにして、書き始めた方がよさそうだと思うので、書き始めた幾つかをここに移して書き続けることにしたい。
というのは、私は台湾を引き上げることを決断して、過去二ヶ月半ほど費やして蔵書の荷造りをし、約80の段ボールの箱に荷物を作ったが、お陰で手を酷使して腱鞘炎になり、左手首がに電気が発生して痛くてならない。
どこかにフリードリッヒ大王に招かれたヴォルテールに似た状況になったと書いたと思うが、私は台湾を去ることにしたが、それに福島原発の爆発が関係していたことは、「ニューリーダー」七月号の記事を参照して頂きたい。
<移した記事>
名前:藤原肇 投稿日: 2011/06/27(月) 17:30:39
こんなことは明らかにしたくないことだが、なぜ、「宇宙巡礼」の「書店」を再開して欲しいと、私が切望する理由について書けば、そこで『間脳幻想』が買えるだけでなく、『平成幕末のダイアグノシス』が入手可能な唯一の場所で、これが日本の運命を決定づける意味を持つからだ。
私の読者なら理解する人もいるはずだし、かつての日本の優れたジャーナリストの中には、あの本でヒントを得て調査した結果、幾つもの犯罪のスクープを成し遂げ、「目から鱗が落ちた」と喜んで私に報告し、感謝の言葉を聞かせてくれたことが懐かしい思い出になっている。
というのは、あの本には日本の社会の全体像を組み立てる上で、暗号を解くキイワードに相当するものがあり、それで全体像を描いた人もいた。なぜなら、日本のトップのジャーナリストでも出来ないのに、外国に住んでいた私が日本の裏社会について、なぜあれだけのことを書けたかと言うと、そこに私流のインテリジェンスの秘密があったからだ。

88 名前:藤原肇 投稿日: 2011/06/28(火) 09:23:56
権力欲だけが異常なほど強いが、責任感の欠如に加えて無能な菅首相の精神と生態を理解する上で、とても役に立つ症状と行動原理について、『平成幕末のダイアグノシス』には極めて明白に書いてある。
疑問に思う人はこの本をじっくりと読み直した上で、「ニューリーダー」の今月号の岡田さんとの対談を読むことだ。
すでに発行されているからそれを読んだ人の反応を見た上で、なぜこの問題が重要かについての議論を進めたい。
日本人は最近のベストセラーばかりを追いかけ、数年前の事件や本は過去のことだと軽視して忘れるが、過去は歴史で歴史の教訓は貴重だのに、古い本を持つ情報的な価値を評価しない。
そのために、この国は知恵の蓄積がなされないし、眼力のある人には目の前で見えていることだのに、大部分の人には見えないという現象のあることが、納得できるのではないだろうか。
歴史に学ばない日本人の悪しき習慣と態度は、昔に活躍したり貢献した人を粗末にして平然としているが、アメリカの数倍の長さの歴史があるのに、それが腐り果てているのが惜しまれる。
しかも、百年足らずの前のことでさえ知らず、小説で読んだことを歴史と勘違いしているのだから救いがない。
だから、私はより年上の人たちとの対談が多くなり、彼らの体験や知恵を活字に残したいと努力しているが、日本ではプラトンを始め対談を読める人が少なく、幾ら試みてもそれを理解できる編集者が少ないのが、コミックしか興味を示さない国の幼稚さだから、菅直人の如き男に政治を弄ばれてしまうのである。

2T.N.:2011/07/09(土) 22:59:56
 書籍の電子化がもう少し進めば、引越し時に蔵書の重さで気が重くなる最後の時代だった、ということになる
かもしれないですね。

3藤原肇:2011/07/10(日) 07:29:26
昨日は深川の東京ビッグサイトで行われている、東京国際ブックフェアに行ってきましたが。、今年のメインテーマはスペインであり、各国がブースを持って展示と商談をしていると耳にしたからです。実は「Mountains of Dreams」「Japan's Zombie Politics」をスペイン語訳しておけば、その後に電子化が実現する布石になるし、スペイン語人口の方が英語人口よりも多いので、人類のためになりそうだと思い当たったからで、その可能性を探るのが目的の一つでした。
ただ、残念なことに東京のブックフェアはタコ壺状態であり、日本の出版社が自社の本を入場者に売ることが目的で、西欧のブックフェアのように出版文化の可能性と結びつけ、著者、出版社、翻訳者、読者などの出会いの場として、一種のサロン的な楽市楽座の雰囲気はなく、フランクフルトのブックフェアの千分の一の魅力もなかったのは残念でした。日本人は知的なものよりも実務的な商売の方を好み、ソフトよりもハードの方が関心の対象だという印象が濃厚でした。
それは本のコンテンツよりも以下に売るかが中心だし、目下ブーム現象を呈している電子出版の器具に関心が集まり、まるでラスベガスの電子展や自動車ショー的な感じで、この国は出版文化より出版ビジネスが主体だという感じです。しかも、情報革命の大局をはっきり捉えるというよりも、いかにして早く新製品を作り他社より一歩先を行くという、小手先の改良の商品の展示という感じが強いのです。まるで、アップルが新製品を出すと強烈して買い求める、そんなオタクの集まりの感じがしました。
しかし、電子化に対しての時代の流れは進んでおり、紙の本だとその移動が大変であることに関しては、引越しの度に苦労して来た自分の生涯が、過去のものになりつつあるという実感は強烈でした。
TNさんの書き込みに啓発されて思い当たったのですが、「宇宙巡礼」の「名著復刻」において、これまで六冊の拙著の電子化が読者有志の貢献によって実現しており、これは多くの未知の読者にとって有難いことだと痛感します。だが、皆さんが仕事を持って忙しい立場の人の自発行為に基づいているので、暫くはそれが途絶えているのは仕方がないとはいえ、これを何とか有意義な形で継続できないかと考え、かつてこの件についてある人と議論したことを思い出しました。
その人が言うには、中国には日本語を勉強しているだけでなく、コンピュータにも詳しい大学生が沢山いるのに、奨学金制度が余り良くないために雑用で働いており、そういう学生たちにより知的な仕事を提供したら彼らも喜ぶだけでなく、、予算的にも目鼻が建つのではないかということでした。このアイディアを若い日本の高校生に応用することも、ファストフードの店員として働いて資金作りをするよりも、はるかに良いのではないかと思い当たった次第です。

4藤原肇:2011/07/10(日) 15:47:24
今は未だ書くべき時期ではないと思うので、そのうち考えが熟すような後になってから再び取り上げるつもりが、台湾を去る決断をしたのは単に福島原発に対して、日本政府のお粗末な対応で対日感情が悪化したためだけではない。
確かに、それが日本人であるより江戸っ子の私に対して、礼儀と尊敬の念が衰えた原因を作ったかも知れないが、中村元先生の「ブッダの言葉」の中に、「自噴よりも優れ、あるいは、等しい朋友には親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることが出来なければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ1人歩め」という言葉に遭遇して、地平の彼方を目指して荒野を歩む犀の運命に歩調を合わせる方が、救い難い日本人の桎梏を引きずるよりも増しかと考えたからです。
広島、長崎に続いて福島でも放射能を撒き散らし、世界に向けての加害者になっているのに、それに気づかない愚鈍さはインテリジェンスとも遠いし、犯罪者の仲間入りをすることをも意味するので、今回の311地震の天災を人災にした愚かな過ちは、まさに暴政への総決算としての意味を持つのかもしれない。それにしても、金儲け主義で堕落した大乗仏教よりも、小乗仏教の方がまとものように思うようになった次第。また、生命知は理屈ではなく生命愛に直結しており、そんな中で台湾滞在の成果と総決算の形で書いたが、地震の前に完成していたのに出版に手間取り、お陰であとがきに地震がらみのことまで書き加えることが実現した、間もなく本が「生命知の殿堂」の名前で出るのは、シンクロニシティだという印象を抱かせます。

5ヒロイエ:2011/07/10(日) 22:35:50
脱線するかもしれませんが、お許しください。
ここ数年、余裕がなく、藤原さんの本の復刊、記事の復活そして、記事の発掘が滞っていることは
参加していた一人として、心苦しく感じるしだいです。
実際、いくつかの記事は、発掘され、目次までは出ていますが、それ以降進められずにいるのと
技術革新に対応できていないこともひとつの原因かと感じており、先日
国会図書館へ行って{BIG-A}の中にいくつかの記事を見つけております。
古い記事はある意味、表現の熟成はないかもしれませんが、そのものに鋭く切り込んでいく
感じがあるような気がしております。

話は飛びますが、日本の出版は死んだも同然となっていると思います。昨年はドラッカーが
わけのわからない小説でヒットしましたが、私に言わせれば、数年前にはやったコトラー
本の二番煎じに過ぎません。われもわれもとコトラーとマーケティングがはやりましたが
いまやドラッカー一色、挙句はわけのわからない映画になる始末で、息子の同級生が主人公の
芸能人に釣られて見に行ったと聞いたので感想をきかせてもらったらやはり
いったに何の映画かわからんかった。最低の評価が返ってきたようです(予想通りですが)。

かって、有志で集まった際に、使ったお店が、この原発事件のおかげで閉店したとの
情報が入ってきました(すでにっ知ってられる方が多いと思いますが)。
このオーナーのコメントを掲載します。

国が安全という残留農薬や化学肥料などの問題点を指摘し、完全無農薬有機・自然・栽培の契約農家とともに『美味しく食べて健康になる食事』をみなさんに提案してまいりました。しかしながら、震災にともなう原発事故の影響で東京の空気や土、水もあっさりと汚染されてしまいました。この間、契約農家の野菜も出荷停止となったり、本来健全であった魚や肉類にも放射能の影響が出てくるようになりました。私はそのような状況下で、レストランにとって最低限の必要条件=『安全な食事』をみなさんに提供するのを不可能と考え、また、今後短期間に事態の収束が見込めないため、閉店の決断をいたしました。

全文は以下
http://www.lesbrindes.net/

思うに、いつの間にか、節電に摩り替えられえていることに疑問を持たない人には驚きます。
小さなことに怒ることを子供じみているとするこの国は、すべての面で藤原さんが警告していた
沈没を、ハード以外すべてで行ってしまうのかも知れませんが、なんとか次の世代には、本当の脱藩を
行わせたいと微力ながら対応させていただきます。

70を超えてなお、修行の道を歩む決断をされた藤原さんの新著に期待をのせて

6藤原肇:2011/07/11(月) 08:21:31
再び東京ブックフェアでの観察と体験に戻れば、この祭典に参加した外国人は少なかったし、米英仏独の主要先進読書国の参加はなかった。おそらくこれまで十数回催された体験で、参加しても意味がないことを見抜いていたのだろう。ポーランド大使館の招待状を持つ私は、Oversea Visitor なる表札を首に吊るし、各国が開くブースを訪問したのだが、メインのスペインは大使館の文化部が担当し、本よりもスペイン案内で観光案内に近く、本のことに無知な役人ばかりで面白くなかった。
投機ブームの金満バブルに酔う中国は、大きなブースを三つも開いて賑やかであり、そのうち出版専門のブースで中国人二人を相手に、「ゾンビ政治」の中国版翻訳の商談を試みた。靖国神社問題であれほど日中関係を壊し、日本の毛沢東を演じた小泉政治について、徹底的に暴いた内容の本だから、共産政府首脳は秘密の翻訳で読んでいても、十五億の中国人は本の存在もしらないので、2パーミルが読むだけで3000部売れる。だが、日本語版は三割削られているから、英語版から中文版を作るべきだと言ったら、「日本は中国と違って出版と表現の自由があるから、削るなんてことがあるのですか」と目を丸くしていた。だから、出版妨害があったので書評はゼロの日本新記録だから、わざわざ英語版を作り世界の大学を700校選び、歴史の証言として図書館に寄贈しておいたし、北京大学や清華大学にもあるよと教えて置いた。同じことは「Mountains of Dreams」でも試みたが、あの本の裏表紙には北京への禁句があり、隠し文字や暗号はインテリジェンスの粋だから、それに気づかずに中文版がでたならば、歴史のパロディとして最高傑作になる。

7藤原肇:2011/07/12(火) 07:48:49
ブックフェアで味わった興味深いもう一つの体験は、韓国のブースに立ち寄った時のものであり、次の冬期オリンピックの開催が韓国に決まったので、「Mountains of Dreams」を売り込んでハングル版を作れば、新しい火種を提供できると考えた。そこで中年女性がいるブースを訪れたのだが、話のついでから著書の紹介をする過程で、「Japan’s Zombie Politics」と翻訳の話になり、ハングル版の『小泉純一郎と日本の病理』を取りだしたら、その女性が「この本を読んだわ」と言った。まさかと思ったので「貴女は学生さん?」と聞いたら、大学は十年以上も前に出ているという。
なぜこんな質問をしたかといえば、かつてロスのコレア・タウンの本屋で出会った、米国留学に来たばかりという韓国の若者から、ハングル版になった小泉についての拙著が、ソウル大学の政治学部で必読文献だったから、自分は読んだという学生に遭遇していた。だが、一般の女性までが読んでいたとは思わず、こんな変な質問をしてしまったのである。
 なにしろ、安作りのペーパーバックスの日本語版とは違い、『韓国日報』の政治部次長が訳した、紙質も良く装丁も立派なハングル版は、一万五千ウォンもして値段も高く、日本語版にない註や索引まであり、どうみても学術書スタイルになっていて、とても一般向けとは思えなかった。ただ、この本は全面的にハングルばかりであり、小見出しも変えてある感じがしたが、ハングルは私にとってチンプンカンプンだから、どう変わっているか見当がつかなかった。ただ、ハングル版は日本語版からの翻訳であり、光文社の編集部が勝手につけた、「資料」まで翻訳して付けてあることが、私にとっては不本意に属していた。

8T.N.:2011/07/14(木) 05:22:58
 嘗て日本で初めてCD-ROM版の百科事典が発売されたとき、その価格は同じ内容の紙の百科事典セットとほとんど
同じでした。新聞に批判の投書があり、印刷や製本が不要なCD-ROMがほとんど同価格なのはおかしい、というもので
した。これに対し出版社からの反論の投書では、そもそもデータの制作に膨大な手間とコストが掛かっているから、
決して高くないとのこと。当時、両方の投書を読み、出版社の言い分に理があるかなと思ったのですが、経済的には
最初の投書者の指摘通りになっていきました。CD-ROM版の百科事典の価格はどんどん下がり、今では無料かつ更新の
頻度が高いウィキペディア等に、ほとんど駆逐されてしまいました。
 書籍の電子化は事典のような断片的な情報を扱うものから進んでいくでしょうが、結局読者は何に金を払っている
のか。紙の本であろうと、電子書籍であろうと、日本人にとって最も切実な情報が日本語で読めないのが、当たり前
となってしまっているのでは。

10藤原肇:2011/07/22(金) 23:51:13
そこで話題は「Japan’s Zombie Politics」のことに移り、彼女にとっては嫌みに聞こえたかもしれないが、せっかく私の本に関心を持って読んでも、ハングル版は日本語版から翻訳したもので、日本語版は私の原稿が大幅に削られて、大事なことがおよそ三割近く削除されていると教えた。すると彼女は「そんなことは構わない」と言い、削除を不満に思うのは著者の問題であり、読者にとっては本を読むことによって、新しい知識を得ることが大切だから、削られた部分があっても関係ないと断言した。
そう言われてみるともっともであり、手応えを感じたので読後感を聞くと、日本の政治が韓国より酷いことが分かり、韓国の将来に対して自信を持ったが、日本がこんなに酷いと北朝鮮が暴走し、その背後にいる中国が好き勝手をし始める危惧が、いよいよ強く感じて心配だと嘆息した。
これは面白い意見だと思った私は、「Mountains of Dreams」のある部分を彼女に見せて、北京オリンピックの政治的な意味合いが、ベルリンやモスクワ大会と相似象だから、体制が十年は持たないと予告したと言った。

11T.N.:2011/07/24(日) 10:45:21
 韓国の方の言うこともわからなくはないですが(「小泉純一郎と日本の病理」は、日本語の他の本をもって代え難い
内容を多く含む)、少し無理をしているようにも聞こえます。私だったら、削除された三割に一体何が書いてあったか、
まず尋ねることでしょう。
 「Mountains of Dreams」のある部分は、出版がずっと前の「オリンピアン幻想」にはもちろん無いですから、やはり
日本語では読めませんね。

12藤原肇:2011/07/24(日) 19:43:59
すると彼女は少しばかり得意な口ぶりで、「中国の混乱が始まるのは確かだが、日本で原子力発電の爆発によって混乱に陥り、これからは更に混迷を深めるはずだ」と言ったので、「ニューリーダー」での岡田さんとの対談で、ポルトガルと日本が同じ災難を受けたが、両国の衰退は規定の事実で着実に進み、それに対してオーストラリアとフランスの覇権国が、歴史の激動の渦の中で王国解体の運命になり、ヨーロッパの近代史が面白くなった例を挙げ、アジアの未来は深刻だと強調した。すると彼女はそれを皆が心配して、韓国人は韓国を脱出して逃げることが最大の課題で、韓国では若者ほど外国に出たがると言い、彼女の親戚も米国やオーストラリアに移っており、日本に来たがる人は少ないと本音を白状した。そうした事実に関しては20年前に書いたし、多くのロスに住む韓国人たちの出身が、日本経由だということを知っていたので、そんな話を暫くした後で思い出したのは、一年あまり前に米国で手術をする直前に、実は池口和尚に北朝鮮行きを誘われて、そのつもりで手続きを一任していたのに手違いがあり、飛行機の座席が私の分だけ取れなくて、米国ではガンになって手術をしたという、実に奇妙な体験をしたことを思い出した。もしも、北朝鮮行きが実現していたら『生命知の殿堂』はなく、その代わりに「北朝鮮見聞録」の誕生になったのに、天はそれを阻止するように配慮して、私をガンにしたのかも知れないという感じに包まれた。人間の運命とは面白いものであり、何かが私に時間の調整をすることを試み、その運命の糸に操られているように思えた。

13asa:2011/07/25(月) 10:45:33
中国では、落雷による高速鉄道事故発生のニュースを見て、その原因について
は経済成長を急ぎ安全対策を疎かにしたのでは無いかと見られておりますが、
何処かの国の福島第1原発事故の根本的要因と共通しているのでは無いでしょ
うか。
最も、何処かの国の新幹線については幸いにも、このような事故が無く、今回
の東日本大震災の他、新潟中越沖地震でも脱線事故はあったものの犠牲者が一人
も出なかったことは不幸中の幸いであると同時に、今後ともより一層の安全対策
を充実していくことこそが国際社会で絶大な信頼を得ることが出来るものである
と思って、それだけを誇りだと思えば、幾らでも反面教師となってあげれば良い
だけのことでは無いでしょうか。

ただ中国については、この事故が混迷の始まりになるのでは無いかとも思われる
のですが、藤原先生としては如何お考えでございますでしょうか?
小職なりには、地球規模での環境問題という視点から見れば、恐らくアメリカを
抜いて世界第1位の経済大国になるとはとても思えないところは間違い無いと思い
ますが、政治的には台湾をはじめ、チベット、ウイグル、内モンゴルをはじめとす
る周辺民族から分離独立して行くことになるものの、経済的には一つの共同体とし
て(例えば、中華経済共同体)貧富の格差等は一切気にすることなく、お互いに分
かち合い支え合って、穏やかに暮らせることが出来れば、これに越したことは無い
のでは無いかとも思われるのですが。
日本としても、その方が遥かに喜ばしいことであるし、そのために幾らでも反面教師
となってあげることが出来るだけで十分なことでは無いでしょうか。
北朝鮮も金王朝そのものは崩壊するのは時間の問題だと思いますが、最終的には韓国
と統一することで東アジア全体が非核地帯となって行けば、それに越したことは無い
のでは無いでしょうか。

日本経済も、もうこれ以上の急成長は期待出来ないことは間違い無いことでもあり、
それにより国際社会の中での地位低下し存在感も喪失することは大したことでは無い
と考えております。
そこそこの貿易黒字と中規模程度の農業と環境、社会福祉、観光の国として持続する
ことさえ出来れば、もうそれだけで十分のことだと思えば、それで良いと思います。
逆にそれにより、国内社会が幾らでも良くすることで、開かれた島国根性へと日本文化
を改善することが出来れば、もう此れほど喜ばしいことは無いと思いますので。

14藤原肇:2011/07/28(木) 23:41:34
韓国の後はエジプトのブースに移ったが、そこにいたのはインテリらしい老人であり、日本語はほとんど出来ない感じで英語で喋ったが、どうも大使館の文化部の人らしかった。並んでいたのは英語とアラブ語の本ばかりなので、どんな日本の本があるのかと尋ねたら、日本の本は英語で出ているものがあるから、わざわざアラブ語にしたものは必要なく、大衆は日本語の者に関心がないと言われ、成程さうかと思わざるを得なかった。日本の本にアラブ語圏の人の関心をひくものがなく、日本人の側に発信能力がなければ、誰も相手にせず関心の持ちようがなく、日本の外交にはそういった視点が存在しない。英国はブリティッサシュ・カウンシルを持つが、アメリカ人の好事家が日本文化ものを訳し、ほっておいても英語訳はでる帝国主義がある。フランスはアリアンス・フランセーズが文化活動し、ドイツはゲーテ学園がドイツ派の人材を育て、相手側に人材を育成するシステムがある。最近は中国がそれを真似て世界中に孔子学園を作り、人材を育てる努力をしているのに、日本は製品輸出しているだけに過ぎず、政治の貧困は文化外交にそのまま反映している。

15asa:2011/08/10(水) 14:25:11
新たな記事「人災を覆い隠す被害者意識 繰り返してはいけない一億総懺悔」を読ませて頂きました。
記事の表題にある藤原先生のご意見には大いに賛同すると共に、私達日本国民として真摯に受け止めなくてはならない
ことは当然のことだと存じます。

しかしながら、記事の中ででおっしゃっておられた下記のことに対しては、違和感を感じております。

「トップの軽率で無責任な行動としては、撃墜で死んだ連合艦隊の山本五十六司令長官と同類です。」

山本五十六司令長官は、そもそもアメリカとの戦争を始めるに当たっては、1年か長くても2年以内で決着がつかなければ勝つことは難しいとも語って
おられたことは学んだこともあり、そう簡単に切り捨てられるものでは無いとつくづく感じております。
連合艦隊司令長官という立場的には、「脱ニッポン型思考のすすめ」の中であるとおり、戦争を終らせるためにどうするのかと言うことを政治的に考えなくては
ならないことに近い様に感じるものの、それが言える立場に無いということの無念さというものも感じてしまう所であります。
仮に、海軍大臣あるいは軍令部総長と言う立場であればどうだったのかは分かりませんが、もしかすると陸軍参謀本部等の圧力によって自ら立場を失い踏み潰されて
しまうことに至ってしまったのかも知れないとも感じられるところでもあります。
山本五十六連合艦隊司令長官の頭の中には、ミッドウェー海戦で敗北した当たりのところで、もうこれ以上は戦争は続けることは難しいのでは無いかと考え、どうすれば
戦争を早く終らせることができるのかということも考えておられたのかも知れないとすれば、何とも無念とも感じると共に、単純に無責任だとは思えないところでもあります。

だからと言って、偏狭な国粋主義者にも左翼的な共産主義者も、どちらも大嫌いであり一切同調するつもりはございませんが、論理的に言えば、建設的野党に過ぎない共産党を
始めとする共産主義には矛盾は比較的少ないものの、対する右寄りの国粋主義者には細かい点では矛盾は無いものの全体を通して見ると矛盾だらけであり、左翼の足元にも及ばない
世界にとっても日本にとっても、全くいい迷惑な存在に過ぎないとさえ感じるところではあります。

そういう意味からすれば、菅総理の「将来は原発が無くてもやっていける社会にする」と言う方向性そのものは決して間違っていないと感じるものの、単純に一国の総理の首を挿げ替えれば良い
と言うことには同調することは出来ません。
むしろ、これを引き継いで、共に和すると言う共和精神を以って、例えば小日本共和国の懐妊に繋がる道が切り開かれても良いと感じます。

小学校の国語ではありませんが、共和というものは「共に和する」と言う意味から捉えれば、「共に同する」と言うだけなら、「共同国」の意味に
なってしまいますよね。
共同国というのは、世界的に見て何処に存在するのか分かりませんが、日本は、「天皇陛下を中心とした運命共同国」なんて言うおかしな表現になって
しまうだけなら、余りにも天皇陛下が可哀想なだけでなく、国際社会から見れば、とんでもない厄病神であり、こんな国粋精神そのものが、極めていい
迷惑な存在に過ぎない、反日的な国粋精神の何物でも無いとさえ思えてしまいます。

文化や歴史と言えば、韓国の歴史ドラマと日本の大河ドラマを比較しながら見ると、相対的に共通点や相違点と言うものを観察することが出来て大変興味
深く感じるのですが、「手にした権力は手段と方法を選んで使うべき」と言うことは、これからの政治や外交において、日本は韓国に限らず、全世界的
に共通するところでは無いかと感じます。

権力を手にすることで、悪事にも使えることは確かであるものの、一旦それによって相手を追い詰めてしまうことで、それが自分自身を追い詰めて、身を滅ぼして
しまうだけのことになってしまうと言うことを教訓にして行くだけで、お互いに分かち合い、助け合い、支え合うという絆を取り戻すことにより、
地域経済の活性化に繋がり、それが日本経済を支え、更には世界経済の安定と全人類の恒久的な平和を齎し、地球規模での環境汚染を食い止め、
その中で、日本はもう社会福祉国家としてつつましく存続することが出来るのなら、もうそれだけで十分では無いかとさえ感じるところではあります。

16千々松 健:2011/08/10(水) 23:12:43
山本五十六の名言「やって見せ、いって聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」には真理が在ると思います。社員研修で良く活用させてもらったコトが思い出されます。
さて、asaさんが感じられた違和感について、若干コメントさせていただきます。
軽率な行動ということで、菅首相の東日本大震災直後の福島第一原発視察と比較されたのは、敵に暗号を解読されている状況の中で、山本五十六がトラック島の基地から最前線のラバウルに自ら前線視察に飛だ行為を指しているのではないでしょうか。

17asa:2011/08/11(木) 16:00:34
「小泉内閣の亡国政治と外務省のデタラメ外交」と言う記事も読ませて頂きました
ところ、思わず笑ってしまいました。

「天皇の署名がないのに国璽だけが押してある。」と言う免官状には、天皇陛下を一体何だと考えているのか
さえ言いたくなるばかりでしかございませんでした。
これでは、北朝鮮と似たり寄ったりか、それにも劣る外交しか出来ないのは当然のことでしか無いと呆れるばかりですね。
北朝鮮と言えば、「金丸信はさしずめ北朝鮮の大使にでもして、土下座させておけば良いかも知れない」と言うのも、思わず
「日本人は、全人類の中で、最も猿に近い」と言う話よりも、面白い笑い話だと存じます。

ならば、2週間で突然にいなくなってしまったと言うレバノン大使を北朝鮮の大使にして、
「僅か2週間程で、何処かへ連れ去られたものと見られ、未だ行方が分かりません」なんて
いう話になれば、世界的には、金丸の土下座大使よりも返っていい笑い話になるのでは無い
でしょうか。

ところで、拉致被害者の問題で、脱走した米兵と結婚した拉致被害者の件では、
日本からは、失踪者名簿の拉致被害者の名前が載ってなかったにも関わらず、北朝鮮側より公表さ
れたことにより、明るみになったことがあったかと思います。
何か、裏事情について大変興味あるのですが、恐らく日本側に対してはアメリカより失踪者名簿より
公表しないように圧力があったということは容易に想像できるのですが、北朝鮮側に対しては、公表
するように何か脅されたりでもしたのでは無いかと考えられるのですが、如何でしょうか?

もしあのまま北朝鮮に取り残されていたら、子供達は北朝鮮の工作員になるしかないとも語られており
ましたが、それがアジア系では無く、中東系アメリカ人ともなれば、真っ先に考えられるのが、イスラ
エルの情報機関であるモサドを通じて、何らかの圧力はあったものとは見られるのですが。

18藤原肇:2011/08/12(金) 23:48:54
隣に大きなブースを持っているサウジでは、まるでマホメット教の宣伝の場と勘違いして、さまざまな「クーラン」を並べていて、万博の展示のようなスタイルだった。いわゆる女性も男性も砂漠の民の民族衣装を装い、いかにも新興の成金趣味に飛んでいたので、これは幕末期の日本人がヨーロッパの万博で、パリやロンドンで試みたやり方の再現であり、まさにデジャビュ感覚という印象が強かった。
トルコのブースには日本語のできる人がいたので、同じ言語系統に属しているのだから、私の本をトルコ語に翻訳することに関して、どうしたらいいかと尋ねたら無理だろうという。なぜなら関心を持つ人がほとんどいないからという。
そこで仕方なく話題を変えて、どんな日本語の本のトルコ語訳があるかと尋ねたら、本棚から一冊の本を持ってきて「詩集」だという。そこで手に取ってみたらフジワラテイカとあり、挿絵から受けた印象では「百人一首」だから、これは私の祖先が作ったアンソロジーだと説明した。
そしたら、相手の態度が激変して私に関心を払い、色んな事を尋ね始めたのをきっかけにして、藤原家はメソポタミアから日本に来たが、その一部はトルコ系と混血したらしいとからかい、この詩集には数学が封じ込まれていると喋り、ここには十次元の魔方陣があるのだと言ったら、目を丸くしてそれは凄いと呆然としていた。
こういった遊びが出来るのが楽しくて、博覧会などを良く訪れているのだが、最近は物を売ることばかりに熱心になり、異文化との接触の楽しみを満喫できる、そういう代表や売り子が少なくなってしまい、面白さが激減したという感じが強くなり、日本には碌な人が派遣されないのが惜しまれる。

19藤原肇:2011/10/22(土) 11:39:21
書店や外国の文化振興組織のブースがお粗末であり、伝統を持つフランクフルトやニューヨークのブックフェア―に較べて、余りにも貧相だったので落胆してしまったのは、書籍の出版が文化活動の一環だということが、日本において見捨てられてしまったためではないかと思う。
だから、東京のブックフェア―の付帯展示会場として、電子ブックの会場は沢山の訪問者で賑わっており、日本人のハードウエア嗜好を象徴していたが、私には魅力あるものだとは感じられなかった。書籍の電子化はビット数に基づく量の問題であり、本を読むことにおける質の問題とはあまり関係がなく、既に日本のエレクトロニクスの発想力や技術面では、全日本が束になっても韓国のサムスンに敵わないし、幾らサムスンが大量生産力を誇って見ても、システムとしての企画力ではアップルの足もとにも及ばないからだ。
そういうことに気づかずに過去の夢を追い続けるのは、日本人が戦艦大和の技術力を忘れられないのと同じで、未来を見失うと過去の追想に耽るだけになる。それと同じパターンが戦前における世界五大列強の一員としての夢で、戦後においては世界第二の経済大国の夢であるが、日本が経済大国というのは夢のまた夢ではないのだろうか。
最近の日本では出版危機が強く意識されており、出版社の倒産や事業破綻による廃業が目立っていることが、出版業界の危機感を高めているために、キンドルやリーダーなどの電子書籍ブームを生みました。だが、それが無残な破綻を生むに至っていることは、『小泉純一郎と日本の病理』の編集を担当した後で光文社を離れ、『出版第崩壊』を書いた山田順編集長の結論でした。
それは文化事業の一端だった出版がビジネスになり、売れる本を出すことが出版事業だと考えて、メディアの役割が狂っているためであり、それが世界で最も目立つのが賎民資本主義化した日本である。だから、拝金主義に毒されて社会や文化の持つ価値を見失い、ガツガツ稼ぐことに明け暮れている日本人が、この情けない堕落した共同体として腐敗に至らせ、遂には弱肉強食のネオコン集団の餌食になり、松下政経塾政権に乗っ取られた日本が潰れることよりも、私には良心的な「みすず書房」や「未来社」が潰れることの方が、遥かに悲しいことだと思わずにいられないということになる。

20T.N.:2011/10/23(日) 11:04:39
 商品先物取引で被害者が多く出て社会問題化していた頃、新聞で業界関係者が苦しい胸の内を明かしていたのを
思い出します。

 ”良心的な会社ほど、経営が苦しい”

残念ながら、これは金を追う世界だけの話ではないのでしょう。

21藤原肇:2012/05/25(金) 07:07:07
金環日食を契機にして、新しい進展が始まったことと、江戸っ子の私が故郷の東京を捨てて、慧智研究所とともに霧島に移る報告を次のように書いたので張り付けます。
<貼り付け>
慧智研究所(RESERCH INSTITUTE OF COSMIC WISDOM=RICW)の霧島降臨

2012年5月21日にあった金環日食は、21世紀の宇宙における太陽系の大ページェントとして、情報革命の激動期の中から創生しようとする、新しい文明期の夜明けを告げる瞬間であり特異点であった。この日は放射能雲に包まれた日本列島において、高千穂を擁した霧島山系は至福に満ちた快晴に恵まれ、世紀の宇宙イベントの観察者たちを祝福した。その一例としては金環日食の観察と霧島神宮に巫女舞を奉納し、その後で霧島倶楽部で霧島健康膳の昼食会がスパイラルの主催で行われた。
シンクロ的に霧島倶楽部に滞在して、飯島一郎ブランドの「霧島の秘水」と水源の視察を藤原肇が試みていたが、この秘水ボトルに貼るラベルの色に使っていた水色に対して、「生命知の殿堂」のカバーの色へと訂正を提案し、生命の躍動の力と結ぶ紅の光暉に満ちた色彩が、印刷直前にラベルの配色として訂正が実現した。この紅の色は「生命知の殿堂」の出版に際しカバーとして選択した色であり、水の分子の励起力を増進する秘力を持っている。














金環日食の光輝が霧島の地に降臨した記念に、霧島神宮の大鳥居の艮(ウシトラ) (北東)に位置する霧島倶楽部内に礎石を置き、そこをトーラス(円環体)の中心と定め、慧智研究所(RESERCH INSTITUTE OF COSMIC WISDOM=RICW)のセンターにすることになった。また、グルンバ装置のある霧島倶楽部の建物内に、記念図書館とRICWの設置をすることも確定した。この霧島の地にアマテラスの光輝に照り映えた、トーラス財団が近い内に誕生するという予感もする。これらの一連の経過に関しては改めて報告するが、霧島が生んだ「始元水」と飯山ブランドの「霧島の秘水」の由来については、飯山一郎による以下のような解説が、ブログ「てげてげ」を通じて行われている。 (藤原 記)
◆2012/05/23(水) 『3安(さんあん)の商い(あきない)』

グルノーブル(仏)大学で構造地質学を専攻した藤原肇博士に「政治」
ではなく、霧島の「地相」と「水」の検証をお願いした。(霧島神宮にて)
鷲が目をつけた霧島の水は完璧なまでに清澄なる「聖水」だ。
その水は、荘厳なる霧島神宮の地下深くの火山灰(シラス)層から吹き出すように湧きいでてくる…。
その水は、御手洗(みたらし)の滝となり、千滝となり、御手洗川や両度川となり、今も神話を生みつつ、霧島川を経て錦江湾に流れてゆく…。
世界的な水の専門家・藤原肇博士は、その水を飲み、唸った。
「人間の生存に必要なミネラル成分が全て含有されている!」
鷲が目をつけたその水は、まさしく清浄にして清澄な「聖水」だったのだ。近々、その水は 『飯山一郎ブランド・霧島の秘水』 として発売される。『飯山一郎ブランド』。“安心と安全と安価”をお売りする『3安(さんあん)の商い(あきない)』なのでR。

22藤原肇:2012/05/25(金) 10:28:05
金環日食が機縁になり、慧智研究所や蔵書を霧島に移すと発表した記事に対して、飯山さんの名前が飯島になっていたという誤植の指摘がアメリカの読者から、
どこの誰だか分からない人から次のような金環日食に関して、コメントが届きました。

日蝕の当日は、常陸国那珂郡陰陽神社の貔貅奉献式を翌日に控え、出席の先約ありしにより現地に赴く。これ奉献の碑文を草せしが故なりしが、正にその時に及びて俄に悟ることあり、以下に示す。

抑々日蝕は太陰の太陽を覆う陰陽合体の奇蹟にて、皆既日蝕が太陰の太陽を覆い尽くす凶兆なるに対し、太陰太陽を正しく覆いながらその径僅かに及ばず陽光を周囲に回らす金環蝕は、太陰の輔翼に拠って実に太陽の真相を顕彰する至極の吉瑞にして扶桑千年に一度の奇瑞となす。

嘗て禹域赤縣において朱氏明朝の滅亡に当たり、宮闕を守衛せし神獣の貔貅一対、忽ちその任を捨てて水戸義公の忠烈を恃み遺臣舜水を擁して扶桑に飛来す。爾来貔貅は常陸国陰陽石に拠り、中朝の守衛に任じて以て扶桑の神国たるを明らかにす。陰陽神社の貔貅の一体の近年盗難の厄に遭い、また一体の一部を欠けるは偶然ならず。蓋し貔貅飛来の伝承の巷間ほとんど隠滅して中朝守衛の本義正に忘却の淵に沈まんとするに当たり、貔貅自ら損して世人に其の存在を訴えしものと視るのほか無し。

ここに有志互いに羽檄して微志円通し忽ち再建成るは近来の快事にて、その奉献の式に当り前日の天候陰陽合体の千年の奇瑞を顕す、これ豈何の偶然ならむ乎。

 ここに翻然と覚りしは、陰陽は大極より別れその性もと相対なると、その詳細につきては稿をあらためんと欲す。

2396169:2013/07/31(水) 01:07:56
チベットを軸に中国の奥の院であり、縄文文化と結びつきの強いチベット周辺の雲南省と四川省の4000m級の山岳地帯を観察と徘徊し、暑い日本に戻りつきました。
今様のシャングリラと言われる香挌里拉はブームタウンで俗悪化し、シャンバラという郷城の方がはるかに増しであり、百万人のチベット人が殺された西昌は歴史が隠蔽されていました。
日本のアルピニストたちが八人も遭難した、7500m余りのミニアコンカ山は、同じアルピニストとして悲しい思いで遠望した次第です。
昨年春にインドに言った体験に続き、今回はヒマラヤ山塊の北側に行ったことで、メコン川や揚子江の源流を訪れたことになります。
エクラン山やモンブランで4000mクラスは体験したとはいえ、5000m近くで高山病にもならず老いて元気ということを確認しました。
帰国したら将基面さんからの悲報で、中村勝己先生がお亡くなり、彼が名古屋大学出版会から出した「ヨーロッパ政治思想の誕生」を読んでもらえなかったようです。
丸山真男先生と並んでマックスウェバーに精通した、政治思想史の巨星を失ったことが、実に寂しいことだと実感されるのがつらいと思われます。

24藤原肇:2013/11/12(火) 09:13:13
松岡さんの「千夜千冊」を読み上げた充足感に包まれ、東南アジアにおける「冬の旅」を続けているところに、以下のような吉報が舞い込みました。
将基面さんの誠実な努力の蓄積が、この成果をもたらせたと嬉しく思う次第です。

すでに新聞の報道でご存知かもしれませんが、拙著『ヨーロッパ政治思想の誕生』で第35回サントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞いたしました。
日本での出版活動は、そもそも藤原さんからのお勧めを受けて『反「暴君」の思想史』を発表しなかったらあり得なかったことで、これまで賜りましたご支援、ご助言に心より深く感謝申し上げます。
サントリー学芸賞の授賞式にあわせて一時帰国する予定でおりますが、12月11日から13日の間に、藤原さんが東京にお越しになられるご予定はありますでしょうか。
時間的余裕がなく、霧島までご挨拶にお伺いすることができず大変申し訳ございませんが、もし上記の時期に藤原さんが東京においでであれば、ご挨拶申し上げたいと存じております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。将基面貴巳


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板