台北の桃園国際空港からプノンペンに飛ぶ便は、朝が早いので空港近くのホテルに泊まる必要があり、前の晩に久しぶりに読んだのが『国民経済』だった。大塚久雄先生の名前を最初に知ったのは、どの本か忘れたが小室直樹博士の著書で、数日前に小室さんが亡くなっていただけに、この本の「解題」を中村勝己先生が書いていることを含め、めぐりあわせの不思議さをしみじみと感じた。
というのは、空港での待ち時間を使い無料コンピュータで、久しぶりにインターネットを開いて掲示板とメールを見たら、小室直樹さんの死の記事と共に将基面博士からのメールがあった。中村先生の『近代市民社会論』には二種類あり、先生の最終講義録の学部編と大学院編で、この二冊は将基面さんからプレゼントされ、読破で慶応の経済学部の卒業と同じ、実力を涵養したという自信を獲得出来た。お裾分けとして学部編は手に入ったので、「宇宙巡礼」の書店でプレゼントできるように、手配したと記憶しているが。
いずれにしても、小室さんは得難い逸材であり、最後に対談したのは十五年前で、『意味論オンチが日本を亡ぼす』だった。
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この対談の冒頭の部分で、ドイツ語と英語について喋った時に、彼の表情が変化して口ごもったので、対談が中止になるかと心配したが、どうにか機嫌を直して話が継続したのであり、あの日のことを飛行機の中で思い出した。というのは、アメリカで手術した記録をまとめ、「生命知の殿堂」という題の下に、本にしようと考え手術の時までは、掲示板にも一部だけ発表したが、その後についても台湾で書き続けたのに、インターネットの不都合で送信不能だった。「生命知の殿堂」の題を表紙において、外国語でどう表現するかと考えたが、英吾だとThe Hall of Cosmic Wisdom になり、フランス語ではLe Partheon de la Sagesse Cosmiqueということで、この二つの題を並べて眺めると、如何にアメリカ英語は味がないかが分かる。アメリカではHall of Fameというように、ホールでパリでは市場をアールと呼び、英吾のホールに由来する生鮮市場が、パリのど真ん中にあったけれど、現在ではポンピドー広場になって、市場はオルリーに移転して姿を消した。英国人の英語にはパンテオンがあるが、アメリカ英語にはパンテオンはないので、こんな国に25年も住んだのが不思議に思えた。小室さんにこんな話をしたら、どんな顔をしたかと思いながら、稀代の天才の冥福を祈る事にしたい。
(NGOで書き込めないので)小室さんとの対談のURLは頭を削りました