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追悼 小室直樹氏

1西條:2010/09/10(金) 20:49:54
小室直樹氏が9月7日頃に逝去された模様です。
副島隆彦氏が、自身の掲示板(学問道場)で追悼の言葉を述べられて
いました。  合掌

2尾崎清之輔:2010/09/11(土) 00:01:27
西條さん。この度はご連絡ありがとうございます。

藤原肇博士もその著書で仰せの通り、日本人で僅か3名のみ現存する生きた意味論の使い手であり、特に後年は毀誉褒貶な生き方を送られたと言われつつも、十年〜数十年に1人の天才であったことは確かであると小生も考えております。
また、ご存知の通り、小生にとって最大の師匠筋である藤原肇博士の存在とその出会いは、小室博士なくしてはおそらく有り得なかったであろうことを考えると、享年78歳とは申せ、言葉にならないほど悲しく、誠に残念でなりません。

いろいろ書きたいことは山積しておりますが、まずはこの場をお借りして故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

3ヒロイエ:2010/09/11(土) 10:11:04
残念ですね
最近、著作も見なくなって
とはおもっておりましたが
そのジョウホウがメディアにでないのは
色物扱いか過去の人かの扱いしかできなかった証左ではないでしょうか

4千々松 健:2010/09/11(土) 14:30:48
数学を専門に学んだ有名人では、岡潔、小室直樹、広中平祐、藤原正彦などが一般向けの本を多く書いておられる。その一角の小室直樹氏が亡くなられたという。9月9日の誕生日を迎える直前であったのは無念であろう。
数学は哲学の基本である。中観論で大乗仏教を説いたナ―ガルジュナ(龍樹)を高く評価していたことを今回知る機会となったが、この龍樹こそ、数学的な意味での「零」の発見をインド人にもたらした人物と考えて良いのです。有でもなく無でもない存在としての「空」即ち零の発見に繋がるからです。(+1)+(−1)=0
重陽の節句に生れた東洋の偉大な人物を、9=久=空=0、メビウスの輪の如く永遠の世界へと送りたい。合掌

5野田隼人:2010/09/11(土) 20:19:46
小室直樹博士逝去の訃報に接し、咄嗟に9年前に地元の駿河大学で、小室博士にお会いした在りし日を懐かしく想い出しました。同大は拙宅から車で5分ほどのところにあり、当時の小室博士は同大の客員教授をされていました。その時の小室博士は70歳前でしたが、講義でのお声には張りがあり、かつ新自由主義を主テーマとするお話には迫力がありました。今でこそ小泉純一郎の正体は識者の間では周知の事実ですが、あの渡邉正次郎ですら『小泉純一郎・田中真紀子 人心掌握の極意』という、小泉を持ち上げたヨイショ本を書いていた時でしたので(2001年7月発行)、小生も正直な話小泉の正体は明確に掴んでいませんでした。そうした中、新自由主義や規制緩和等の問題点を明確に見抜いておられた小室博士は、今から振り返るに流石でした。その小室博士に対して、長年に渡り直接間接を問わずご教授戴いたことを感謝すると同時に、心より哀悼の意を表します。


野田隼人拝

6T.N.:2010/09/14(火) 03:20:17
 現在のところ、小室直樹氏の訃報をマスメディアで伝えたところは無いようです。小室氏の学問上の業績はさて
おき、何冊かのベストセラーの著者としてだけでも、この扱いは不当に思えます。
 小室氏の著作は読めば面白く刺激的であるのですが、私自身が理想主義的な面を求めるのか、全幅の信頼を置く
というところまでは行かず、徐々に離れるようになりました。どちらかというと、小室氏自身よりも、藤原氏を始め
とした小室氏の異能を評価する方々の本を読むことが多かったようです。それでも小室氏の発言や考え方の幾つかが
身体から抜けることはなく、例えば本サイトの「意味論」スレッドで、ゼロに関することを書いていたときは、
”日本には有神論が無いから、そのアンチテーゼである無神論も無い”という発言が頭にありましたし、「日本の回天」
41の投稿は、ソ連邦の行き詰まりの原因を”資本主義を経ずに来てしまった共産主義”としていたことが気になって
いました。
 藤原氏が著書の中で書かれていたように、小室氏が海外に足場を持ち、お金の心配をせずに研究に専念できる立場
だったらどうだったろうか。あるいは小室氏は自分の考えを広く伝えることで、心地好い後半生をおくられたのだろうか
などとも考えます。誰にとっても人生は短く、一回きりです。

7藤原肇:2010/09/17(金) 09:35:47
台北の桃園国際空港からプノンペンに飛ぶ便は、朝が早いので空港近くのホテルに泊まる必要があり、前の晩に久しぶりに読んだのが『国民経済』だった。大塚久雄先生の名前を最初に知ったのは、どの本か忘れたが小室直樹博士の著書で、数日前に小室さんが亡くなっていただけに、この本の「解題」を中村勝己先生が書いていることを含め、めぐりあわせの不思議さをしみじみと感じた。
というのは、空港での待ち時間を使い無料コンピュータで、久しぶりにインターネットを開いて掲示板とメールを見たら、小室直樹さんの死の記事と共に将基面博士からのメールがあった。中村先生の『近代市民社会論』には二種類あり、先生の最終講義録の学部編と大学院編で、この二冊は将基面さんからプレゼントされ、読破で慶応の経済学部の卒業と同じ、実力を涵養したという自信を獲得出来た。お裾分けとして学部編は手に入ったので、「宇宙巡礼」の書店でプレゼントできるように、手配したと記憶しているが。
いずれにしても、小室さんは得難い逸材であり、最後に対談したのは十五年前で、『意味論オンチが日本を亡ぼす』だった。
//fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/semantics.html
この対談の冒頭の部分で、ドイツ語と英語について喋った時に、彼の表情が変化して口ごもったので、対談が中止になるかと心配したが、どうにか機嫌を直して話が継続したのであり、あの日のことを飛行機の中で思い出した。というのは、アメリカで手術した記録をまとめ、「生命知の殿堂」という題の下に、本にしようと考え手術の時までは、掲示板にも一部だけ発表したが、その後についても台湾で書き続けたのに、インターネットの不都合で送信不能だった。「生命知の殿堂」の題を表紙において、外国語でどう表現するかと考えたが、英吾だとThe Hall of Cosmic Wisdom になり、フランス語ではLe Partheon de la Sagesse Cosmiqueということで、この二つの題を並べて眺めると、如何にアメリカ英語は味がないかが分かる。アメリカではHall of Fameというように、ホールでパリでは市場をアールと呼び、英吾のホールに由来する生鮮市場が、パリのど真ん中にあったけれど、現在ではポンピドー広場になって、市場はオルリーに移転して姿を消した。英国人の英語にはパンテオンがあるが、アメリカ英語にはパンテオンはないので、こんな国に25年も住んだのが不思議に思えた。小室さんにこんな話をしたら、どんな顔をしたかと思いながら、稀代の天才の冥福を祈る事にしたい。
(NGOで書き込めないので)小室さんとの対談のURLは頭を削りました

8T.N.:2010/09/18(土) 23:43:11
>7 米国での手術の記録を本にしようとの考え、”転んでもただでは起きぬ”という表現は失礼ですか。

 確かに"Hall"では空間的ですが、歴史の響きが感じられない。藤原氏らしい”空間+時間”ですが、歴史や伝統
を持ち出されては、米国人は苦笑いする他ないでしょうね。

9H.Y.生:2010/09/19(日) 01:01:20
小室さんと藤原さんの対談の面白さが現れていて、藤原さんがドイツ派の小室さんを挑発しているのに、文面では小室さんが相槌を打って肯定しているように読めるが、実際には顔色が変わって口ごもったとしたら、これは貴重な対談の重要なカットだと言えそうですね。
そこで対談の部分を再現したら次のような具合になり、その時の間の取り方次第で情景が生き生きと再現される感じです。本当は小室さんもドイツ人の度し難さに対して、うんざりしていたのかも知れませんな。

藤原:特にここで強調しなければならないのは、潰れかけている原因が“セマンティックス(意味論)”にあり、日本人に意味論が分かっていないことだ。われわれは共にヨーロッパ派に属する日本人だとも言えるが、小室さんはやはりドイツ派で、著書の中にガイスト(精神)どかゲミュート(情緒)なんて単語が続々と使われている。ぼくはフランス派でドイツ語は口に合わないから、あんな野蛮な言葉は誰が喋るものかと思っている。だから、あなたの本を読むたびに鳥肌を立てている(笑)……。
小室:ドイツ語はバーバリアン(野蛮人)の言葉だという劣等感は、ドイツ人自身が抱いているんだ(笑)。
藤原:こんな話がある。フランス王が「私は神様と対話するときにはスペイン語で、人間と話すときはフランス語を操り、馬と喋るときはドイツ語を使う。犬と喋るときには英語で、若い娘にはイタリア語で話しかける」と言ったとか。ぼくはアメリカ人に「どうして英語で著書を書かないのか」と聞かれたらこの話を引用して、「犬に使う言葉で書くのは気がすすまないし、フランス語だと日本語の五倍も時間がかかり、アメリカの美徳の能率に反する」と答えると丁解する。要するに、アメリカ人は理路整然とした話なら納得するんだが、日本人は腹芸でやるし気分が先に立つ。だから、日本人は最も親密なはずのアメリカ人のみならず、世界中ともコミュニケーションができないでいる。
小室:コミュニケーションが成立していないことにさえ気がついていない。
藤原:ドイツ人はある意味で情の連中でロマンチックであり、フランス人は理に価値の基準をおく特性を持つ。小室さんの思想にはドイツ精神的なもの、つまりへ−ゲルとマックス・ウェーバーが根底にあり、ぼくは自分で言うのは恥ずかしいが、考えの基盤にデカルトとヴォルテールがある。われわれ二人の精神には情と理の差があるように見えるが、実は根底においてヨーロッパ精神で結びつき、ライプニッツに数学で通底している。だから、今日の対話のテーマであるセマンティックスを、これまで仕事みたいにして懸命にやってきた。

10千々松 健:2010/09/19(日) 16:41:52
私は最近、リスクとチャンスはWhich,Whose,Whomの中に隠れていると考えています。
5W1Hのうち「H」のHowは程度を表わす「いくら、どれくらい」の意味に絞って、「How to」は上記の3つのWに譲るべきです。
本来別に独立してあったWhich,Whose,Whomの疑問詞をHow toの中に入れ込んでしまい、場合によっては省略して、スピードと効率を重視してしまった犯人は誰でしょうか?
私は英国人の文豪シェークスピアではないかと推理しています。なぜならば、Howの語源をO.E.Dで調べると近世までは「Whow」なのです。Whowとして、Which,Whose,Whomなどと共に独立して使用されていて、What文は9種類が平等に存在していたはずです。9個よりも6個の方が効率が良いとした英語ならではの性格でしょうか。そしてWhowのWを取ってHowにしてしまうのです。まさに象徴的ですね。
「念はドイツ語で、理がフランス語なら、利が英語と言われる」のも解る気がします。

さて、8W1Hあるいは9Wの中では、これからはWhich,Whose,Whomを注目しましょう。どんな方法・手段を選択して、誰を味方につけて、誰を攻略するのかがゲーム上だけではなく実践の上でも重要になります。リスクとチャンスは狭い5W1Hには見当たりません。
昨年ベストセラーに登場した「悼む人」の例のように「どんなことをして誉められたのか、誰に慕われていたのか、誰を愛していたのか」即ちWhich,Whose,Whomが大切になると思うのです。そのあたりから意味論の解る日本人を育てて行く切っ掛けとしたいものです。

11千々松 健:2010/09/22(水) 22:53:51
「を月様 幾ツ 十三七ツ」とわらべ歌の書かれた「指月布袋画賛」仙涯(さんずいは無視のこと)展を出光美術館へ観に行きました。そして、念願の「○△□」の墨画にも出会えて、英語タイトルがThe Universe と付いていて嬉しく思いました。右側から左方向に○、△、□が筆使いでは1、2、3のリズムで、全体は一墨で描かれていました。その解説では「一人の人間(□)が修行をして(△)悟りを開く(○)までの過程を示した図とも解釈される」となっていました。
確かに四角形は人間に関するイメージで、人工ないしは行動を示し、三角形は理屈や迷いを示しており、円形は完成した姿のイメージとなろう。しかし、○△□の順番からすると完成・修行・人間ではどうも具合が悪い、やはり「宇宙」の方が解りやすいと思った。
更に「念のドイツ・理のフランス・利のイギリス」をヒントにして考えると、○が精神や情緒で、△が論理や理屈で、□が人の手を加えた行動すなわち人工となると考えて良いだろう。
そして、我々は宇宙の法則のように「●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!」で三つを統合しながら循環しつつ思考して行くのが良いと思われる。
<中秋の名月を久しぶりに観ることが出来た日に因んで>

12千々松 健:2010/09/25(土) 11:08:37
「●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!」は「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」という稲盛和夫氏の名言にカサネて考えると良いと思う。

●では楽観的に構想する。(Want段階)
したいこと、できること、求められていることの三つの輪が重なるよう、自由奔放なアイデアを引き出せるようにするのがよい。

▲では悲観的に計画する。(Plan段階)
大事なテーマについて、問題・原因・対策・目標の四側面で分析し、あらゆるリスクを想定し、細心の注意を払って慎重にプランを練るのがよい。

■では楽観的に実行する。(Action段階)
8W1Hで具体的なアクションプランに落としたら、後は勇気を持って、思い切って行動するのがよい。
そして、結果を見て、次のレベルの●に戻るようにすれば良い。

13千々松 健:2010/09/28(火) 22:24:00
小室直樹氏の逝去に関する公式発表が28日午後に東工大から出されて、マスコミがニュースにした。それにしても9月4日から28日の三週間以上の空白期間は長く感じられた。
下記は比較的新しく詳しい記事内容の「毎日.jp」です。
http://mainichi.jp/select/person/news/20100928k0000e040051000c.html

14T.N.:2010/09/28(火) 23:56:12
>13 千々松様、情報ありがとうございます。当初伝えられていたより、亡くなられたのが少し早かったようです
が、やはり正式な発表を待たないとわからないことがありますね。

15T.N.:2010/09/30(木) 00:14:42
 小室氏は政治家としての田中角栄を非常に高く評価し、官僚が政治家を兼ねることの問題を指摘していました。
14日の民主党代表選では、本当はそうしたことが争点になるべきだったのでしょうが、”政治とカネ”の報道に
潰されました。小室氏の訃報が伏せられたのは、そうした事情があったのだろうかと勘繰りたくなりますが、さすが
にそれは無いですか。

16村山:2010/10/14(木) 21:01:05
小室さんが亡くなったことに関して、『週刊新潮』が記事を書いています。

17T.N.:2010/11/25(木) 03:39:43
 阿修羅掲示板に”チャルマーズ・ジョンソンが死んだ。”という投稿がありました。小室氏は一見同じものでも、
それが適用される地域やそこの人々の行動様式により、全く違った意味を持ってくることを指摘していました。自然
科学では、例えば実験室である要素以外の条件を同じにし比較検討することにより、その要素の持つ意味を解き明か
そうとします。社会科学では地域という空間、歴史という時間を越えて条件を同じにすることはほとんど不可能に近
い。だから単純な比較もできないし、統計的手法にも馴染まない。
 ジョンソン氏の指摘は冷戦の勝利に驕った米国が、地域研究の重要性を見失い、そのしっぺ返しを受けつつあると
いうことのようです。

18DTDT:2012/08/16(木) 00:16:42
小室直樹のいうところの、国会での行為のうち言論の自由という価値が国会法の改正で
毀損されたとのことである。 野次は国会の華というらしいが、ある意味それを姑息な方法で埋めているとも言える。

彼の言うところは、基本の価値観があり、それを示してもいる。ポケット6法に明示された法令だけでもいいがその欺瞞性のある運用を示すものがあってもいいと思うが、最近の法学部の学生はそういう種類の覇気はなくなったのか。
 
 外国の判例にも、日本の訴訟などではみられないダイナミズムがある。


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