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蛸壺発想とと大局観について
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:
朝香隆彦
:2007/12/20(木) 01:07:15
そして、このような指摘に対して、「証拠は?」とか「根拠は?」とか「出典は?」などと、仰せの方々につきましては、以前も坂口三郎さんの話に絡めて同様の投稿をさせて頂きましたが、それを若干修正した上で、ここに改めて再掲させて頂きます。
◆坂口三郎さんは戦前戦中にかけて活躍した高名な記者であり、また戦後は吉田内閣や芦田内閣の顧問や外郭団体のトップなども歴任しており、この時代の歴史の貴重な証言者でもあることは申し上げるまでもございません。
◆藤原肇(著)「朝日と読売の火ダルマ時代」(国際評論社)の中での坂口さんの著書「戦争国家の終焉」(東明社)の紹介箇所から以下引用(★)。
★証拠主義に毒されて筆の冴えない最近の論調に対して、「歴史の真実というものは、証拠や、証言や、証人や、記録や、日記などの資料によって、分かるものではない」と書き、「記録はあるのか、証拠はあるのか、証人はいるのか、などと言って詮索するのはチンピラ法律官僚のすることであって、大人のやることではない」と冴えて目で正論を吐いている。
この言葉の意味を理解できる人物が今や希少な存在になってしまったことは誠に嘆かわしいことですが、仮にネットから入手した情報をベースにしても、自らの足(これが実は肝要です)と頭を使って丹念に調査し、更には直観と演繹によって一定の結論に至ったのならば兎も角として、その殆どは安易にネット情報を取ったあげくに(実は取ったつもりが自分が取られていることには気が付いていないのですが)、そのまま鵜呑みに近い状態で雑音を撒き散らすような思考能力停止に陥っている御目出度い方々の多さには、驚愕を禁じえません。
そのような者の中には自らのプロフィールに堂々と新聞記者出身であることを名乗っていたり、欧州へ在住して海外の一流メディアに接する機会を持っている者などもいるようですが、せっかく物理的に脱藩しているにも関わらず、このような蛸壺的な思考体系から一歩も脱却できていないことは、これも逆立ちした劣等感の持ち主の一種と考えます。
古典や良書と呼ばれる書籍は勿論のこと、ネットにもいろいろとヒントは転がっているのですから、そこからは自らの足を使って飛び歩いて、時間をかけて捜し求めてみるのも一つの楽しみとなるでしょうし、またモノの見方の訓練にも繋がることは明らかです。
たとえ最初の切っ掛けはネットからの情報であっても、それを自らの足を使って時間をかけて捜し求めてみてこそ、初めて「物事の本質への認識に至る」のであり、そのプロセスを楽しむことも肝要であると思います。
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