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蛸壺発想とと大局観について

16村山:2021/10/14(木) 07:07:11
小室直樹氏に関して「山根治BLOG」に、次のような記事が出ていた。ヨーロッパの伝統的な評伝と、日本の評伝における内容の違いは、こうした視点の情報や、シュテファン・ツヴァイク的な叡智が、有るか無いかの違いだと思う。
「・・・山根治ブログの特徴は、素晴らしい情報の宝庫だのに、索引の出来が悪いせいで、過去の記事を探し難くて、ラビリンスに入った印象が強く、奥の院にたどり着くまでの迷路が、錯雑して惜しい限りです。それは日本の図書館や、大学図書館でも同じことで、プロの司書の訓練が劣り、学問の場の大学でさえ、使う人の立場になっておらず、図書館が本の倉庫に過ぎません。
私はジャパノロジストについて、彼らの実力を知るには、書庫の蔵書の質を調査し、問題意識を探るのが最良と考え、十年以上を費やして、米国の大学の書庫巡りをしました。そして、日本学の講座を持っている、米国の20校以上の大学を訪れ、それで得た評価をベースに、日本学者と議論をしたが、それで相手の真贋を判断し、その一端は『「アスペ」の三畸人交遊録』や、他の拙著に書いてあります。
また、私はペパーダイン大学で、総長顧問をした時に、世界の百校余りを訪問し、総長や学長を相手にして、人材育成問題を論じたが、責任者の人格が決め手で、通俗的な有名校は無意味と知りました。だから、小泉や安倍を始め、菅や岸田などを首相にした、日本はとても一流国でなく、三流国だ判断することに、私は強い自信を持っており、それが私の評価力の基準です。
それで得た私の結論は、大学は建物に過ぎず、そこにいる学者の実力と、大学図書館の蔵書の質が、学部の格を決定づけており、大衆には一流大学とか、二流大学の呼称はあっても、一般化は無意味なのです。どの大学のどの学部は、ある時期は誰が教授だったから、横綱格だと形容できても、それは大学全体を示さず、優れた人が上に立って、適材適所が実現した時に、初めて一流と呼べるのです。
だから、私の人生の遍歴は、有名と言う虚名ではなく、一流の人材を訪ね歩き、その薫陶を仰いだのだし、市場に群がる大衆は、相手にしないで来たし、賎民資本主義に反抗してきた。そして、著書も未来の読者に向け、メッセージを送ったから、大衆相手の日本では、黙殺されて書評もなく、活字にする出版社も不在で、電子版で記録を残したのです。
大兄の「見えて来た裏の構図(6)」には、「大学の横綱格は東京大学、大関格は慶応大学と早稲田大学。東京大学は、政・官・財にわたるオ-ルラウンド・トリッキ-・プレイヤ-、いわば「日本一の大親分」、慶応大学は、財のトリッキ-・プレイヤ-、いわば「こそ泥の類(たぐい)」、早稲田大学は、政のトリッキ-・プレイヤ-、いわば「寝わざ師」。・・・」とある。
だが、後半部その通りだろうが、横綱や大関の格付けが、大いなる疑問だと思うのは、学問的な評価ではなくて、権勢欲の分布図だからでしょう。 続く


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