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最近読んで印象的だった本

221藤原肇:2015/12/13(日) 12:07:10
1970年代から80年代にかけて、東京はある意味で情報があったから、年に数度の頻度でも訪れるだけで、情報の断片が色々と集まったし、優秀なトップ屋たちが元気に活躍していた。日本人の国士も健在であり、正義感に基づいて活躍していたから、田中金脈が起きる前までは、頻繁に東京を訪れて人脈を作ったので、この頃は毎年二冊くらい本を出し、人生で最も生産的な時代だった。
カルガリーで出会った日本人では、元外交官の早川聖さんの存在が、何にも増して貴重な情報源だったから、毎週のように自宅に招いて一緒に食事をし、彼の体験談を大量にテープに録音して、それを元に何冊も本として出した。
なぜならば、彼は横浜出身の貿易商の息子で、父親は生糸と茶の輸出で財をなし、神奈川新聞の創業メンバーの一人だが、吉田茂の養父の吉田健三とは同じで仲間あり、山下公園に近い屋敷が隣り合わせだった。吉田健三はマセソン商会の番頭から、独立して実業家になって財産を作り、養子の吉田茂を外交官にしているが、早川さんも外交官になってから裏方に回って、外務省がブラックチェンバーを開設した時に、その責任者として暗号解読を指揮した。
また、戦後は横浜の終戦事務局に出向し、鈴木九万公使の下で実務を担当して、東条英機が自殺未遂で収容された時には、天皇の見舞いの果物篭を野戦病院に届け、その後は神奈川県に入って調整官を担当してから、ジェトロに入り海外支局長を歴任していた。彼は外交の裏道を生きた人であり、その体験はとても貴重だったので、彼の人生体験を吸い取るために数年を費やし、私としては大いに学ぶものがあった。
その成果は『インテリジェンス戦争の時代』であり、それを出した山手書房新社の社長は、外交官の曽根益の秘書官だったし、ある資料を出版したいと考えて、経営難の山手書房を買ったのだった。
山手書房は宗教評論家の高瀬が、人生論の本を出すために作って、そのうち『日本をダメにしたナントカ』で当たり、何百冊も本を出すに至った出版社で、早川さん絡みの拙著も二冊ほど出ていた。ある時この出版社の編集者から、敗戦時の秘話を本にしたいと手紙が届き、ちょうど早川さんと暗号について、対談した記事があったので送ったところ、対談は売れないので書き下ろすという。そこで任せたら『暗号解読』という本が出来たが、文体は稚拙で内容も杜撰に属す、恥ずかしいような本が出来上がってしまった。
山手書房を買った新社長が、数百もある版権付の本を調べたら、数冊だけ再販の価値を持つ本があり、その中に『暗号解読』が入っていたので、再販する形で出したいという。だが、私としては出来損ないの本だから、書き直しをしたいと提案して受け入れられ、それが『インテリジェンス戦争の時代』になった。彼が出したかったの『第二次世界大戦終戦史録』で、外務省が敗戦時に持っていた資料を集めて、百部だけ謄写版で印刷したが、後で回収して廃棄処分にしたものだった
。だが、一冊だけ外交官の曽根益が隠匿し、それを秘書官に退職金代わりに渡したことから、私の本の出版の話にも結び付き、拙著に続いて出たのが『昭和陸軍“阿片謀略”の大罪』だった。その辺の経過はどこか忘れたが、書いた記憶があるので省略することにして、この本はアヘン問題に関しては、みすず書房の『続・現代史資料(12)』と並んで、日本最高の基礎資料に属す力作である。また、その著者の藤瀬一哉の謎解きを敢えてすると、共に私の熱烈な読者で友人でもある、佐藤肇と岩瀬達哉の合名だったのである。


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