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最近読んで印象的だった本

209藤原肇:2015/11/30(月) 09:13:30
その頃の私は非常に好奇心に満ち、時間的な余裕にも恵まれたので、過去の経験を総括して置こうと考えて、留学体験を小説化して纏め始め、全体で十巻のうち三巻まで書き進んでいた。四十五年前に筆を折った理由は、知識ばかりで知恵がないとダメで、作品としてはゲーテやモンテーニュのように、知恵がつかないといけないと思ったからだ。また、40年前に「文学界」の編集長時代の西永達夫さんが、忙しいのに一年がかりで読んでくれ、「これは日本版の”坊ちゃん”の長編だが、”戦争と平和”のように理屈が矢鱈に多く、日本には読者がいないよ。それに文体が古臭いし濃厚だから、これを編集できる編集者が今の日本にはいない」と言われた代物だった。
北海とアドリア海での仕事では、『戦争と平和』と『アンナカレニーナ』の他に、T・E・ロレンスの『砂漠の叛乱』も読み上げ、執筆熱に浮かされて多産だったので、この頃は暇に任せてどんどん書いた。だから、小説の中でオリンピック体験の部分を抽出し、『真夏の冬季オリンピック』と題して、札幌大会の前に本にしたいと考え、ある出版社でゲラ作りにまで進んだ。ところが、英語版の「まえがき」に書いておいたが、本としては1972年の札幌大会の前に、出版が決まってゲラまで出来たけれど、大会直前に出版が中止になっている。本の中で札幌大会について論じている箇所に、選手たちがストライキを起こすとか、テロリストの攻撃の可能性に触れており、最後の段階でそれが影響してしまった。
また、オリンピックが曲がり角だと論じ、将来の問題点を指摘してあったから、出版直前に出版社の社長が読んで、危機感を抱き出版中止ということになった。テロ事件で天皇家の誰かが傷でも負い、傷害事件にでも巻き込まれたら、倒産しても謝り切れないという理由だった。実際に、札幌では何事もなく無事だったが、夏のミュンヘン大会において、選手がテロに襲われてしまい、予告が実現したのは残念だが、出版中止の本はお蔵入りのまま、30年後の長野での冬季大会の時になって、やっと活字になったがこれは処女作だった。
このように初期の頃の私の本は、遠慮しないで単刀直入に核心に触れ、隠すべき真実にも触れていたるために、出版がとても困難なことが多くて、『石油危機と日本の運命』は十社以上も断られている。そこで、読者の一人の英文日経の編集長が、何冊も本を翻訳している関係で、知っている出版社に持ち込んでくれ、初めての単行本がハードカバーになり、サイマルから初版3000部で出て、大手の新聞でも書評が掲載された。だが、出版が1973年4月だったせいもあり、「著者は日本経済の実力を知らない」とか、「被害妄想的だ」という論評が多く、最初の半年の間に千部も読まれなかった。
しかし、六か月後の十月に中東戦争が起きたので、石油ショックの中でベストセラーになり、十万部近く売れたのだから、呆れた話だと痛感したものだった。売るために本を書いたわけではなく、サウジで知り合ったヤマニの発想力と、カナダから眺めた世界情勢に基づいて、準備が必要だと警鐘を鳴らしたのに、ことが起きないと誰も見向きしないのだ。しかも、石油は武器として使えば威力が絶大で、事件が紛糾したら衝撃的だから。パニックを起こさないようにと指摘したら、私は「狼少年」のように扱われてしまった。そして、大騒ぎする不逞の輩の扱いを受け、日本の政治家や官僚に嫌われて、T・E・ロレンスの悲哀が良く分った。
それでも、悪い話ばかりではなくて、外報部関係の多くの新聞記者たちが手配し、記者クラブでの講演を企画して、東京に招いてくれる機会が増えたお蔭で、多くの人と知り合うことが出来た。特に時事通信とサンケイが積極的であり、背後に財界や政府筋が控えるので、エネルギー問題を論じる私を使えると考えて、発言の場を積極的に提供してくれた。だが、そんな手口は北米では日常茶飯事で、利用される形で相手を逆利用して、情報を取るのが頭脳ゲームの醍醐味だし、国際舞台の主役はオイルマンであり、石油産業にはそのノウハウが蓄積するが、日本人はその点で脇が甘かったのである。


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