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最近読んで印象的だった本

184藤原肇:2015/11/04(水) 00:52:44
ダブルLucky7の喜寿を迎える日の前後は、滅茶苦茶に忙しい状態で過ごしたために、#180では空の英訳をEmptinessと書くべきなのにNothingnessと書いてしまい、#182では自分の著書名を間違えており、『インテリジェンス戦争の時代』とすべきところを『暗号戦争の時代』と書いたのは、ことによるとアルツハイマーが始まったかと疑いたくなるほどだ。
でも、一年半前に日本で襲われて殺されかけたとはいえ、それにしても良く生き延びて、ここまで来たのは目出度いと感謝すべきかも知れない。
実は76歳の最後の日のランチを一緒にした人は、カンボジア人の優秀な青年であり、翌日が私の誕生日だと言ったら手を打って、シャヌーク元国王と同じ日だと言われ、奇妙な一致だと不思議な気になった。彼は九州大学で経済学を学んでから名古屋大学で修士を終え、現在はプノンペンの三井物産のマネジャーをしているが、彼に日本の経済学者で誰を尊敬するかと聞いたら岩井克人さんの名前が出た。
そこで思うことがあって彼に『虚妄からの脱出』をプレゼントしたかったのに、残念なことに手元に本がなくて渡せなかったが、これは30年間のアメリカ生活において、私の知的贈り物として名刺代わりに手渡してきた秘密の本であった。
この本は私と藤井先生との出会いの縁結びの神様だし、漢方や易の本を専門に出していた東明社が社会の漢方薬として、読書界に送り出して貰った記念すべき本であり、後半のページには英文記事が二編収録されている。
一人で社長兼編集長兼雑用掛だった吉田社長のお蔭で、その後十冊余りの拙著が東明社から生まれたが、この英文記事がついた『虚妄からの脱出』は世界で出会った多くの人はもちろん、特にテキサスを中心に石油ビジネスを経営するオイルマンたちに手渡している。
そのお蔭でテキサスで石油開発をした最初の日本人として、私の人生の夢の実現の陰の力になったのだった。今ではアマゾンでも古書として見つけるのが難しいが、日本文の記事は1976年に経済誌の『国際経済』が連載したもので、何でも好きなことを好きな長さで書いて欲しいと言われて,意気を感じて執筆した若書きの作品だった。
だから、ハーバードにいたライシャワー名誉教授からは、「藤原さんが言いたい放題に近い発言をしている背景に、山師精神があった秘密が分かった」と言われたし、石油開発の弁証法と題した記事で、医療制度と石油開発の相似象を論じた記事があったことが縁になり、藤井先生が20冊買って下さった縁で銀座内科を訪れた時の顛末が、私の本の中では天頂に等しい『間脳幻想』誕生の契機になった状況について「まえがき」として興奮した記録が残っている。
『虚妄からの脱出』になって誕生したこの本は、かなり大胆な発言で構成されていたので出版に難航し、時事通信で出た『日本丸は沈没する』に続いて出たら順当のはずだったが、それが実現出来なかった。そこで『日本不沈の条件』の「あとがき」に、「この本の前に一書があるのだが、事情でこちらが先に出た」と書いたところ、それを読んだ吉田さんから原稿を読ませて欲しいと手紙が届いた。そこで送ったところ「出したい」という返事が届き、どんな本を出している出版社化と問い合わせたら、「漢方薬の本を出しているが、人間ではなく社会の漢方薬として出したい」という返事だった。
1970年代というのはこんな時代であり、今のように売れる本しか出版されない腐った時代と違い,あの頃の日本には未だ出版精神が生きていた。
そんなこともあり、本当は『虚妄からの脱出』をプレゼントしたかったが、手元にないので参考資料として「宇宙巡礼」のサイトの「論文」でオリジナルが読める、ORGANIZATIONAL STRUCTURE OF THE OIL INDUSTRYと題した記事のコピーをカンボジアの青年にプレゼントしたのだった。なぜか。


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