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最近読んで印象的だった本

172藤原肇:2015/01/22(木) 12:17:17
「方丈記私記」(堀田善衛)を読む

弁慶と牛若丸の話を始め、義経を保護した平泉の藤原氏の滅亡とか、平家と源氏の争いや壇ノ浦の合戦に関してのイメージが、平安末期から鎌倉時代について、何となく歴史の断片として頭の隅に貼り付いていた。
また、西行法師、源実朝、法然、親鸞などの名前の後に、「千載集」「新古今」などの和歌の世界と共に、藤原定家や後鳥羽上皇が登場した時代の面影もある。後鳥羽が二桁の后や女官だけでなく、遊女や白拍子を相手にして、博打や猟色に明け暮れただけでなく、摂政を相手に男色にふけり、荒淫荒亡を尽くしたことは知識としては知っていた。
しかも、連日のように放火や地震が起き、堀田善衛のペンに従えば、「学徒群起、僧兵狼藉、群盗横行、飢餓悪疫、地震、洪水、大風、降雹、大火」で、「天変しきりに呈すといえども、法令敢えて改めず」が続いて行く。そして、「古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず、ありとしある人は皆浮き雲の思いをなす」という「方丈記」の冒頭の言葉は、地震や噴火の予兆に怯える日本の現状に重なり、まさに不吉な相似象ではないかと思う。
しかも、治外法権の外国軍基地を放置した中で、原発の放射能が国土を包み、戦争体制に猛進する暴政が横行し、人権を護る憲法が機能しないまま、狂人に限りなく近い男が首相として、したい放題をする日本の現状を遠望する私の目は、鴨長明の視線と同じ波動が網膜で揺れる。
それにしても、未だ大飢饉による人民の苦難は始まっていないが、既に食糧の汚染は進行し、鴨長明のいう「物狂いの世、是非を論ずるに足らず」である。高校の時のテキストが初見だったが、日仏学院時代に緑色の表紙の本で仏訳に接したが、その時から半世紀ぶりだが、久しぶりに読んだ「方丈記」のガイドブックとして、堀田善衛が体験した敗戦直前の日本と共に、今と鎌倉初期の末世現象を結ぶ「悪夢の浮橋」は、「驕れるもの久しからず」の黒い虹を架け渡してくれたのである。


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