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第49回衆議院議員総選挙(任期満了2021年)スレ

131チバQ:2018/11/09(金) 03:27:12
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/238196?rct=s_government_hokkaido
<舞台裏を読む>野党間の溝 山岡氏を翻弄
10/16 16:35 更新
<舞台裏を読む>野党間の溝 山岡氏を翻弄
 「天下取りの準備……になるやも知れぬと見たゆえ、いわるるままに移るのじゃ」。作家山岡荘八による名作として知られる小説「徳川家康」(講談社)の一場面。豊臣秀吉に関東行きを命じられた家康が、その決意を家臣団の前で明かした時のせりふだ。

 荘八の孫に当たり、道内唯一の国民民主党の衆院議員、山岡達丸氏(39)は、今の自らの立ち位置を「関東平野に放り出された家康のようだ」と小説の場面になぞらえる。

 山岡氏は道内勤務のNHK記者を経て、旧民主党が政権交代を果たした2009年衆院選で比例代表道ブロックに出馬し、初当選した。自民党が再び政権与党に返り咲いた12年は落選。14年も及ばず、5年にわたる浪人生活の末、昨秋の衆院選では希望の党の候補者として出馬した。

 当時は、民進党との合流話がこじれて小池百合子都知事率いる希望の党が失速し、道内は立憲民主党の勢いが増していた。「なぜ憲法改正を訴える希望の党に移るのか」。一部の支持者から批判を受けつつ、自民党、共産党との三つどもえの選挙戦に挑んだ山岡氏は、自民党現職の堀井学衆院議員(46)に約2万票差で敗れたものの、比例代表道ブロックで復活当選した。

 もともと憲法観などで、枝野幸男代表が結成した立憲民主党と政治信条は近かったが、選対幹部は「立憲民主に加わった衆院候補から誘いがなかった」と明かす。共産党との共闘を模索する立憲民主に歩み寄れないまま、山岡氏は5月、希望の党と民進党が合流してできた国民民主党に参加した。

 旧民主党を離党した道議や保守系企業人の支援を受けるなど、山岡氏を取り巻く環境が立憲民主との距離を埋めがたくしているのは確かだ。そして時に、こうしたスタンスが自らの足元を危うくさせる。

 今年7月に成立した統合型リゾート施設(IR)整備法で、道内議員は与党が賛成、野党が反対する中、山岡氏は体調不良を理由に衆院本会議の採決を欠席した。元民主党最高顧問の横路孝弘氏は7月下旬、日高管内で開かれた地元連合幹部との会合で、山岡氏に「枝野氏は強硬だ。はっきりしないと(対立候補を)立てられるぞ」と迫った。

 山岡氏は8月、道9区の地元連合や立憲民主の道議も含む民主日胆連絡会議に参加し、各級選挙での相互協力と支援を約束した。次期衆院選を見すえた地ならし。「いまの政治を地域全体で変えていく、有意義な形になった」と一体感を強調した。

 それでも国会では、国民民主の玉木雄一郎代表と枝野氏の足並みがそろわず、野党共闘の道のりは険しい。道内でも来夏の参院選道選挙区(改選数3)を巡り、国民民主と立憲民主が候補者調整でつばぜり合いを続ける。

 「中央の目線ではなく地方からの政治を」と訴える山岡氏だが、皮肉にも中央政界ばかりか、その動きに連動した道内の政治情勢にも翻弄(ほんろう)される。自身の政治家人生を「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」とした家康の遺訓に重ねる。政権交代を目指す“天下取り”への道筋は見通せないままだ。(室蘭報道部 田島工幸)


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