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第25回参議院議員選挙(2019年)

401チバQ:2018/11/15(木) 09:46:19
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181115-00249549-toyo-bus_all
谷垣氏に国政復帰を望む声、思惑はさまざま
11/15(木) 5:20配信 東洋経済オンライン
谷垣氏に国政復帰を望む声、思惑はさまざま
谷垣氏は10月31日に安倍首相を訪問、11月6日には二階幹事長、大島衆院議長に面会した(写真:共同通信)
 自民党前総裁でもある谷垣禎一前幹事長の国政復帰説が、晩秋の永田町をにぎわしている。谷垣氏は幹事長時代の2016年7月中旬、趣味の自転車で転倒して重傷を負い、直後の8月初旬の党・内閣人事で幹事長を辞するとともに2017年10月の衆院選には出馬せず、政界を引退した。

 谷垣氏は10月31日に首相官邸で安倍晋三首相と面会。2年3カ月ぶりに公の場に姿を見せたことで、自民党有力者などから「議員としての政界復帰」を期待する声が相次いだ。谷垣氏自身は強く否定するが、首相サイドでは「来夏の参院選比例代表の目玉候補に」との声も上がっている。

 谷垣氏は31日昼に官邸を訪れた。スーツ姿で電動車椅子に乗っての首相との面会だったが、事故前よりかなりやせてはいるものの血色もよく、話す言葉も明瞭で、取り巻く記者団やテレビカメラを前に、順調な回復ぶりをアピールした。約15分間の面会では、「幹事長として支えていただいたことを今でも感謝している」などとねぎらう首相に、谷垣氏は「(国際社会で)首相の存在感は高まっている。その重みを十分に踏まえて(これからも)力を発揮してほしい」と激励したという。

 面会後、谷垣氏は記者団に「幹事長を務めている最中に不注意からケガをして首相に迷惑をかけたので、(以前から)お詫びに来ようと思っていた」と笑顔も交えて説明した。同氏はこれに続いて11月6日には、二階俊博自民幹事長や大島理森衆院議長らかつての“僚友”と自民党本部などで相次いで面会し、「お詫びと激励」を伝えた。

■2人目の「首相になれなかった自民党総裁」

 谷垣氏が皇居の周囲で趣味のサイクリング中に転倒事故を起こしたのは、2016年7月16日。愛用のレース用ロードバイクに乗り猛スピードで走行していたため、転倒時に首を強打し頸髄損傷の重症を負って、長期入院加療を余儀なくされた。このため、同年8月3日の人事の際には首相の慰留を振り切って退任し、治療とリハビリに専念した。ただ、「重大なケガ」(担当医)だけに治療・リハビリにも時間がかかり、昨年9月下旬に衆院選不出馬を表明した。

 谷垣氏は文部相を務めた父・専一氏の死去を受けて、1983年に 旧京都2区補選で衆院初当選、以来12期連続で当選し、2009年8月の「政権交代選挙」で自民党が下野したあとの9月末の党総裁選に出馬、当選した。総裁在任期間は2009年10月1日〜2012年9月26日で、2012年8月には、民主党政権を率いていた野田佳彦首相(当時)と、消費税の10%への引き上げを軸とする「社会保障と税の一体改革」に関する「3党合意」をまとめ上げた。

 しかし、その後の9月の自民党総裁選では、総裁を支える石原伸晃幹事長(当時)が出馬表明したことなどを理由に、告示直前に出馬を断念した。その結果、この総裁選で当選して再登板した安倍氏(首相)が同年12月の衆院選での政権再交代で首相に返り咲いた。自民党史上、総裁で首相になれなかったのは河野洋平元衆院議長(総裁在任期間:1993年7月30日〜1995年9月30日)と谷垣氏の2人だけだ。

 谷垣氏は当選以来、保守本流の自民党宏池会(現岸田派)に所属し、宮澤喜一元首相、加藤紘一元幹事長(いずれも故人)に師事し、党内ハト派グループのリーダー格とされてきた。

 2000年11月の「加藤の乱」で宏池会が分裂した際は、加藤氏に従っていわゆる「第2宏池会(加藤派)」に所属し、加藤氏が秘書の金銭スキャンダルで議員辞職し、政界復帰後に派閥を離脱したこともあって谷垣派(当時)の領袖となった。その後、宏池会再結集で古賀派(同)と合併したが、総裁選をめぐる対立で再び離脱して谷垣グループ(有隣会)を立ち上げ、事故による政界引退後も同グループの精神的支柱となってきた。


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