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ロシア・韃靼・ユーラシアスレ

819 チバQ :2017/03/20(月) 23:46:20

http://www.sankei.com/world/news/170315/wor1703150010-n1.html
2017.3.15 10:00
【ロシア革命100年(上)】
教会の下に染みこむ赤い血…皇帝銃殺の地に残るメモ プーチン政権が抱えるジレンマを歴史をひもときあぶり出す

 ロシア中部のエカテリンブルク。小高い丘に建つ白い教会が、広く開けた空に美しく映える。「血の上の教会」という。教会の下に染みこんでいるのは帝政ロシア最後の皇帝、ニコライ2世一家の血だ。

 皇帝一家7人はロシア革命後の1918年7月、この地にあった元商家の地下室で銃殺された。教会はソ連崩壊後の2003年にその跡地に完成した。教会にはロマノフ王朝の歴史をたどった皇室博物館が併設されている。

 館内のニコライ一家殺害に関する展示はごく一部にとどまる。「皇帝一家殺害を指示した文書は残っていないが、それが急進社会主義勢力ボリシェビキ中央の意向によるものだったのは疑いないだろう」。博物館の学芸員、ユーリー・プィリツィン氏が語った。

 数少ない展示物の中で目を引くのは、レーニン率いるボリシェビキの地元幹部が書き残したメモ。そこには「5プード(約82キログラム)を即座に」「11プード(を受領)」などと書かれている。大量の硫酸をやり取りしたことを示すメモ書きだ。

 ニコライ2世らの遺体は郊外に運ばれて焼却された上、硫酸を使用して身元の隠匿が図られたとみられている。エカテリンブルクでの皇帝一家殺害は、急進化と過激化の道をたどった革命の悲劇を象徴している。

■反政権デモ想起「諸悪の根源」

 二月革命は一般的に、帝政ロシアの崩壊、そしてソ連の成立につながる革命と位置づけられる。しかし近年、二月革命は一部の自由主義議員や高級軍人、資本家が結託して引き起こした「陰謀」だとの説が唱えられている。

 「第一次大戦に加わっていた他の国と比べ、ロシアの社会や軍の状況が悪いということはなかった。二月革命が起きる客観的状況はなかった」。こう述べる皇室博物館の学芸員、プィリツィン氏も、陰謀説を強く推す一人だ。

 これは決して特殊な見方ではない。プーチン政権の周辺でも、二月革命こそが「諸悪の根源」で、十月革命はむしろ国を立て直す試みだった-とする解釈が力を持ちつつある。無神論を掲げたソ連で弾圧されたロシア正教も、今や政権と歩調を合わせ、二月革命をより罪悪視している。

 昨今、見直されているのが、ソ連の強制収容所を舞台とした小説を発表し、国外追放となった反体制作家ソルジェニーツィンが残した“教訓”だ。「権力は精神的にぐらつくべきでない」「革命にあらがう市民の勇気が必要だ」-。国営ロシア新聞は2月、ソルジェニーツィンの二月革命に関する論考を復刻させた。

 二月革命に対する否定的見方の背景には、プーチン政権が、中東での「アラブの春」や、ウクライナで2014年に起きた政権崩壊のような事態を警戒していることがある。

 「政権は、現在のことを考えながら歴史を語る。およそ革命は悪い、というのが基本的な立場だ」。露政治学者のマカルキン氏はこう指摘し、リベラル派による二月革命は特に、11〜12年にモスクワで起きた大規模な反政権デモを想起させていると解説する。



 もっとも、二月革命が人民の意思と関係のない「上層部の政変」だったと片付ける主張は、第一次大戦勃発後の社会・経済状況をあまりにも無視している。

 有力誌プロフィリのまとめによると、成年男性に占める徴兵者の割合は、1914年の15%から16年には40%近くに増加。英国では17年春、小麦の価格が大戦前の2・2倍になったが、ロシアの西部では5・8倍にも達していた。

 17年2月、首都ペトログラード(現サンクトペテルブルク)の労働者らが「パンと平和」を求めて大規模なストライキを行い、軍の暴動も拡大したのには理由があったのだ。


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