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自民党政権綜合スレ

229チバQ:2012/12/26(水) 23:31:35
◇異例の3回目入閣=農林水産 林芳正氏
 政策通で知られ、2010年の参院予算委員会では、当時財務相だった菅直人氏を子ども手当の議論で追い詰めた。防衛相、経済財政担当相を歴任し、参院議員としては異例の3回目の入閣となった。9月の総裁選にも参院から初出馬した。父は林義郎元蔵相。祖父、高祖父も国会議員という名門出身でそつはないが、「親分の言いなりで甘い」との評も。党幹部のいる衆院山口3区へのくら替えを一時目指したが、党内の反発で断念した。趣味のギターはプロ級。51歳。(岸田派)
◇如才ない政策通=経済産業 茂木敏充氏
 内政、外交問わず政策に明るい。9月の自民党総裁選では石原伸晃氏の推薦人だったが、安倍晋三総裁が設置した党日本経済再生本部の事務総長に起用され、衆院選公約の下地となるデフレ脱却策や成長戦略をまとめた。小泉内閣で当選3回ながらIT(情報技術)担当相に抜てき。金融担当相だった2008年にはリーマン・ショックを経験した。他派閥ながら中川秀直元幹事長や谷垣禎一前総裁に重用され、「気がつくと権力者の近くにいる」(中堅)如才なさも。57歳。(額賀派)
◇久々の表舞台に意欲=国土交通 太田昭宏氏
 党代表として臨んだ2009年衆院選で落選、党全体も小選挙区全敗などで議席を減らし代表を退いた。今回の衆院選で返り咲くとともに、初入閣を果たし、久々の表舞台に意欲満々だ。京大大学院で土木工学を専攻。1964年の新潟地震で昭和大橋が崩落したことに衝撃を受け、耐震研究に打ち込んだ。公明新聞記者を経て、93年に国政に転じてからも、阪神大震災復興や学校の耐震化に尽力した。抑揚を利かせた演説には定評がある。学生時代は相撲部主将。67歳。(公明)
◇派閥継承し再起期す=環境・原子力防災 石原伸晃氏
 安倍晋三首相らと争った9月の自民党総裁選では敗北。長老の支援を受けたが、当時の谷垣禎一総裁を出馬断念に追い込み、「平成の明智光秀」との批判も浴びた。衆院選後、旧山崎派を継承。派閥の長として再起を期す。金融政策に明るく、国土交通相や党政調会長、幹事長などを歴任。首相とは政策研究グループ「NAIS(ナイス)の会」を結成した間柄だ。胃ろう患者を「エイリアン」に例えるなど失言も多い。父は、前東京都知事で日本維新の会代表の石原慎太郎氏。55歳。(石原派)
◇若手の人望厚い外交通=防衛 小野寺五典氏
 宮城県庁で水産資源の研究に従事、国政進出後は外務政務官、外務副大臣を務め、水産業と外交に精通する。2007年にイランで大学生が武装勢力に誘拐された際には、再三にわたって同国を訪問し解放に一定の役割を果たした。東日本大震災では、津波で地元の宮城県気仙沼市の事務所が崩壊。国会で復興の遅れを批判した。真面目で温和な人柄から中堅・若手の信頼を集める。09年の党総裁選では擁立の動きもあったが断念。迫力に欠けるとの評も。52歳。(岸田派)
◇たたき上げの首相懐刀=官房長官 菅義偉氏
 2006年、12年の自民党総裁選で安倍晋三首相の勝利に貢献。「安倍氏の懐刀」といわれる。第1次安倍内閣では総務相を務め、今回は官房長官として手腕が試される。秋田県の農家出身で、高校卒業後に集団就職で上京。議員秘書、横浜市議を経て政治家になった「たたき上げ」だ。98年の総裁選では梶山静六元官房長官を支持し、当時の小渕派を離脱。その後の台頭に党内のやっかみも。09年の野党転落後に減量に励み、76キロあった体重を62キロに落とした。64歳。(無派閥)


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