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首都圏 地方議会・首長,政治・選挙スレ

130千葉9区:2008/12/27(土) 17:05:28
>>87
http://www.news.janjan.jp/election/0609/0608300362/1.php
(前略)
 末木達男・田無市長が会長を、保谷高範・保谷市長が副会長を務めた合併協議はスムーズに運び、「西東京市」は2001年1月予定通り誕生したが、協議が一段落した前年の秋ごろから対立が起こった。どちらが新市の市長をやるのかをめぐる争いであった。双方ともに「後援会が初代市長にはうちの市長を」と不出馬を許さない、との理由だった。

 両氏とも自民党の推薦を得て当選してきた市長である(末木氏の4選の時は自民、民主、社民、公明推薦。保谷氏の再選時は自民、公明推薦)。自民党田無、保谷両支部が手を焼いた末に、調整を一任された都連会長(石川要三衆院議員)は「市長選は末木氏、保谷氏は都議選に回る」という収拾案を示したが、保谷氏は納得せず、都連会長の調整が続いていた2000年12月13日、市議会で立候補を表明してしまった。

 『朝日新聞』によれば、議会での立候補表明の後に記者会見した保谷氏は、立候補に踏み切った理由について、(1)保谷市の方が人口が多い(2)市民意向調査で合併賛成票が大半を占めたのも保谷市(3)末木市長は4期目で多選、などを挙げたという。

 一方の末木氏も、その日のうちに「2人で争うという最悪の事態になり残念だが、新市を円滑にスタートさせるために、正々堂々と戦うしかない」と立候補を表明、合併した両市長が新市長の座を真っ向から争う選挙戦になった。

 自民、民主、社民の各党が末木氏を推薦した。保谷氏は自民党の推薦を得られなかったことを逆手にとって「市民派」を訴えた。選挙戦は、「田無・保谷の地域対立」に加えて、「政党対非政党の争い」にもなった。末木氏は「両氏の融和は自分にしか務まらない」と訴えた。保谷氏は末木氏の「政党相乗り」「多選・高齢」を批判した。選挙(2001年2月18日)の結果は、

当選 26,052 保谷高範(63) 旧保谷市長 無所属新
23,206 末木達男(70) 旧田無市長 無所属新(自民、民主、社民推薦)
12,620 酒匂一雄(70) 元福島大教授 無所属新(共産推薦)
8,284 清水君枝(48) ミニコミ紙発行人 無所属新

 自民党の調整を「密室に過ぎる」と批判し、「『市長を決めるのは市民』が民主主義の基本ルール」の原則を強調した保谷氏に軍配が上がった。が、にわか「市民派」には落とし穴があった。田中康夫長野県知事名のニセ電報が発覚するのは選挙から5日後の2月23日だった。保谷陣営は選挙戦最終日の2月17日に「田中知事からも激励の電報が届きました」と激励電報を街頭演説で紹介し、そのコピーを配ったが、田中知事が打電の事実を否定したことから騒ぎになった。

 後に、ニセ電報を打った容疑者は逮捕されたが、保谷陣営との関係は判明しなかった。公職選挙法235条違反(虚偽事項の公表)の容疑で市民から告発された保谷市長は不起訴処分になって法的追及は免れたが、保谷陣営が市民派に人気のある「田中康夫長野県知事」の名前に飛びつき、発信者の確認もしないままニセ電報を公にした不審の行為への疑いは晴れなかった。そして、保谷市政はその後も選挙のしこりを引きずることになった。

 それから4年。保谷市長は自民・公明両党の推薦を得て再選を目指したが、野党統一候補として出馬した前都議の坂口光治氏(57)に惨敗した。末木達男・旧田無市長は坂口氏を応援した。

当選 40,771 坂口光治(57) 前都議 無所属新(民主、共産、社民、生活者ネット支持)
27,110 保谷高範(67) 旧保谷市長 無所属現(自民、公明推薦)


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