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仙台・宮城・陸奥
2813
:
荷主研究者
:2017/04/09(日) 22:44:39
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201703/20170325_13045.html
2017年03月25日土曜日 河北新報
<養賢堂>学都の礎 勾当台公園に説明板
設置された養賢堂の説明板
県庁として使用されていた養賢堂の講堂(1935年ごろ撮影。仙台市博物館提供)
仙台市教委は仙台藩校「養賢堂」跡地に当たる青葉区の勾当台公園に、説明板を設置した。多くの藩士の子弟を教育した国内屈指の藩校に思いをはせてもらおうと、市民や観光客にアピールするのが狙いだ。
説明板は宮城県議会棟西側の林子平像近くに23日に設置。現在の地図に養賢堂跡を重ね合わせた平面図を掲示した。市役所と勾当台公園市民広場の間を通る「表小路」が養賢堂の表門に通じていることが確認できる。
1736年に5代藩主伊達吉村が前身の学問所を現在の木町通小(青葉区)周辺に設置。60年に7代藩主重村が現在の勾当台公園内に移設した。1809年に学頭に就いた儒学者の大槻平泉が算術や蘭学などの科目を増やし、施設を拡充。平泉の子の習斎はロシア語を学ぶ洋学科を増設し、国内有数の規模を誇る藩校となった。
養賢堂の講堂は明治維新後に県庁として使用されたが、1945年の仙台空襲で焼失した。市文化財課の担当者は「今年は藩祖伊達政宗の生誕450年。養賢堂や政宗がつくった城下の移り変わりを、多くの市民に知ってほしい」と話す。
市文化財課は毎年、市文化財や歴史的に重要な施設の跡地の説明板を整備している。
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