したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール まとめる | |

【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1 とはずがたり@元林道部会長 :2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

374 とはずがたり :2017/11/25(土) 14:58:27
>>373
gooマップだと未通箇所は此処https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.14.981N34.55.24.178/zoom/11/で,直ぐ東側に新しい未成道があるっぽいので其処がr130の未来の姿なのかどうか気になるとこ

375 とはずがたり :2017/12/14(木) 22:39:21
廃道系の巨人よごれん氏だが荒川化学とお付き合い有るらしい♪
結構あちこち走ってるし化学系メーカー営業かなあ

https://twitter.com/yogoren/status/940965153687814144
よごれん ??
@yogoren
フォロー中 @yogorenさんをフォローしています
その他
荒川化学さんから今年も手帳をもらった。ロジン(松ヤニの成分)から着想したと思われる会社のイメージキャラクター「マツタロウ」と「ロジーナ」が何ともいえない味を出してる。富士で工場が爆発して言葉もないけど、来年は頑張ってほしい。

376 とはずがたり :2017/12/17(日) 20:22:58

怖いけど人気 岩肌むき出し、素掘りトンネル長寿化計画
http://www.asahi.com/articles/ASKCY76BVKCYUDCB025.html?ref=yahoo
堤恭太2017年12月17日10時32分

 千葉県君津市は補強などを特に施さずに掘ったままの状態の素掘りトンネルを22本も抱えている。これだけの素掘りトンネルがある自治体は珍しいという。岩肌がむき出しで入るとちょっと怖いが、それが人気にもなっている。一方で生活道路なので安全対策は欠かせない。市は3月に長寿命化修繕計画を立てて補強、補修を始めた。

 ダム湖の三島湖。その湖畔に全長85メートルの梅ノ木台1号隧道(ずいどう)がある。幅は軽自動車がやっと通れるほど。入り口付近は補強されているが中に入ると壁はでこぼこ。掘り進んだ後がそのまま残されていて洞窟のようだ。出口が見えないので恐る恐る進んでいくとトンネルの中に直角のカーブがあった。「三島ダムL字素掘トンネル」とも呼ばれるこのトンネルは今年度中に吹き付け工事を行うという。

 外に出るとすぐに梅ノ木台2号隧道がある。ここは入り口も素掘りのまま。全長は1号隧道とほぼ同じで直線だが、中に分岐がある。人が通れるほどのトンネルの方から外へ出るとそこは崖。三島湖が見え、岩に挟まるように設けられた祠(ほこら)があった。

 同市は面積が県内2位と広く山間部も多いため小さな集落が散在している。そのため簡易な素掘りが増えた。国道や県道、高速道下のトンネルを除くと市が抱えるのは32本でその約3分の2が素掘り。いずれも1940年代以前に掘られたとされ、老朽化も進んでいる。

 しかし、トンネルの先には数軒しかない所もある。市の担当者は「大規模な工事は難しいが、簡単に封鎖はできない。早期の補修で長く利用していきたい」と話す。そこで素掘りを含めた32本を5年間かけて補修する長寿命化修繕計画を立てた。

 計画では、まず2本は天井をなくして非トンネル化し、5本は吹き付け工事で補強する。危険度が高い3本はすでに封鎖した。計画の中間年の2019年度には大規模な点検を実施、今後の方針を検討するという。事業費は、素掘り以外のトンネルの補修費も合わせると6億1234万円と試算している。(堤恭太)

関連ニュース

377 とはずがたり :2018/01/06(土) 17:35:08
なんで日野市内の電車区の有る豊田始発にしないのか理解に苦しむww

http://www.jreast.co.jp/chiba/bbbase/

<自転車専用電車>旅先で走ろう 房総バイシクルベース運行 毎日新聞社 2018年1月6日 12時02分 (2018年1月6日 12時24分 更新)
https://www.excite.co.jp/News/society_g/20180106/Mainichi_20180106k0000e040301000c.html


「B・B・BASE内房」に自転車と共に乗り込む乗客=東京都墨田区のJR両国駅で2018年1月6日午前7時2分、和田大典撮影

 車内に自転車をそのまま持ち込めるJR東日本の専用電車「B・B・BASE(房総バイシクルベース)」の運行が6日、始まった。午前7時39分に両国駅(東京都墨田区)を出発し、和田浦駅(千葉県南房総市)に向かう6両編成の電車に、自転車をひいた約70人が乗り込んだ。

 相模原市の会社員、吉岡徹さん(32)は「自転車を折りたたむ必要がないし、混雑を気にせず乗れるのがいい。今日は海岸線の景色を楽しみたいです」と笑顔を見せた。

 バイシクルベースは、週末を中心に両国から内房線や外房線、成田線などを走る。乗車券などの問い合わせは、びゅう予約センター(0570・04・8928)へ。【和田大典】

378 名無しさん :2018/01/23(火) 20:21:13
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/3/23533.html

ハザードラボ
防災と災害情報のニュースメディア
TOPページ > ニュース
火山
3000年ぶりの噴火か?本白根山「事前の予兆なし」訓練中の自衛官が死亡
2018年01月23日 17時11分


草津白根山
草津白根山のスキー場ゲレンデに迫る噴煙の様子(草津温泉観光協会)
 けさ9時59分ごろ、群馬県の草津白根山の主峰・本白根山が噴火した。気象庁は記者会見で「事前に火山活動の活発化を示す予兆はなかった」として「3000年ぶりの噴火の可能性が高い」と発表した。



 標高は2171メートルの本白根山は、群馬県草津町と嬬恋村にまたがる主峰で、近隣の白根山と逢ノ峰の三つを合わせて草津白根山と総称する。



 気象庁によると23日午前9時59分、三つの山のうち、最も南に位置する本白根山で噴火が発生。山頂付近に設置している傾斜計が地殻変動を観測すると同時に、地下のマグマや水蒸気の動きを示す火山性微動が8分間継続し、その後は火山性地震が断続的に相次いだという。



 東京工業大学の観測によると、鏡池付近から飛翔距離1キロ以上に達する噴石の飛散が確認されており、気象庁が現在、機動調査班を現地に向かわせている。



 ふもとの草津町にある草津国際スキー場では、雪崩が発生し、10人以上の負傷者が出た。噴石が当たったゴンドラのガラス窓が割れたことで乗客4人がケガしたほか、冬季訓練を行なっていた陸上自衛隊員6人が雪崩に巻き込まれて、1人が死亡した。また、山頂付近では80人近いスキー客が取り残されており、群馬県の大澤正明知事は午前10時51分、陸上自衛隊に人命救助に関する災害派遣を要請した。



 気象庁は会見で「草津白根山のうち、白根山の山頂火口と湯釜については警戒監視を続けていたが、本白根山については想定外だった」として、今回の噴火が事前の予兆がなく、鏡池には監視カメラが向いていなかった事実を明らかにした。



 有史以来、草津白根山の火山活動は白根山周辺に周辺しており、本白根山の噴火は「3000年ぶり」だという。気象庁は「鏡池付近から約2キロ範囲では、噴火に伴って飛散する大きな噴石への警戒が必要だ」として、火山ガスが滞留するくぼ地や谷では注意してほしいなどと呼びかけている。

草津白根山
草津白根山の位置関係(気象庁)

379 とはずがたり :2018/01/25(木) 19:35:55
洛北の山には何度かノーマルタイヤで(もちチェーン携行だよ)大雪の中チャレンジした若かりし俺w
動画見ても全然思い出されん。。林道部主宰を気取ってた俺も老いた。。
https://www.youtube.com/watch?v=loNHRVrOiWQ

地図で確認すると此処。此所らは流石に冬は来なかったな。。それにしても思い出せん。夜中鹿見たのはr781の方だったか。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.47.45.441N35.15.39.314/zoom/7/

グーグルのストビューでも峰定寺入口までは割りとハッキリ憶えてる。入口は微かに憶えがあるようなないような。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2501538,135.7653921,3a,75y,38.31h,101.6t/data=!3m9!1e1!3m7!1s6jCxUmmGFPzI0r0KsDJhiw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i20

今は忙しくてなかなか行く機会無いけどこの辺一人で運転できる日が来たら失われた楽しかった若かりし日々の懐かしさで泣きながらの運転になるだろうな。。

雪道スリップか?車が峠の谷に転落 男性死亡 京都・左京区
1/25(木) 13:29配信 朝日放送
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180125-00010003-asahibcv-l26
朝日放送

25日朝、京都市左京区で車が谷に転落し、運転手とみられる男性が死亡しました。

午前8時ごろ、京都市左京区広河原能見町の能見峠近くの山道で、通行人から、「ガードレールが曲がっていて、タイヤの跡が谷の方に向かっている」と警察に通報がありました。警察と消防によりますと、ガードレールからおよそ200メートルほど下の谷底で普通乗用車が見つかり、その近くで倒れている男性が発見されました。男性は、その場で死亡が確認されました。現場はカーブしている山道で雪が積もっていました。警察が詳しい事故の状況などを調べています。

380 とはずがたり :2018/02/08(木) 21:23:01

すげえw

https://twitter.com/hydromi11/status/961370741236105216
オーリーエンタルのカレーェのMineko?
@hydromi11
フォローする @hydromi11をフォローします
その他
建設軌道って工事終了後に基本撤去されますが、保守が困難な場所にはそのまま残しておく場合もありますね。

富山はそれが多い。。。

381 とはずがたり :2018/02/17(土) 22:26:03
https://twitter.com/memoru_troopers/status/964781337029656576
険酷隧?
@memoru_troopers
フォローする @memoru_troopersをフォローします
その他
富山県旧大山町に、明治時代に施工された隧道が残っている。
地元の同業者では、「大山の人車軌道隧道」と呼んでいる。
「ほぼ当時の状態」を保っており、とても貴重な隧道である。
行政の調査候補になった事もあるが、残念ながら現地調査に至らず。
#隧道 #人車軌道

382 とはずがたり :2018/04/05(木) 18:53:16
40歳「廃道」に鉱脈を見出した男の快活な人生
「嫌」を極力排除し自分だけの道を突き進む
https://toyokeizai.net/articles/-/213949
古田 雄介 : フリーランスライター 2018年04月05日

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第30回。
<藪を突き抜けた勢いで、うっかりあと1歩踏み出していたら終わりだった。(略)なぜなら、右に見える路面には、それを支える地面がまるで存在しなかったから。宙ぶらりんなのだ。足を踏み込んだら突然板チョコのようにポッキリ割れて、あと100m残っている海岸までの落差を身に刻みつけながら、とても呆気なく人生の締め括りを迎えていたかも知れないのだ。……こういうことがあるから廃道は恐い。(東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道レポートより)>

使われなくなった道を踏破するオブローダー
使われなくなった道のことを廃道(obsolete road)という。その廃道を好んで探索する人はオブローダー(ob-roader)と呼ばれる。今回インタビューした平沼義之さん(40歳)は日本のオブローダーの第一人者として知られる人物だ。ハンドルネームは「ヨッキれん」。2000年から続く廃道探索レポートサイト「山さ行がねが」の読者にはこちらの名前のほうが通りはいいかもしれない。2018年1月に累計4000万アクセスを突破した老舗サイトだ。

図書館などで見つかる古地図などの情報を頼りに廃道や廃トンネル(廃隧道)を探し、トレッキングに近い装備で山や谷に分け入り、使われなくなった道を踏破する。現場の空気感が伝わる綿密なテキストと写真で読者に探索のスリルを味わわせる。このスタイルは20年近く変わらない。

およそ10年前、平沼さんは廃道探索のために秋田から上京してきた。その頃に別媒体でインタビューした時、「人生を廃道歩きにかけている」と話していた。そして現在。当時と同じアパートを拠点に廃道探索一本で生計を立てている。ニコニコと楽しそうに廃道巡りを語る様子はあの頃と同じで、やつれも屈託もない。

潤沢な資金があるのか、はたまた能天気なのか。違う。平沼さんは「ニッチな趣味で食べていく」という簡単にはいかない道で充足するための術を意識的に身に付けている。だから上京した頃のままなんだと、10年ぶり2度目のインタビューをさせてもらって気がついた。この術は、もしかしたらあらゆる職業に役立つものかもしれない。

平沼さんは1977年に千葉県松戸市に生まれたが、人生の記憶はまもなくして移った横浜市から始まる。サラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれた一人っ子。旅好きな両親の影響を強く受けて育った。

「両親は高級ホテルより民宿が好きで、土地ごとの自然に触れるような素朴な旅を好んでいました。観光というより、日常とは違う景色を楽しむという感じですね。間違いなく私の趣味のきっかけだったと思います」

小学生の頃から自転車が大好きで、暇があれば近所の鶴見川の河川敷を走ってばかりいた。親に怒られない時間までに戻れる距離を計算しながら、できるかぎり遠く、サイクリングロードを上流のほうへこぎまくる。なぜか海に向かう下流方面には一度も行かなかった。その頃から山へのあこがれがあったのかもしれない。が、嗜好が完全に開花したのは小学6年の途中で秋田県に引っ越してからだ。

秋田県での学校生活に楽しい思い出はない。言葉や雰囲気が異質な平沼さんはクラスで浮き、中学生の頃になると陰湿な嫌がらせを日常的に受けるようになった。「いちばんつらかった」と振り返るこの時期は、横浜ではひょうきんだった少年を引っ込み思案で根暗、人と付き合うのを怖がる性格に変えた。

「逃げた先が、山だったんだと思います」
心を解放する場所は学校ではなく山だった。秋田に引っ越したばかりの頃にできた2人の友達と自転車で近所の山々の林道を回る。「山さ行がねが(山に行こうぜ)」と集まり、季節のいいときは2週間に1度くらいのペースで荒れた道を探索した。

「林道は下枝を切ったり幹を伐採したりするときにしか使われないものが多くて、5年や10年放置されていることがよくあります。そういうあまり管理されていない道をマウンテンバイクで突破するっていうヒロイックな遊びにとりつかれたんですよね。俺たち最強のトリオだなって(笑)」

自分たちだけの道を突き進む楽しさは学校生活のストレスを癒やしてくれた。高校は地元で一番の進学校に入ったが、「勉強は好きだけど学校は嫌い」という状態が続き、出席日数不足で留年。卒業したあとはストレートで地元の秋田大学に進学したが、今度は学業に目的が感じられなくなり1年で中退してしまう。

383 とはずがたり :2018/04/05(木) 18:53:26

「私は苦労するのが嫌で、逃げてばかりいました。学校でいじめられるのは嫌だ。大学に入ったらもう勉強も嫌だって。そうして逃げた先が、山だったんだと思います」

将来のことなんて考えたくないし、やりたい仕事も思い浮かばない。しかし、実家で暮らしながらも親の収入に頼る年齢でもないので、学生時代から続けているコンビニエンスストアのバイトだけは続けていた。後々フランチャイズ店の社員となり店長となったが、この仕事を一生続けていくビジョンは持てなかった。立場が変わるたびに激務になっていったが、学校に比べたら耐えられたから続けていたという程度のことだ。そして、たまったストレスをはき出すようにたまに山に行く生活。生産的なものは何もなかった。ホームページを立ち上げるまでは。

大学を中退してしばらく経った頃、家電量販店にはWindows 98SEパソコンが店頭に並び、インターネットでは個人サイトがはやっていた。以前からゲーム機でインターネットを見ていた平沼さんは、ある日たまたま旧道をテーマにした個人サイトを見つけて衝撃を受ける。

「生きていくための役にはまったく立たないような情報を発信している人がいるということにびっくりしました。インターネットって何て自由なんだろうって。ひょっとしたら私がやっているようなこと、自転車で荒れた林道を走破することも情報発信しようと思えばできるんだと気づけたのは大きかったですね」

くすぶっていたアウトプット欲が頭をもたげる
そこでくすぶっていたアウトプット欲が頭をもたげる。無料のホームページスペースにアカウントを作って、仲間たちとした林道探索を記録するサイトを立ち上げた。1日に多くて5人も訪れず、内容は「いたって自己満足」。しかし、サイト運営を通してHTMLの入力方法をマスターし、パソコンやデジカメもそろえることができた。その下地が2000年から現在につながる廃道探索サイト「山さ行がねが」を生む。

山好きの平沼さんが登山やワンダーフォーゲルの方向に進まなかったのは、それ以上に道が好きだったからだ。子どもの頃の家族旅行でも、目的地で自然を楽しむより、そこにクルマで向かう時間がいちばん楽しかったという。走行する道の振動やトンネルの照明、標識のある景色がどんどん向かってくるのが胸を躍らせた。

やがて探索仲間の嗜好が自転車からクルマへと移っていったことで、平沼さんは一人で探索するようになり、加速度的に熱中の度合いを高めていった。すでにメインの対象は林道から廃道に移っており、道の荒れ具合は増している。トンネルだったら途中で崩落していたり腰ほどの高さまで浸水していたりすることもあるし、崖を削って作った道は土砂崩れや落石で通行不能になっているものもある。体力をギリギリまで使ってそこを突破することに浸った。

「廃道には2段階の魅力があります。1つはその道自体の魅力。道として機能していた時期に多くの人に使われて日々変化してきた。そうした道を独り占めして堪能できる。そこに2つ目の魅力である、廃道になったあとの時間経過がプラスされる。道路上に藪があったり橋が崩落していたり。そこを走破する冒険的な楽しさも味わえることがあるんです。ひどい状態の道だけど、かつてはそこに往来があった。そういう重なりが面白いんですよね」

その魅力を本人目線でありのままに伝える記事はじわじわと評判を呼び、2004年頃には「山さ行がねが」は知る人ぞ知るニッチなサイトとしての地位を固めていた。

とはいえ、この道で食べていくという発想はまだなかった。当時はアフィリエイト(ネット広告掲載)収入もなく、暮らしはコンビニエンスストアの給料一本。毎月5万円を親に渡して、残りで十分生活できた。しかし、それも長くは続かない。

突き詰めてみたいという欲が出てきた
大学中退後も両親は寛容だったが、2003年に店長を辞めてフリーターになったときはさすがに実家の空気が張り詰めた。まもなくして地元の出版社から声をかけられ、バイトとしてデータ収集や本の整理をするようになったが、そこも2007年には退職してしまう。そのとき、平沼さんには内に秘めるものがあった。上京だ。

「勤めていた出版社は郷土史に強くて、いつかは廃道の本も出したいという思いがありました。正直ずっとやっていこうという気持ちもあったんですけど、その頃『山さ行がねが』の人気が高まっていて、そちらを突き詰めてみたいという欲が出てきたんですよね」

廃道を極めるなら、歴史的に道が多くて他地域へのアクセスもしやすい東京を拠点にすることは外せない。

384 とはずがたり :2018/04/05(木) 18:53:36

この頃になると、廃道で食べていきたい気持ちは多少芽生えてはいたが、まだ現実的な手応えはなかった。2006年秋頃から廃道の同人誌を仲間と作ってネット販売するようになり、毎月数万円の収入になってはいたが、それだけで生活が成り立つイメージはどうにも湧いてこない。それでも上京に踏み切った背景には、コンビニエンスストア時代に貯めた貯金に手をつけていなかったことと、当時はパチスロで月に20万円くらい安定して勝っていたことがある。東京でも同じ調子でやれば何とかなると思った。貯金から200万円下ろし、その200万円が底をついたら実家に戻る。両親とはそう約束を交わして家を出た。

上京。東京の郊外に家賃3万2000円の物件を見つけて、以来現在までの根城としている。もともとおカネを使わない性格なので、家賃に水道光熱費や食費、廃道関連の費用を足して月15万円あれば暮らしていけると算段した。パチスロ生活で余裕で賄える、はずだった。その頃から勝ちにくい台が多くなり、秋田時代のような計算は成り立たず、早速虎の子の200万円を取り崩す生活に突入してしまう。

週1ペースで廃道を巡り、文献を調べながら日に4時間かけてレポートを書き上げる。探索した順番に手を付けるのではなく、興が乗ったものから記事化していくのが信条だ。空いた時間には昔ほどは勝てなくなったスロットを回しに出掛ける。そんな生活を1年近く続けていくうち、預金通帳の残高は80万円ほどになっていた。

そこで底を打ったのは幸運でしかなかったと振り返る。

「アフィリエイト広告を貼るようになって少しずつサイトから収入が得られるようになってきたことと、NHKから取材されたりしてメディアから取材してもらうことがちょくちょく出てきて。書籍のお仕事もいただけるようになったのが大きいですね」

同種のサイトの追随を許さなかったからこそ
スロットでの勝ちに頼れなくなってサイトの人気を収入にする方法を取り入れた時期と、水面下で蓄積していたサイトの評価が表に出てきた時期がうまく重なった。2000年代後半特有の、個性的な個人サイトの書籍化やメディア進出が目立った時代背景も無視できないだろう。廃道は個人サイトという新しいサブカルチャーの泉から汲み上げられた新コンテンツとして扱われた。2000年前半に興った「廃墟ブーム」や、鉄道趣味の1ジャンルとして長く定着している「廃線趣味」とはまったく別の文脈だ。

そこで平沼さんが第一人者とみなされたのは運ではない。7年以上もクオリティの高いレポートをコンスタントにアップし続けて、同種のサイトの追随を許さなかったからだ。大抵のサイトは画期的な切り口であっても1年と更新が続かない。発足時かそれ以上の密度と品質でコンテンツを生産し続けるのは、いつの時代でもほんのひと握りだ。

当初アフィリエイト収入は月に1万円いかない程度だったが、広告の品が売れて報酬が入るタイプだけでなく、広告クリックが直接報酬になるタイプも加えたら数段アップした。その頃アクセス数は1日7000近くに達し、数値の伸びは同人誌の売り上げにもつながった。廃道の魅力を知った新規読者はサイトから同人誌の存在を知って、バックナンバーもまとめ買いしてくれる。1部400円のPDFファイル。在庫リスクは一切ない。

ピーク時は400〜500人の購読者がいて、毎月発行するたびに仲間と割っても十分な収入になった。それに加えて、編集者と書籍の企画を膨らませたり、『廃道ナイト』(東京カルチャーカルチャー/2009年〜)などのイベントを主催したりするなど、積極的にコンテンツを育てていったことも見逃せない。人付き合いが嫌いなのは変わっていないが、廃道の魅力を伝えることに関してはモチベーションがいくらでも湧いてきたという。


『廃道探索 山さ行がねが』(筆者撮影)
2018年現在、サイトのアクセス数は1日9000〜1万程度。2012年頃から安定しており、基本的な生活費はアフィリエイト収入だけで賄えている。同人誌はすでにやめており、イベントも収支的にはプラスマイナスゼロなので計算に入らないが、書籍やDVDの監修・執筆のギャランティは大きな支えだ。撮影機材やGPSを新調したり中古車を購入したりするのは、そうした臨時収入がなければ難しかった。決して裕福ではないというが、完全に廃道だけで食べている状況になっている。そしてそれが10年弱続いている。

好きなことだけやってきました
平沼さんは語る。

「まじめさとか真剣さとかとは真逆な位置で、嫌なことから逃げて好きなことだけやってきました。今食べていけているのも、本当に運がいいというか恵まれているんだと思います」

385 とはずがたり :2018/04/05(木) 18:54:07
>>382-385
それが謙遜でないところに生き方の極意がある。

平沼さんは、自分を「甘えていて、嫌なことに立ち向かえない人間」だとわかっているという。権威を伴う人間関係や仕事へのプレッシャー、不安やストレスなどなど……。そうした嫌なことを避けて生きていけるように、意識的に自らを導いているところがある。

人間関係が嫌だから学校を辞めたし、会社組織に属さない生き方を選んだ。同人誌も「おカネを払って読んでくれるプレッシャーと、一生懸命書いても最大500人にしか読んでもらえないこと」と折り合いが付けられなくなってやめた。将来への不安は「あったはず」だが、スロットで思うように勝てなくなってきた頃も押し潰されるような怖さは感じなかったという。それは自らが認めるように根が楽観主義者ということもあるだろうけれど、生き方が変化することが「嫌」ではないのが大きいように感じる。

「変化して当然ですし、変化に対して声を上げて食い止めるような気力もないですしね。そういうアンテナも張っていませんし。だから、たとえばアフィリエイトの仕組みが終了したらすごく悩むと思うんですけど、そのときはそのときで別の稼ぎ方を考えると思います。また同人誌をやるかもしれないし、別の方法かもしれない。今は私のサイトを好きだと言ってくださる読者がたくさんいてくれるので、そんな仲間と知恵を出し合って維持するように頑張ると思います」

変化に対して鷹揚な背景には、自らの価値を間断なく見つめる冷静さがある。自らを甘えた逃げる人間と評するのもそうだし、廃道レポートというコンテンツの評価分析にしてもそうだ。

「廃道探索には前述のような独特の魅力があって、私は今のところはすごく楽しい情報発信ができているという自負があるんですよ。代えが利かない魅力があれば、それをどうおカネに換えるかが変わってもどうにかなる。だから、将来稼げなくなるという心配もしてないです」

この代えが利かない魅力を維持するのは、自らが持つ廃道へのモチベーションしかない。


『国道??酷道!??日本の道路120万キロ大研究』(筆者撮影)
これまで廃道へのモチベーションが減衰したことはない。それは自然にそうなったわけではなく、周辺にまとわりついてくる「嫌」を意図的に取り除いてきたからだ。探索した順番ではなく気が向いた順にレポートを書くのものそうだし、プレッシャーや公開範囲の狭さを伴う同人誌をやめたのもそう。アフィリエイトという、記事に対する直接的な対価ではない手法を基本の収入源にしているのもそうだ。

モチベーションの敵になるようなものは極力排除する
読者の声も過度には追いかけない。「山さ行がねが」や公式ツイッターに届くコメントには目を通すが、それ以上を追うとネガティブな反応に気がめいったり、他の廃道サイトの情報が入って心がザワザワしたりするリスクが高まるから触れないままにしている。とにかくモチベーションの敵になるようなものは極力排除して、ストレスなく廃道に相対するように細心の注意を払っているわけだ。

「モチベーションが維持できなくなったら、何も生み出せなくなってしまいます。山にも行く気力がなくなって、モノも書けなくなる。そうしたら私は本当に食べていくすべがなくなります。私は常々廃道に行き続けて、燃料を補給し続けないといけないわけですよ。自分にも読者にも対価を与え続けないといけない」

この後何年も生きていくためには、将来への不安に目を向けず、今ある気力を全力で守る。矛盾しているようで矛盾していない。この徹底したモチベーションコントロールこそが、10年前と変わらない、平沼さんの屈託のなさの源なんだと思った。

平沼さんは80歳になっても廃道探索を続けたいという。

「廃道に行けなくなったら生活保護一直線ですしね。まともな社会人経験が数年間のコンビニエンスストアくらいしかない人間が、今さら別の道を選ぶことはできないですから(笑)」

386 とはずがたり :2018/04/07(土) 20:53:29
r59,(主)富山庄川線はこれか?!
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.1.55.624N36.31.32.258/zoom/10/
http://yamaiga.com/road/usidake/main4.html

富山県道59号富山庄川線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%9359%E5%8F%B7%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%BA%84%E5%B7%9D%E7%B7%9A
この県道には現在不通区間があり、全線通しての通行は出来ない。かつて存在した富山市山田数納から南砺市利賀村栗当に至るルートは完全に廃道化し、その痕跡を徒歩でたどることすら難しい。利賀村栗当の終点側分岐にいたってはほとんどの地図に記載すらされておらず、常に車両通行止めの上すぐに道路そのものも獣道となり消滅する。またこの通行不能区間であるが、利賀村側に降りてくると何故か重複区間を待たずにこの分岐路で「ここまで」と表示されている。なおこの分岐路には富山の名水のひとつ「脇谷の水」がある。

富山県南砺市利賀村栗当
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92939-2501+%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%8D%97%E7%A0%BA%E5%B8%82%E5%88%A9%E8%B3%80%E6%9D%91%E6%A0%97%E5%BD%93/@36.5345768,137.0025414,14z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5ff82144cf14df8f:0xa8f0a2d04818514b!8m2!3d36.5340222!4d137.0256556

富山市山田数納
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92939-0000+%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%95%B0%E7%B4%8D/@36.5345768,137.0025414,14z/data=!4m5!3m4!1s0x5ff8219e49dd59df:0xd3f28e0f849caedc!8m2!3d36.5235687!4d137.0524916

【険道】富山県道59号(庄川側分岐)登ってみた【廃道】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7311464
草刈りはされるらしい。(地元のおじさんが一人でボランタリーに年1でw)

387 とはずがたり :2018/04/08(日) 11:35:57

大千代港整備小史
http://yamaiga.com/road/oochiyo/main11.html#tuika
無駄だなぁ・・>制度として半自動的に進められた災害復旧事業によって、今回私も探索している【途中までの車道】や、【途中までの階段】などが作られたとみられる。

連絡船が460tになって接岸出来る日数は飛躍的に増えたんだろうか?トンネルぶち抜くのも必要だろうが揚物場を460t着岸可能にするのは難しいか。

388 とはずがたり :2018/04/12(木) 16:43:52
青ヶ島
https://www.gnavi.co.jp/amex/aogashima/

389 とはずがたり :2018/04/16(月) 23:34:53

粟巣野とか千垣とか富山地鉄結構いいかも(;´Д`)はあはあ

粟巣野駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9F%E5%B7%A3%E9%87%8E%E9%A7%85

粟巣野駅(あわすのえき)は、かつて富山県上新川郡大山町(現:富山市)にあった富山地方鉄道立山線の廃駅である。かつては大阪駅から急行立山が乗り入れるなど、粟巣野スキー場への最寄駅として利用されていた[1][2][3]。

沿革
当駅は、当初富山県営鉄道の同線の終着駅として開業し、立山開発の基点として貨客集散の地となっていたが[1]、その後、1955年(昭和30年)7月1日に至って千寿ヶ原駅(現:立山駅)が開業し、ターミナル駅の役目を同駅に譲ることとなった[4]。以後は利用者数が激減し、もっぱら粟巣野スキー場の最寄駅として利用されていたが[1]、立山駅から同スキー場への道路が整備されると共にその役目も終り[1]、1981年(昭和56年)5月22日遂に廃止されるに至った[5]。



千垣駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%9E%A3%E9%A7%85

歴史
1923年(大正12年)4月20日 - 富山県営鉄道の終着駅として開業。
1937年(昭和12年)10月1日 - 粟巣野駅(現在廃駅)まで延伸開業、途中駅となる。
1942年(昭和17年)6月1日 - 千垣駅 - 粟巣野駅間が日本発送電に譲渡される。
1943年(昭和18年)1月1日 - 富山地方鉄道の駅となる。

https://twitter.com/hydromi11/status/985690166663700480
オーリーエンタルのカレーェのMineko
@hydromi11
フォローする @hydromi11をフォローします
その他
有峰に鉱山があったのは有名な話(マニアのみ??)亀谷鉱山、笹津尾鉱山などなど。。。当時千垣駅に連結されていた和田発電所建設路と、鉱山搬出路があったと聞いたことがある・・・
この大規模なものは、和田發電所、小見発電所のコンクリート工場なのかな?それとも選鉱所なのかな??

390 とはずがたり :2018/04/18(水) 16:50:17

http://www.yomiuri.co.jp/national/20180417-OYT1T50107.html
富士山5合目への県道、積もる土砂なお4m超
2018年04月18日 15時59分
崩れた路肩を復旧する作業員(小山町須走で)
崩れた路肩を復旧する作業員(小山町須走で)

 静岡県は17日、3月に発生した土石流の影響で、土砂で覆われている県道「ふじあざみライン」を報道陣に公開した。

 富士山の須走口5合目に向かう道路で、例年は大型連休前に冬季閉鎖が解除されるが、今年は5月中旬になる見通し。

 ふじあざみラインは片側1車線で、約1万6000立方メートルの土砂が423メートルにわたり道路を覆った。4月6日から復旧工事が始まり、6000〜7000立方メートルの土砂を撤去したが、道路上にはまだ約4メートル以上も土砂が積もる。また、2か所で道路の路肩が崩れ、元に戻す工事も必要だ。県沼津土木事務所は5月16日までの開通を目指している。

 例年、大型連休中にはふじあざみラインを通り、5合目にある人気の散策コース「小富士」などにハイキング客ら数千人が訪れる。このため、須走口の山小屋経営者で作る「須走口山内組合」の渡辺昇組合長は「観光客の安全確保が大前提だが、できるだけ早く復旧してほしい」と影響を心配する。

 地元の小山町も早期開通を願っている。5月16、17の両日には、「静岡デスティネーションキャンペーン」プレキャンペーンの一環で、旅行関係者による富士山周辺の視察ツアーが須走口5合目を訪れる予定となっている。町商工観光課は「町のPRに直結する。間に合ってほしい」としている。

2018年04月18日 15時59分

391 とはずがたり :2018/04/27(金) 15:47:31
ど,どこだ!?(;´Д`)はあはあ

https://twitter.com/yokkiren/status/989739615236997120
ヨッキれん/平沼義之
?@yokkiren
フォロー中 @yokkirenさんをフォローしています
その他
うわぁー!

392 とはずがたり :2018/05/04(金) 20:00:04
https://twitter.com/kendou774/status/992350946687500288
R774@まとめ屋
@kendou774
フォローする @kendou774をフォローします
その他
福島r247(片倉末続停車場線)。一見ピストン県道であるが、三森林道経由で通り抜けることができる。しかしながら末端部は2009年より通行止が継続しており、廃道化が進んでいる。この廃道区間(でも現役県道)の中にヘキサが立っているはずだ。雨の中を先へ進む。

393 とはずがたり :2018/05/10(木) 10:32:34
2018年02月17日
奈良
和歌山
三重
これはすごい
酷道
マニアもビビる…キングオブ酷道「425号線」で見た日本の「原風景」
https://withnews.jp/article/f0180217001qq000000000000000G00110101qq000016786A?utm_source=yahoo&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=link_back&amp;utm_content=related

394 とはずがたり :2018/05/13(日) 15:08:21

この辺かな?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E132.43.18.375N35.17.59.681/zoom/8/

https://twitter.com/kendou774/status/995446054593048576
R774@まとめ屋
@kendou774

島根r162はこの辺りでは一番の険道だけど、危ない区間は短いので、県が否定するほど厳しい険道ではない。

島根県道162号大社立久恵線 険道区間
http://yukebawakarusa.blog88.fc2.com/blog-entry-17.html

県道162号大社立久恵(たいしゃたちくえ)線(以下r162)は島根県出雲市大社町から出雲市乙立町に至る県道である。
また、私の知る限り(多くは知らないが…)では島根県内一の険道にノミネートしたい。


立久恵と云えば一畑電気鉄道立久恵線であるがなかなか野心的な計画だったようだw
木次線よりこっちの方が良いし,もっと云えば国鉄大社線を引き継いで畑電大社線は廃止しても良かったんちゃうか。

一畑電気鉄道立久恵線https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%91%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93%E7%AB%8B%E4%B9%85%E6%81%B5%E7%B7%9Aであるが。

当初は陰陽連絡鉄道を目指して、大社宮島鉄道(つまり出雲大社〔出雲市〕と厳島神社〔廿日市市〕を結ぶという意味を転じて島根県と広島県を結ぶという意味を込めた)という壮大な社名をつけ、出雲 - 三次間91.7kmに鉄道を敷設する計画であった。三次を終点としたのは計画当時すでに芸備鉄道(現・芸備線)が広島から三次まで開通していたためで、それと結ぼうということである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%91%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93%E7%AB%8B%E4%B9%85%E6%81%B5%E7%B7%9A#/media/File:Ichibata_Electric_Railway_Linemap.svg

ところが昭和恐慌の影響と鉄道省による木次線の建設により陰陽連絡鉄道が完成されたことが原因で出雲今市(現:出雲市) - 出雲須佐間18.7kmを開業させたにとどまり、出雲須佐以南は測量を行っただけで着工に至らず、出雲須佐 - 三次間73.0kmの免許は失効のやむなきに至った。このため、社名を出雲鉄道に改称した。なお根津は免許失効直前の1937年に社長を退任している。

戦後は出雲平野に鉄道路線を展開している一畑電気鉄道に吸収されるが、社名は「一畑電気鉄道」ながら電化されることはなく、一畑電気鉄道唯一の非電化路線として営業を続けていた。しかし、過疎化やモータリゼーションの進展で経営状況は芳しくなく、1964年(昭和39年)に島根県東部を襲った梅雨末期の集中豪雨で路盤が流失したことを契機に営業は中止され、そのまま廃線へと追い込まれていった。過疎化やモータリゼーションの進展が原因で復旧する必要がないと判断されるほど経営状態は悪化していたことが伺える。

395 とはずがたり :2018/05/21(月) 13:16:50
国道229号線
白糸トンネル旧道
http://www.geocities.jp/tenku_kaihatsu/siraito01.html

396 とはずがたり :2018/05/21(月) 14:49:53
白糸Tは此処。やまいがもレポしてくれるだろうか?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.52.10.552N42.39.16.564/zoom/9/

397 とはずがたり :2018/05/25(金) 10:48:32
冒険の共有は山行がにも通じるものがある。最近テレビ出たりしてるよっきだけど,もし迷走し始めたら一ファンとして止めなきゃいけないだろうな。今んとこ大丈夫そうだが。

森山 憲一
2018/05/23
“賛否両論の登山家”栗城史多さんとは何者だったのか
エベレストで死亡した登山家の実像
http://bunshun.jp/articles/-/7474

 登山家の栗城史多さんがエベレストで亡くなった。これを書いている5月22日現在では、死因などについての詳しい情報が入ってきていないので、事故についてはなにもわからない。現時点で言えることは、栗城さんが亡くなったことは間違いないようだということだけ。事故の詳しい状況は、おいおい明らかになっていくと思うので、その時点で、なんらかの論評はできるのだろう。

 栗城さんというのは、なにかと物議を醸してきた登山家だ。世界7大陸最高峰の無酸素単独登頂をめざして活動し、注目され始めたのは、2009年ごろ。6大陸の最高峰に登り、残るエベレストに挑戦を始めたころだ。このころから、彼を取り上げたテレビ番組が数多く放送され、著書はベストセラーになり、現役の登山家としては圧倒的な知名度を獲得していった。一方で、その登山の内容や発言には疑わしいものが目立つとして、激しいバッシングも受けていた。これほど評価の振れ幅が大きい登山家は、栗城さん以外にはちょっと記憶にない。

絶賛から否定まで、さまざまな評価
 評価は、絶賛から罵倒まで、本当にさまざまで、大ざっぱにいえば、一般社会からはおおむね好意的評価を受け、登山を知る人からは逆に否定的に見られていたことが多かったように思う。私は登山雑誌編集者およびライターであるが、肯定・否定いずれからも距離を置き、離れたところから静観してきた立場だ。

 なぜ静観してきたのかというと、わからなかったからである。栗城史多という登山家を、栗城史多という人物を、自分のなかでどう位置づけてよいのか、ずっとわからなかった。栗城さん本人を知る人に聞いても、評価はまさに真っぷたつ。世間的な評価だけでなく、一次証言としての評価もこれほどブレの大きい人は滅多におらず、ただただ、「よくわからない不思議な人」というイメージしか持てなかった。

栗城さんはなぜ難しいルートを選んだのか
 であるが、昨年、私は、自分のブログで、栗城さんに批判的な論調の文章を公開した(森山編集所「栗城史多という不思議」「栗城史多という不思議2」)。栗城さんは、昨年のこの時期にも、エベレストに挑戦しており、フェイスブックなどで随時報告されるその登山のようすを見て、「いくらなんでも、あまりにもむちゃくちゃだ」と、自分の明確な感想として初めて感じたからである。なにがむちゃくちゃだったのか。ひとつは、登山として。もうひとつは、栗城さんの掲げる「冒険の共有」として。

 まず、登山として。栗城さんは昨年、北壁というルートからエベレストに登頂しようとしていた。エベレストは現在、多くの人が登る大衆登山の場となったが、それはノーマルルートと呼ばれる、もっとも簡単な登路から登り、さらに、熟練のプロガイドがついてこその話。近年、最高齢登頂で話題になった三浦雄一郎さんや、日本人最年少登頂者となった南谷真鈴さんも、みなこの手法で登頂している。一方で栗城さんは、はるかに難しい北壁を登路に選び、ノーマルルートから登るほとんどの登山者が利用する酸素ボンベも使わず、しかもたったひとりで登るという。同じエベレストといえど、この両者は難易度において、「雲泥」という言葉では足りないほどの差がある。プロガイドと酸素ボンベ付きのノーマルルートが、普通の大学生でも達成可能な課題である一方、北壁の無酸素単独登頂は、世界中の強力登山家が腕を競ってきた長いエベレスト登山の歴史のなかで、まだだれも成し遂げていないのだ。

「そんな困難な課題だからこそ挑戦のしがいがあるのだ」という意見もあるかと思う。登山はもともと、未知未踏を切り拓くものであって、冒険を否定しては成り立たないものだ。私自身がそんな冒険の魅力に惹かれて登山を始めた人間であるから、人の挑戦は否定したくない。だが、そんな私から見ても、栗城さんの実力と、掲げる目標の乖離は、度を超しすぎていると感じた。栗城さんの登山の実力は、やってきたことを客観的に見れば、多くのノーマルルート登山者と同程度と思われる。その実力で、北壁を無酸素単独で登ろうとするのは、どう考えても自殺行為だ。「登山としてむちゃくちゃだ」と感じたのは、こういうことなのである。ここはとても重要なところなので、本当に理解していただきたいと思う。

398 とはずがたり :2018/05/25(金) 10:49:28
栗城さんの価値は「冒険の共有」にこそあった
 もうひとつは「冒険の共有」として。栗城さんは、たんに山頂に立つだけでなく、その過程を中継などで見せることによって、見ている側にも冒険を追体験してもらうことに重きをおいていた。このことについて、「登山のショー化」などとして批判する人も多かったが、私個人はここに否定的感情は持っていない。むしろ、これまでの登山家ができなかったことを実現していると肯定的にとらえていたくらいだ。実際、エベレスト挑戦初期(2009年〜2012年)は、この試みは成功していたと思う。いわゆる登山記録としては、栗城さんの成し遂げてきたことは特に意味のあるものではないが、栗城史多という登山家に価値があるとすれば、ここにこそあったと思うのだ。

誰かが「暴走」を止めなければいけなかった
 ところが、2015年ごろから、この部分も中途半端になってきて、昨年2017年にいたっては、お粗末にすぎた。公開される映像はもともとわずかなうえに、本格的な登山活動に入ってからのものはほとんどなし。GPS発信器を携帯して、現在地をネット上でリアルタイムに表示するということも行なっていたが、発信が切れ切れのため、ときたま思い出したように表示されるだけで、ほとんど追体験ができない。フェイスブックなどでの情報発信も途切れ途切れで、ついにはそれもぱったり途絶え、どこでなにをしているのかがわからなくなった。発信が再開されたら、なんと北壁があるチベット側から、ネパール側に移動してきていて、西稜にルートを変えるという。聞いたことのないような行き当たりばったり。そして西稜への再トライも、ごく低い標高で中止となって終わった。

 つまり、登山としても、冒険共有事業としても、やっていることがあまりにも支離滅裂で、アンコントロール状態にしか見えなかったのだ。登山に限らず、アンコントロールというのはもっとも危険な状態だ。どんなに難しく思える挑戦でも、本人が情熱と確信をもって取り組んでいるかぎり、他人がそれを止める権利はないし、情熱と確信があるかぎり、望みはゼロではない。しかしアンコントロールは違う。暴走をだれかが止めなければいけない。

 登山雑誌はそれまで、栗城さんについてはほぼ黙殺状態だった。そのことについて、当事者として引っかかりをずっと覚えていた私は、それを解消するためにもブログを書いた。家族や近しい人をのぞけば、暴走を止めるべき筆頭候補は登山界なのだろうし。すると、ブログを読んだ栗城さん本人から連絡があった。「森山さんは僕のことを誤解しています」と。栗城さんは、10年くらい前に一度会ったことがあるのだが、私は何を話したのか記憶がなく、栗城さんは私に会ったことを忘れていた。おたがいほとんど知らない間柄なので、それは誤解もあるかもしれない。ならば、詳しい話を聞かせてほしいと思い、栗城さんに会いに行った。

399 とはずがたり :2018/05/25(金) 10:49:35
>>397-399
実際に会った栗城さん本人は……
 実際に会う栗城さん本人は、にこやかで腰が低く、批判をしたライターに対しても、普通に接してくれた。だが、話に聞いていたほどのストレートな明るさはなく、どこか陰のある感じが気になった。そして、話は最初から最後まで噛み合うことはなかった。北壁は難しすぎるという私の指摘について、栗城さんは「僕は登れると思っている」と答える。その根拠を聞くと、自分は血中酸素飽和度が人より高いという、あまり本質的でない理由を繰り返すだけだった。会話は終始そんな調子で、私は栗城さんに抱いていた謎が解けることはなく、栗城さんは栗城さんで、私の言うことに理解を示してくれるようなこともなく、おたがい収穫はなしに終わった。

 そんなかかわりを持ったこともあり、その後もときおり、栗城さんのフェイスブックをチェックしていた。栗城さんの活動から受けるアンコントロールな印象は、今年2018年のトライでも変わらず、それどころかさらにエスカレートしていた。情報発信は昨年以上に少なく、その一方で、目標ルートは、北壁より難しいとされる、エベレスト最難関の南西壁にまでグレードアップしていた。南西壁という言葉が出てきたときは、いよいよ混迷は極まったと感じた。

どこで歯車が狂ってしまったのだろうか
 昔の栗城さんは、こんなことはなかった。登山ルートも、ここ数年ほど、でたらめに困難なところを選ぶことはなく、冒険の共有についても、意欲的に、主体的に行なっているように見えた。テレビで放映される派手なパフォーマンスには、好き嫌いはあっただろうが、だれかの心を揺さぶるものは確実にあったはずだ。私は心は揺さぶられなかったクチだが、その行為に一定の価値は認めていたし、なにより、意欲をもってやっている以上、部外者が口を差し挟むことではないと思っていた。

 あるときから、栗城さんのなかで、どこか歯車が狂ってきていたのだと思う。最悪の結果になり、とにかく残念――という言葉もしっくりこない。残念というのは、近しい人であったりファンであったり、なんらかの思いを寄せていた人に使うべき言葉であって、2回しか会ったことがない人に対して、軽々しく口にするのは、かえって不誠実な気がする。現段階では、なんともいえず、虚しい、空虚な感情しか抱けない結果である。

400 とはずがたり :2018/05/26(土) 21:41:47
https://twitter.com/kendou774/status/1000345770363502592
R774@まとめ屋
@kendou774

讃岐山脈の県道群は面白い。
本日のおしながき
坪尻駅
徳島r268
香川・徳島r4 謎の区間を調査
香川・徳島r7
香川r153
香川・徳島r106
徳島r252 謎の区間を調査
画像は坪尻駅メインストリート

4:59 - 2018年5月26日

https://twitter.com/kendou774/status/1000353022260592640
R774@まとめ屋
@kendou774

何気に坪尻駅のWikiを見ていたら『建設に際して、敷地を確保するため水を流すトンネルを掘削して川の流路を変えた上で川底を埋め立て、駅が設置された』とあるではないか。確かに地理院地図には疎水トンネル(?)が記載されている。水を流すためのトンネルを見たくなり、坪尻駅へと向かった。

5:28 - 2018年5月26日

401 とはずがたり :2018/05/30(水) 20:04:27
登山スレってないよな。。

商業登山の闇、エベレスト登頂という「賞杯」に懸けるリスク
http://news.livedoor.com/article/detail/14756079/
2018年5月23日 14時34分 AFPBB News

【AFP=時事】エベレスト(Mount Everest)登頂は登山家にとって究極の「賞杯」だ。だが増加する経験の浅い登山家による世界最高峰への挑戦は、巨大なリスクを冒すものとなっている。

 今季の登山シーズンは、インドの航空機パイロット、米オハイオ出身の建築業者、インターネットメディア会社の元営業幹部らがエベレストのベースキャンプに待機し、8848メートルの世界最高峰を制覇する機会を狙っている。

 彼らが山頂までつかんで上るロープは同じであり、凍傷や雪崩、極度の疲労に直面する危険度も同じだ。だが、その特権のために支払う金額には大きな違いがある。

 エベレスト登山ツアー料金の最高価格は7万ドル(約770万円)前後で、こうしたツアーでは小チームを組み、顧客に登山能力の証明を義務付けている。

 一方、エベレスト登頂切符の料金を2万ドル(約220万円)にまで切り下げた安売りの登山会社は、経験のない登山者らさえ受け入れており、これに対し批判と警戒の声が上がっている。

 より安いツアー料金の登場によって、世界最高峰を制覇するという生涯の夢を試みる機会がこれまでよりも多くの人に開かれることになった。だが、無事に帰れない人の数も増えるだろうという厳しい予想もある。

■混雑する山腹

 1980年代には、ネパール政府はエベレストの登山ルート1本につき1チームだけに登山許可を与えていた。そのため各国の代表チームや、大手スポンサー付きの経験豊かな一握りの登山家しか足場を築けなかった。だがこの規制が1990年代に廃止されて以来、もうかるこの産業の分け前を求めて、登山会社が山腹に群がるようになった。

 今年、ネパール南側からは、料金を払った346人の登山者が挑戦する。2017年に許可が下りた史上最多の373人よりわずかに少ない。チベット側からの登山は180人が予定しており、当たり年となりそうだ。一方、昨年は登山者のうち、6人が死亡している。

 ニュージーランドを拠点とする旅行会社アドベンチャー・コンサルタント(Adventure Consultants)のオーナーで、エベレストの登山ガイド歴27年のギー・コッター(Guy Cotter)氏は、新たな登山者の多くは経験不足だと警告する。

「今や人々はインターネットで登山旅行を最安値で購入できる。だが一部の業者は、経験に関する基準を持っていない。(そうした業者の顧客である)彼らは登山家ではない。エベレストに登ったという勲章が欲しいだけだ。賞杯が欲しいだけなのだ」(コッター氏)

402 とはずがたり :2018/05/30(水) 20:04:51
>>401
■「登った」と「登山家だ」は違う

 商業登山の幕開け以来、エベレストでは料金を払って登山をする人々をめぐる懸念に悩まされている。

 多くの人が転換点だったと語る1996年には、エベレスト山頂から下山中に8人が死亡した。その中には極度の高所での経験があまりない人もいた。その年に登山ガイドを務めたロブ・ホール(Rob Hall)氏は「十分な決意があれば、どんな愚か者でもこの山は登れる。だが登山の成功とは、生きて下山することなのだ」と語ったと伝えられている。

 だが、この96年のシーズン中に共に死亡したホール氏とガイドとして彼のライバルだったスコット・フィッシャー(Scott Fischer)氏が、エベレスト登頂を目指す顧客の投資を重視しすぎたとの批判の声もある。

 エベレストで長年営業している多くの登山業者は、登山者と業者の経験不足は死亡事故の増加につながると警告する。

 1994年からエベレスト登山を手掛けているツアー会社、ヒマラヤン・エクスペリエンス(Himalayan Experience)のオーナーのラッセル・ブライス(Russell Brice)氏は「業者が熟練するまで、エベレストでの死亡事故は増えると予想している」と語り、一部の登山者の姿勢も非難した。「登頂熱は本当の病だ。皆ただ先へ進む。感覚がまひし『たかがつま先だ』となってしまう」と述べて同氏は凍傷で手指を失う危険性にも言及した。

 今シーズン、初の最高峰登頂を目指すインド人パイロットのサンディープ・マンスカニ(Sandeep Mansukhani)氏が選んだ登山会社は、ネパールを拠点とするアジアン・トレッキング(Asian Trekking)で料金は約3万ドル(約330万円)だ。

 マンスカニ氏は「始めたばかりの人、初めて試みようとする人にとっては、よし、やってみようか、だ。誰かがやらなきゃならないし、誰にでもチャンスは与えられるべきだ」と語る。

 だが、昨年、払った料金2万ドル(約220万円)を諦めて途中で引き返すことを拒否した登山者とガイドを救助したエベレスト・ガイド、アン・ツェリン・ラマ(Ang Tshering Lama)氏は、登山者のエゴを非難する。「人は『私は登った』と言う。だが『私は登山家だ』とは言えない」とラマ氏。「この山を登るには、登山家でなければならないのだ」
【翻訳編集】AFPBB News

405 とはずがたり :2018/06/19(火) 23:02:42
https://twitter.com/kendou774/status/1005563728597696517
R774@まとめ屋
?
奈良r228分岐(とは註:R425出合橋https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.4.15.188N34.5.14.514/zoom/8/の様だ。)。コーナーポストが1個だけ置かれている。これは何を意味しているのか?

奈良r228を1.5kmほど走ると東ノ川小中学校が現れる。荒らされて酷い有様だ。コンクリート作りのため、朽ち果てて倒壊することもできず、今後もこの醜体を晒して続けていく。そう考えると、朽ち果てて倒壊する建物は幸せなのかもしれない。

奈良r228沿いにある唯一の集落であった宮ノ平集落。地図に残る廃集落だが、東の川簡易郵便局があったことで知名度は高い。かつてはそれなりの規模の集落だったが、住人はいなくなり、簡易郵便局も2005年に廃止されてしまった。今では、この辺り一帯が無人地帯になってしまった。

奈良r228は嫌になるほど落石が多かったが、道路自身はしっかりしていた。周囲に真新しい機器が設置してあったりするので、林業やダム管理の方に利用されているようだ。落石除去に疲れ果てた頃、赤い吊橋が見えてきた(とは註:この吊り橋https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.5.1.723N34.7.38.125/zoom/10/のようだ)。

やっぱりか。。。路盤が完全に流されてしまっている(とは註:先程の吊り橋の先から此所https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.5.12.022N34.7.47.393/zoom/10/の手前の間らしい)。奈良r228が崩れていることは他の方の情報で知っていた。行けないと分かっていても、自分の目で確かめるまでは、『もしかすると行けるんじゃないか?』と思ってしまう。

奈良r228の崩壊地点なら薬師堂方向を眺める(とは註:以下で見るように吊り橋迄が県道であって此処が吊り橋と木組谷の間なら結果的に県道では無い筈である)。そこには、土砂に覆い尽くされた荒涼とした景色が広がっていた。上流方向の橋も消えてしまっていた。ほんと、自然の前では人工物なんて全くの無力だ。もう薬師堂に辿り着くことはできないのか?

この奈良r228だけど、県道を示すものは何ひとつない。本当に県道なのか?奈良県道路管理課に聞いてみた。
A.県道指定、供用されています。道路台帳に記載があります。

そしてもう一つの大きな問題。奈良r228の末端はどこか?ということだ。地理院地図は薬師堂まで県道色になっているが、これは誤りだろう(とは註:何故そう思えたのかは不明)。県道指定は、吊橋付近までのようだ。しかも、OSMでは吊橋まで県道になっている。果たして、この吊橋は県道なのか?

奈良県土木部の話では、この吊橋までは道路台帳があるとのことだ。吊橋の名前は大杖橋という。でも、正直信じられなかった。本当にこんな吊橋が県道なのか?そんな疑問を解決してくれる資料(リンク参照)があった。そして、それは確信へと変わった。http://www.pref.nara.jp/secure/39173/taisyoukyouryou3.pdf

奈良r228末端の謎にいよいよ終止符を打つ時がきた。風もないのに揺れる恐怖のグレーチング吊橋。この吊橋は奈良県道228号(東川河合線)であった。周辺は全くの無人地帯で、しかも橋を渡った先には何もない。それでもここには県道が通る。

406 とはずがたり :2018/06/19(火) 23:02:58
>>405-406

https://twitter.com/harunonichinich/status/1008668008422649856
ハルニチ
@harunonichinich
6月18日

吉野土木事務所の管内図(ちょっと古いんですが…)では、県道は吊り橋を渡るようです。(とは註:吊り橋を渡って今度は対岸をくねってこの辺https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.4.23.730N34.7.5.307/zoom/9/(★)から谷を渡ってこの辺の林道に通じるhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.3.19.580N34.8.22.118/zoom/9/様だ。★部分へは対岸から直接渡れば無駄に湖岸遠回りしなくて済んだのにねえ。。で,計画ではその林道は使わずこの辺の尾根伝いhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.1.22.563N34.7.44.676/zoom/9/に山を降り,現道の随分起点近くに繋がる模様。現道の終点からは何と大台ヶ原方面へ延伸の野心的プランだ。アホらしいが本気なんだろう・・。)

最後にwiki。ヘキサもない盲腸県道だが将来的にはr228迄繋がるってことのようだ。r228側に開通区間が無いので分断県道的な扱いすらされてないようだ。

奈良県道228号東川河合線
https://ja.wikipedia.org/wiki/奈良県道228号東川河合線
概要
出合橋で国道425号から分岐し、東ノ川地区を大台ヶ原山麓へ北進する。終点は上北山村中心部の国道169号河合交差点(とは註:多分此処https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.0.15.502N34.7.54.389/zoom/9/だ。)だが、荒谷および荒谷峠付近は車両通行不能区間となっている。

奈良県道226号大台河合線
https://ja.wikipedia.org/wiki/奈良県道226号大台河合線
概要
大台ヶ原山から国道169号へ下る道路であるが、実際には起点から小処温泉までは徒歩ですら辿ることが困難な、分断県道である。このため、小処温泉と上北山村中心部を結ぶアクセス道路として機能している。2007年(平成19年)1月30日に同村西原の国道169号で大規模な土砂崩れが発生し、通行止めになった際、迂回路として利用された。

奈良県道228号 東川河合線
http://kendougt.web.fc2.com/Nara-228.html
走行日 2003,6,29

県道 東川河合線(上北山村)
http://geocities.jp/nocty_bypass/douro/7_kansai/r228.html
[ 2008/12 撮影 ]

407 とはずがたり :2018/06/19(火) 23:08:43
>>406
>2007年(平成19年)1月30日に同村西原の国道169号で大規模な土砂崩れが発生し、通行止めになった際、迂回路として利用された。
どんな経路やろ??

ここしか見付からないけどこんな所迂回路にしたのか!?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.1.28.478N34.11.37.557/zoom/9/

408 とはずがたり :2018/06/19(火) 23:10:44
>>407
これか。

■県道228号線に続いて行ってきました。
広域基幹林道 サンギリ線
http://nmtr220.blog66.fc2.com/blog-entry-34.html?sp

林道サンギリ線は
国道425号線と国道169号線をショートカットする山岳舗装林道です。

落石は当然ありますが、全線舗装路で路面が良いので普通車での通行も問題ありません。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

■ したらば のおすすめアイテム ■

裸にいっぴん - 青山 裕企


この欄のアイテムは掲示板管理メニューから自由に変更可能です。


掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板 powered by Seesaa