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西洋史

72とはずがたり:2017/02/14(火) 12:29:10
>外から持ち込んだカカオ豆を生産させるため、英国は巧妙な仕組みを作り出しました。まず、現地人に人頭税などの税金を課します。しかし、植民地化以前のアフリカでは貨幣がほとんど使用されていなかったため、現地人は税金の支払いに困ります。払わなければ、逮捕・投獄されるのは、目に見えています。そのなかで英国人はカカオの苗木などを現地人に提供し、生産されたカカオ豆を買い上げることで、現地社会に貨幣を流通させていきました。これによって、英国は税金を集める一方で、カカオ豆の生産を促していきました。そして、現地人が生産したカカオ豆は、英国が設立した専売公社(マーケティング・ボード)が独占的に買い上げ、輸出していったのです。
穢い事し続けてきた欧州は直接謝る事をせず進歩的な欧州による移民の受入と云ふ形で現在も贖罪していると云えなくもない。

ガーナは「チョコレートの国」か? チョコレートにみる「矛盾との向き合い方」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mutsujishoji/20170214-00067648/
六辻彰二 | 国際政治学者
2/14(火) 9:37

日本では一般的に、アフリカの国は、その国名すらほとんど知られていないことが珍しくありません。そのなかで、「ガーナ」は例外的に、少なくとも国名に関しては、知名度のある国の一つです。その「功績」が、あの製菓メーカーの商品名にあることは言うまでもなく、バレンタインが近づくにつれ、あちこちの広告でその名を目にする機会が増えます。

しかし、アフリカ研究を専攻し、ガーナを題材に博士論文を書いた身からすると、ガーナが「チョコレートの国」としてのみ認知されていることには、やや複雑な思いがあります。現在、ガーナの最大の輸出品は原油で、カカオ豆ではありません。そのうえ、ガーナは確かに世界第二のカカオ豆生産国ですが、現地ではチョコレートもココアもあまり消費されていません。

そのスウィートさと裏腹に、チョコレートにはビターな影がつきまといます。それは誕生から現在に至るまで、形を変えながらも一貫しているといえます。

なぜヨーロッパでチョコレート生産が盛んなのか
授業でよく学生に問いかけることの一つに、「ベルギーやフランスでチョコレート生産が盛んなことを、おかしいと思わないか」という質問があります。カカオ豆は熱帯性の作物で、寒冷地の多いヨーロッパではほとんど生産されていません。それにもかかわらず、これらの国でチョコレート生産が一大産業となっているのは、植民地主義の遺産に他なりません。

カカオ豆はもともと中南米原産の作物で、15世紀の大航海時代にスペイン人によってヨーロッパに伝えられ、チョコレートは18世紀頃までに貴族や富裕層、中間層にまで広まっていました。しかし、チョコレートがヨーロッパの庶民レベルで大量に消費されるようになった転機は、19世紀の産業革命にありました。

近代以前のヨーロッパは、世界的にみて貧しい土地だったといえます。寒冷地が多く、土地がやせているため、大量に商品を生産するための原料となる農作物は多くありませんでした(実際、ヨーロッパ原産の農作物は数えるほどしかない)。さらに、人口も多くなかったため、大量に商品を売りさばくために必要な消費者の頭数にも限界がありました(現在でも人口が1億人を超えるのはドイツだけ)。そのなかで、資本主義経済と科学技術だけが発展したために、ヨーロッパ諸国は原料の供給地および独占的な市場として植民地を確保するため、海外進出を加速させたのです。

軍事力をもって支配したうえで、それらの土地から農作物や天然資源を輸入し、そして自分たちが作った工業製品を独占的に売りつける。これが植民地支配の基本的な構図でした。もっとも、「自分たちの利益のために外の土地を支配する」というのは、いくらなんでも聞こえが悪いため、そのためにヨーロッパ人たちは高尚な理屈をひねり出しました。「『未開・野蛮な』アジアやアフリカを『文明化する』ことが『文明人たる白人の責務』である」と、半ば本気で語られるようになったのも、この頃でした。もちろん、これは外聞の悪さを覆い隠すための、理論武装以外の何物でもありませんでした(これは日本と同様ヨーロッパでも「植民地支配は悪いことばかりでなかった」という言い分の源流になっている)。

ともあれ、植民地支配はヨーロッパ発展のステップとなり、それにともない華麗な文化が花開くことになりました。英国といえば紅茶の国ですが、これは茶葉の生産地だったインドを支配し、ケニアなどアフリカの植民地でもその生産を奨励した結果、可能になりました。現代の日本で、特に2月14日前後にスポットがあたるベルギーやフランスのチョコレートも、植民地主義の遺産という意味では、ほぼ同様といえます。補足すれば、紅茶やチョコレートに付き物の砂糖も、アメリカ大陸において奴隷制のもとで大量に生産され、輸出されたことで、ヨーロッパで普及していきました。


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