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スポーツ総合スレッド

88とはずがたり:2006/07/04(火) 10:29:34
まだまだ活躍できるような気がしますが,カズみたいにいつまでもやってるのもあれだと思ってたんでしょうか?

中田引退、29歳で現役に幕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060704-00000108-nks-spo

 W杯日本代表MF中田英寿(29)が、栄光と孤高のサッカー人生に終止符を打った。3日、自らの公式ホームページ(HP)で現役引退の声明を発表した。ドイツW杯では孤軍奮闘したが、無念の1次リーグ敗退。6月22日(日本時間同23日)のブラジル戦後に初めて涙した姿が、燃え尽きたことを物語っていた。3度のW杯、8シーズンに渡る欧州リーグでの挑戦。常に日本サッカー界の先駆者として疾走してきた男が、現役生活に幕を下ろした。
 あの涙は、ただの悔し涙ではなかった。惨敗のブラジル戦後にピッチ中央で大の字になり、サッカー人生で初めて、人前で流した。プロ入り時「サッカーしか知らない人間にはなりたくない」と関係者に話し「サッカーは仕事」と公言してきた男が、サッカーを愛していたことを知った涙。半年前から秘めていた決意に対する証しの涙だった。
 あれから10日。これまで数々の思いをつづってきた公式HPに、現役引退の意向をしるした。「彼は『自分はある精神的境地になったらキッパリとやめる』そんな意味のことを常々、言っていました」(所属事務所サニーサイドアップの次原悦子社長)。一片の未練も残さず、サッカー界から潔く去ることを決断した。
 「W杯1回目はどういうものか分からず、2回目はホームだったので、3回目の今回は本当に戦っている気がした」というW杯ドイツ大会。8歳の時からサッカーを始め、29歳のプロサッカー選手として成熟するまで、積み上げてきた力のすべてを注ぎ込んだ。
 常に厳しい言葉をチーム内に投げかけ、仲間との距離に一線を引いてきた男が、食事会を主催し自ら輪の中に加わろうとすることもあった。「時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。だがメンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった」。最後まで葛藤(かっとう)があった。
 クロアチア戦は終了と同時にピッチに倒れた。小学校時代は自分の蹴ったゴールキックを追いかけ、相手ゴール前でシュートを放ったこともある。舞台の差は無論あるが、底知れぬ体力を誇る男が息を切らしながら会見で言葉を並べた。ブラジル戦前には公式HPで関係者、ファンのために全力を尽くして戦うことを誓い「この試合が最後にならないことを信じ続けて…」と引退をにおわせた。3度目のW杯を集大成とする覚悟は見せていた。
 選手としての全盛期を過ぎたことも確かだった。04年に発症したグロインペイン症候群(骨盤、股関節周囲の過負荷による痛み)は致命傷となった。フィオレンティーナでは完全に出場機会を失い、新天地のボルトンでも苦しんだ。持ち前のフィジカルの強さもプレミアリーグでは通用せず、プロ入り初退場も喫した。終えんを感じていたからこそ、最後の区切りとなるW杯で異常なほどの執念を見せた。
 誰も歩んでこなかった道を、1人、これまで切り開いてきた。「プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい」。今大会の惨敗で大きな転換期を迎える日本サッカー界。その象徴のように「サッカー選手・中田英寿」も、一人旅に終わりを告げた。
(日刊スポーツ) - 7月4日9時54分更新


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