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スポーツ総合スレッド

313小説吉田学校読者:2007/12/03(月) 23:18:56
星野vs郭でしたね。

瑣末なことですが、「アサヒスーパードライチャレンジ」という冠はいかがなものか。これからコンビニ行って買っちゃうぞ。
それとどんな形でもいいから王さんに北京の地を踏ませてやってくれ。世界の王さんじゃないか。

<星野ジャパン>約束通りの“北京切符”「選手のおかげ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071203-00000146-mai-base

 厳しい表情が一気に緩んだ。3日まで当地の洲際野球場であった、野球の08年北京五輪アジア予選(アジア野球選手権)で、星野仙一監督(60)率いる日本代表チームが五輪出場権を獲得した。今年1月の就任会見で「北京で金メダルを必ず取る」と宣言した星野監督。韓国、台湾との「アジア枠1」争いを制し、目標への「第一関門」を、まずは突破した。
 プロ野球中日、阪神の監督を通算13年務め、計3度のリーグ優勝を果たしたが、国を代表して臨む国際大会での指揮は初めて。短期決戦での「負けられないプレッシャー」は、これまで経験したことのないものだった。
 それも覚悟の上で監督を引き受けたのは「今の自分があるのは野球のおかげ。野球界に『恩返し』をしなければ」という思いから。東京六大学リーグで23勝を挙げた明治大時代は法政大の黄金期、中日のエースとして活躍した時代は巨人の9連覇の時期と重なる。「強者に立ち向かうことに闘志を燃やす男」というイメージは、野球を通じて確立された。
 野球が公開競技だった1984年ロサンゼルス五輪以来、6大会の日本代表監督には、ほぼ全員に話を聞いた。昨年3月の国・地域別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」で日本代表を率い、「世界一」になった王貞治・ソフトバンク監督(67)からは「打撃戦より投手戦の想定を」とアドバイスされた。先輩たちの経験を吸収し、自ら対戦相手の情報収集、分析に当たることで選んだ戦術は「1点を大事にする野球」。打線は機動力重視、投手陣は若手先発陣とベテランの救援陣を組み合わせた。
 03年に体調不良を理由に阪神監督を退任した経緯もあり、定期的に体の隅々まで検査して健康管理に気を配った。「体はもう大丈夫」。グラウンドでは自らノックバットを手にとって指導、試合中のダッグアウトでは「闘将」のイメージそのままに声を張り上げ続けたが、「五輪アジア代表」を決めた後には笑顔でこう話した。
 「選手のおかげで、ここまで来られました」


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